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#1 彼女のラブコメと彼の秘密(Aside)

 その部屋にはパラパラと紙を捲る音と、カチカチと秒針の音だけが響いていた。

 今、俺の前にいる女性はひたすらに手に持った分厚い紙束と睨めっこしている。

 この時間はなんとも呼吸のしづらい。ただ、俺が今出来ることは待つ、その一点のみだった。

 だから、行き場を無くした目をキョロキョロと動かしてその場にあるものの位置を確認していた。初めてこの状況を体験した時よりかは幾分かマシにはなっているような気はするのだが、どうやら俺の勝手な思い過ごしのようだ。

 もういくらかして、トントンと紙束を揃えてようやく女性はそれを置いた。

 そこから俺は姿勢を正す。

 彼女は両手を握って机の上に置き、俺の方を見た。

 それから、彼女は口を開く。

「綾守先生……」

 ゴクリ、唾を飲み込む。

 そして。

「いやー新作、いいんじゃないでしょうか」

 そう言って、彼女は破顔させる。

 俺も、ここでようやく一息、ふぅーと体から空気を全て抜くように息を吐いた。



 綾守水斗。それが俺の名前だ。いや、本名ではなく、いわゆるペンネームだ。

 そう、俺は作家だ。もう少し詳しく言うのなら、高校生兼ライトノベル作家だろうか。とはいえ日は浅く、最近一作目の二巻をどうにか出せた。まだまだ新人の域だ。

 今日は二作目の打ち合わせで、今俺の目の前にいる担当編集者さんの楓さんにこうして出来上がった話を見てもらっていたわけだが。

「よかったです」

 正直安堵しかない。

 一作目とはジャンルが違うし、正直やばいんじゃないかと思っていたから本当に良かった。

 もう一度ふぅ、と息を漏らす。

「でも、さすが綾守先生て感じですね。まさにあの評価シート通り、よく感情とその描写がマッチしていて」

 そう言われて、ふと頭に新人賞に送った時の評価シートの内容が頭に蘇ってきた。

 お世辞にしてもそういったことを言われると照れてしまう。

 そんなことないですよ、と返事を返す。

 新人賞および一作目はファンタジーだった。よくある異世界物だ。

 ただ、その頃(といってもほんの一年くらい前)の俺は何というか……今よりも個性を大事にしていた。うん、悪く言えば尖っていた、厨二を拗らせていた。

 そんなみんなの逆言えばカッコいいとか思っていた時代だからこそ、厨二の闇から世界を見ていたからこそ、ファンタジーの、しかも異世界物語を書けたのだろう。

 そう考えれば厨二も捨てたものではない。

 ()()自体に価値を見出すのではなく、自身がそれに価値をつけるのだと気づいて、気づいたら新しい企画にも手を出していた。

 ちなみに、一作目にはその影響が色濃く出ていて、転生ものとかではなくもともと異世界にいる主人公の無双展開の話だった。

 だが、評価されたのはそこではなく、メインストーリーに付いた人間関係や感情表現のところだった。

 そんなわけで今俺が書いている物語は恋愛ものと、なんとも中高生にはもってこいの話であった。

 だが、ここに一つ問題が生じる。

 俺が評価された物、人間関係やら感情表現やら。はたまたバトルのシーンでさえも自身である程度()()もしくは()()できることでないと書けないのだ。

 それはひどく当たり前のことだと思うが、だからこその問題。

 恋愛経験なんて無い。

 いわゆる年齢=彼女いない歴。

 それだけならまだしも、自分で言うのもなんだがそもそも恋愛感情を持った事がない。

 そんな人間がいるのか! とツッコまれそうだが実際いた。それが俺だった。

 一作目でも、もちろん色恋の話は入れてみたが散々だったような記憶がある。楓さんに「お前はロボットなのか」なんて言われたくらいだ。

 人生において必要ないと、今まで切り捨てていたものが今になって必要になるとは……。人生、何が必要で何が不必要かなんてその時まで分からないものである。だから先人、何事も経験だなんて言うんだろう。

 だがしかし、やると決めたのだからやってやる。そう思い俺、水森綾人、青い春を始めようと決意した。

 今年の四月頃、ちょうどそんなことを思っていた。

 ちょうど桜が舞う、寒さの中にいくらか暖かさが芽生え始めた頃だった。


◆               ◆               ◆


 ここ一帯の地域ではそこそこ有名な桜の木の下。

 かの恋愛シュミレーションゲームを彷彿とさせる場面で俺は

「俺と付き合ってください」

 緊張なんてしない。そう思っていたが、実際は心臓バクバクであった。

 こんなに緊張するものなのか。やばい。早く返事をしてくれ。

 そんな俺よりも彼女の方が明らかにテンパっていてなんだか笑ってしまった。

 桜降る季節、青い春の訪れを心地よい風が運んできた。

 そうして、俺は彼女と恋人になった。


◆               ◆               ◆


 ん? 順序が逆じゃないかって? でもまぁ、付き合って分かる恋ってあるかなって思って。

 それに、それは今回()()()()()だったから。

「じゃあ、これでいきましょう。もう少し赤入れるんでちょっと待ってて」

 楓さんはそう言ってお気に入りだというキャップの赤ボールペンを取り出した。

「はい、お願いします」

 作家になって思うのは直しの多さ。直しが入るたびにやっぱりまだ未熟だと痛感する。

 でも、それと同時にどこか安心する。直すことでその度内容が面白くなるのが分かるからだ。まるでひたすら計算を解くかのように、修正しては前よりももっと刃を研ぎ澄ませ、もっと読者に刺さるような話を書く。答えのない解を求める。

 それが楽しい。

 そんなことを思っていると、楓さんがこちらを見て微笑んだ。

「そういえば、恋愛表現、上手くなったね。なに? 彼女でも出来たの」

「はい、まぁ実は」

 別に隠すことでもないので素直に答える。

「いーなー。ねぇ、その子可愛い? あ、写真ないの? 写真」

 揶揄うように聞いてくる。

 ちょっとは遠慮しないのかな? と伺うも無駄なようだ。

「あっても見せませんよ」

「ケチだなぁ」

 ぶー、と膨れっ面をする。こういったところは可愛げがあるのだが、いかんせん、独身だそうでこの間「仕事と結婚してんのかな……私……」と、ぼやいていた。

 綺麗、というか一般的に美形の部類に入ると思うのだが、人生、そう上手くはいかないみたいだ。

 楓さんから勝手に人生の教訓を受け取った。



 またいくつか時間が経って、持ってきていたペットボトルの中のお茶も半分くらいは減っていた。

 今回はよかったらしく出版時期も早いそうだ。

 忙しさは絶えないが、その分充実感も絶えることはなく、今までそこに高校一年という世間一般の言う、青春というものを注ぎ込んできた。

 一年間のフラッシュバックが流れそうなところをちょうどよくスマホの振動が中断してくれた。

 楓さんに断りを入れてスマホを確認する。

 そこには火野と文字が。

「なに、誰から? あ、彼女さん?」

「えぇ、はい」

 素直に答えると楓さんはつまらなそうな顔をした。

「綾人くんてそういうとこ強いよね」

 何言ってるのか分からないからやんわりとスルーをかまして、内容を見る。

 そこにあったのは、たわいもないただの世間話だった。

 あの日、初めて放課後にデートなるものに行ってからというもの、二人の間にもなかなか変化が起きたのではないかと思う。

 その一つがこれ。頻繁にやりとりを交わすようになった。もちろん、基本仕事中はスマホなんて見てらんないのでそこら辺は上手くやっているが、今みたいな必要あるのかないのかよく分からん内容も会話もするようになった。

 高一の時から思っていたが、彼女はとても元気で明るい。文面にまでそれが伝わってくるのが分かる。あとちょっとアホな子なのかなって思ったりもするが、本人には伏せてる。

 そんな人だから少し申し訳なくも思う。

 文面を見ながらじっとしていたせいか、気づけば楓さん、人を揶揄う姿勢と顔になっていた。

「アツアツだなぁ」

「そんなんじゃないですよ」

「えっ!? まさか、もう……倦怠期?」

「ならこんなにやりとりしませんよ」

 スマホを見せる。

 とはいえ、流石に詳しくは見せない。が、彼女はそれを確認するや否やまたも絡みにかかる。

「なーんだ、やっぱりあつあつじゃん。やだわー若いっていいなー」

「目、笑えてませんよ」

 恋人がいるいないの序列で楓さんより上にいた。という事実からか、自身の優位性に気づく。

 だからかなんだかもう、悲しく思えてきた。

 哀れむような視線を向けていた事がバレたのか、彼女は訝しげにこちらを見る。

 それから、こほんと一つ咳をして話を切る。

「それじゃあ、最近学校はどうなの?」

「どう、とは」

 楓さんはわかってるくせにといった顔でこちらを見た。

「やだなぁ、ちゃんと楽しんでるかって事。まぁ、彼女も出来たんだし問題ないとは思うけど」

「まぁ、いつも通り。普通ですね」

  いつも通りと答えたのには、普段から楽しいスクールライフを送っていますよ。という意味なのだが……。

「やっぱり友達いないやつは彼女できてもそうそう変わらんか」

「いや、ちゃんと友人の一人や二人いますけど」

 はぁ、と息をつかれた。伝わってないっぽいな。

 俺に友人は多い方ではない。

 だが、それは自身が望んだ結果であって何も問題はない……はず。

 狭く浅く。それでいい。

 ふと、彼女のことが頭をよぎる。

 火野由紀(ひのゆき)。それが俺の彼女の名前だ。

 明るい彼女は友人も多そう……。高一のときに同じクラスだったが、クラスの中心グループ的なところにいることが多かった気がする。

 おまけにモテる。というか人気がある。それはそうだ、童顔でショートボブといった顔立ちは少し幼さがありながらもしっかり高校生だと主張せんばかりのボディーライン。おまけに人付き合いのよく、男女別け隔てなく接しられるその性格は自然と人を惹きつける。

 噂であれば、密かにファンクラブらしきものもあるとかないとか。

 ま、噂ほどあてにならないものも無いが。

 本当に、告白が成功したのが不思議で仕方がない。

 もしかしてあれかな。モテすぎると相手の好意に敏感になったりするからそのせいで俺には好意がないと知っていてその上で安全だからと返事を返したとかかな。

 もしそうであれば、本当に申し訳ない。

 いや、そもそも好意がないのに告白して付き合ってもらってる時点で彼女には後ろ暗さがあるのだけれど。

 けれども作品のため。

 考え込みすぎていたのか、はっと気づけば楓さんのニヤケ顔が浮かんでいた。

「一応仕事中だぞー。彼女の事考えすぎんなー」

 違うととっさに返したかったのだが、実際彼女のことを考えていたので、すいません。と謝るだけにした。

「綾人くん。ほんとそういうとこ強いね……」

 今度は苦笑いで返される。

「どういうとこですか。あと、楓さんも仕事中ですよ。俺のことは綾守水斗(あやもりみなと)でお願いします」

「あ、ごめんごめん。綾人くん、て彼女さんにだけに言われたいもんね」

「はあ、もういいですよそれで」

 返すのが面倒になり、だんだん雑にあしらう。

 そんなにしつこいんじゃ、彼氏とかできませんよ。とか言ってやろうかと考えたが、流石に可愛そうなので喉の奥に飲み込んだ。

「あ、でも〜私が仕事上で水斗くんて呼んじゃったら仕事のときは私が恋人みたいなものよね。ね」

 からかうときの楓さんは無自覚なのか頬に手を当てる仕草をする。

「何いってんすか」

 流石にそこまで行かれると引く以外に選択肢なくなっちゃうな。

 それを目を輝かせて、「私、頭いいかも」的な感じな顔しながら言うのやめてほしい。

 最大限の引いたオーラを出して必死に伝えると汲み取ってくれたか、あるいは少し冷静になったのか、背を正してこほんと咳で空気を切った。

「ま、綾人くんかっこいいし、こうやって既成事実作ってさらっと持ち帰っちゃうのもありかなーとかね。あっはっは!」

 切れてなかった。

 むしろ悪化。何だこの人やばいな。

 楓さんには後で婚活パーティーと、見合い婚についてと、あと手頃なマッチングアプリでも教えることにして今一度仕事へと気持ちを切り替えた。

「はいこれ、じゃあまた日程決まったら連絡するわね」

「わかりました。よろしくおねがいします」

 原稿を受け取り、それを鞄にしまう。

 ちらりと見えた赤の量は帰ってから絶望するとして。

 一応これで今日の仕事は終わりだ。

 ふう、と一息ついてお茶に手を伸ばす。

 壁掛け時計は二十一時を回っていた。

「送ってってあげよっか」

 唐突に彼女が話す。

 善意と知りつつも俺はそれを受け流した。

「大丈夫ですよ。それと、そんなにナチュラルに既成事実案件作らないでください」

「おっと、バレてたかー」

「故意か」

「え、そんな急に告白なんて」

 しおらしい顔を作っているみたいだがなんとも不自然。仕方ないから優しく答えてあげよう。

「いつか来ますよそんな日が」

 こんなにも冗談を言い合えるなんて、ある意味仕事上の関係からは外れているように思える。

 たぶん、楓さんとも仕事でなければ友人なのだろう。

 友人の定義は曖昧で、異性であればたぶん、恋人と友人の区別も曖昧になるときがあるのだと思う。

 極端な話、友人は恋だの好きだの抱くことがない状態なのではないか。

 例えば幼馴染が恋愛対象でもないのに他の友人とは違った距離感だと言われても、別に恋をしているわけではないのであれば、もしくは何も思わないのであればそれは別の友人と何ら変わらない。ただ年季が違うだけ。

 まあ、こんなことを考えているやつに友人が多いわけがない。

 心の隅で自分に毒を吐いた。

 それからも少し楓さんと談笑しながら、俺はその間、彼女になる前までの火野由紀のことが頭に浮かんでいた。



 家に帰るとまずはベッドに顔を、そして全身を吸い込まれるように沈めた。

 かれこれ一年。仕事のあととか疲れたときはこうやって全身から疲れをベッドに移す。

 ふぁあー、と気を抜いているとポケットに入れたスマホの振動が全身にまた緊張を与えた。

 ごそごそと最小限だけ動かしてスマホを取り出す。

『今、大丈夫?』

 そこには俺の彼女からの連絡が。

 大丈夫かと聞かれればあんまり大丈夫ではないのだが、俺のある種の取材に協力してもらっている手前、自分もそれ相応の態度が必要だ。

『電話じゃなければ』

 そう打って、ダイニングに向かう。

 付き合うことになれば打った内容の返信がいつ来るかでそわそわしてしまうと読んだライトノベルに書いてあった。

 現実はあんまりそわそわしないものである。

 それは、俺がやはり彼女に好意を抱いていないことを証明していることになるのだろうか。それとも、彼女の返信が打った数秒後に必ず来ると分かってしまっているからか。

 くだらない会話を続けていく。

『綾人くんは?』

『みかん派』

『あーね! 私はぶどう派』

『確かにそっちも捨てがたい』

 彼女に申し訳ないことをしてしまっていると思ってる。

 特に付き合ってから俺に合わせてくれようと何冊かライトノベルとか買ってその沼にハマってきていることが本当に申し訳ない……。

『今度テストなんだけど、本ばっかで大丈夫なの』

 句点3つつけたくまのスタンプが送られてきた。どうやらやばいらしい。

『テストっていっても一年の復習の確認でしょ? よゆーだし!』

 そしてすぐに、今度はプンスカしているくまがメッセージと共に送られてくる。

『綾人くんだって本ばっかじゃん! そんなんじゃまた私に負けちゃうよー』

 随分煽ってくるな。

 一年のときのテスト覚えてないのかな。

 俺は国語以外なら基本九割取れている。国語だけ平均点なのは苦手な証拠だ。

 まあ、作家を続ける条件で課された成績をとらないといけないだけなんだけど。

 対して由紀は勉強が得意な方ではない。だけどなぜだか国語と英語だけは高い。国語に限れば俺より上だ。

『じゃあ、勝負でもする?』

 こればかりは反応が遅く、数分してからさっきの句点3つスタンプが送られて、

『いじわる』

『ごめんごめん』

 それからもいくつかやり取りを交わし、気づけば十一時を回っていた。

『おやすみ』

 いつものように最後、たった4文字をお互いに打って終わり。

 シンプルだけど、一番伝わりやすい。

 スマホは充電器に差し込み、自室のデスクにノートパソコンを起動させる。電源をつけると必死でパソコン内部が稼働する。

 その音が静かな夜に響いている。

 これから少しだけ、今日の楓さんからの修正点についてまとめる。キーボードがカタカタ響く音の中には今日の由紀との会話、楓さんとの談笑、その他色々と合わせて前回よりもより良く、面白く、伝わるように、そんな色々が含まれている。

 最後にターンと軽快な音を鳴らしてパソコンを閉じた。それからベッドで横になりながらぼうっと天井を眺める。

 俺はつくづく最低だと思う。

 小説のネタのため、分からないその感情や仕草を彼女を通して見つけている。

 好きだなんてウソをついてまで。

 実際それで作品も良くなってきている。彼女との仲も良好で、彼女にも好意を寄せてもらえている。

 それでも、いい方向へと向かうほど、あるいは時が流れていくほど、自分を蝕む何かに怯える。

 そして気づけばいつの間にか、都合のいい夢の世界へ誘われていった。

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