#5 彼女と彼の再起(Aside)
俺は今、仕事をしていた。
ここは出版社の一角。誰も使っていない会議室で一人ひたすら文章を書いていた。
あの日からは数週間が経過していた。
最後の彼女の顔はあの笑顔だった。
まるで呪いのように頭から離れない。しかも最近、俺が極力彼女を避けているせいで上書きすらできない。
室内にはカタカタとキーボードをうつ音だけが響いている。
この二日間は出版社で缶詰にされていた。
俺が書いた二冊目は一週間前に無事発売された。
まだ評価どうこうは正確には分からない。
肝心なことは二巻目を書くことができるかどうか。それはやはり売上に比例すると言っても過言ではない。
「………ふぅ」
ようやく息が声になる。
今までずっと潜水していた感じ。無意識に呼吸が薄くなっていたようで自然に息は切れていた。
新たに刊行することができた矢先、今度は一作目の三冊目。新人にして、どうやら俺は仕事に忙しさを感じられるようになっていたようだ。
楓さんからは「小説家ってのは売れることが大事だ。今のうちにできることがあれば多少厳しくてもやってみたらいい。最も、無理だけはするな」とありがたいお言葉をいただいた。楓さん、俺はあなたに初めて疲れを感じてしまいました。
でも、楓さんの言葉はいつも心に残ることばかりだ。
だから、やれることをやろうと思った。
それはあの時から思っていることだ。
ペットボトルに手を伸ばす。そろそろ空に近かった。
最後まで飲みきろうと、ボトルのキャップを開けていると扉が荒く音を立てて開いた。
「よう。元気か」
「……元気では無いですよ。疲れてるんで」
楓さんは今日もしっかりスーツを着こなしていた。暑くないのかな?
「別にまだ少しは時間取れるから籠もらなくたってよかったんだぞ?」
実際、プロットを上げるのにはだいぶ余裕があった。今の俺の予定でも問題なくやれば滞り無く進む日数が組まれていた。
「……なにかしてないと脳が死んでしまいそうなので」
今は急ぎたかった。他のことが考えられなくなるまでひたすらに走り続けていたかった。
だから無理言ってここに来たのだ。
「ま、分からなくはないがな」
楓さんはドアに近い椅子を引いてそこに座ると、常備しているのかポケットから缶コーヒーを出してプシュッと空けた。
「相変わらず、コーヒー好きですね」
談笑のつもりで楓さんに話を振った。
「ん? ああ、まぁそうだな。好きなのかもな」
なんだか煮え切らない答えが返ってきた。
楓さんににしては珍しいな。
それが気になってしまう。
「好き、じゃないんですか?」
「うーん。好きというか気に入っているという方が正しい気はするな」
どこが違うのだろうか。
顔に出てしまっていたのか、楓さんは補足する。
「例えば選択肢の中に、自動販売機の中にこの缶コーヒーがあったとするだろ?」
身振り手振りで状況を説明する楓さん。
俺はうなずいた。
「そしたら私は、まず間違えなくこれを買う」
まあ、そうだろう。頻繁に気が変わる人ならともかく、楓さんは芯がしっかりとある人だ。特定のものを決めてポテンシャルを維持する、ルーティーン的な意味でも飲んでいると前に聞いたことがある。
「だがな、例えば自動販売機にコーヒーがなかったらどうだ?」
コーヒーを俺に向けて回答しろと指示している。
「それは……別のところで買うんじゃないですか? 別の階とか」
「それは都会ならではの理由だな。まあいいが。私は買いに行かない。無論、綾人くんの言うように徒歩で行ける距離なら話は変わってくるが、今は概念的な話だ」
彼女はコーヒーを指で持ってゆらゆらさせている。
「要するに、選択肢外になったとしてもそれを追い求めてしまう。みたいなことだ」
はあ。と返事をするもあまりピンときてはいなかった。
選択外にあっても。それは確かになかなか無い存在だ。そこまでして手にしたいものを好きというと楓さんは言っているのだろう。
「……ちょっと重くないですか?」
きっと彼女が結婚できないのは……と、みなまで言わないがなんとなく察してしまう。
しかし、彼女は笑いながら
「確かに、高校生にはちょっと重いかもな」
「いや、高校生だからってわけじゃないと思いますけど」
彼女のような考え方をする人は残念ながら多くはないだろう。
いち高校生から立場では、中高生ほど恋愛のハードルが低い時期はないと感じる。
みんな、ご飯とか睡眠とかそういったのと同じように人を好きになって、好きでなくてもとりあえず付き合って。とかを繰り返している。
俺がよく耳に入るのは三ヶ月で別れて、その一ヶ月後には他の人と付き合っているとか。
ま、俺も三ヶ月くらいで終わったんだけど。
そういった軽さは楓さん曰く、好きでは無いと言っている。
共感するところもあるが、やはりどこか引っかかる。
「まあ、私の場合はってだけだよ。人にはそれぞれ違うカタチを持っているって誰がよく言うだろ?」
確かにどこかでよく聞くセリフだなって思う。
彼女は、でも、と付け足した。
「私は重いくらいが”好き”なんだと思う。重いというのは言葉にすればその質量を実感するが、自分が無意識に受けているうちは感じにくいものだからな」
彼女の言葉は正しさを感じさせる。
「だから私にとってコーヒーはお気に入りで、好きではないんだよ」
「なんだか……めんどくさい考え方な気もしますけど」
素直じゃないなと、素直に思う。
相変わらず缶を手元で遊ばせながら俺の感想に笑った。
「めんどくさいか。まあ、素直じゃないからな私は」
自分で言える分、素直なのでは? と思う。やっぱりこの人はどこか掴みどころが曖昧だ。
「そういう私の視点でものを見たとして、綾人くんは自分のことがどう見える?」
唐突に俺に質問を投げてきた。
楓さんのもつ視点。好きとお気にいるの違い。
例えば小説はどうだろうか。もしも受賞せずに、そのまま高校を卒業するに連れて現実を見るようになったとき、俺はまだ小説を書きたいと思っているだろうか。
なにか邪魔が入ったとしても、それにいつまでも手を伸ばしていられるか。
考えたことも無ければ、考えても答えなんてそう簡単に出なかった。
楓さんは、俺が答えを出せないことに気づいてか、ふっと鼻を鳴らして
「ま、すぐには出ないことだな」
「……すいません」
「別に責めているつもりはないよ。むしろ即答されたらまた別で心配になる」
それから、ぐいっとコーヒーを喉に流し込むと缶を捨てに行こうと立ち上がった。
俺もそろそろ仕事に戻らなくては。心はそう思っても身体は乗り気ではないみたいで、話したいことが特にあるわけでもなかったが気づいたら楓さんを呼び止めていた。
「楓さん」
しかし、彼女はこちらに向くことのないまま
「……考えて、考え続けるんだよ」
そう言い残し、この場をあとにした。
「楓さん……」
現実で捨て台詞とか初めて聞いた気がする。楓さんて、結構ロマンチストなのかな。少年マンガとかラノベとかをよく読んでいることが分かる。
だけど案外馬鹿にできずにいたのは、その言葉が俺の中によく響いていたからだ。
仕事に戻るもあまり手がつかない。
それもそうだ。さっきまであんなに話し込んでは考えていたのだ。
今から仕事だからとそうそう割り切れることなんてできない。
書いては消して書いては消しての繰り返し。書いてもどこか足りない何かがある気がする。
今日はもう無理なのでは? そんな疑問が頭をよぎる。
そもそもこの二日間は今までで一番執筆に時間を割いているといっても過言ではない。これまで続いた集中がぷつっと切れてしまったみたいだ。
今日はここまでにしてもう帰ろうか、そう思っていたら一件、通知が来た。
『よう、捗ってるか』
かきからだった。
『さっき集中が切れたところ』
俺がそう打てばすぐに既読の二文字がつき、すぐに草が返ってくる。
『作業チャットやるか?』
気の利くやつだなと思った。かきとはたまに作業チャットをする。もちろん、彼は作家ではないから俺の作業に付き合ってもらっているだけだが。
『いや、今日はもう帰ろうかと思ってて』
集中が切れてしまってから再び書けるようになるまで、俺は相当時間がかかることを知っている。
いつかの話、集中が切れてから気づけば一文字も進まずに日をまたいでいたこともあった。
『そうか』
『なら少し話そうぜ!』
何いってんだと思ったのもつかの間、かきから着信がきた。
「……もしもし」
「おー疲れた声してんねぇ」
かきは相変わらず元気な声で俺の声をいじってくる。
「わるいな、いつも疲れた声で」
「そんなこと言ってないだろ? 元気出せよ」
笑い声が画面越しに聞こえる。
かすかに他の人の声も聞こえてくる。どうやら彼は外にいるみたいだ。
「外にいるの? 何してんのさ」
「おう、今は彼女とデート中だけど」
「ばかやろう」
そう言って電話を切った。
あいつ何やってんの? デート中に他のやつとわざわざ電話してくるとかどういうつもりだよ。
しかし、このバカは間を空けずにスマホを鳴らしてくる。
「ちょっと? 切ることなくない?」
「切るだろ。なにデート中に電話してんだよ。ばかなの?」
そういえば、こいついつの間に彼女なんていたんだ?
確かにかきは変態ということを除けば欠点のない男だから、モテないことはないのだが。
「ん? もちろん冗談に決まってるだろ」
「ばかやろう」
もう一度電話を切る。
そんなことだろうなとは思ったけども!
彼は間髪入れずに電話をかけてくる。
こいつ、タフすぎんだろ……。
「………はい」
「ま、そんなに怒るなよ。むしろ普通に考えて、親友が別れてそうそうすぐに付き合えるかって」
彼の言い分は確かになと思った。
「なら、その彼女いるくだりもいらなかったよな?」
そんな気遣いできるなら冗談で彼女という話題を持ってくるところも配慮しろ。
彼は終始笑っている。
まあ、長い付き合いであるからこそできる言い合いではあった。
話の折がついたところでかきが話題を変える。
「それで、その後どう?」
「何が」
彼はどうも抽象的な話題の広げ方が好きみたいで、いつも素直に物事を言わない。
まるで俺を試しているかのような問に付き合うことはしない。
「決まってるだろ? のゆきちゃんとのことだよ」
かきにはもちろん別れた主旨を伝えた。なんとなく彼は察しているように思えたが、それでも言葉にして伝えるべきだと思ったから真っ先に言った。
「知ってるだろ? だからその後もなにも無い」
その後なんて無いように、彼女を見ることをやめた。触れることをやめた。
もう一度、彼女が気を起こさなくて済むように、絶望させなくていいように。
それをかきは知っているはずだ。
そんな相手にどうだ? なんて聞くのはおかしい。
「ほんとに、綾人は自己中だなぁ」
「………は?」
何を言い出すかと思えばただの悪口だった。
しかし、そうなのかも知れないと思えば怒る気にすらなれない。
俺は黙っていると、彼の声が静かに聞こえてくる。
「……そういうところだぞ」
ひやりとした。冷たさの先、怒りが見えたからだ。
「お前はいつもそうやって、自分全てに責任を感じてる」
だって、俺が全て悪いじゃないか。
心のなかで言ったつもりだったのだが、彼には聞こえていたのか
「そうだな、今回の件、綾人が大きく悪い」
かきは何を言いたいのか。
「綾人、お前は罪の内容を間違えてることが罪なんだよ」
頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。
「なに、言って―――」
「だったら、今回綾人は何を悪いと思ってんだ?」
そんなの決まっている。
由紀に嘘をついて恋人になって。
小説に利用して。
挙げ句、彼女を傷つけたまま別れたことだ。
「……やっぱり、だから違うんだよなぁ」
「なにが!」
つい声を荒げて立ち上がってしまった。
「………わるい」
「……綾人、お前が悪いのは自分で抱え込もうとしたことだ」
「え……」
あまりにも予想外の返答。
「さっきも言っただろ。綾人は自分で全部責任を感じているって」
「だから、言ったじゃないか俺が全部悪いんだ……」
頭が痛くなりそうだ。かきが言いたいことが分からない。
こめかみに手をやると、かきはゆっくりと俺を諭す。
「全部ってことはないだろ。事情を知っていた俺にも幾分は責任はある。せいぜい八割だ」
俺は、今はただかきの話に耳を傾けることしかできない。
「綾人は確かにのゆきちゃんと小説のために付き合った」
淡々とかきは言う。
「だけど俺は別に、その行為が悪いとは思わない」
「………」
「高校生ならよくあるだろ。ほら、動機なんて無いけど付き合って、いつか別れる。そんなもんだ。
かきは俺をどうしたいのか。
「綾人は、別れるときにのゆきちゃんの顔、ちゃんと見たのか?」
「由紀の、顔……」
彼女は最後、俺に笑顔を向けてくれた。誰にでも分かるくらい、無理やりな笑顔。
「のゆきちゃんは、ほんとに別れたいと思ったのか」
「それは……」
あれ以来、彼女の顔を見ていない俺には分かるはずのない問だった。
けれど、かきはその答えを俺にゆっくりと突き刺す。
「悲しそうだったよ。とても」
「………っ」
「別れたのは、自分のためだろ。だから自分勝手だって言ってんだよ」
怒鳴ってなどいないのに鼓膜に響いてくる。
もう俺に、発言する気なんてなかった。
お互いが黙り込んで、緊張感とスマホの感覚だけが異常なまでに鋭く感じた。
頭でいくらか考えているつもりでも全然まとまらないで、思考を放棄したいと脳が悲鳴を上げ始めた頃、俺はようやく、
「………かき、俺はこれからどうすればいいんだろうな」
俺は悪いやつだ。都合が悪いときだけ責任を放棄しようと考えているなんて。
でも仕方がなかった。わからないから。
俺の声がどれだけ弱々しかったんだろう、かきは若干の笑い声とともに
「……知るかよ。綾人と由紀の問題にこれ以上口は出したくないしな。それに、もう言いたいことは言ったし、あとは綾人の意志が問題じゃね?」
今までさんざん言ってきたやつの言葉とは思えなくて、俺もつられて笑ってしまった。
「悪かったな。色々心配かけた上に、怒ってくれて」
素直にお礼を言えば、彼は若干の間を空けて
「………怒られて喜ぶって、お前マゾだったの?」
「素直に言葉を受け取れよ」
これで、また一つ決意ができた。
とても自分勝手な決意。もちろん、今までの話を聞いた上で決めたことだ。
こんにもボロボロだけど、もう一度前を向けそうな気がしてきたのはやはりかきと楓さんのおかげだ。
「かきにも、楓さんにも感謝しないとな」
「なに?! 楓さん、今いるのか?! おい綾人、感謝なんていらんから楓さんと変われ。今すぐだ」
「じゃあなー」
通話を切ったスマホには俺が映っている。多少の疲れは隠せていないが大丈夫そうだ。
「よし、もう少し」
パソコンを開いて打ち始める。
少しの間だけ物語を進めよう。
この物語がずっと続くように。
ターンと勢いよくエンターキーを押した。
数時間だったが、流石にこれ以上続けられる気がしない。
天井を見つめながら気持ちに整理をつけていた。
「帰るか」
まだ外は明るかった。もう夏至は過ぎて、段々と太陽の出る時間が長くなっているからだ。
季節の移ろい。
身を持って感じると、なんとも言えない満足感と寂寥感が相反しながらも心に生まれていく。
身支度を整え、楓さんに一言告げると何を覚ったか彼女は
「気張れよ」
と言って背中を叩いた。
エントランスを抜け、生暖かい風が俺を通り過ぎていく。
「え……」
外は歩道までにスペースがあって、点々と木が植えられてる。木の周りは円く囲われていて、ベンチのように座れる。
そこには由紀の姿があった。
うつむいていて、特になにかしているわけでもない。
なぜ、彼女がここに。
胸がドクンと跳ねた。
ここ最近彼女を避けてきたせいか、姿を見ただけで緊張が走る。
しかし、彼女はこちらに気づいていないようだ。
無視するわけにもいかず、一歩一歩近づいていく。
彼女の前に来たときに、俺は声をかけた。
「あ、えっと、由紀?」
「………」
彼女からの返事はない。
怒ってるんだろうか。覚悟はしていたが、実際にそうなると思うとやはり身体は少し重くなる。
でも、俺は決めたから。
もう一度、由紀に声をかける。たとえ聞く耳を持っていなかったとしてもちゃんと言わないといけない思いがある。
「由紀、俺……ごめん。勝手に初めて、勝手に終わらして、全然由紀のことを考えていなかった。怒ってるかも知れない、幻滅してるかも知れない。口を聞きたくないって言われても仕方ないと思う。でも、」
これで終わらせてはいけない。
「もう一度、ちゃんと言わせてほしい。それで、由紀のこともちゃんと聞かせてほしい。話をさせてほしい」
頭を下げる。
彼女は黙って聞いていた。なんて答えればいいのか分かっていないのかもしれない。
いつに鳴っても返事は聞こえないまま、俺は頭を下げていた。
そんなに怒っているのか。
何分も過ぎていく中で、俺は彼女の返事を待つことしかできない。
「………」
でも、異変に気づいたのはその後だった。
「………すぅ………すぅ」
かすかに彼女の呼吸が聞こえる。
えっと彼女の顔を恐る恐る覗き込むと、可愛い寝顔と目があった。
「ね、寝てる……?」
驚きつつ言った言葉に反応したのだろう、彼女のまつげがピコピコ揺れて
「……ぅ、んん……んぁ………っ綾人くん⁉」
起きたのと同時で、彼女は顔を大きく後ろに放った。
その勢いで身体もバランスを崩す。
「あっ、わわ!」
「危な……っと」
間一髪、腕を彼女の腰に回して態勢を支える。そのせいで彼女とさらに距離が近くなってしまったのは不可抗力だ。
「大丈夫?」
「あ、ありがとう……も、もう離してくれて大丈夫だよ!」
顔を真赤にしながら言われて、慌てて腕を引っ込める。
「あ、ああ、悪い」
「い、いや、別に………」
そして訪れてしまった気まずい時間。
やってしまった。俺はなんて軽率な行動を!
彼女と話したかったはずなのにこの空気感はよろしくない。
とりあえず、まずは会話をできる状態まで持っていく。
「あ、あのさ……そういえばなんで由紀はこんなところに?」
「あぁ、うん。えーっとね、今日映画見に行ってて、風花ちゃんにちゃんに会って、それで」
由紀にはなにかためらいが見て取れた。
でも、次には何かを決めた顔をしていた。俺と同じ、決意の顔。
「私、綾人くんに話したいことがあって。それで、今日ここに来たんだ」
「由紀……」
「ね、寝ちゃったけどね」
恥ずかしさをごまかすように笑っている由紀を見て心が落ち着く。
あの時のような笑顔じゃない。
「俺も、由紀に会いたかったんだ」
流石にあんな場所で話なんかできない。
俺たちは話さずとも一つの目的地へ向かう。
歩いているときには特に会話はなかった。
それでも歩調はなぜか合って、横並びになって歩く姿は付き合っている頃と何ら変わらなく思えた。
はたから見れば付き合いたてのカップルに見えるのだろうか。さっき、通り過ぎた中学生くらいの女子たちがニヤついた顔でこっちを見て、何やら話をしていた。
目的地に着いた。
数週間前とやはり変わるところはない。
一つ上げるならば雨が降っていないことだろうか。日は傾き始めていて、夕日が青にオレンジを落とし込んでいる。
「ねぇ、綾人くん」
由紀はくるっとこちらに向いた。
夕日を背にした彼女はこの世の果てに佇んでいるようだ。
「私………まずはごめん! あの日、受け止めきれずに逃げ出しちゃって」
彼女は頭を下げた。
「綾人くんはさ、ちょっとずるいよね」
悲しそうに笑っているように見えたのはきっと夕日のせいだろう。
「私には弱い顔させるのに、自分は全然見せてくれないんだもん」
「それは……ごめん」
謝ることしかできないのが情けない。
「ほんとだよ。私ばっかり惚れちゃって………」
「………」
「綾人くんにね、聞きたいことがあったの」
「……なんだ?」
「私と笑ってくれたのは、嘘だったのかな」
彼女は俺をじっと見つめた。
由紀といて、俺は気づけばたくさん笑っていた。それが全て嘘だったなんて、そんなことはない。
「嘘なんかじゃ、ない」
気づけば笑っていて、楽しくって、温かかった。
「由紀といた、あの時の感情は本物だった」
そう言うと、由紀は嬉しそうに笑った。
「そっか……」
そして彼女は天を仰いで息を吐いた。
「綾人くん」
彼女は決意に満ちた目で俺を見る。
それが何か、俺には大体分かっていた。
「私、あなたともう一度―――」
「ごめん……」
彼女が全部言ってしまえば俺にゆらぎが生まれてしまう。
「……やっぱり、今はまだ由紀とよりを戻すことはできない」
頭を下げながらやっぱり残酷な返しをしてしまったことに胸が痛くなる。
「……私に、まだ責任を感じてるの?」
「責任ならずっと感じてる」
それは忘れてはいけないことだから。
「なら……」
「でも、それでも今は誰とも付き合えない。俺は由紀を傷つけた。周りも巻き込んで、迷惑もかけた。もう、同じ過ちは起こしたくないんだ」
本当は、彼女とよりを戻して、一高校生らしく付き合っていけば何も問題はないのかも知れない。
別れたのは冗談だったと、周囲に言えばそれでまたいつもどおりが完成する。
でも、それだとだめなんだ。
そうなれば俺はまた甘えてしまう。
本当にこの先、良き未来を望むなら、終止符はきちんと打つべきだ。
お互いが望んでうてるピリオドを。
「……そっか」
由紀の感情が見えなかった。
何を考えているのか、分からないことに恐怖を覚えたが、向き合うと決めたから彼女から目はそらさない。
「………ふふ、ははは」
突然彼女が笑い出した。
あまりのショックで頭が壊れたのだろうか。
心配すると彼女は
「……うん、うん。そうだよね。綾人くん、真面目だもんね」
「え……いや、まあそうかもだけど」
ちょっと頭が追いついていない。
「ゆ、由紀? 大丈夫?」
「へ? 大丈夫。むしろ、これでようやく決心がついた」
彼女は笑顔を崩さないまま、俺をまっすぐと見た。
「綾人くん、私はまだ諦めないよ!」
「……はい?」
「私、何度でも狙いに行くから!」
由紀はそう言うと、腰に手をやり、胸を張った。
「え、ちょ、ちょっとまってくれ。聞いてたか俺の話? 俺は由紀との関係を終わりにしたいって……」
「だから、今までの私たちの関係はリセットしよう。それで、また友達から始めようよ!」
「話に追いつけないんだが……」
急な由紀の楽天ぶりに戸惑うことしかできない。
「私ね、やっぱり綾人くんのこと好きなんだ。だから一緒にいたい。私のわがままだけど、だめかな」
夕焼け空の中、儚くも強く映る彼女の言葉はずるかった。
彼女はシーンを作るのがうますぎる。
「……俺は、今は誰とも付き合える気でいない。どれくらいかかるかも分からない。それでも、いいのか?」
それが、彼女を結果的に不幸にするかもしれなくても。
「いいよ。私が必ず綾人くんを惚れさせてあげるよ」
満面の笑顔はこの世界の片鱗を交えているようで、彼女から目が離せなかった。
「だからさ」
彼女はそう言って、俺に手を差し伸べる。
覚悟は決まっていない。
でも、相変わらず弱い男だと自覚もした上で、彼女の甘いささやきに今度は嘘を混ぜないように。
俺はその手に触れた。
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