セラフィーナの嘆き
公爵が捕まったことでティターニアの復学が決まった。もちろんセラフィーナも一緒だ。だがセラフィーナは、このまま一緒に復学してよいのだろうかと思っていた。
事件の犯人はマケドニーで、ペドラは解決に向けて尽力した。それもあってレオナルドとアリシアの噂は広まり続けている。
元々アレクセイの妃候補達を牽制するために偽装を始めたセラフィーナだ。ティターニアは言葉の不安が多少残るものの、王宮でつつがなく暮らしていけている。
もう自分は必要ないのではないか。
セラフィーナはそう思うようになっていた。
だがそれは言い出せない。
自分勝手な思いだが、あれ以来レオナルドと話しておらず、このまま離れてレオナルドとの関係が終わってしまうのが耐えられないからだ。
復学が始まる数日前、ティターニアが言い出した。
「フィーナ、バラ園に行きましょう?」
「バラ園ですか?」
「ええ、学園が始まるとまた忙しくなるわ。だから今のうちに散歩しましょう。ね?」
セラフィーナに気遣ってくれているのだろう。ティターニアの優しさとかわいいお誘いに笑顔で頷いた。
バラ園を、二人でのんびり歩く。
時期によって咲く種類は異なるが、かわらず綺麗に咲き誇るバラの中にいると、色々入り雑じった感情が落ち着いていく。時々ティターニアと言葉を交わしながら、セラフィーナは穏やかな気持ちで散歩を楽しんだ。
二人で景色を楽しんでいると、視界の隅に人影が入った。そちらに目をやるとアリシアがこちらに向かってきている。
セラフィーナは先ほどまでの穏やかな気持ちが急に萎んでいくのを感じた。
会いたくなかった。この人だけは。
立ち止まったセラフィーナ達の近くまできたアリシアが笑顔で挨拶する。
「ティターニア殿下、フィーナ様、ごきげんよう。素敵な場所ですわね」
「ごきげんよう。あの、失礼ですがどうしてこちらへ?」
「以前レオナルド殿下に、バラ園がとても見事だとお聞きしましたの。だからどうしても見たくなってしまったのですわ」
二人は困惑した。このバラ園には入場制限がかけられており、今はティターニアがいるので許可は下りないはず。
するとアリシアの後ろの方から男性が一人駆けてきた。
「アリシアお嬢様、お探ししました。さあ、お父上のところにまいりましょう」
「後から戻りますわ。こんなに素敵なところですもの。もう少し歩きたいですわ」
「こちらに立ち入るのは問題です。一度引き返しましょう」
その言葉でセラフィーナは既視感を感じた。
少し前ここで、まったく同じ言葉で、同じように諌めていた男を思い出したからだ。
あれは……そう。
エメレーンとのお茶会にルードリッヒが乱入してきて、緑の髪の従者がルードリッヒを諌めた。今ここで同じようにアリシアを諌めているこの男性は、何の変哲もない栗色の髪に、メガネを掛けている。
だがあのときの従者と同じように、この男性にもゾーイックなまりがある。
だからこそ思い出したわけだが。
「もう!わかりましたわ!ティターニア殿下、フィーナ様、こちらで失礼いたしますわ」
アリシアは踵を返して戻って行く。栗色の男性は頭を下げた後アリシアを追っていった。
「ふう、フィーナ。前も思ったのだけど、アリシアさんってなんだか自由な方ね」
いつも笑顔を絶やさないティターニアが、眉間にしわを寄せ頬に手をついている姿に笑った。
バラ園から戻ったセラフィーナはティターニアの部屋でお茶をしたあと自室に戻った。
ソファに座り読みかけの本を開いたが、頭に入らない。先ほどの男性のことが気がかりだからだ。
セラフィーナは耳がよい。
子供の頃、何ヵ国もの言葉を覚えるために必死で聞き耳を立てた。さらに、覚えるならなまりがない言葉をと思い、聞き分けるようにしていた。そのおかげで今も言葉に敏感だ。
まったく同じゾーイックなまりで話す男が二人。
あの栗色の髪がかつらだったとしたら。メガネを外したら。あり得ない話ではない。今まさにセラフィーナ自身がやっていることだ。
ただの勘違いかもしれない。
だがもし、あの男性がルードリッヒの従者だとしたら。間違いなく悪い方向に進むだろう。
「レオナルド様に、伝えるべきよね…」
だが以前のように、レオナルドがこの部屋に来てくれることはない。さらにあの男性を疑うのは、いまやレオナルドの妃候補とまでいわれているアリシアを貶めるような発言になってしまうのではないか。
そう思うと足がすくむ。
鬱々と考え込んでいたが、こんなことをしていても仕方ない。セラフィーナの勘が放っておくべきではないと告げている。忙しすぎてユーリアスとすら会えていないのだから、こちらから出向くしかない。
そう思い立ってターニャに案内を頼んだ。
レオナルドの執務室に初めて向かうセラフィーナは緊張し始めていた。もうずいぶん話していない。またあの冷たい目をされたら……
セラフィーナは頭を左右に振って、暗い思考を振り払った。
これは仕事だ。レオナルドが冷たい態度だったとしても、言うべきことを言おう。
そう心に決めてターニャの後ろに続いた。
扉の前で深呼吸したセラフィーナは思い切ってノックをした。だが返事がない。
よしっと思い、重厚な扉を押し開ける。
その先には、レオナルドとアリシアが手を取り合い、微笑み合っている姿があった。
セラフィーナはその瞬間、動揺して何の言葉も浮かばなかった。何か言わなくちゃ。そう思うのに何も思いつかない。ただ二人を見つめる。
セラフィーナに気付いたレオナルドが一瞬眉を寄せた。その表情に、自分の訪問が迷惑であることを悟ってしまう。
心をぎゅっと掴まれたような傷みを感じた。
「どうされました?フィーナ嬢?」
「あ、あの。ご相談したいことがあったのですが。お邪魔をしてしまったみたいで」
爽やかな貴公子に戻ったレオナルドの問いに、震えそうになる声を耐えて言葉を返す。それに答えたのはアリシアだ。
「まあ!お邪魔だなんて!ふふふ。レオナルド殿下はお忙しい方ですからこの後も公務がおありですの。わたくしもこれで失礼させていただくところでしたのよ」
そう言ってアリシアがレオナルドに微笑む。それをレオナルドも微笑みで受け止めた。
その二人の親密さに心が凍りつく。
もう駄目だ。
これ以上ここにいることなんてできない。
「そうでしたか。大変失礼いたしました。わたくしのお話は大したものではございませんので、これで失礼させていただきますわ」
なんとか言い切って、カーテシーをして、逃げるように扉を閉めた。
廊下で待っていたターニャが不安そうな顔をしているので苦笑した。
「レオナルド殿下はお忙しかったみたい。せっかく案内してくれたのにごめんね。また部屋まで案内してくれる?一人じゃ帰れそうになくて」
無理に笑おうとしているセラフィーナにターニャは首を縦に振った。
「もちろんです。戻りましょう、フィーナ様」
「うん」
部屋に戻ったセラフィーナはかつらをとり、ターニャに化粧を落としてもらった。
今日はもう何もする気になれない。部屋から出たくない。そんな気持ちを代弁するように偽装を解いた。
夕食はいらないことを告げて、ターニャに下がってもらう。
ターニャは最近食が細くなってしまったことを心配していたが、儚げに笑うセラフィーナに何も言わず、一礼して静かに出て行った。
ソファに座りこんだセラフィーナは、上半身を横に倒して目を閉じた。
二人が手を取り合い、微笑みを浮かべ合っている。その光景が鮮明に思い出される。
自然と涙が溢れ落ちてきた。
もうこのまま王宮に居続けるのが辛い。胸が張り裂けそうだ。二人がうまくいっているなら、やっぱり自分はもう必要ないだろう。
明日にでもティターニアに王宮を出たいと伝えよう。ティターニアならきっと許してくれるはずだ。
そして学園に戻ろう。
レオナルドには幸せになってほしい。
でも……
ふとエメレーンを思い出した。
あの方はこんな感情を押し殺していたのか。なんて強く、悲しいのだろう。
セラフィーナはゆっくりと立ち上がり、テラスに出て月を見上げた。
エメレーンは笑顔に戻るために、月を見上げると言っていた。どのぐらい見上げていれば、この涙はとまるのだろう。
そんなふうに思いながら、月を見上げ続ける。
どのくらいそうしていたのだろう。
カツリ
何かが聞こえた気がした。




