図書館で手が触れ合う
「あ、すみません」
本を取ろうとした時手が触れてしまった。
図書館で手が触れ合ったので、ちょいとばかり着たいしてみたけれど、定年退職したくらいのおじいさんだった。
無言で立ち去るおじいさんが他の本を取ってから席に座った。
きっとおじいさんは高校生から付き合っていた彼女と結婚して、妻が洗濯物を高校時代の校歌を鼻歌で歌っている。
それを聴いたお爺さんは十数年の歳月を縮める鼻歌に高校時代の思い出に浸っている。
大企業に就職したものの下っ端の仕事を長年続けて、高学歴という社会的ポジションと会社のポジションのギャップがあって、高学歴を自慢していた昔の自分にやりきれない恥ずかしさを感じていた。
仕事でこき使われて疲れている自分をたまにしか会うことができなかった妻との会話は、暖かい言葉に飢えていた僕は泣いてしまった。
妻からもらった誕生日プレゼントのキーホルダーが一つの青春の形見のように引き出しにしまってある。
仕事で行き先がわからない移動命令で悲惨な状況でも怯まずに頑張れたのはこのキーホルダーを見るたびに思い出す妻の存在だった。
妻は他界して定年退職後、友達もいなくてやることのない僕は孤独を紛らわすため、図書館に通っている。
という行き過ぎた想像をして最終的にはおじいちゃん本人になりきっていた。
こんな想像をする習慣が生活条件の一部になっていた。