※閑話※フィーナに恋をしたとある青年の物語
「フリッツ、図書館に行って過去の税務表を調べてきてくれ」
「わかりました。この書類の件ですね」
フリッツと呼ばれた青年はうやうやしく書類を受け取った。
ここは王宮の財務官室。
財務官は外交官に次いでエリート達が所属しており、官吏の中でも花形部署だ。今年配属されたばかりのフリッツはまだまだ雑用が多く上司や先輩の頼まれごとも多い。
その日もフリッツは調べものをしに、図書館に出向いた。
奥の棚に進むと、そこにはクレイズでは珍しい濃茶の髪に、メガネをかけたキリッとした美人の女性がいた。
噂の留学生だ。
気になってなんとなく目で追っていると、彼女は目当ての本を見つけたのか、ふわっと笑顔を浮かべた。
その瞬間、フリッツの胸がドキンとなった。
きつい印象からかわいらしい笑顔に変わったそのギャップに、胸が高鳴った。
それからフリッツは図書館に行くたびに彼女を探してしまう。そして運良く見つけると、密かに胸をときめかせていた。
だがなかなか会える機会はない。
気落ちしているフリッツに気づいた先輩が声を掛けてきた。
「おい、フリッツ。最近元気がないじゃないか。何かあったのか?」
「いえ、そういうわけではないのですが」
「なんだなんだ、悩み事か?相談してみろよ」
先輩にせっつかれてフリッツは気になっている令嬢がいることを伝えた。
「ははーん。恋の悩みってやつだな。それならさっさとその女性と仲良くなればいいじゃないか」
「でも話したこともないのですよ。相手は僕のことを知らないですし」
「誰だって最初はそうさ。お前はちょっと頼りないけど優しくていい男だし、俺達はエリートと呼ばれる財務官だぞ。相手だってお前を知れば見る目が変わるさ」
「でもどうやって話しかけたらいいか……」
「そんなもの、ハンカチを落としましたよとかでいいじゃないか」
「でも彼女がハンカチを落とすのをずっと待っているなんて無理じゃないですか?」
「バカだな。お前がハンカチを隠し持っていって、君が落としたものじゃないかと声を掛けるんだ。もちろん相手は自分の物じゃないと言うだろ?そうしたら、このような綺麗なハンカチはあなたのような方に相応しいとか言って、相手を持ち上げるんだ。そこで自分の名前と部署を言って、財務官であることをアピールするんだ」
「それでうまくいくんですか?」
「もちろんだ!試してみろよ!」
フリッツはそんなにうまくいくかなと疑問に思った。でも会話しなければ始まらない。
その日からフリッツは、女性用の綺麗なハンカチを持ち歩くようになった。
セラフィーナは図書館を出たところで声を掛けられた。
「あの、すみません。こちらを落としましたよ」
声を掛けられて振り返ると、人のよさそうな、でもちょっと頼りなさそうな青年がハンカチを差し出している。
「いえ、わたくしのものではありませんわ」
「そうでしたか。失礼しました。こちらのような綺麗なハンカチは、あなたのような方に相応しいと思いましたので」
そう言って青年はにっこり笑った。
セラフィーナはよくわからなかった。
なぜハンカチが綺麗だとセラフィーナのものになるのか。清潔感があるとでも言いたいのか。初対面なのに?
微妙な顔をしているセラフィーナに、青年は続けた。
「僕は王宮で財務官をしているフリッツ・カスクードと申します」
いきなり名前を名乗られた。
財務官をしているのなら頭のよい人だと思うのだが、やっぱりよくわからない。なぜ他人のハンカチを差し出して名を名乗るのか。
そろそろティターニアとのお茶の時間だ。
もう行こうと思った。
「フィーナ・ガレントですわ。あの、そろそろ失礼してもよろしいでしょうか」
「大変失礼しました。それでは、また」
そう言いつつも立ち去らないフリッツに、セラフィーナは背を向けてティターニアの部屋に向かった。
「フリッツ、例の彼女と話せたのか?」
「はい、まあ。一応」
「なんだなんだ、その顔は。うまくいかなかったのか?」
「先輩に言われたとおりにやってみたんですけど、あまり反応がなくて」
「でも顔は覚えてもらったんだろ?なら次は共通のものをみつけて盛り上がるとか」
「共通…彼女はよく図書館を利用しています」
「うってつけじゃないか!お前の知識が役に立つだろ?彼女が手にした本の話題とかをして、知識が豊富なことをみせてやればいいじゃないか」
「でも僕が知らない本だったら?」
「バカだな。女性がそんな難しい本を読むはずないだろ。だいたいが有名な著者の簡単な物語とかだ」
女性が難しい本を読まないとは思わないが、フィーナは留学生だ。語学の勉強を兼ねて、簡単な物語を読んでいる可能性が高いとフリッツも思った。
そもそも大人しい性格のフリッツにナンパなど向いていない。だがここにきてもまだ、フリッツは相談相手が間違っていることに気づかなかった。
そして相手が、一筋縄ではいかない女性であることも。
セラフィーナは図書館で、ずっと探していた本を手にできてほくほくしていた。
そんなセラフィーナに、先日のハンカチの青年がまた声を掛けてきた。
「こんにちは。またお会いできましたね」
「あ、はい。ごきげんよう」
今日は何だろうと思っていると、セラフィーナの持っている本に興味を示してきた。
「何を借りられるのですか?」
「こちらはガドウィン航海記ですわ」
「ああ!あの有名な著者の本ですね!面白いと評判でした!」
セラフィーナはよくわからなかった。
ガドウィン航海記は無名の著者の作で、他には出版していない。かつ、タイトルは航海記だが、内容は各地の地質や成分分析を題材にしており、面白いと評判になるようなものではない。
なんと言ってよいかわからずセラフィーナは黙り込み、二人の間に微妙な空気が流れる。
そこへユーリアスがやってきた。
「フィーナ嬢。お迎えにまいりました」
「ユーリアス様、わざわざありがとうございます」
兄に会えた嬉しさでセラフィーナは自然と笑顔になる。ユーリアスもセラフィーナに笑顔を向けた後、フリッツに挨拶した。
「カスクード殿、お久しぶりですね」
「え、ええ。ダウナー殿もお元気そうで何よりです」
二人は知り合いのようで、セラフィーナが首を傾げるとユーリアスが説明してくれる。
「彼は昨年まで同じクラスだったのです。スキップ制度を利用して、一年早く卒業されたのですよ」
「そうでしたか」
セラフィーナは自分もスキップできる立場なので特に驚くこともない。ユーリアスだって、レオナルドの側近なのでスキップせず一緒に学園に通っているだけだ。
フリッツが急に自信満々な顔になったのをみて、褒めたほうがよいのだろうとは思うがなんとなく面倒くさい。
それよりユーリアスと話したい。
「ユーリアス様、ガドウィン航海記をようやく見つけましたわ」
「それはよかったです。ずいぶん前に廃版になってしまいましたからね。著者が無名の上に、万人が好む内容ではないので仕方がないですが。こちらなら保管状態も悪くないのできちんと読み込めるでしょう」
「ええ、おっしゃるとおりですわ。読み応えのある本ですもの。しっかり勉強させていただきますわ」
微笑んでくれるユーリアスにセラフィーナも嬉しくなる。これが二人きりならきっと頭を撫でてくれるはず。
「あ、あの。お二人はとても仲が良いようですね?」
フリッツの存在を半分忘れていたセラフィーナだったが、ユーリアスと仲が良いと言われて照れた。
「仲が良いだなんて。ユーリアス様はわたくしのことを気にかけてくださっているのですわ」
ユーリアスをチラリと見ると、いつもどおりに笑顔を返してくれる。
「あ、あの。それでは僕はこれで失礼します」
急に暗くなったフリッツが去って行った。
やっぱりよくわからない人だと思った。
自室に戻る途中、セラフィーナは周りに誰もいないことを確認してから小声でユーリアスに聞いてみる。
「お兄様、さきほどのカスクード様と仲が良いの?」
「そんなことないよ。なぜだい?」
「うーん。ちょっとよくわからない方だったから。でもお兄様と仲が良いなら、信頼できる人なのかと思って」
するとユーリアスはガバッとセラフィーナを見てきた。慌てて部屋に連れ込まれる。
「セラフィ、さっきのカスクード殿と私はまっっったく仲が良くないんだ!だから彼のことは信用しなくていいよ!」
ユーリアスのあまりの勢いに押されながらも、セラフィーナは頷いた。
「そ、そう。わかったわ」
「間違っても二人きりになっちゃダメだよ!へ、部屋に入れるなんて、もっての他だからね!」
「いやね、お兄様ったら。いくら何でもそんなことしないわ」
セラフィーナはクスクス笑った。
お前にはレオナルドという前科があるだろう。
口から出かかった言葉をユーリアスは飲み込んだ。
「フリッツ、例の彼女とはうまくいったのか?」
「……先輩。彼女には好きな人がいるようです。それもとうてい僕には敵わない相手です」
「そうなのか?」
「はい。いつもキリッとしている彼女が、その相手の前ではにこにこと幸せそうに笑っていました。僕が入り込む余地なんてありません。それになんだか色々失敗してしまいましたし。僕はもう諦めます」
「そ、そうか。まあ女なんていくらでもいるさ!いつかきっとお前に似合う女性が現れるよ!」
「そうですね、ありがとうございます。そのときはまた相談に乗ってください」
「おう!任せろ!」
こうして人知れず、フリッツの恋は終わりを告げた。
だがその次の恋もうまくいくとはかぎらない。なぜなら相談相手が悪いのだから。
そしてユーリアスはフリッツが諦めたことを知らないまま、必死になってセラフィーナの周りに厳戒態勢を敷くのだった。
お読みいただきありがとうございます!




