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#3 彼女と友達、彼と後輩(Aside)

 額を汗がつうっと滑った。

 まだ六月だっていうのに、なんだってこの暑さは。正直クーラーを入れたくなる季節なことに間違いはないが、我が家は基本的に七月に入らないとクーラーを入れてもらえない。地獄だ。

 電車でも弱冷房の車両があったり、クールビズとか流行ったりしてできるだけ電気を節約しようとしている取り組みが多い。クールビズはもう少し先か。

 だが、冬とは違う。この暑さはたとえ何枚脱ごうがゴーヤでカーテン作ろうが、人間の感覚に働きかけられるわけだから、どうあがいたところで結果は変わらない。

 ………暑さで思考が乱雑になっている。まあ、結局暑いものは暑い。クーラー入れろ。ということだ。

 暑さは嫌い。思考を削がれる。思考が削がれれば冷静な判断ができなくなるし、いらだちやすくなる。汗は髪とおでこがくっついてうざったいし、夜も寝付きが悪くなる。それにそれに……。

 どうやらだいぶ暑さにやられたようなので、一旦作業の手を止めて顔を洗いに行った。



 今日は六月に見合わない暑さなのだそうだ。温暖化の影響で四季が狂っているという話は聞いたことがあるが、まさかこんな形で実感するとは。

 変化は人に幸福をもたらすことあるが不幸にもしうる。

 頭の中でそんな言葉を思いつきながら、出版社に行く準備する。

 楓さんに原稿のチェックを頼むためだ。

 ここ最近、二人の仲に大きな進展があった言われると微妙なところである。

 付き合い始めて二ヶ月を過ぎ、それまでは”二人”の時間に重きをおいていた俺達は友人との時間も大切だよね。ということを思い始め、各々の友人との時間も増やしていた。

 ただ、そんなことを言っても倦怠期とかそんなことを囁かれることはない。

 俺が倦怠期に入ることは今後たぶんないけれど、そんなことを置いといても順調すぎる。

 端から見るともう二年くらいは付き合ってたのかというくらいの落ち着きようと、時折見せる初初しさのギャップがすごい。のだそうだ。かき評価。

 原因は何かと探ってもまったくもって分からない。二人の性格が絶妙な具合にマッチしたのか。

 なんにしろ悪いことではない。

 諸々準備が終わり、ガチャリとドアを開けた。

 外に出たほうがまだマシだな。

 風がある分、家の中にいるよりも不快感は薄らぐ。とはいえこの暑さ。

 ちらほらと半袖や、短パンの人を見かける。

 セミは鳴っていなかった。それが唯一、俺が今は夏ではないと判断できたことだ。

 そういえば、もうすぐ梅雨である。

 去年はもう梅雨に入っていた気はする。

 今は太陽サンサン雲ひとつない快晴だが、これが梅雨ともなれば少しは涼しくなるのだろうか。それとも湿度が上がってさらなる地獄、サウナ地獄で蒸し焼き状態みたいな感じだろか。

 ちょうど、再び暑さに頭がやられてきたところで出版社についた。

 社内に入れば一変。それまでまとわりついていたムワッとした空気の塊が浄化されて、代わりに長居したら底冷えしそうなキンキンとした冷気が俺の表面を覆う。

 額に浮かぶ汗が熱を奪う。そうか、ここは天国だったんだ。

 そんなサウナから上がって一気に外気浴の、瞬間的な”整う”が生まれているなか、聞き馴染みのある声が聞こえた。

「なーに、のほほんとした顔してんだ」

 相変わらずパリッとしたスーツの似合う、楓さんだった。大人の女性感があふれでている。キャリアウーマンだ?

「こんにちは楓さん」

「はーい。暑いのによく来たね。じゃあ行こっか」

 そういって会議室に案内される。とりあえず今日はここで書こうかなと思い至った。涼しさには勝てないのだ。

 席を進められて椅子を引いた。もう何回も訪れてはいるがやっぱりこの空間と白さは慣れない。

「じゃあ、見してもらえる?」

 「はい」と言って持ってきた原稿を取り出し渡した。

 楓さんは渡されるなり一気に仕事モードになる。変化を言えば表情が基本険しくなるし、口数が減るのと、ペンの音がとても鋭くなる。必殺仕事人て感じでいつかそのペンで過ちをおかしそうだ。ありえないけれど。

 まだ、完全に集中する前に彼女は

「ちょっと時間かかるかもだから、もしあれだったら席外しといていいわよ」

 と退出を許した。

「え、いいんですかそんなことして」

「いや、普通は良くないけど、今日は私あんまり集中持ちそうにないから人がいられるとミスしそうで」

 楓さんは俺同等に作品に真摯に向き合ってくれている。そう思えた。

 ここは、楓さんに甘えさせてもらおうと、席をたった。

 思えば俺はここを詳しく見学したことがない。

 普段はだいたいあの会議室か楓さんのデスクまわりくらいだし、こんなにも広いだなんて思っても見なかった。

 迷った………。

 あの外見は偽物なんじゃないのかとか思っていた俺をぶん殴りたい。どこだここは。と同じような道を先程から行ったり来たりしている。

 んーどうしよう……あいにく、ここじゃ知ってる人って楓さんくらいしか……。

 ウロウロ悩んでいると、またも知っている声が聞こえてきた。

「あれー? 綾人せんぱい?」

 声の方を振り返ると、紺のシャツにくるぶし丈のジーパンと、ボーイッシュな服を着こなす風花がいた。

 シャツは一周りくらい大きいサイズのはずなのにバストのところが強調されているのは何なんだ。目のやり場に困る。

「どうしてこんなところに! 今日って先輩ここ来る予定だったんですか?」

「ああうん。()()()()も今日は来る予定だったんだね」

 職場ということもあり、わざわざペンネームで呼んだのに彼女はどこか不満そうにムスッとした表情を浮かべた。

「別に、わざわざ言い換えなくてもいいんじゃないですか、()()()()?」

 なに対抗してんだ……。と呆れはしたものの、まあ一応仕事中なんだったらこのほうがいいのかとそのまま続けた。

「打ち合わせ?」

「はい。やっと中間ぐらいなんですよね」

 彼女、東風花は今年の三月に受賞した新人作家だ。ペンネームを東風西香(こちさいか)という。

 中学校では仲のいい友人で高校に入ってもまさかの後輩で、しかも作家としても先輩後輩の中になってしまった。身内がいるとやりづらいというのに……せめて別のレーベルであったらよかった……!

 不謹慎なことを考えているといつの間にか彼女が距離を詰めてきた。

「そうだ、このあと時間空いたら話しましょうよ!」

「え、いやでもな……」

 そんなこと急に言われても困る。

 というか俺このあと執筆しようと思っていたんだが……。

 しどろもどろに返事をすると彼女は駄々っ子のように喚く。

「なんでよー! いいじゃないですかどうせ暇なんでしょ! 先輩には聞きたいことも色々あるんですよー!」

 わーわーと叫ぶので思わず、四歳児かと突っ込みたくなったが、ここは冷静に対処を試みる。

「風花うるさい。ここ職場。保育園じゃない」

「へ……? ………なんですかそれ! 私五歳じゃないですよ! もう十六ですよ!」

 一瞬なんのことやらといった感じになったが、俺の皮肉が通じてしまったようでさらにうるさくなる。

 あと惜しい。五歳じゃなくて四歳。一つ歳が下だから。

 風花の担当さんだろう人も苦い笑いを浮かべている。

 これ以上迷惑はかけられない。

 仕方なく彼女の提案に乗ることにした。思い切りのため息をこぼして。

「はぁー……分かった。分かったから落ち着いて」

「よし! じゃあ後で連絡入れるんでそれまでテキトーに待っててください。ひとりじゃんけんでもして待っててください!」

「寂しすぎるわ」

 そして彼女はこの場をあとにした。

 嵐みたいだなぁ……。元気なところは変わってない。少し安心感を覚えたのと同時になにかつっかえたような感じもした。

 風花からの連絡は、思ったよりも早く来た。

 まだ、楓さんからの連絡はなく、かといって戻るのも気が引けたので俺は風花の指定した応接室に向かった。

「あ、きたきた! おっそーいですよせんせ」

 扉を開けると、にかっとした笑いを浮かべた風花が俺を急かした。

 気のせいか、テンションが高い気がする。なにかいいことでもあったのだろうか。

 とりあえず、勧められて席に座る。

 会議室と比べるとこじんまりとしているが、こっちのほうが人数的に丁度いいと思う。

「で、何話すんだよ」

 彼女は待ってましたとばかりに体を前に傾けた。

 その顔はさっきから笑みが止まらず気持ち悪いくらいニヤニヤしてる。体はソワソワ。仕草だけ言えばなんだか可愛い感じになるんだが、俺はこいつのことをある程度は知っている。

 これは相手をからかうときの態度だ。

 ふっふっふ……と悪党ばりに気味の悪い笑いし、それから少し早口になった。

「綾人せんぱい、最近彼女さんとはどうです?」

 やっぱりそれか。

 あの日以来、その手の話ばっかり聞いてくる。

 めんどくさいなあと思っているんだけど、しかもそれを態度にも出しているんだけど。

「お、相変わらず嫌そうな顔しますね。で、どうなんですか?」

 気づいてるならやめろよ。と突っ込みたくなる。

 そんなことをしたところで結局、「やだな〜、それでやめたことないってせんぱいが一番知ってるくせに」とか言っちゃうから困るんだよな。早く楓さんから連絡来ないかな。

 渋々ながらもいわゆる惚気話を風花にくらわす。

 ちがう……俺の思っていた惚気話をする状況じゃない……。もっと話す側が自覚無しで、聞いてる側が「惚気かよ」とか思わず突っ込んじゃうようなのを期待していたのに。

 現実はこんなものなのかと憂いで天を仰いだ。

「せんぱいまだ話は終わってないですよって!」

「はあ、なんでそんなに俺と由紀の話を聞きたがるんだよ……」

「お、名前呼び。なんでと言われても……」

 そして、風花は決め顔で言った。

「他人の恋は蜜の味だからってとこですかね!」

「うざい………」

 なんでちょっと反って「えっへん!」とか言っちゃってんの……。別に褒められるようなこと言ってないよ君?

 あと、それ反ってるとより強調されてるからやめて。

 目のやり場に困り、目をそむける。

「ていうか、風花はそういった話はないのか?」

「え、私ですか」

 急に話を振られて驚いているようだ。

 反撃だ! ということと、面白そうなら話のネタにさせてもらおう。

 目を泳がせ、さっきまでとは打って変わってしどろもどろにゴニョゴニョと口元を動かしているが、やがてすっと表情を暗くしボソリとつぶやいた。

「実は……前まではいたんですけど、その、ふ、振られちゃったーというか、相手に彼女さんが出来ててですね………」

 なんだか一気に場が暗くなってしまった。誰か、空気清浄機を持ってきて!

 地雷ふんだなと思いつつ、とりあえずは謝ることにした。

「わるい……こんな事聞いて」

「いえ、知らなかったからいいですよ。それに……」

 彼女は急に表情を変えた。

「それにまだ諦めませんから! 頑張って見返してやるんです。こっちに乗り変えてもらいます」

 作り笑いだと知っていても、その笑顔は彼女のたくましさと女の子というちょっとビターな可愛さが詰まっていた。

「頑張って」

 これしか言えないからせめてちゃんと気持ちを乗せていった。あの時とは違う。

「あ、そうだ。それなら今からご飯食べましょう! もちろん先輩持ちで」

「なんでだよ……まあいいけど」

「やったー! あ、ちゃんと彼女さんに断ってくださいね? またあんな事あったら困るでしょ」

 言われたとおりに由紀にREINを送る。

 数分後、由紀からはオッケースタンプが送られてきた。

 それと同じくしてもう一通連絡が。

「じゃあ、今から……」

「あ、待って。俺まだ仕事あるから」

 そう言って風花にその連絡を見せる。

 相手は楓さんから、読み終わったとの連絡だった。

「じゃあ今度は私が時間つぶしてますね」

 キラリと星が出そうなウィンクをされ、俺はその場をあとにした。



「すいません。遅れました」

 またいた会議室に戻ると、楓さんは缶コーヒーを啜っていた。ブラックではなくミルク入りのを選ぶあたり可愛げがある。

 俺の方は見ずに、あぁと返す。

 集中した後だから疲れているのだろうか。

 どことなく雰囲気がぴりついて見えた。

「さてと、じゃあこれ。赤入れといたから」

「ああ、はい……」

 素っ気ないのは気のせいか。

 原稿はいつも通り丁寧に、厳しく直しを入れられている。

 側から見たら普通なのだろうか。さっきまでやかましいくらい元気なやつといたから相対的に冷めて見えるだけか。

 意を決して楓さんに聞こうとした。

 彼女は俺を見つめていた。その眼差しは、怒りといった感じではなかった。

 その表情を見て、思わずたじろぐ。

 何かを察したのか、楓さんはふっと笑みを浮かべた。哀愁の漂うほほえみだった。

 腫れ物に、もしくは反抗期の子供に対して抱く顔だった。

 そして、俺に問う。

「君は……それで良いのか?」

 何がですか。なんて、野暮なことは聞かない。

 少なくとも候補はあったし、多分それが楓さんの言いたいことなんだろうと予想もしていた。

 だから何も答えなかった。答えられなかった。

 俺は逃げるように彼女から目を背け、何か出そうとした喉からはうめきの一つも出なかった。

 俺はそれを出していいやつではないから。

 何も言わないことをどう捉えられたのか分からないが、手元の缶コーヒーをカタリと置いた。

「綾人……君は書くことは好きなのか?」

「はあ、そうだと思いますけど……」

 書いている時点で無関心ではない。嫌いであれば書いていない。

 消去法ではあるが書き続けている以上、それは好きと言っても過言ではないだろう。

「まあ、私にもそれは伝わってくるよ」

「ありがとうございます」

 なぜだかお礼を言ってしまった。

 楓さんは「それじゃあ……」と続ける。

「一作目と今作、どっちのほうが好きだ?」

 答えに詰まるというか、意味が分からずつっかえた。

 そもそもなんだってこんな質問されないといけないんだ。

 楓さんの真意が伝わらなくなった。俺は今、楓さんと話している気がしない。

 目の前にいるのは確かに楓さんだが、中身が入れ替わっているような、裏がありそうで真意がわからず、下手なメンタリストよりも圧のある厄介な人だった。

 彼女の質問にどう答えるのが正解なのか、たぶん正解なんてないんだろうけど俺は一つ解を出す。

「―――」



 まだまだ昼時だった。

 出版社を出るときに着信が鳴り、見れば風花からだった。

『まだですか?』

『今終わったとこ』

『じゃあ、出てすぐ右手のコンビニにいますんで来てください!』

『はいはい』

 コンビニに入ると、イートインコーナーに風花はいた。

 外を眺めながら手元にケーキと黒々としたコーヒーが置いてあった。

 一歩、彼女に歩み寄ると足音に反応したのかこちらを見た。そして彼女に笑顔が宿る。

「おっそーいですよ。仕事大好きですか」

「いやいや、もともと今ぐらいに終わる予定だったから」

 本当はそのまま執筆もしていこうかと思っていたからもう少し遅かったのだが、風花の予定があったため、これでも早くあがったつもりだ。

 軽口を叩けるくらいには気にするのをやめていた。

 というか、やめたかった。

「もー、私と仕事どっちが大切なんですか?」

「それ、狙ってやってるだろ」

「えへへ、一度言ってみたかったんですよ」

 風花は照れ気味に笑う。

「で、どこ行く?」

「丸投げですか」

「お前が誘わなかったっけ? それに、今日は俺持ちなんだからそれくらいやってくれよ……」

 不満そうにスマホをいじる。

 全部やらせようとしてたの? 仕事終わった直後の俺に? そういう忙しいのはまだいらないです……。

 立っているのも何だったので、風花の横に座る。

 しかし、座った途端風花は訝しげに俺のことを見てきた。そして、短くため息を吐いた。

「あの、そういうのやめたほうがいいですよ? 彼女持ちさん」

「隣に座ってるだけなんだけど」

「歯止めが効かなくなるんです」

 つぶやくように風花は言ったが、俺には聞こえていたので

「え、別に大丈夫だけど……」

「や、先輩じゃなくって私が………」

 呆れ顔をされた。

 その理論で言ったら学校で席が隣の女子とかアウトになるんだけど。

 付き合っているからといってそこまで厳しくなっちゃうのか。

 でもこちら側が何も思っていないなら大丈夫なんじゃ……?

 恋愛初心者な俺からしたら疑問点が多い。

 風花は一人小声でなにか言っているがうまく聞き取れなかった。

 やがて、風花はスマホを無理やり俺に向けてきた。なぜか焦っているようだ。

「こことかいいんじゃないですか! ほら、行きましょう!」

「いやそこ大阪だろ、遠いわ」

「じゃ、じゃあ先輩が見つけてくださいよ!」

 結局投げやりになる風花。

 めんどくさいな……。

 仕方ないからスマホで検索して適当な店をチョイスする。

「こことか」

 小洒落た内装のレストラン・カフェだった。

 風花はその写真を見るやいなや、ぐぬぬと悔しそうな声を出す。

「せ、先輩にしてはいいお店を選びますね……今日のところは私の負けにしときましょう」

 どちらかというと調べさせられた俺の負けな気はするが、それは胸中にしまっておこう。

 ということで行き先の決まった俺達はコンビニをあとにした。

 歩いているときも風花のテンションは依然として高いままだった。

 そんなに奢られるのがいいのかと思ったが口に出したらめんどくさそうなので言わないことにした。

「そんなに奢られるのが嬉しいのかって顔してますね。そりゃあ嬉しいですよ!」

 顔には出ていたみたいだ。

 そして素直に言うなこいつ。悪びれずに、遠慮もせず、清々しいことだ。ムカつくけど。

 失恋して、強がって元気なふりしていたのかなとか思っていた二時間前を返してほしい。めっちゃ元気じゃん。俺より元気。

 だから、少し知りたくなった。

「なあ、風花ってさ失恋したのになんでそんなに元気なの?」

 少し直球過ぎたか。

 風花は立ち止まって俺をじっと見つめていた。

 怒らせたかな。

「あ、いや……ごめん。言いたくないだろうし、言わなくてもぜ―――」

「そりゃあ、本気で恋してるからですよ」

 俺の言葉を遮って風花は断言した。

「私、本当にその人のこと好きなんだって気づいたのが最近だったんですよ」

 風花は向こうを向いて歩いた。このまま向かうみたいだ。

 俺はその後ろを黙ってついていく。

「好きだった相手に彼女ができてて、私が早く告ってたらあんなふうに寄り添ってたのは私だったのかなーって思ったら無性に腹が立って。もちろん自分にですよ」

 顔は見えないけど、足取りは力強く、声も今までよりもはっきり、真摯に、誠実だった。

「だったら今からでも証明してやろうって思ったんですよね。その人の事を一番好きなのは私なんだって。私はあなたに本気で好きなんですよって、言いたくて」

 やがてその歩調は追いつけるほどに遅くなり、終いには歩みを止めた。

「でも、彼が今を幸せだって思っているなら、その邪魔はしないんですよ。だからこんなにもどかしい、はっきりしない態度とっちゃって」

 天を仰いでいた彼女はやがてこちらを向いた。

 その顔は東風花という一人の女の子がまさに輝く瞬間だった。

 特殊なメイクもセットも表情も使わない。いらない。

 満ち足りた笑顔、ただそれだけ。

 それだけでも十分俺には、彼女が今を、恋をし生きていると伝わってきた。

「だから見ててください! この東風花、必ずやこの恋に青春の一部をかけてみせますよ!」

「実らなくても、か?」

 我ながら最低だなと感心する。

 それでも彼女は強い。

「先輩、実るだけが恋じゃないんですよ。その過程、結果、想い、行動全部含めて恋なんですよ! そしてそこには人生の少しをかける価値があるんです!」

「なんだそれ」

「分かってないなー。先輩は好きって思ったことないんですか? 彼女さんいるのに」

 ずきっと胸が痛む。

 その問いに俺は答えられるのだろうか。いや、きっと答えられて、その解は出ている。

 問題はそれを風花に告げること。

 風花はこんなにも恋に一途なのだから、きっと俺を戒めるだろう。

 それは至極当然だが、その報いを受ける覚悟なんてない。

 だから俺は答えをまたはぐらかす。

「そんなに問い詰めたことなかったからわからないよ」

「はあ、ほんとダメダメですね。このあと私が教えてあげますよ」

 風花はそう言って俺の手を引っ張った。

 抵抗するわけもなくそっちに流されていく。

 彼女の手は暖かかった。そのぬくもりが毒だった。

 俺はその手を見つめて、気がつけば目的地についていた。

 心地の良い音楽が流れ、店内は静かな雰囲気が漂っている。たぶん、ファミリー層向けではないのだろう。

 辺りを見ても、パリッとしたスーツの男性や気品のありそうなマダム。あとは大学生くらいのカップル。

 店員が席に案内してくれて俺たちはひとまず息をついた。

「ふー。とりあえずなにか頼みましょう。意外に歩いたんで疲れました」

 そう言って風花はメニューを見だした。

 俺もパラパラとめくってみる。

 どれも美味しそうなものばかり……こういう店は決まって商品の写真でもう美味しそうに思える。絶対店の策略にハマっていると思いながら、美味しそうな写真からその美味しさを想像する。やばい美味しそう。

 各自決まったようなので店員を呼ぶ。

 注文を終えて品が出てくるまで俺たちは談笑をすることにした。

「原稿、どうだ?」

「んあー、まだまだですねー。バトルものってアクションシーンが目玉感あるんですけど、描写一つひとつを捉えるのって難しいんですね」

 風花はぐてっとしながら言う。

 俺もそんな感じだったなと、ほんの一年ほど前を思い出した。

「まあ、慣れてないうちはな」

「先輩は新しいの恋愛ものですよね? 慣れてないんですか?」

 ちょっと風花の表情が険しくなった気がするが、それよりも若干刺さる言葉に胸を痛める。

「まあ、慣れてないな。生まれてこの方恋愛なんてしたことなかったから」

「あー、たしかに先輩めっちゃ振ってましたもんね……」

 そこまででもないと思うんだけどな。

 中学の時は大して今と変わらなかったが、なぜか告白とかされていた。

 たぶん、そういう()()()だったんだろう。

 俺にはよく分からなかったし、俺よりもかきのほうがすごかった。

「でも、だいぶ時期が良かったですね。付き合ったのと二作目の時期ほぼかぶりだったんですよね」

「あ、ああ……」

 そうなるようにしたのだから。

 もう俺はだいぶ消費していた。

 だから。と、そんなことを言い訳にしてしまおうと思い立った。

「なあ、風花」

「はい? 料理は分けませんよ?」

「今日は俺も話しておきたいことが合ったんだ」

 今日という日が俺にとってどうか最悪の日でありますように。



 帰りは出版社に寄ってから帰ると、風花とは駅のところで別れた。

 本当は出版社になんて行かない。

 ただ一人で帰りたくなって、一人の時間が欲しくなったのだ。

 昼食をとっただけだからまだ空は遠く、雲が真っ白く青の中を漂っていた。

 休日と、それから都会ということもあって昼過ぎのこの時間帯には行き交う人が多くいた。

 その中には当然、俺と同じ世代くらいの人たちも見受けられて、手を取り合っている男女もいた。

 その人たちを、別世界の住人のように横目で見る。

 彼ら彼女らは笑顔だった。少し恥じらい、それでも手は離していなかった。

 俺は自分の手を見る。

 やがてその手をおろし、そして空を切った。

 何もない、無駄な時間を過ごしていることに気づいて、帰ろうと駅に向かった。

 そして、彼女がいた。

 彼女は本をよく読んでいた。きっと……と俺はある程度の予想を立てる。たぶん合っている。

「これから時間ある?」

「ない……って言ったら?」

「また明日来るか、終わるまで待つ」

「REINで良くなかった?」

「水森とぼけ上手いじゃん」

「………じゃあ、近くのカフェにでも行くか」

「うん」

 満はそうして俺のもとに寄ってきた。

 もしかしたら神様はいるのかもしれない。

 そして、それは俺に微笑んでいるのかもしれない。

 気づけば暑さは変わらずとも、少しばかり冷静な俺がいた。空調の効いたところにいつまでもいたのだろうか。ただ、それももうすぐ終わらせてまた暑い中俺は一人で家に帰るだろう。

 そんなことを思いつつ、満を置いていかないようにしっかりと待ってから近場の、また空調の効いたところに向かい始める。

 もうすぐ。もう少しだ。

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