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#4 彼女のプランと彼の決意(Aside)

「それでは綾守先生、本日はよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 簡単な挨拶を済ませて、俺は今取材に応じている。

 前作のヒットを受けての今回、新たなジャンルに挑戦しての二作目ということで、どうやらそれなりに注目が集まっているらしく、発売される前に取材を受ける事になっていた。

 都合が色々とつかないらしく、今日の午前中という予定になってしまった。学校を休むことにはなったが、それは楓さんから断りを入れられていたので滞りなく今に至る。

 目の前にいるのはスーツをきっちり着こなす女性ライターさん。

「まずは、デビュー作となった創生。天と僕の振る賽は現時点で累計五十万部を売り上げる大ヒットとなっていますね」

 そのタイトル、面と向かって言われると恥ずかしいな。恥ずかしさのあまり穴があったら入るどころか掘り進めちゃいそう。

「は、はい。読者の皆様と、本を出版や広報するにあたって携わってくださった方々のご支援によってこんなにたくさんお手に取っていただいてありがたいですね」

 そう言うと、彼女は適宜に相槌を打っては何やら簡単に手元に広げたノートに書いている。

 なにそれ人事評価? ボイスレコーダーあるのになんでメモすることがあるの? 態度とか見られてるのか?

 関心・意欲・態度は常にA以上だった俺の中学時代を思い出し、少し背筋を伸ばした。

「今回、新たに出されるジャンルは恋愛と、新しいジャンルに挑戦ということになりますが、どういった経緯で、恋愛を書こうと思ったのでしょうか」

 編集にやってみてと言われて書いたとかは正直言い難い。まあ、ここまで書き続けられたということは自分にも思うところがあったからだろうから、それを言えばいいか。

 そういう方針で言おうとしても声が出なかった。

 それより先に頭に浮かんでしまったから。

 なんで、俺はこの執筆を諦めなかったんだ?

 今思えばそうじゃないか。もともと、自分で立ち上げた企画じゃない。編集さんに言われたからとはいえ、自分の言いたいことを伝えれば、彼らは分かってくれたはずだ。もしくは挫折して、違うのを書くことだってできただろう。

 それなのになんで。無理にでも彼女を作って、彼女と日々を紡いで、その体験を、経験を感情を文面に書き起こして。それがお互いに幸せではないと分かっていたはずなのに。

「えーっとそうですね」

 自分のことを最低だとか、戒めている気になっていても、この関係を続けている以上は何も俺の言葉に価値はない。ただ吐いて楽になっているだけだ。

「前回のファンタジーで、たくさんの評価や言葉をもらい、自分の中で新たに挑戦したいと思える―――」

 そんなのは、ただの傲慢。自己陶酔。

 今俺が頭で必死に考えていることだって今は全くの無意味だと、そんなのは何も救われないと知っているのに。

 いっそのこと、今この場で明言してもいいのかもしれない。この作品はやめて、関係を終わらして、歪みきった元通りをもう一度歩けばいいのかもしれない。

 そんな勇気、はじめから持ち合わせてはいないが。

「―――では、書かれるときに意識したことはありますか? やっぱり、ご自身の経験なんかも入っていたりするのでしょうか」

 彼女は冗談交じりに言ってみせる。

 その一言がひどく心をえぐってる。

「そう、ですね……」

 とりあえず、笑ってごまかす。果たして俺がしっかり笑えているのかもう分からない。

 楓さんが視界の端に映った。ただ俺を見ている。いつものように暖かくもしっかりと見つめる視線ではなく、ヒヤッとした鋭い視線。勘違いだろうが、ひとつ疑問に思ったのがその中にもやはり温かい部分がある気がした。

「感情とかキャラの思いはその視点にならないと分からないものがあります。だからそういったところは自分の経験とかを通じで近い思いを参考にしたことはあります」

 なるほど、と相づちをうってまたメモをする。

「ありがとうございます。ここからは、少し内容の方にも踏み込んで行きたいと思いますまず……」

 それからは物語の話が主として流れた。正直、あまり考えずに話していたからどこまで使われるのかも、読者の一人であろう彼女の反応も寄り添ってくれている楓さんの表情も全くわからないまま、気づけば取材は終わっていた。

「ありがとうございました」

 俺と、楓さんとでライターさんを見送った。

「……綾人くん」

 楓さんが俺を見ずに話しかける。

「分かっています」

 たぶん、いやほとんど理由は分かっていた。

 俺は一つ断わりを入れて飲み物を買いに行く。楓さんには缶コーヒーを頼まれた。



 なるべく遠くの自動販売機で飲み物を買って、それから先の会議室へ戻る。戻り際、俺が取材を受けた記者さんが他の部屋に入っていくのが見えた。まだ仕事とは。世の中、楽な仕事もすぐ終わる仕事もそうそうないみたいだ。

 扉の前に立つ。短く深呼吸をして気持ちを整える。手にかけたノブは想像以上に重かった。

「おまたせしました」

 楓さんは窓から外を見ていた。

 俺の手元を見て軽く手をふる。投げろとサインしているようだ。

 楓さんが所望していた缶コーヒーは左手にあって。コントロールが心配だったが、思い切って投げた。案の定大きく左にそれる。

「あ、すいませ……」

 謝ろうとしたとき、彼女は機敏に動いてさもナイスボールを俺が放ったように見事にキャッチしてみせた。

 それから、プシュッと快音を鳴らしながらコーヒーを開けて言った。

「君が間違えたり誤ったりしても私がちゃんと受け止めてやる。だから、な」

 その言葉は、俺の何よりも支えになって、同時に俺に傷を負わせる。

 ああ。やはり間違っていたんだ。

 分かりきっていたことも、人に指摘されて初めて意味を成す。ようやく自覚できる。

「楓さん、聞いてくれますか」

 彼女は静かにうなずいた。

 そうして二人は席につく。どういうわけかこんなに広い会議室なのにお互いが隣に座って同じ方向を向いている。

 右手側には同じ二つの缶コーヒーが。下手して楓さんのを飲んでしまわないように注意したい。

 しばらく時間だけが流れる。

 そういえば、全く話すことをまとめていなかった。

 話を持ち出したのはこちらなのに、これでは楓さんに示しがつかない。

 急いで言葉を探していくが、焦ればもちろん、思考はまとまらない。

「えーっと……すいません。ちょっと時間もらえますか?」

 申し訳なくも楓さんに時間をもらう。すると彼女は笑って

「珍しいな」

「すいません」

「いや、いいんだよ。君にしてはしっかり言葉を紡ごうとしているからな」

 そう言われ、少し心に引っかかった。

「そんなに拙いですかね。俺の文章」

「まあ、文章はまだいいほうだよ。最近は細かいところも気を使えるようになっている。もっとも、まだまだ修正は減らないがな」

 そう言ってケラケラ笑う。

「だけど」

 彼女はコーヒを啜った。

「本当のことを伝えるのは下手だよ」

 彼女は俺を見てそう言った。

 そうは言われてもピンとこない。人は誰しも自分には盲目だ。

 けどそれも、理解することが今の俺には必要だと分かっている。

「あの、どういうことですか?」

 彼女は怒るわけもなく、ははっと笑いながら話を続ける。

「そのまんまの意味だよ。インタビューのときも、考えていたことと話していること違っただろう?」

 そう言われると気づくことがある。

「君はあまり本音を言わない子なんだろう。というより、本音を本音で伝えずに紆余曲折、言葉を足して引いて、気づけばそれは言いたいことから全く離れたものになっている」

 的を得ていすぎて返せる言葉がない。

 彼女はなおも続ける。

「まあ、それは君のある種の職業病かもしれないし、他人からすれば君が言っていることに変わりはないから、君のイメージとして定着するだけだ」

「なら、どうして楓さんはそれに気づいたんですか?」

 俺がそれを常備していれば彼女が見ている俺の姿は繕った本音で飾られた俺で出来上がるんじゃないのか。

 彼女はまた笑う。そこには少し自慢げな笑みが含まれている。

「これでも編集者だぞ? こういった感じのやつは少なからず見ているし、それに今は君の担当だ。つまり」

 そうして、俺を手に持った缶コーヒーで指した。

「君を一番見ているんだよ」

 不覚にもドキッとした。

 この人は……。からかっているのかふざけているのか分からない。

「いや、今のは失言だったか」

 彼女はまた笑う。

「本当ですよ。からかうのはやめてください」

「からかってなんてないよ。それに、失言と言ったのは一番は彼女だろうからさ」

 きっと、今までなら笑って受け入れられたかもしれないけど今はそんな器用なことできない。

 確かに、彼女は俺を一番見ようとしてくれていた。俺とは違って素直に何かを受け入れてきたんだろう。それは高一の頃から、果ては少なからず恋人という肩書でともにいたときまでで、彼女から感じられることだった。

「最低ですね。ほんと」

 俺が自嘲的に微笑むと、彼女は鼻を鳴らす。大人びた口調は俺をそれだけ積み上げてきた重みが言葉に乗っかているように思えた。

「まあ、高校生くらいならよくあるんじゃないか。そういった間違えに気づいて少しづつ正しさを作るんだよ」

 高校生くらいがよくあることなのかは楓さんの偏見だろうが、それには妙に納得できる。

「だから」

 彼女はぐいっと残りのコーヒーを飲み干した。

「がんばれよ」

「………はい」

「………今日私めっちゃいいこと言ったなぁ」

「そういうのは俺が立ち去ってから心の中だけで思うものですよ」

 張り詰めていた空気が逃げていくのがわかる。

 このいい感じだった空気を返せ……。

 せっかく楓さんの株が上がったのに、評価を常にプラスマイナスゼロにしないと気がすまないのか。

 急に気が抜けたので、俺は一人で気分転換をしようと会議室を出た。

「全く……楓さんはなんであんなに残念なんだ………」

 彼女の結婚が程遠く感じてきた。

「う……何やら悪寒が……」

 急に寒気がして身を揺らす。楓さんの気がここまで届いたようだ。

 ふと、窓からの景色が目に留まる。

 今日は変な天気だ。

 さっきから振ったりやんだりを繰り返している。

 この一体には大きなビルが所狭しと建てられていて、それもほとんどが企業の会社だ。

 下を見れば道路にちらほらと人の姿が見える。もう少しでお昼時だから、多くの会社員が近くの飲食店めがけて会社から出てくる。

 この出版社ももうじきお昼休憩を取る人が増えるだろう。

 人混みは苦手なので今のうちに帰ろうと再び歩き出したとき

「あれ? 綾……守先生?」

 ここが職場だからかわざわざ言い直したその声の主を俺はよく知っていた。

 振り返れば風花がいた。後ろにはその編集者さん。向かいには俺が先程まで取材を受けていたライターさんがいた。



「まさか綾守先生も取材だったんですね」

 ライターさんと再び挨拶を交わして彼女を見送ったあと、俺は風花と昼食を食べるため、手頃な店を探していた。

 風花の担当はなにを勘違いしているのか、「若い二人でごゆっくり〜」とか言ってさっさといなくなってしまった。

「まぁな。というか、今は外なんだしその呼び方はやめてくれ」

 自分でも安直だなと思いながら考えたペンネーム。それには慣れたが先生呼びはなれないからやめてほしい。

「えー。かっこいいですよ? 綾守先生?」

「にやにやしながら言われても嬉しくない」

 風花といるときはなぜか少しだけホッとした。楓さんの大人なオーラとは対象的だから中和されているのかもしれない。

「なんでこっち見ながら笑ってるんですか。気持ち悪いですよ」

「いやなに。風花が子供でよかったって思っただけだよ」

 そう言うと、彼の女は俺から半歩離れて、まるで汚物でも見るかのような視線で「ロリコン……?」など聞き捨てならない事を言い出す。

「というか、子供じゃないですよ!」

「そうだなー風花はもう高校生だもんなー」

「もー! バカにしないでくださいよ! 私だってねぇ」

 と言って、なにか続くのかと思ったが、急にもにょりだす。

「や、やっぱりなんでもないです……」

「なんで急にしおらしくなってんの? 仕様?」

 彼女はごほんとわざとらしく咳をついた。

「それで、どこ行きますか?」

「逆にどっか行きたいところとかあるか?」

「また丸投げ……」

 前のことを思い出しているのか、深くため息をついた。

「ほんと、何も成長してないんだから……」

「風花に言われたくはないんだけど」

「何言ってるんですか。日々成長していくのが私ですよ」

 エッヘンと胸を張る。だからそれやめて。

 確かに日々成長していそうな胸だったが、肝心の中身が成長していようだ。

「で、結局どこに行きましょうか」

 決めるのは今度も俺の役目になるようで、結局この前に来たお店にした。

「ま、妥当ってところですよね」

「嫌な言い方するな。この前美味しいって言ってただろ」

「それはそうですけど」

 不満ありありの顔をしていたが、一応は納得してくれたようで俺のあとをついてくる。

「毎回同じお店とか、好感度低いですよ」

「余計なお世話だ」

 少し前までは参考になると素直に言えたかもしれないが、今はもう無理だった。

 それを風花は敏感に感じ取ったのか、少し間をおいて俺に聞く。

「……やっと決めたんですか」

「………ああ」

 以前彼女には一度相談に乗ってもらっていた。だから、今回のを割り切るのも早かった。

「それで、話があると」

「ほんと、風花が話早くて助かるよ」

 もう一度、彼女は深くため息を吐いた。

「はあ。仕方ないですね。今日は全部おごりですからね」

「ああ、分かってる」

 覚悟を持っていうと、彼女は少し微笑んだ。

「ちゃんと聞かせてください。綾人先輩の決断を」



 店内は静かだった。

 あたりの人もまばらで、話すには丁度いい環境だった。

「とりあえず、先になんか頼むか」

「そうですね」

 メニュー表は一枚しかないので必然的に二人で覗き込む形になる。

 彼女のつややかな髪が俺の頬にかすめるくらいに近づいていた。

「近くない?」

「えー? でもこうしないとそっちまで見れませんし」

 仕方ないと思いつつ、どれにしようかを決めていると、彼女は何かを思いついたみたいにニヤッとした。

「彼女さんがいるのに良くないですかね?」

 その問はある意味俺を試しているようだった。

「まあ、あまり褒められたことではないかもな」

 そう言って少し距離を空けた。

 まあ、もう頼むものが決まっただけなのだが。

「決まったか?」

 聞くと、「はい」と答えてくれたのでひとまず店員さんを呼んで、注文を取り付けた。

 水を飲んで喉を潤す。

 窓の方を見れば灰色の空が広がっている。

 それからしばらくして頼んでいたものが運ばれてきた。

「なんで俺と同じやつなんだよ」

 テーブルの上には同じ二つのパスタがある。

「なんでって………別になんでもいいじゃないですか」

 急にそっけなくなるのはやめてくれ。

 しばらく食べすすめる。ミートソースに濃厚なチーズが絡んでしっかりと腹に溜まる。うん、美味しい。

 風花も同じ感想を持ったらしく、

「あ、美味しいですねこれ」

「そうだな」

 カフェ・レストランと聞くと、結構値段がする物が多いというイメージだし、実際そうだったけど、それに見合うくらいそれ以上にこのパスタには価値がある。

 何様かと思う評価を下し終えて口元を拭き、話すために背筋を直す。

 それに気づいたのか、風花は少し笑って聞く態勢を作ってくれた。

「なーんか前もこんな感じでしたけど」

「それもまあ、相談できるのが他にいないからな」

「………すぐそうゆうこと言う」

 純粋な感想というか、俺の交友関係の浅さを露呈しただけなのだが、なぜ風花は訝しげにこちらを見ているのか。

 俺はごほんと咳払いをして、話を戻す。

「まあ、今になって言うけど話すこともあんまり風花には関係ないというか、俺のこれからの報告というかそんな感じなんだが」

「分かってますって。いいですよそれで。上の愚痴を聞くみたいなときのノリですから」

 笑いながら言っているけど、お前……その年で苦労してるのかい?

 後輩の意外な闇な部分を覗いてしまった。ちょっと? よく見たら目が笑えてないよ?

「あの……風花さん?」

「なんですかー?」

「あ、いや……やっぱりやめますか?」

 なんだか申し訳なく感じてくる。

「やだなー綾人くんのことなんだからちゃんと聞きますよ」

 なんだかお茶を濁してしまった感あるがそれなりに真剣な話なのでもう一度背筋を伸ばす。

「単刀直入に言うとだな……」

 すっと言えたら楽なのに、自分がこうも人に伝えるのが下手だなんて作家としてどうなのか。

 一度呼吸を整えて風花に一言だけ告げる。

「俺は由紀と別れる」

 本当に、自分勝手だと思う。自分から告白しておいて振るときも自分からだなんて。

 それでも、自分勝手でも、それが俺の判断で決断でけじめだと思う。

 彼女が俺を好きなことは分かっていた。だから丁度いいと思った。駆け出し作家な手前、下手にコケることは許されなかった。だから利用した。俺にとって彼女は、由紀は都合が良かったんだ。

「……最低ですね」

 風花は静かに言った。

 本当のことだから返すことなもない。俺は黙ったまま、彼女の言葉の続きを聞く。

「彼女さんはこのこと知らないんですよね」

「……ああ」

 たぶん感づかれてすらいないだろう。その鈍感さと素直さが彼女の魅力なのだから。

「関係、続けてもいいんじゃないですか」

「………無理だ」

「……なんで、だって彼女は何も知らないんだよ? なら、このまま嘘でも付き合っていくほうが幸せじゃないですか?! 彼女さんまで傷つける必要、なくないですか?」

 ああ、本当に彼女を巻き込む必要はない。むしろ、今風花が提示した関係性のほうがいいまである。

 でもそれじゃだめだ。

 そんなもの、いつか綻ぶ。俺がどんなに彼女に愛されるようにしたって、どれだけ関係を良くしていったって振り返ってみればそこに俺はいない。いるのはフィクションめいた俺だけだ。

「……それじゃあ、彼女さんを振って、その後どうするんですか」

 口を紡いだ。

 それに彼女は追い打ちをかける。

「その後も仲のいい友達、なんて、都合良すぎますよ」

 そんなこと、俺だって分かっている。でも、それでも俺は。

「……本気、なんですか」

 俺はコクリとうなずいた。

 それから幾ばくとも計り知れない時間が流れた気がした。

 お互いになにか話しだそうとすることもない。ただ過ぎていく時間を肌で感じる。

 先に動いたのは風花だった。

「……私、彼女さんいい人だと思います」

 何を言い出すのかと思って、彼女の言葉を聞き続ける。

「素直そうだし、デレデレだし、可愛いし、私が男なら確実に惚れているだろうし」

 ……何を言い出したの?

「そんな彼女を振る綾人くんはどこか頭がおかしいと思うし、やっぱり最低だと思うけど」

 彼女は俺をまっすぐ見て、笑ってみせた。

「こんなにいい彼女さんが好きになったんだから、綾人くんも絶対いい人なんですよ。それは私も保証します!」

 彼女があまりにいい笑顔を見せるものだから、つられて笑ってしまう。

「なんで風花が保証人なんだよ」

「それは………いえ、今はまだ言いません!」

「なんだそれ」

 本当に意味がわからない。

「ほら、そうと決まればいきますよ! 早く支払ってきてください!」

 催促されて会計に向かう。

 いい感じに締めたいなら俺を一人走らせてこっそり会計済ませておけよ。俺のプライドとしては嫌だけど、展開的には上々だろ。

 支払いを終えて、俺は走り出した。

 風花は、「私の役目はまだなので」とか最後まで意味の分からないことを言って俺を送り出した。

 いつの間に雨が降っていたのか、アスファルトは濡れて黒く変色し、都市独特の雨の日の匂いがあたりに充満している。人の波は少なく、遅めにお昼を取ったのだろうOLが楽しそうに話しながら歩いている横を駆ける。

 とはいえ、意味もなく走っているわけではない。

 スマホで急いで満を呼ぶ。彼女、もうひとりの俺の協力者。

『今から由紀を連れてきてくれ。場所は学校近くなるべくひと目のない場所で』

 それから、『着いたらその場所を教えてくれ』と送り、一度息を整えてからもう一度走る。

 満から返信が来たのはその後、走るのが辛くなってタクシーを捕まえていたときだった。



 はぁ……はぁ……疲れた……。と、タクシーの中で粋の良い男子高校生が言っとりますけど。

 流石に出版社から学校まで走るのは無理がある。自宅から学校までは徒歩圏内でも、自宅から出版社は電車なんだ。つまり学校から出版社までも電車の走行距離分の長さがあるということだ。

 駅伝選手じゃないんだから。現実なんてそんなもんよ。

 まあちょっとタクシーはやりすぎだったかも。頑張って電車乗り継いで行くてのもあったけど、時間がなかったこと、近くにタクシーが止まってたということ、お金はあったということが一高校生の価値観を損なわせた。

 このまま目的地に向かったとして、タクシーから降りてくるこれから振られる相手とかやばすぎるというか、どこの貴族だよというか、ちゃんと目的地から数百メートルは離れた場所に止めて走るつもりだ。

 道すがら、制服を着た同い年くらいの人が窓越しに見える。

 みんな楽しそうに笑って話している。

 部活帰りとか遊び帰りとか、はたまたこれから遊びに行くとか、今をときめく学生はなぜあんなに輝いているのか。青春とはなんなのか。そんな疑問がふと頭をよぎった。

 俺が向かう先は彼ら彼女らの行く方向と逆らっている。当然、俺の姿を見ている人は俺しかいない。

「俺が向かう先……」

 漠然とした未来に目を向けるよりも、たぶん今から数十分先の未来の行方を考えることにした。

 その答えを今から作りに行くというのに。

 とはいえ大まかな答えはすでに決まっているだろう。あとは細かな、事後処理とかだろう。俺にできることはあまりないが、それでもやれることをする。

「ここでいいのかい?」

 気づけば辺りは住宅街に入り、指定していた目的地に着こうとしていた。

 タクシーを降りたあとは再び走る。

 予定はこちらにあるのに待たせている身。せめてここは速く走る。

 遠目に彼女たちが見える。俺の心臓がドクンと跳ねた。柄にもなく緊張しているらしい。

 そういえばこんな緊張を前にも体験していた。それは偶然にも俺が告白したときの緊張と同じだった。

 息を切らしながら近づくと、由紀はこちらに気づいた。

「あれ、綾人くん? どうしたの? ていうか、学校休んでたけど大丈夫? どこか体調悪いんじゃ……」

 あぁ、やっぱり優しいな。その優しさが俺を苦しめているというのに。

 とりあえず、呼吸を整えよう。

 息を整えると視界がクリアになる。そうして気づいた。ここは、ここはいつか桜が舞い散る季節、俺が彼女に告白をした場所だった。

 満が仮にもこの場所のことを知っていてわざわざここに指定したならそうとう意地が悪い。

 期せずして同じ状況になる。ここまで場を整えられることなんてあるのだろうか。

 彼女はどうしたのかとずっと待ってくれていた。

「由紀」

 名前を呼ぶ。彼女はいつものように感が鈍そうに笑っている。

 いつの間にか満がいなくなっていた。気を回してくれたのかもしれない。

「由紀に伝えないといけないことができたんだ」

 本当はこの関係が始まってからずっと伝えないといけなかった言葉。

「俺は……俺は由紀を騙してたんだ」

 彼女は何を言われているのか分かっていないように見える。

「俺は由紀を騙していた。付き合っていたのは俺が小説の資料に使うために由紀を利用させてもらったんだ」

 小難しくは言わずに、ただありのままの事実を並べ立てる。

「………え、何言って………あ、ああ! 冗談話か! 綾人くんそのネタはちょっとおもしろくはないかな〜」

 由紀は顔を一瞬歪ませたが、すぐに元通りの由紀であろうとする。

 しかし無理に取り繕っているのが分かる。それくらい彼女には理解したくない話なんだろう。

 でも、俺はじっと彼女を見た。受け入れるまでずっと、真剣に。

 俺の顔を見て、彼女の声と笑顔が消える。そして彼女はうついて、静かに顔所の声が聞こえてきた。

「………なんで、告白したのが私、だったのかな」

「……由紀が……俺に、好意を持ってることは知っていたからな」

 およそ理由としては最低だろう。

 彼女は黙ったままだった。もうすでに二、三発叩かれてもおかしくはないのにそうならないのは、彼女がやっぱり優しからか、とうに超えてしまった感情だからなのか俺には分かるはずもない。

「俺がしたことに、責任は取るつもりだ」

 それは彼女が望む答えじゃないかもしれない。本当に俺のことを想ってくれていたのなら、やはり俺のこの結論には疑問を抱くだろう。

 それでも、これが俺の結論。

 しっかりと覚悟を持って口を開く。

「由紀、俺と別れて欲しい」

 はっきりと告げた言葉は確かな重みを持って彼女を刺した。

 彼女ははっと顔を上げて、絶望にも似た表情を浮かべる。

 自分は今、どんな表情をして彼女を見ているのか。

 永遠ともいえる時間がただ過ぎる。その流れを、俺は一人感じている。

 彼女の周りは時が止まっているようだった。彼女の眼には果たして俺が写っているのか、この世の成れの果てを見ているのか。

 やがて彼女はうつむいてしまった。

 そしてまた、無理に取り繕った笑い声の混じった彼女の声が聞こえる。

「……は、ははは、じょ、冗談だよね……今日は、エイプリルフールってわけじゃ、ない、けど、さぁ」

 やがてその声も震え声に変わり、嗚咽を漏らしたように言葉が出ている。

 その時俺は彼女が泣いているのだと気づいた。

 彼女も、突然涙が出たことに驚いたのか、顔を上げて必死で溢れてくる涙を拭っている。

「あ、あれ? おかしい、なぁ………涙、止まんない……な、なんだ、ろう、ね?」

 なんて声をかければいいんだろうか。涙は想定はしていても、実際になるとどうしていいか分からなくなる。

「由紀……」

「ごめんっ!………今は、もう、これ以上受け止められないみたいなんだ」

 最後の笑顔を振り絞って、彼女は俺に向けて笑った。

 どうして……。

 彼女は走って行ってしまった。

 残された俺はただ立ち尽くす。

 その頭上に一粒、雫が垂れた。一つ、また一つ。

 顔を上げたときには誰かの乾ききった心を満たすくらい十分な雨が俺の体を打ちつけた。

 追いかける気力はとっくに尽きている。もとより俺が彼女を追ったところでどうなるわけでもない。

 あたりには俺以外、誰も居ない。

 ああ、こうなることは分かっていてもやっぱり辛いな……。

 そう思って、頭を振る。そんなことは俺が思ってはいけない。

 ここは作品じゃない。ここからのどんでん返しハッピーエンドなんて現実では起こり得ないのだ。

 あとは俺に残ったやるべきこと、これを片付けるだけだ。

 俺は、俺の物語に終止符を打つ。

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