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#5 彼女と彼の再起(Yside)

 私は走っていた。

 ただ闇雲に。どこに向かうとも知れずに。

 途中から雨が本降りになってきて、どこか雨宿りできるところを目的地として走った。

「はぁ……はぁ……っ!」

 息が上がって、足がもつれそうになる。視界がぼんやりと滲んで、今自分がどこを走っているのかよく分かっていなかった。

 たまたま、広い空間に出た。その隅の方に屋根がついてるところがあって、ひとまずそこに着いた。足を止めて、よく見れば公園だった。小学校くらいのときによく、放課後集まるような遊具が少しだけある、辺りを花壇で囲われた公園。

 その隅の方に置かれた休憩スペースだろうか、そこに私は逃げ込んだみたいだ。

 体はもうぐっしょりと濡れている。

 併設されているベンチに腰を下ろすと体にだるさが襲いかかった。たぶん水を含んだ服の重さに疲れも合わさったせいだろう。

「……なに、やってんだろう私……」

 声はまだかすかに震えている。

 今日、私は綾人くんに振られた。たぶん、世界でもまれに見るほど嫌な振り方で。

 私は、利用されていたのだろうか。

 私は、恋心というものを踏みにじられたのだろうか。

 降り続く雨はテレビの砂嵐みたいに音を立てる。私に当たるスポットライトはもう消えたのか。この恋を放送していた局は潰れたのか。

 頭の中も本当に向き合うべき話題からは避けたいと、変な思考がよぎる。

 髪から雫が滴って落ちる。涙に似た、でも涙よりもきれいに見えた。

 でも、なんで。それならなんで。

「なんで優しくしてくれたの……」

 あのとき守ってくれたのも、あのとき笑ってくれたのも、あのとき並んでくれたのも。

 全部、その小説のネタのため、だったのかなぁ。

 走馬灯のように、一つ一つが淡く光った思い出が頭に浮かんでは消えていく。

 それでも思い返すたび、頭がぽわぽわ暖かく感じるのはなんでだろうか。

「………寒い」

 服はぐっしょり濡れて、自分の体温で生暖かくなった衣類は気持ち悪く、たまに吹く風がその熱でさえ奪っていく。

 心もおんなじように冷え切ってしまえばいいのに。

 吐いて捨てたような言葉が雨と土に溶ける。それでも溶け切らない部分はどうすればいいのだろうか。

「………綾人くん」

 彼とはそれなりに上手くいっていると思っていた。

 告白されたときは、一年間の片思いがついに身を結んだって、その日はずっとにやけ顔が止まらなかった。

 付き合い始めても、こちとら今まで付き合った経験なんてなかったからずっと緊張しっぱなしだったし、彼の声を聞けばそれだけで心臓の鼓動が外に漏れそうになった。

 彼はいつでも余裕そうで、ずるいなぁって思ってたけど、ちょっとした勘違いとかすれ違いとか、そうしたときは彼は必ず私にフォローも謝りも入れてくれて。

 二人で星を見たときとか、顔は見えにくかったけど横並びに同じ景色を見ていた事実に酔えていた。

「パーカー、暖かかったな……」

 そう思いながら身をよじる。寒さがだいぶ身体を蝕んできた。

 彼のぬくもりを感じることはもうないのだろうか。悲しみがより一層私の心を冷やしていく。

 ふと、誰かの足音が聞こえた。ここは住宅街の中だし、たぶん家に帰る人だろう。

 そう思っていたが、その足音は公園の砂を踏んだ。

 まさか………。

 ふと頭をよぎった人であってほしくても、それは絶対にないだろうと考えるのをやめる。考えたらきっとその分だけ悲しくなるからだ。

 その足音はやがて、私の近くまで来て止まった。

 頭を上げる気力はなく、うつむいていると頭に何かが覆いかぶさった。

「………拭きなよ。風邪、引くよ」

 聞き慣れた、静かな声は聞き覚えのある声。朋美だった。

 そういえば、朋美が私と綾人くんを今日、あの場所で会わせたんだっけ。

 あの場所に連れてこられたときは少し驚いた。あそこは、私と綾人くんの関係が始まったところだったから。

 いつの間にかいなくなっていたから引き合わせるだけ引き合わせておいて帰ったのかと思っていた。

 朋美は知ってたのかな。

 頭に被せられたタオルを手にとって、身体を軽く拭く。タオルの柔らかさがチクチク胸に刺さる。

「………ありがとう」

「……ん」

 彼女は特に何も言わずに私の横に座った。

 彼女は何も言わない。やがて、沈黙に押しつぶされそうになって口を開いた。

「………朋美も、知ってたの?」

 もちろん綾人くんのことだ。

「……うん。私が好きな作家が、綾人くんだったみたいだから」

「え……」

 好きという言葉に身体が反応してしまった。

 私があまりに反応を見せるから、朋美は慌てて

「い、いや、好きっていうのは作家として推してるって意味で……」

「う、うん! わかってるよ。彼氏もいるんだし」

 ズキッと胸が痛む。自分で首を締めてしまった。

 だけどこれでお互い少し気が緩んだみたいで二人で笑いがこみ上げる。

「……ありがとう」

「……なにが?」

「……今、来てくれて」

 冷静になればこんなに素直に言葉が出てくるのに。こんなにあなたと向きあるのに。

 雨はまだ続くけど、少し弱まってきた気がする。

「私、振られちゃったみたい、なんだ」

 朋美は静かにうなずいた。

「私は物語の材料だったみたい」

 こう言うと、聞こえが悪くなる。本当のことでも、私の中にあるわだかまったなにかが違うと叫んでいる。

「全部、演技だったのかな……」

「ちがっ……」

 自嘲気味に笑うと、朋美は反射的に、しかしすぐに顔を曇らせて黙り込んでしまった。

 分かってるよ。綾人くんはそんなに器用じゃないだろうし、いつか見せてくれたあの笑顔が嘘だって信じたくはない。

 私は、私の知る綾人くんを思い出す。

「綾人くんは、真面目で不器用で、間違えてもすぐに直そうと努力ができて」

 自然と笑顔が出る。ポツリポツリと彼のことを想うと、やはり胸の奥からポワポワとした感情がうごめいてくる。

「普段はあんまり感情出さないけど、それでもしっかり自分を持ってて、周りのことも気にかけてくれて」

 本当にかっこいいと思う。理想的で、尊敬で、最高で。

「本当に、かっこ、よくて」

 それでも、最低なんだと思う。

「優しくて」

 だけど、やっぱり全部が綾人くんだから。

「ほんと、ほんとにね? 綾人くんはかっこいいんだよ……?」

 まただ。伝えたい思いばかりなのに、溢れてくるのは涙だけ。

 どうしていつもこうなんだろう。

 言葉にしなきゃ伝わらないのは知っているのに。

 朋美は優しく私の背中をさすってくれた。全て吐き出していいよと言っているかのように。

 それが私に熱をくれる。

「う……うぅ………」

 嗚咽混じりの声で、今の分からない感情が溢れ出す。

「ほんとはすごく辛いの! 今だって痛いし! 彼のしたことは許されないことだと思うって……自分でも分かってる……でも! でも……」

 私にこの感情は分からない。

「それでも、なんで私は綾人くんを許したいって思うの……?」

 この、もやもやして離れない、胸の奥を這いずり回っているこの感情。

 喜怒哀楽全部を詰め込んで、それでもまだ足りない。彼にだけ抱いたことのあるこの気持ちの正体。

 その正体を、まだ私は知らない。



「……落ち着いた?」

 それからしばらく泣いて、もう目から何も出なくなったあと、朋美が私に声をかけてくれた。

 それまではただ泣かしてくれて、いい友達だぁ……ってなった。

「まだちょっと……」

 泣くのが止んだのは涙を出し尽くしてしまったからだ。

 心の方は、まだバランスを保てていない。

 朋美はそれでも「そっか……」と言って、私の手を握っていてくれた。

 彼女の手は冷たかった。

 だけど不思議と包まれた手のひらに熱を感じる。

「……私ね、おかしいなって自分でも思ってるんだけど」

 自分語りのように私は話した。

「やっぱり彼のこと考えちゃうんだよね。憎いとか、許せないって思うんじゃなくて、許したい。傷ついてほしくないって、思うんだ」

 朋美は何も言わずに私を見ていた。

「……そう思うことはだめ、なのかな」

 私が思っていることは誰かに通じることなのだろうか。普通の人にはあまり受け入れられないことなんだと思う。だって私もそうだったから。

 だから今も混乱して、正解が欲しくて話している。

 朋美は小さく口を開いた。

「……由紀は、これからどうしたい?」

「え?」

「これから、綾人くんとどう向き合っていきたい?」

 真剣に見つめられ少したじろいだ。

 答えになってないじゃん。と言おうとしたけど、朋美の顔を見ればそんな言葉は出なかった。

 これから。これからの私たちの関係。結局、私たちは別れるんだろう。というよりも自然消滅のほうが正しいかもしれない。

 それからどうするのか。私も綾人くんも付き合う以前のように戻れるのか。戻ろうとするのか。

 考えても、今は分からない。

「………分からない」

 ごめんと一言添えると、朋美は「うん……」と言って黙ってしまった。

 確かに別れ話はその後のことも気にしなければいけない。

 周囲も気を使うだろうし、反応とかも困るだろう。

 私たちだけの問題じゃないんだ。そう考えると、気が重く感じた。特に朋美と日向のことを思うと。

「……そろそろ、行こっか」

 朋美が立って傘を広げる。

「……送るよ」

「……うん。ありがと」

 二人で横並びになって帰る。いつかの帰りを思い出す。

 道中、特に会話はなかった。でも私家の前についたとき、別れ際朋美は

「大丈夫だよ。由紀がそんなに抱えることじゃない」

「そう……だね」

 もう一度、送ってくれたことに対してお礼を言って朋美の姿が見えなくなるまで見送った。

 雨は前に比べてだいぶ弱くなったみたいだ。

 でもまだ止みそうもなかった。

「………抱え、ちゃうよ」

 小さくこぼしたその言葉を残し、家に入る。

 翌日は風邪で寝込んだ。



 数週間が経った。

 あれから綾人くんとは会えていない。

 向こうもたぶん気を使って極力合わないようにしているのだろう。

 私も面と向かって会う勇気はなかった。

 私たちの事を周囲は別れたとすぐに広まった。朋美が尽力して事の経緯はなしに、ただ()()()()()()ということにした。

 日向は最初は驚き、あとから「ちょっと水森殴ってくる」とか言い出したので必死で止めた。

 この様子なので本当のことは日向には話さないようにしようと言うことになった。

 朋美はちょくちょく、綾人くんと話しているらしい。彼女がパイプ役になってくれるおかげで、お互いの相違も少し取れた。

 だけどまだ、肝心なことができていない。

 朋美が私に投げた質問。

『……由紀は、これからどうしたい?』

 私はまだ答えを出せずにいる。

 考えに考えて、気づけば時間が経ち、今日は休日だった。

 今日は気分転換に一人で映画を見ることにした。

 とはいえ、まだ見るものすら決めていない。

「近い時間で見れるものは……」

 モニターに写っている映画のタイトルからジャンルを予想する。

 恋愛、ホラー、サスペンス、アニメ、アニメ、ホラー、恋愛、ホラー? あ、洋画もある。

「流石に恋愛ものはね……」

 私はそんなに強心臓じゃない。

 まぁ、もとよりあまり見ないジャンルだし問題ないか。

 となればホラーが次に来るけど……怖いからなぁ。怖いのは一人じゃ見れないな。

 アニメは名前は知ってるけど……実際に見たことはあんまりないんだよなぁ。

 アニメとかを深くまで知ったのは付き合い始めてからだった。

「これにするか……」

 結局アニメーション映画のチケットを買って、時間まで時間を潰すため外に出た。

 最近降り続いていた雨は今日はパタリと止んで、空には澄んだ青色が広がっている。

 今日を境にして晴れ間は続き、暑さも次第に上がっていくんだろう。

『そうして季節は移ろっていく』

 誰かの本の一節だった。



 映画のエンドロールが流れたあと、他の人達が次々と席を立つ中、私は大きく伸びをした。

 なかなか面白かった。

 名前くらいしか知らなかったけど、見ごたえ満載という感じだった。

 あんなに可愛いキャラでもシリアスさがひしひしと伝わってくるところはギャップがあって見入ってしまった。

 この映画はあたりだったかも。

 とてもいい気晴らしになったと思い外へ出る。

 時計を見ればちょうどいい時間。どこかでお昼を食べていこうと、ショッピングモールに足を向けた。

「何にしようかな」

 案内図に載っているお店を片っ端から見ていく。

 さすが大型商業施設といった感じで、和洋中なんでも揃っている。

 とはいえお金の持ち合わせは少ないからフードコートにしようと思ったとき、

「……あれ? もしかして……由紀先輩?」

 声の聞こえたほうをキョロキョロと見回すと、こちらに小走りで向かってくるかわいい女の子が。

「あ。風花ちゃん」

 私が呼ぶと、彼女は嬉しそうに口角を上げて元気よく「はい!」と言った。

「こんなところで会うなんて奇遇ですね! お会いできて嬉しいです!」

 な、なんて眩しい笑顔! 思わず手で光を遮ってしまった。

「風花ちゃんも一人で出かけてきたの?」

「はい! 映画を見に行ってて……」

 それから「こういう映画なんですけど」と言ってパンフレットを見せてもらうと、まさに私がさっきまで見ていた映画だった。

「え⁉ 私もこれ見てたよさっき」

「ええ⁉ ホントですか! めっちゃ良かったですよね〜!」

 うんうんと頷きながら、立ち話も何だしということでお昼に誘う。

「私これからお昼なんだけど、風花ちゃんも一緒にどうかな?」

「ぜひぜひ。私、由紀先輩に話したいこともあったんですよ〜」

 一瞬、彼女に陰りが見えた気がしたが気のせいだろうか。それに話したいことって……。

 真っ先に浮かんだのはもちろん綾人くんのことだ。風花ちゃんは綾人くんと氷矢くんの後輩で三人とも仲がいいみたいだったし、何より彼女と私とのつながりが彼なのだから。

 しかし、そのつながりも今となってはもう途切れてしまった。

 綾人くんは話してない……のかな。

 だとしたら私が言わないといけない。自分から打ち明けることはなんだってこんなに辛いんだろう。

 ともすれ、まだ彼女の話したいことがそうと決まっていないので、心持ちだけすることにした。

「どこにしようか」

「そうですねー。あ、私ここのパスタ食べたことあるんですけど美味しかったですよ」

 そう言って指をさす。

「じゃあそこにしようか」

 目的のレストランは七階にある。

 エスカレーターで向かう。

 それにしても風花ちゃん……かわいいなぁ。

 全体が甘栗、白、若草色とおとなしめな色合いのスラックスパンツにTシャツとニットベスト、カジュアル系にまとまっていて、まさに今どきの女の子という感じだ。

 茶っ気を含んだセミロングの髪がかすかに揺れる。

 愛嬌もあるし、さぞかし人気があるんだろう。

「ここです! あ、私席とってきますね」

 おまけに気配りもできる。

 流石にそこまでやってもらうのはちょっと気が引けたので、一緒にね。とついていく。

 周りも飲食店が多く、お昼時ということで賑わいがある。

 席は割とすんなり取れた。

 適当に注文をして、話題は今日の映画の話になった。

「私、ぼたんが仲間と引き離されて一人で何日も探し回ってるときとかもう涙が止まらなくて」

「あ〜あそこね。一人になってみんながいた時のフラッシュバックが出てくるところは胸がぎゅってなった……」

「分かります分かります! その時のぼたんの『僕、一人じゃ何もできなかったんだ。みんなが支えてくれたから笑えてたんだ』とか、ぼたんを抱きしめたくなりましたよ」

 熱のこもったトークが続いてく。

 こんなに今まで熱く語ったり、共有できることはなかったように思う。

 楽しいな。

 こぼした感情が悲しく心に響いた。

「そういえば、私に話したいことって?」

 パスタをくるくると巻きながら風花ちゃんに聞いた。

「あ……忘れてました」

 ははは……と恥ずかしそうに笑う。

 若干身構えていたが、彼女の反応から緊張が解けた。

 しかし、次の彼女の言葉は私に動揺を与えた。

「私、作家やってるんですよ」

「へぇ………えぇ⁉」

 思わず立ち上がってしまった。

「ちょ、ちょっと由紀先輩……」

「あ、あぁごめん」

 周囲の注目も集めていてすぐに座った。

 風花ちゃんが、作家……?

 それは、普通にわかには信じられないだろうけど、私にとってはすんなりと入ってくる言葉だった。

 風花ちゃん()、作家……?

「それって……いつから」

「や、まぁ正確には本出すのが来月だから、まだなんですけど」

 風花ちゃんは大きく言い過ぎたと、恥ずかしそうに頬を掻く。

「まぁ、そんなわけで私は作家なんです」

 ごほんとわざとらしく咳をして、再び作家であることを公言した。

「えーと、風花ちゃんが作家なのは分かったけどそれでなんで私に―――」

 ―――話したの? と続けようとしたら、それを遮って風花ちゃんが、

「綾人先輩とも同じ出版社なんですよ」

 彼女は無表情でそう言った。

 なんでそれを私に? 焦ってほしいのか? 嫉妬してほしいのか? どっちにしろ、今の私にそんな資格もないし、想いも少ししかない。いや少しはあるんだよ。

 断ち切れないのは自分の弱さのせいだ。

「……だから、なに」

「作家としての綾人先輩はとても……かっこいいんですよ」

 何も言えない。

 マウントを取ってきてんのかと思いながらも話を聞く。

「あ、作家なんで綾守先生ですけどね」

 綾守と聞いてピンときたのは、本屋の一角のブースに並べられた本だった。

「それって……あのてんさいシーリズの」

 風花ちゃんは無言でうなずく。

()()は、とてもすごいんです。魅せる力があって、感情表現がきれいで」

 彼女の表情は私に似ていた。

 私が綾人くんのことを話しているときの顔。

 募る思いがあって、話してると楽しくて、自分のことのように感じてついつい早口になるのを注意して。

 彼女は、きっと恋している。

 そんな彼女を、私はどうしても見れない。

「そんな先生も、自分の感情には疎いというか、ちょっと乏しさがあるみたいなんですよね」

 彼女がグラスを持って、氷が鳴った。

 彼が感情に疎いとはどういう意味なのか。私にはすぐに思いつく節がなかった。

 だって、あんなに笑っていたし、怒ってくれたし、あんなに悲しそうにしていた。

 その全てが偽物だなんて信じられない。

「……綾人くんは、そんな人じゃないよ……」

 思わず口に出していた。

 でも口に出したらなんだか止まらなくなって、

「綾人くんは、ちゃんと笑えるし、怒れるし、間違えるし……全然、乏しくなんて……」

 なぜだか、自分が責められている気がして胸が痛かった。

 言葉に上手くできなくてもどかしい。こんなんじゃ、風花ちゃんにちゃんと伝えられない。

 そう思っていたら、彼女がふっと笑った。

「そうですね。私が言い過ぎたかもしれません」

 彼女はそれから「ごめんなさい」と付け足した。

 思いがけない返答で言葉を失う。ただ彼女のいたずらっぽく笑った顔を見て、思考を再稼働させていた。

 彼女はもう一度ふふっと静かに笑うと右手に持ったグラスを見つめ、誰かに語らうようにして

「………それでも、()()()()はやっぱり自分のことがあまり分かってないと思うんです。それに、由紀先輩も」

「私も?」

 彼女はコクリと頷いた。

 そして、彼女は悪魔の言葉をささやく。

「由紀先輩はこれからどうしたいんですか」

 その答えはまだ出ていない。今日一日ずっと頭の片隅にいて離れなかった言葉。

 彼女はそれを問うていた。

 質問ではなく、私の覚悟を問われているかのような気迫をはらんでいる。

「私は………」

 その先は出ているようで、なかなかどうして声に出ない。

 私が再びうつむいて黙ってしまうと、彼女の声が私を殴る。

「由紀先輩は、私が綾人先輩に告白したらどうするんですか?」

「え……」

 告白とはいわゆる告白だよね……。

 先程からの言動を見るに彼女の気持ちはわかる。わからないはずがないのだ。

 でもそれは綾人くんではなくて綾守先生に対してに見て取れる。

 もちろんどちらも綾人くんなんだけど、そういうことではない。

 私が言いたいことはつまり、作家として恋しているということだ。

 勝手な解釈だが、それは尊敬とも取れるものだと思う。

 だが、彼女の目に映っているのは。

「………だめ」

「え?」

「あっ」

 不意に出てしまった言葉に自分でも驚いてしまった。

 なんでそんなことを言ってしまったのか、顔を紅潮させていると、風花ちゃんは途端に笑い出した。ちょっと怖い……。あと恥ずい。とても恥ずい。

「由紀先輩」

「……なに」

「分かってるじゃないですか。これからどうしたいか」

 風花ちゃんはしてやったりという顔でこちらを見ていた。

 そんな彼女をじっと睨む。

「…………」

「そんな目で見ないでくださいよ」

 笑いながら言っているあたり、私の行動が冗談交じりに思えたんだろう。

 ま、実際ちょっと彼女に乗ったところはあったけど、ずるいなぁとも思った。

「風花ちゃんてさ……ちょっと意地悪だよね」

 彼女は何を一瞬キョトンとしたが、すぐに笑って

「何言ってるんですか〜。そういうときは小悪魔とかのほうがいいですよ? そのほうが嬉しいですし」

 小悪魔というか悪魔だろ。とは突っ込まないことにする。小悪魔って言われて嬉しいか……?

 この子、意外と変わっているのかもしれない。

 いつの間にか穏やかな雰囲気になっていることに気づく。もしかして彼女なりのフォローとかだったのかもしれない。それにしては下手か。実はちょっと不器用な子なのかもしれない。

 彼女のことを考えてみれば、知らない面が結構たくさん見えてくる。そのたびになんだか「この子可愛いのでは……?」とか今更すぎる感想を抱かざるを得ない。

 いつしか私にだいぶ深堀りしてきた事も忘れ、勝手に彼女で和んでいると

「……なんで急にそんな小動物を見る感じで私を見るんですか……?」

「え? いやぁねぇ?」

 今日で会って二回目だけど、風花ちゃんの印象がどんどん更新されていく。

 風花ちゃんは気まずかったのか、咳払いをした。

「それで、由紀先輩は早く決めてください」

「何を?」

 デザートはお腹いっぱいだからいらないけど。

「何をって……由紀先輩は綾人先輩と今後どう関わるかを早く決めてくださいって言ってるんですよ!」

 むぅ……。この子はすぐに現実に戻す。

 しかしそれが必要なことだから彼女は指摘してくれているんだろう。いい加減、私も考えることから逃げることはやめないと。

 とはいえ、今までも自分の中で固まりつつあるものは確かにあったのだ。それを見ないふりしてきただけ。

「私さ、振られたんだよね」

 彼女がすでに気づいていることくらい、私にも分かっていた。

「……でもさ、私」

 今日、風花ちゃんに会って色んな彼女のことを知れた気がした。それはたぶん、彼女を構成する数パーセントにしか満たないかもしれないけど、数パーセントでも彼女のことなんだ。

 私だって、朋美だって、日向だって、綾人くんだって、きっと風花ちゃんと同じ。

 知らない一面だってあるんだ。見てない側面だってあるんだ。

 だから、

「まだ返事してないんだよね」

 見てなかった感情だってあるんだ。



 お会計も済ませて外に出れば、湿度の高い重たい空気が肌にまとわりついた。

 いつの間にか半袖の人が多くなっている。

 今年もまた夏の季節が始まろうとしている。

 もちろん夏至なんてとっくに過ぎたけど、私の言う夏はそんな形式張ったものではない。

「風花ちゃん、また今度もどっか遊びに行こうよ」

 私がそう言って、連絡先を聞くためスマホを取り出すと風花ちゃんも目を輝かせてスマホを取り出した。

「はい! ぜひ誘ってください!」

 彼女と連絡先を交換した。

 試しの意味も込めてスタンプを送る。無難な、”よろしくね”とキャラクターが言っているスタンプ。

 彼女からもおんなじようなスタンプが送られてきた。

 それから立て続けに、

『綾人先輩は最近出版社の方に入り浸ってるんで、捕まえるなら確率高いですよ‼』

 それからその出版社近辺のちずも送られてくる。

 彼女の方を向くと、「ふふん、活用してください!」とそらした胸と一緒に主張する。

「ありがとうね」

「いえいえ。では私はここで別れますので」

 まだなんか用事があったのだろう。彼女は少し駆け足で私とは別方向に行く。

「またね〜」

「あ、いい忘れてた!」

 急ブレーキをかけて私の方を振り返った。それから聞こえるくらいの声量で

「これからは気、抜かないほうがいいですよー! いつでも、足元すくわれますからねー!」

「あ、あはは……うん」

 それだけ言ってまたすぐに言ってしまった。

 もちろん。気なんて抜かないよ。

 気なんて抜けない。私はもう決めたんだ。

 私が確かな決意を胸に抱いて歩みをすすめる背中を、季節の風がかすめていった。

 夏が始まるとはいったものの、私からしたらまだ春すらも始まっていなかったんじゃないかと思う。

 でも、そんなものはいつでも私の思うままに。

 そうして季節は移ろっていく。



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