第二話 新世界オンライン
この世界において、斬るという行為と生きるという意志は酷く近しい。
殺すという行動と殺されないという意識、と言い換えてもいいだろう。
率直に言えば弱肉強食、言回しを替えれば自然淘汰。
僕等の囚われた箱庭の中の摂理は、おそらく現実より随分と強い。
「キィイイイイイ!」
視界を刺す、螺旋模様を描いた突起物。
尖った角を生やした純白の兎────ユニコーンラビット────の突進をかわし、
胴を狙ってきた跳躍の返礼に剣撃を見舞う。抵抗はほぼ無い。
おそらくは背骨か、小枝でも斬るのに似た感触を経て、刀身が白無垢の体を通過した。
絶命に伴う粒子化の後に輝きが踊る。
「ギュウウウッ」
続いて虚空に溶けた光幕の後ろから現れる、別の角兎。
力強く地を踏んだ四足は丸められ、首を曲げることで構えられた角は正面。
サイズは比較にならないが、まるで長い釘を埋め込んだ野球ボール。異様な形だ。
直撃すれば致死もあり得る死球を、剣をバットに、迎撃の意思を乗せて打ち返す。
右から左に下ろす袈裟斬り、先の剣閃を逆に辿った刃は歪な白球を断ち、魔球よろしく光の粒へと分裂させた。
「キュィイイッ」
「キュアッ」
余韻に浸るのも束の間、僕を見て跳ねた兎が更に2匹。
後ろ足の蹴りを強めた体が中空で回転を始め、鋭角な一本角が大気を裂く唸りを上げた。
中位武具の材料にもなる角を縦に回し、攻撃判定を『刺突』から『斬撃』にシフトさせて特攻を仕掛けてくる。
振り下ろした剣を強引に斬り上げたばかりでこちらの体勢は悪く、加えて2匹の位置にはズレ。
武器の無い左腕を盾にするしかなく、即席の壁、咄嗟の防御を二重の衝撃が襲った。
至近で金属質の激突音が連続して響き、開いた手で1匹の角を掴むことに成功するも、残るもう1匹を逃がす。
「キキャアアアッ!」
「うぐ!?」
かと思うと捕まえた1匹が暴れ出した。
握られる角を支点に体を振り、僕の腕に足を絡めて噛み付いている。微かだが、鋭く走る独特の痛み。
「この・・・!」
「ギャアアアア!?」
反射で放しそうになった手に右腕と共に力をこめ、突き出した剣で貫くと、原因はあっさり光となった。
重さの消えた腕を払い、構えを戻して周囲を見渡す。
「キュア! キィアアアッ!」
「キュウウウッ」
「ギキイイィ」
純白の体毛とは相容れない赤色の瞳、仲間を殺された怒りと狩への熱意に燃えた双眸が、輪になって睨みつけてくる。
ここまで約10匹を屠った上で、なお倍に近い数で僕を取り囲む化け兎の群。草波の緑に白い毛玉が浮いている。
流石に遺跡の地下20階クラスの主力モンスター、無駄に数が多い。
ユニコーンラビット。
弱さを数で補うために集団を単位とし、しかも角による刺突はクリティカルの確率が高い。
小回りの利く体による敏捷性も相まって、群の攻撃全てを捌くことは熟練のプレイヤーにも不可能。
強力だがやり方次第では無傷で倒せるモンスターと違い、弱いが倒し切るまでに少量のダメージを必ず与えてくるモンスター。
上級者に最も嫌われるタイプの雑魚なだけあって、何とも鬱陶しい。
こいつらとの戦闘は避けたかったが、遺跡地下20階の草原・平野フィールド、
見晴らしのいい原っぱで多方から群に捕捉されたのは、日頃の行いと運勢のどちらが悪かったのか。
おまけに。
「ブゥオオオオオオ!!」
背後から襲い来る獣声が生い茂る草緑を打つ。
鎧をも砕く蹄で大地を蹴り上げ、人間を一回りも上回る体高を持つ猪────ランブルボア────が突撃を掛けて来た。
遺跡内に注ぐ人造の陽光を受けて漆黒の体毛を艶めかせ、天を向く牙を涎で輝かせている。
雄叫びに震える空気が重い。
後背に土煙を噴かせながら巨体が迫り、振り向かせた視界を占める質量は空間を圧迫するかのよう。
巨躯の疾走はアクセルを踏み抜いた大型車両に等しく、
事前に知識があってでさえ、並のプレイヤーなら威圧を受けるのも頷ける話だ。
加えて足を止めれば実際に被害を免れない上、
逆に早く動き過ぎても軌道を修正され、結局は跳ね飛ばされるのがオチ。
ここからでは見えないランブルボアの尻尾は長く、硬い。
わざわざ遺跡に配されているだけあって巨体なだけの猪ではなく、
距離次第では尋常でない脚力と尾を使って跳ね、いきなり方向を変えることもある。
決して猪突猛進という訳ではない。
ランブルボアとの対決で求められるスキルは如何に衝突の寸前まで避けず、如何に激突の直前でかわすか。
突進力に関しては指折りの化物だが、その長所は反面、急な制動や変更の利かない短所にもなる。
「っしぃ!」
「フゴアァッ!?」
迫り来る黒塊。
巨体の肩幅を考慮して引き付け、真横へ歩を刻んで擦れ違いざまに攻撃、足の一本へ斬撃を見舞う。
黒色の体毛に刃が沈み、浅くない手応えが腕を伝った。獣身に硬直が走るが、止まることは叶わない。
勢いを自慢にする猪は悲鳴を上げながらも直線を駆け抜け、彼方に到って漸く停止を迎える。
その頃には兎達が跳ねていた。
「クギュウウウウゥゥ」
「キィャアアア!」
八方から雪球が跳ぶ。放物線を描き、僕の下で交錯を目指す白兎共。
あるモノは角を、あるモノは歯を、あるモノは弾力を備えた小躯を以て飛び掛ってくる白色の群。
動き自体を見切るのは可能だが、レベル100を極め、
ステータスの最高値に達したプレイヤーにしても腕は2本、握る刃は1つのみ。
自ずと限界は決まってくる。
可能な限り剣閃を叩き付け、弾き落とし、掴み投げ、
迎撃を抜けたモノには最低限の回避を試みるが────案の定────それでも取り付いた2匹に再び噛まれた。
「「ギギギギ!」」
元より鎧を纏った上からの、小型モンスターによる攻撃だ。
場所も遺跡の地下20階程度である以上、痛みさえ無視すればダメージは無きに等しい。
クリティカル率の高い角さえ回避すれば、ユニコーンラビット単体の脅威は微々たるもの。注意を傾けるには値しない。
この状況で恐れるべきは別に在る。
1つは人間こそが最たる武器として誇る数、つまりは集団の暴力と、もう一つ。
「ブルゥォォオオオッッ!!」
「────っ!?」
間断なく襲ってくるこいつらが、ランブルボアの突撃を助けていることだ。
背後から再び迫り来る疾走音。微かに揺れる地面が進撃を予兆する。
振り返る間にも巨大化する存在感が肌を打ち、脳裏の警鐘が高らかに鳴り響いた。
白濁を沈殿させた双眸。
合わせた瞳が、偶然にも相手と視線を交える。しかし肉体まで交錯するのは御免だ。
「キャッ」
「キャアァッ」
選択すべきは回避、実行すべきは移動。正答自体は解っている。
解ってはいるが────────ここでユニコーンラビット、纏わり付く兎が邪魔だった。
僅かだが確実な痛みが動作を乱し、小さいが食い下がる重量が体勢を崩し、しがみつく存在が集中を狂わせる。
ただでさえ厳しいタイミングが要求されるランブルボアとの攻防。その小躯は、実寸より遥かに有害と言えた。
「っの・・・・・・邪魔だ!」
予定していた反撃は断念するしかない。常より揺れる体で全力を回避に向ける。
コンマの差でかわしたチャージが、真横の空気を叩き潰して過ぎ去った。
巻き起こされた風に前髪が躍る。瞳で追跡はせず、替わって纏わり付く角兎を振り払ってやる。
中空に投げ出された忌々しい角兎を2匹、一文字に走らせた刀身で上下に断った。
分かたれた半身同士が光となって交じり合い、絡み合って消えて行く。
残滓の中で落とされるカードを視線で追うと、続いて群れ跳ぶ兎の姿。
「ええい鬱陶しい!」
タイミング、方向、攻撃手段、狙ってくる部位まで全てが不統一。故に一度で殺し切れない。
悔しいが剣という武器では一動作一撃、捉えても僅か数匹が上限だ。
一匹は刃の延長に入らず、一匹は角に当たって断ち切れず、一匹は仲間の影から躍り出る。
それでも仕留め切れないのは、一回の攻防で半分程度。避け切れないのは1、2匹。
僅かな討ち漏らしに微かな手傷を負わされ、少しずつ神経を削られ、幾許もない時間を噛み潰される。
そうして群への対応に追われれば、斬り残しを断つかどうかの間に背後へ迫る巨体の気配。
腹立たしいことに、戦闘開始から殆どがこのループだ。
「ほらっ!」
「「ギィ!?」」
いい加減に付き合っていられない。繰り返しには飽いた。
避けざま、引き剥がしたユニコーンラビットをランブルボアの進路上へ投げる。
「「ギャアアアアア!?」」
子犬と象に近い体格差を反映し、撥ねられた兎は光となって飛散した。
この方が攻撃の手間が省けていい。初めからこうするべきだったな。失敗だ。
だが反省をする程度には余裕が出来た。手早く始末をつけられたことは喜ばしい。
浮いた時間で集中と構えを整える。
「キュッ、キュウウウゥ」
「キィ! キィィイ!」
「キュアア」
ゆっくりと剣を構える。
知らぬ間に精神がささくれ立っていたのか。多少の差でも、落ち着けば見える光景が違う。
無駄こそ含んでいたが、ここまでの戦闘そのものは無駄でなかったようだ。
気付いてみれば、減らし続けた敵の残りは多くない。
見渡せば周囲にあと6匹。
既に密度をなすだけの生き残りはなく、元が集団であればこそ数の減少は重く響く。
対照的にこちらの負担は軽い。
同様の事実を理解したのか、群の交わす声もどことなく弱弱しく思える。
それでも次の突撃が来るまで余り間はない。
深くならない程度、息を吐く。
敵の1匹を指すように振り下ろした切っ先は、心地良く風を斬った。
攻め時だ。
「さあ来い兎共!」
迎撃に向けていた構えを捨て、翻した刀身を手に駆ける。
攻め手だった相手にとっては、点から線への軌道の急変。
何よりも攻守が、続いてきた戦いの流れが転換を迎える。
間合いの変化に伴う思考ルーチンの変更、置き換わった選択肢を取捨する時間。
プログラムに過ぎない存在が数瞬、驚愕に似た硬直へと沈んだ。
隙を逃す道理は無い。
最も近くに居た1匹の、接近に遅れて上向いた首を切り捨てる。
「「「「「キキキャァァァアアアッッッ!!!」」」」」
消えて行く仲間の姿。輝きの残滓を追い、雪色の獣達が跳ねた。
漆黒の塊が迫る。
降り注ぐ陽射しを闇色の獣毛で奪い尽くし、照り映える牙を天に向け、巨体が獰猛に走り寄る。
今や当初の速度はなく、一方で総身の威圧には衰えが無い。
緩んだ速さに比べ、強いられる緊張は鑢の如く。
重量をこそ最たる武器とする化物が、脆弱な大地を踏み砕きながら駆けて来る。
大岩にも引けを取らないサイズの巨獣。
辛うじて位置する高速に反して疾風と呼べるスマートさはなく、翻って獣臭を滾らせる姿は雄雄しい。
ランブルボア。
殲滅を終えた兎達とは違い、決して群をなさないモンスター。
山神をも思わせる威容がこちらを目指し、彼我の距離を走破せんとしていた。
変わらない景色の中でその姿だけが初見と異なり、艶めく体毛の各所に傷と汚れを負っている。
プレイヤーたる者────就中選ばれた1000人の廃人の1人────の目から見る限り、残された力は少なかった。
「オッ・・・・・・・・・オッオ! ブォッ、ブルオオオォォォォォォッッ!!」
肌に受ける咆哮が、草原の緑に染みて行く。生え伸びた草々が、巨獣の吐息を受けて柳と揺れた。
広がる草緑を前足で踏み付け、後ろ足で押し潰し、近付く獣の顔が大きさを増す。
刻一刻と鮮明になる姿が圧力を連れて正対する。
手負いの身でなお恐ろしい。
白を固着させた両眼は光に濡れ、一息で馬身以上を詰める蹄、四足の奏でるリズムが振動となって伝播する。
構えた剣、正面を刺す切っ先を保とうとして微かにぶれた。
「5・・・・・・4・・・・・3・・・・・・・」
カウントを口にする。心中で留めていては、高まる心臓の鼓動に呑まれるかもしれない。
事実、言いながら微妙な修正を加えている。
為さんとする試みは十分に可能、計画の骨組みは確信で補強済みだ。
とえ言え緊張までは止められない。
確証を入れられない隙間からは、訪れる震動に微量だが漏れ出すモノがあった。
これより打倒する化物を改めて見遣る。
大きさは、重量はそれ単体で強力な武器だ。開かれた差によってはそれだけで必殺の武装となる。
しくじればダメージは大きい。同時に成功した時に与えるそれも。
失敗は万に一つも避けたい。揺れ動く精神を鎮めるべく目を閉ざす。
黒に転じた視界で気配は濃く、鼓膜を叩く音は大きい。内からは拍動が響く。
「2・・・」
脳裏に描くのは手に握る愛剣。幻影の刀身を心の湖面に沈め、深く底へと送って行く。
刃の深度に合わせて水底から湧き上がる冷たさ。
透徹とした感覚が水面へと上昇を始め、冷徹な刃金と擦れ違った。
やがて顔を出したモノは冷気となって心象へ広がり、この世界で仮想の臓腑を冷血で満たす。
脳のどこか、意識の片隅のしこりが、熱と共に失われた。精神が冴え渡る。
「・・・1」
褪めて行く緊張を五体から抜き去り、両眼を開く。
瞳の映した色彩の中で3つ。毛と牙と目の、黒白のコントラストが間合いにあった。
「────────0」
跳ぶ。
鎧の許す限界まで膝を折り、体重を重石として筋肉のバネに乗せてから開放。
刹那で得た視界は、俯瞰と言うには低い。
寸前でかわした牙と鼻先。
迫った巨体は正面から後部へ向けて山形を描き、隆々とした背骨が起伏を見せる。
冴えた視覚によって猪を模した獣を隈なく精査し、一点、決した場所へと意識を束ねた。
一瞬が引き伸ばされた、緩やかな交錯の瞬間。
化物の脳天へ、深く渾身の刃を埋める。右手で柄を握り締め、左手で柄尻を押し込んだ。
「ブォ・・・・・・」
存外に軟らかい感触と失速する獣身。
これまで何度も斬りつけ、蓄積させて来たダメージが臨界を超える。
弱点を貫いた一撃が限界を突き破り、ランブルボアが断末魔の悲鳴を漏らした。
声が伴う威圧は既に無い。
咆哮と言うには細く、力尽きて掠れた叫びはすぐ途絶えた。
額を蹴って剣を抜いた僕が着地を、相手が転倒を迎えるより早く粒子化が終わる。
天へ立ち昇る光点の群。
過ぎて行く余韻を背に、崩れた体勢で落下した。草原の地表、軟らかな緑に身を預ける。
「ふー・・・・・・・・・疲れた」
吐き出す二酸化炭素のデータが重い。呼吸と言葉を溜めていた肺が、役目を果たして萎んでいく。
疲労も緊張も、この開放感も、何一つ現実と差異が無い。
「ついていないね」
運(LUCK)にしても同じだ。実に不運だった。
まさか、今日の初戦からあれだけの数を相手にするとは。
30ものユニコーンラビットに加えてランブルボア。ソロでは2度と御免被る。
どうせならリティも誘っておくべきだったか。
ギルドに身を置く人間を昨日の今日で連れ出すのも気が引けたが、遠慮すべきではなかったかもしれない。
彼女の動きはそれなりに参考になることであるし。
勧誘のしつこさにはうんざりなものの、得られる利益は得るのが正解だっただろうか。
ひどく今更な話だが。
「よっ、と」
立ち上がって視線を巡らせる。目を凝らせば、辺りには草の波に乗った幾枚かの紙票が落ちていた。
この世界における基本的なアイテムの形態────────カード。
フィールドに時折吹く風を受けた紙片が、木の葉のように低空を舞っては墜落する。
感覚可能な範囲で潜む敵影もなく、この階層なら欺き通される心配もないだろう。
握りっ放しの剣を納め、近い物から順番に勝利の証を拾い集める。
同レベルのプレイヤーが得る金銭を思えば二束三文だが、資金源には違いない。
『ランブルボアの筋肉』
『ランブルボアの白牙』
多少なりと実になる戦利品は2つ。通常時ならともかく、今なら食材の方にも中々の値が付くだろう。
<調理>スキルを修めたプレイヤーだけに作り出せる、一時的なステータス補正付きの料理。
その作製に欠かせない食材アイテム。求める人間は多いはずだ。
NPCの販売分はとうに売り切れとなれば、町には飢えたプレイヤーが大勢いるに違いない。
特に遺跡攻略を目指す連中に。
彼らの足元を見るのは、僕の仕事ではないが。
「コール・・・・・・! さて、もう少し稼ぐとしようかな」
“本”────『コール』の声によって現れる、カードを収めるための本状のシステム端末────に獲得物を入れて機能を解く。
代わって剣を抜いた。刃が裂く大気の先、瑞々しく伸びた草は彼方まで続いている。
目指すはその向こう側。
地平の彼方、遺跡の奥を目指して歩を刻む。
変わり果てたこの世界で、生きることは戦うこと。
主な相手はプログラムに過ぎないモンスターなのだとしても、
生きるためには敵を斬って命を繋ぎ、繋いだ命を護りながら更に戦わねばならない。
今はまだ、歩みを止めている暇はなかった。
それが、閉ざされたこの世界のルール。
幻想の中で現実と仮想の死がリンクした、逃げ場なきゲームの理なのだから。
New World Online────────和名、新世界オンライン。
僕と999人の廃人プレイヤーがこの世界に拘束されてから、もう一月と二日が経過していた。
第二話 新世界オンライン
中天より僅かにずれた太陽を仰ぐ。遮った掌から、木漏れ日のように抜けた光が顔へと注いだ。
新世界オンラインでも、天体の数や周期はさして変わりない。
イベントを始めとした例外を除けば、現実との差異など精々、月の個数や星の色。
昼下がりの陽射しが街並に柔らかく降りかかり、春夏の境にある強さで地上を暖める。
温暖の生む活気がそこかしこに溢れ、街路をなす石畳を踏み締めていた。
「おい聞いたか? とうとう60階に手をかけたギルドがあるらしいぜ」
「聞いた聞いた。で、現れるモンスターが・・・・・・」
「あー。ほんっと目当てのカードがドロップされねー」
「物欲センサーっすか」
「『虹の欠片』がひとぉぉぉおつ・・・・・・ふたぁぁああつ・・・・・・・・・・・・・駄目!? あと96個も足りない!?」
雑踏の隙間に零れ落ちる言葉達。
街を歩く人々の姿に瞳が満ち、声と足音に耳が震え、空気に染みた生気に肌が沸く。
ここが死のゲームの中とは思えない、誰もが笑顔と共に行き、輝かしく生きている光景だ。
【終焉の町オルガン】。
目と鼻の先に遺跡を置く非戦闘エリアの、中でも人に満ちた中央ブロック商店街。
場所が場所だけに目にする者も物も多く、まさに人の最たるものは多様性だと思える時間だった。
大剣を背負いながら走って行く子供。
ふらつきながら、何かを鬱々と呟くローブの女性。
歩きながら爽やかな笑みを振り撒き、半裸の己を見せて回る男性の踊り子。
他人の店先で露天を開きながら鍋を持ち、七色の切り身を手にして唸っている刺青入りの老婆。
色も形状も様々に武装しているプレイヤーなどは良い方で、
まだ日が高く遺跡に身を置く人間が多い今、
特に戦場を離れている間にはっちゃけた連中が並んでいる。
見上げれば、鎧姿でメイスを携えた翼人族が空を行き、獣の耳を生やした少女が屋根から跳んだ。
これぞファンタジーと言えるだろう。現実の創造が敵わない、想像の世界の多様性。
感性的な良し悪しはともかく、紛れも無いゲームの楽しみがここにある。
「はーい安いよ安いよ安過ぎだよー!
今日の目玉は今朝に仕入れたばかりの一品だぁ!
皆が大好きミノケンタウロス、愛称ミノケンさんのレアドロップ『霜降り牛肉A+』!!
他にも調理スキルの無い人のためにぃ・・・・・・あ、なぁんと!
『大王目玉コンニャクゼリー』、『ユグドラシルドロップ』、『コカトリス手羽先』、『地獄大吟醸・魔王』!
他にも色々あるよー!
お値段1M(1,000,000)newから1G(1,000,000,000)newまで、
お品は遺跡帰りの今夜の共から明日のお昼のデザートまで、何ぁんだって取り揃えてござぁーーーい。
まだ日は高いよー、これから遺跡の攻略に行こうってぇ粋な旦那方!
さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃーーーい!!!」
一部の雰囲気がいやに生臭いのが難だが。まるで八百屋か魚屋、河岸の中だ。
必然ではあるが。
人が集まれば商いの場も付き物、商人系のプレイヤーも多いのだろう。
アイテムを買い漁られて休業しているNPC経営店舗の前、人通りを妨げない間隔を保ってプレイヤーの露天が並んでいる。
強制されたデスゲームなど誰にとっても御免だが、こんな光景が見られる間はまだマシか。
そう言えば早めに遺跡から帰ったものの、お昼はまだだ。
<調理>スキルも持っていないことだし、たまには何か買って行くのもいいかもしれない。
緩んだ緊張に足を止める。
偶然に立ち止まった横にはグリーンのシートを綺麗に敷いた、青年に見えるプレイヤーの姿。
こちらに気付いたのか、上げられた視線に額を刺された。
「ん? んんー? お兄さん変わった装備をしてるねぇ。それって闇の兜じゃないか。
メイン新調までのサブかな? 良ければじっくりゆっくり見てってくれよ」
「生憎とこっちの装備がメインでね。悪いけど装備以外を見せてもらうよ」
愛想笑いを交わしてから検討に入る。
眼下には爽やかな緑色の敷物の上、緩い口調に似合わず整列された無数のカード。
装備や食材と言った種類毎にブロックがなされ、客が見易いように配慮した間隔が保たれている。
値段は添えられた値札に明示されているため、値引きと質問以外で口を開く必要も無い。
露天としては好印象だ。
商売において、細かい部分に気を遣う相手は『当たり』が多い。
逆の例として特にベテラン未満に多いが、
露天で置かれたカードはシステムでガードされていて通常の手段で盗むことが出来ず、
半ば安全が保障されているために、扱いがぞんざいな場合が多数を占める。
大成する商人ほど、客には見せない範囲で神経を使うものだ。相手にしているのは、プレイヤーという名の人間なのだから。
「────────ふむ」
『料理』のカードを纏めたらしいブロックに目を落とす。
カードの上半分には料理の絵柄、下半分には食べた際に受ける補正や風味、賞味期限等々。
絵柄に該当する記憶から相場を引き出していくが、どれもそれ程に悪くない。
以前からすれば割高どころではないが、NPCが食材アイテムを含めて品を切らした今では仕方がないか。
ここ最近の、増加する需要に加熱した相場で言えば常識の範疇。
それを念頭に視線を移して行く。
「そうだね。これと・・・・・・それから、そっちのを一枚ずつもらおうか」
あまり思案しているのも悪い。
店主と差向かいで『じっくりゆっくり見る』のは日本人には向かないものだ。
座る相手に対して、腰を屈めてからカードを指差す。
『レインボースライムの七玉餡蜜』
『フラウの黄金果実』
一枚は料理、もう一枚は食材。
描かれた絵は七色の白玉を七つ浮かべたあんみつと、表皮で波形をなす金色が輝かしい、林檎に似た果物。
後者は食材だがそのまま食べることも可能だ。
フラウの果実は上質な梨に似て多量の甘さと水分を含み、中でも黄金の名を冠する物は芳醇である。
本当は二枚とも料理カードにしたいところだが、稼ぎを思えば妥協も止む無し。
20階から始めて25階まで入り口付近をうろついた遺跡探索だが、早くに切り上げただけに得た物も微量。
この後のこともあるし、現状で収支は間違えられない。
「毎度ありっと。お客さんお目が高いねぇ。実の方は今朝に採ったばかりで新鮮だよ」
通常、食材と料理のカードは物が物だけに賞味期限が設定され、
特別な処置────専用のシステムや道具による保護────を施さない限り、ゲーム内とは言え時間経過による劣化は避けられない。
カードに記述される残り時間も確実だ。従って、不自然な言葉ではないが。
「・・・・・・生産系だったのか」
驚いた。
フラウの果実をドロップする敵やオブジェクトは、今のプレイヤーが移動可能な範囲には無い。
もう一枚の、料理カードの材料も同じである。
それだけに保存されていた物が珍しく出たと思って購入を決めたのに、露天商その人が作った物だったとは。
「まあねぇ。
あのジイさんの仕切りの外に行けなくなって、ウチら生産系もだいぶん打撃を受けたけど、
丹精込めて育てた果樹が、ようやく応えてくれたのさ。
今までは貯蔵分を売って生活してたけど、他の連中も含めてどうにか軌道に乗ってねぇ。
日の高い内はみぃんな遺跡に行くから、今日の商売はまだまだ日照りなんだけどね。買ってくれて嬉しいよぉ」
軽薄に笑う相手が、見上げる僕越しに空を見た。眩しそうに目が細まる。
生産系プレイヤー。
戦闘系と違って壊すことも殺すこともなく、商人系と異なり価値を流すこともなく、
ただ愚直に何かを作り育て、生かし鍛える職人達。
武具を作製する鍛冶師から食材を生産する牧場主まで幅広いが、
NPCの販売アイテムが底を付いた今、最も価値を認められているプレイヤーだ。
「この時間、人は見かけるけど攻略組は少ないし、脱落組は病んでるしね。見た感じ遺跡帰りだろぉ? お客さん。
目の輝きが違うよ。まだ諦めていない口だ。
ウチらは戦えないからさ・・・・・・・・・アンタらには頑張って欲しいなぁ」
口調こそしんみりとしている割に、瞳には諦めも卑屈さも無い。
荒々しくはないが、何か決して揺らがないモノが奥で燃えている。
遺跡の攻略には戦闘系プレイヤーの奮闘が絶対にせよ、
戦闘系の人間が戦いを続けるには背後に詰まれた物資と、それを供給する人間が必須だ。
どちらが欠けてもエンディングはなく、戦うことと作ることに貴賎は無い。
自分は自分の戦いをしている。そう確信している人間の目だ。久々に見た。
戦闘系に比べればのびのびとしたスタイルの、ライト層が多い生産系プレイヤーでは稀だな。
壊さずとも、殺さずとも、戦わずとも────────決して戦闘系に劣らない意志を備えるプレイヤー。
匠と呼ばれる人間がそうであるように、戦いそのものでない行為を自分の戦いにしてしまえる人間。
そんな尊敬に値する職人達。
生産系や商人系と言っても無力や妥協、戦いからの逃げだと侮ってはならない。
これは戦闘系が胸に刻むべき戒めだ。
新世界オンラインとは、それ程のゲームなのだから。
技術の発達に従ってプレイスタイルが多様化し、
盛り込める要素が増大した昨今のオンラインゲームでは、何も切った張ったの争いだけがプレイではない。
高度に現実を再現したVR=仮想現実ならば、現実と同じことも出来るのが道理。
戦闘系で武術を。商人系で金融を。生産系で一次産業と二次産業を。
新世界オンラインが万人に受けたのはそれらも盛り込んだ、新しい一個の世界を打ち立てたからだ。
加えて新世界オンラインはRMT────ゲーム内通貨と現実貨幣の交換────によって現実とリンクしている。
寂れた武術道場や稽古事の師範が、ゲーム内で教室を開いて成功した例もあった。
現実にない楽しさだけでなく。
現実以上と現実以外の喜びを。
八神老人の凶行こそ問題ではあるが、彼ほど狂ったクリエイターのいたゲームだ。
プレイヤーを遊ばせるという一点に妥協は無く、プレイヤーの探求に果ては無く、
冒険の仕方はそれぞれで、極める道に差など無い。
「こっちも生活かかってるから値引きは出来ないけどね。
買いに来たついでに売って行く人とか、物々交換の希望なんかもあるから、収支は甘くできないんだぁ」
装備品も含めて手広く扱っているのはそれが理由か。
相手の商売のスタイルにケチは付けられないし、上手く釘をさされたな。
まあ悪い気はしない。提示された値段が変わらなければいい。それよりも。
「それはいいさ。ただ・・・・・・良ければ値引きの代わりに名前が欲しいな」
全ての戦闘系プレイヤーが求める食材アイテムを唯一、供給可能な生産系。知り合っておくに越したことはない。
商人系や生産系にとっても自分の名前を尋ねられ、憶えられるのは名誉のはず。
「・・・・・・あいよぉ。ウチはフルツって者だ。よろしく。
これでも【四季森】の旦那の弟子をやってる。あの人から見たらヒヨっ子だけどねぇ」
同じ相手に短時間で、それも連続して驚愕させられるのも珍しい。
ここで【四季森】の名前とは。青天の霹靂にも程がある。
【天極将】が一にして十六将の左羽根が一枚、【四季森】グリン・グィン・グリーン。
非戦闘系八指に数えられ、一部の職業が持つ“ハウス”と呼ばれる空間に、広大な森や畑を所有するという人物。
薄くでもこんな場所で関わりを持てるとは。
僥倖だ。後で不幸でも襲って来ないだろうか。
いや、事前にあったか。
「僕はミナセ。名も無いプレイヤーだけど、次もよろしく」
出来る限り厚意を込めて握り返す。次があれば、という言い方は敢えてしない。
発言の内容に嘘は無いだろう。
移動範囲を制限されている現状で一度でも悪評が出回れば逃げ場は無く、潮が引くように客は離れる。
商売に信用以上の商品は皆無。
外のフィールドで生き抜く技能のない生産系や商人系にとっての現況を見れば、些細な偽りでもハイリスクに過ぎる。
彼らが商売以外の稼ぎを持たない以上、売れなくなれば食えなくなるのが必然。
【天極将】に属する人間の名前も、虚偽に用いられる程度の軽さではないはずだ。
そもそも、不信を招くという意味では遥かにこちらが上であるし。
闇の兜。
闇属性への耐久力と光属性への弱化判定を持ち、廃人の装備としては貧弱なこの装備の特性は、情報の隠蔽。
名前やステータスを含め、装備者のあらゆる情報を隠すという機能を有する防具。
正直、名前を教えてもらえる可能性は低いと思っていた。これまで接してきた商人系がそうだったように。
商人としてやり手なのか、はたまた生産系にありがちな純真さの故か。見極めは次の機会に持ち越そう。
「コール────────では、会計をいいかな」
「ういぃ」
呼び声に従ってアイテムを収めるバインダーが現れる。
“本”と呼ばれるツールが管理するのはカード状のアイテムの他、プレイヤーの資金や多数のシステムなど幅が広い。
捲るページの最後、僅かな厚みを持った数字の羅列を打鍵する。
商品分の金額を入力すると、僕の持ち金から同額を引いてマネーカードが作製された。
虚空に浮かんだ、指定額を封じた薄紙を手にする。
newと呼ばれる通貨単位の横に並ぶ数字の群。
相手も露天のシステム管理下から商品を外し、カード化した通貨とアイテムカードの交換をして完了。
大禍なく取り引きが終わった。
「じゃあ。よい商いを」
「あいよ。よい戦いを」
露天を離れ、隙間に割り込んだ雑踏で見えなくなってから背を向ける。
ぶつからないように気を付けながら、目指すは元々の目的地。
気紛れな買い物が思いがけない出会いを生んだものの、今日という日を終えるにはまだ早い。
いつの間にかずれた太陽は、まだまだ高いのだから。
商店通りを少し離れ、購入したカードを指で挟み持つ。
人通りは幾らか減り、人にぶつかる心配はもう無い。
太陽を時計とするなら昼下がりも過ぎ、朝食からは結構な時間が経過している。
そろそろ食事にしよう。
「マテリアライズ」
システムの起動キーを口にすると、平面に近いカードが端から光に分解されて行き、体積を増しながら浮遊した。
かと思うと発光を強めながら瞬時に中央へと集中し、再度の膨張と共に色を変え、厚みと質量を持って開いた手へ落ちる。
掌に果実の感触が乗った。
林檎を少々ばかり真ん中へダイエットさせた実の表面に、輝かしい金色が波を生む『フラウの黄金果実』。
歩きながら、先ずは一齧り。
「美味い」
唸る。
多量の水分を含んだ果肉は軟らかく、容易に歯を通して口内に潤いを与えてくれた。
渇きの癒される充足感に遅れて果糖の甘味が続き、強く、だがさらさらとした蜜のように舌を撫でる。
スイーツの類とは異なる、加工されていない天然の味だ。
もう一口。
「美味い」
再び唸る。
噛み締めた旨みから新鮮さが抜け落ち、より評価の厳しくなる二口目でも感動に衰えが出ない。
どころか、その事実が印象と味わいを深めさえする。
複数の材料を組み合わされた菓子のように複雑な味わいではなく、しかし単純なために純粋でくどさやしつこさが皆無。
すっと通る歯応えも、さっぱりとしながら濃縮された甘味も、とても自然に喉へ落ちる。舌触りも滑らかだ。
悪い意味での食べ慣れる、ということが無い。
前歯で噛み切ればすぐ側の舌先へ零れ、奥歯で噛み締めれば溢れて溜まり、舌の全体を恍惚に浸らせてくれる甘やかな果汁。
長い時間をかけた果樹の実りが口の中で穏やかに弾け、唾液と共に飲み込むと、呼気に伴いふくよかな香が鼻へ抜ける。
「そう言えば、最近は遺跡帰りでボリューム重視の食事ばかりだったか。いけないね。美味し過ぎる」
染み広がる味は幾らでも後を続けられる。と言うよりも止まらない。
ここまでの味は間違いなく作り手の功績だろう。フルツ、か。素晴らしい。やはり知り合っておいて正解だった。
「・・・・・・はぁ」
などと、糖分を得て回り出した思考の間に食べ尽くしてしまう。
ゲームらしく芯も種もない果物だったので何も残らない。浮いた気分が少しだけ沈む。
もう1つあれば確実に手をつけただろうから、購入品の種類を分けたのは正解だったか。贈り物を自分で食べては世話が無い。
そこそこ高い買い物だったが、十分な満足は得た。それでよしとしよう。しなければならない。
「さて」
食事の間に減速した歩みを元に戻す。
調理スキルの産物ではないために空腹度しか変動しないが、足取りは軽やかになった。良い食事は人の心まで豊かにする一例だ。
残るカードは一枚。
土産の送り先にも、迅速に同じ感動を届けるべきである。さあ、再会へ向けて歩くとしようか。
街中の活気には、流れというものがある。
朝は通学や通勤のための交通網の賑わい、昼は出かけた先での喧騒、夕は商店街の混み合い、夜は酒場での愚痴り合い。
人々は一日の生活の中で自分の居場所を渡り歩き、伴って人気も移ろい行き、
従って人のある所に発生する商売も、自然と人が居る時間に行われるようになる。
朝に開く飲み屋は無く、夜に始まるスーパーは無い。
その時間、そこに来る者はいないと分かっているからだ。
日常として続いていく生活には自然とサイクルが出来、機を見るに長けた商売人は当然にそれを追って行く。
よって、この扉に『Closed』の札が掛けられ、飲み屋街である近辺に人影が無いのは必然と言えるだろう。
「邪魔するよ、シア」
カウベルに似た鈴の音が響く。
店の床に酒が染みこむには早い昼下がりの、開店まで数刻を要する一軒の酒場。
準備中を語るウエスタンな入り口を押し開き、奥へと声をかける。途端に雑多な香が鼻腔に触れた。
床に壁に、建材の端々にまで染み付いた酒気と野郎共の体臭。
酒の肴に使われる材料の中で、特に匂いが強い香草類の香気。
年季を含んだ木材が放つ、どこか郷愁を掻き立てられる微香。
昨夜の賑わいを偲ばせる、無人の卓から緩く上る酒宴の余薫。
誰かが食べ、誰かが飲み、誰かが語り、誰かが残した────────様々な物の、色々な人のニオイ。
半日前の、そして数時間後にここで繰り返される光景を幻視させられる香が、鼻をくすぐる。
多くの人が物が混ざり合い溶け合った、濃く、じわりとした酒場の空気。
「・・・・・・あら? あらあら。誰かと思えば貴方でしたか。お久し振りですわね」
その中にもう1つ、新たに香水の匂いが加わった。
新世界オンラインとタイアップしたブランドの、確か今年の新作だったか。
足音と声に続いて近付いてきた彼女の体から、薄く花の芳香が漂う。
「数日振り、と言う方が実感が湧くけどね。それにしても心外な言い方だな。
まさか僕の他に、この時間に訪ねてくる輩がいるのか?」
「ご冗談を。
開店前の、酒を用意していない酒場に来る酔狂者などおりませんわよ。
他の方々は貴方ほど忠実ではございませんし。
とは言え、私の様なか弱い乙女には暴漢への注意が欠かせませんので。
美女は何より男を酔わせる美酒でもありますし。うふふ」
口元に上品に添えられた手の横で、背まで伸びる黒髪の一房が揺れた。
入り口に立つ僕へ近寄ったことで差し込む日光を浴び、真っ直ぐに下を向く頭髪が艶めく。
店内の暗がりを脱した白い肌が色付き、冗談めかした笑顔が華やいだ。
設定された性別の割に、上向いた面の位置は高い。
明るい表情の下ではフリル付きのドレスが黒く、慎ましやかに光を受けている。
「それこそ冗談だ。薔薇の棘と竜の牙じゃあ全く違う。
お前の正体を知った上で言い寄れる男が居るなら見てみたいよ」
「・・・・・・・・・美しい開花のために、敢えて枝葉を減らす姿勢はお変わりない様子。息災のようで安心しましたわ。
私の乙女心はいたく傷付きましたけれど。
男性の厳しさは愛情の裏返し。これも御大将なりのツンデレと解釈します」
顰められた顔に、肩を竦めて見せる。すっと線の通った顔立ちに関しては美女なだけに、怒らせると余計に恐い。
「それで。今日はどの様なご用件でいらしたのですか?
あちらは特に問題も起きておりませんし、他もこれと言った動きは御座いませんけれど。
ここ暫く纏わりつかれているらしい彼の女に関するご相談でしたら、静観をお勧めしますわ。
新鋭の中では【魔弾の射手】のお気に入りらしいですし、深入りは尚早ですが顔は繋いでおくべきかと愚考します」
「相変わらず耳が早い」
「ちゃんと仕事をしていますでしょ?」
「そこは疑っていないさ。ところで、入り口で立っていて見られるのも不味い。奥に座ってもいいかな?」
開店前の酒場に居るのもそうだが、彼女と一緒に居る姿は出来るだけ他人に晒したくない。
「どうぞご遠慮なく。私に否やはありませんわ・・・・・・・・・何か摘み物でも?」
「いや、いい。少し食べて来た」
「酒場で、それも給仕を前にしてお冷のオーダーとは、流石は我等が御大将。豪気なお方ですわね」
苦笑される。
「互いに無駄遣いが出来ない立場だからね」
「違いありませんわ」
下がった彼女を横目に奥を目指す。
両脇に居並ぶ木造の卓と、その上に逆さまに置かれた椅子の群。
酒と肴の代わりに椅子を置いたテーブルと、尻を乗せる代わりに食卓に乗った腰掛が、無言で佇んでいる。
喧騒を心待ちにする家具達の間を縫って歩く。
薄暗い内部を進んで行くと、客に立入が許される店の最奥、カウンターの上にも複数の椅子が陣取っていた。
1つを持ち上げ、ひっくり返して体重を預ける。
「コール」
呟いたキーワードに従って“本”が現れ、しばし発光のエフェクトが周囲を照らした。
呼び出したオブジェクトが掌に落ちた頃、カウンターの更に奥から足音が響く。
「お待たせ致しました」
ドレスの上にエプロンという奇妙な出で立ちの彼女が、水を満たしたコップをトレイに乗せて持ってくる。
伸ばされた腕は店側、カウンターの向こうから。
静かに置かれた容器の中で二度三度、低く冷水が踊った。
「【ガラムの火酒屋】にようこそ、と言っておくべきでしょうか?」
エプロンにも書かれた句が告げられる。
「ちゃんと着るんだね。そのエプロン」
「私服OKのバイトと言うのは有難いのですけれど、酒場だけに汚れとの格闘は日常ですので。
店長のNPCも、これだけは着ておかないと怒るように設定されていますし。私の趣味には合わないこと甚だしいのですが」
成程。
禁酒中のアル中が筆を取った様な字が書かれた白地は、世辞でも似合っているとは言えそうにない。
「済まないね。面倒な仕事を押し付けている」
空いている手でグラスを取り、中身を呷る。
喉を通った水は十分に冷たかった。湿らせたおかげか、思ったよりすんなりと言葉が出る。
「お気になさらず。他に適任がおりませんでしたし、むしろ楽をさせていただいていますわ。
お休みもありますし、今の状況で酒場のアルバイトをするだけの日々など、外の皆や遺跡組には申し訳なくさえあります」
「それこそ気にしなくていい。適材適所だよ。
君はここで働いて情報を集める。僕等は遺跡でカードを集める。
そして君と僕らで資金を、戦力を、人脈を作る。
どちらも出来ない者は拠点を護り、前線の憂いを断つ。どれが欠けても生き残りの目は無いさ」
日も暮れない今だからこそ人の居ない店内だが、数時間後には飲んだくれでごった返すだろう。
酒場と言うのは人が集まる場所であり、言い換えると情報が集まる場所でもある。
加えて集まった人間は自分からアルコールを口にして警戒を鈍らせるため、話を聞きだすのも非常に容易。
店売りの食材が品切れとなった今では、一定数のプレイヤーが食事を求めて訪れるのも確実だ。
これ以上に条件の整った場はそうそう見付からない。
それだけに配置される人材は、情報を整理する頭脳と聞き出すコミュニケーション能力に優れていなければならない。
『僕等』の中で彼女が担っている役割は、主に情報の収集。
バイトをしながら何気なく聞こえてくる酔っ払いの話を精査して取捨選択し、
不足があれば自ら近寄って上手く、不審を抱かれること無く更に聞き出す。
場所の助けはあるが、言う程にも思う程にも簡単な仕事ではない。
ましてここに集まってくるのは1000人にまで絞られた廃人達。
凡百のプレイヤーを相手にするよりも、遥かに難易度は高い。
僕達がそうであるように。周囲を出し抜こうとする人間には、誰もが目を光らせている。
自分達がこのゲームをクリアするために。それ以上に、生き残るために。
リティも、リティが属するギルド【暁の銀弓】もその点は変わらない。
どころか、大きなギルドである程にゲーム攻略には形振り構っていない印象がある。
彼等を出し抜くのは、決して容易くはないだろう。
しかし、彼女────シア────をここに送り込んでからの一ヶ月、上げてくれる成果は常に大きい。
僕等にはまだゲームクリアの意志が無いとは言え、生き残るために情報を優先したのは正解だった。
「情報が集まり、多数のプレイヤーと顔を合わせ易く、無理の無い範囲でカードを持ち込めば、交渉や人脈作りも極めて簡単。
僅かながら給金も入るし賄い付だ。失う物は無く、得る物は大きい。言うこと無しだよ」
「賄いの付くアルバイトクエストは、疾うに脱落組で埋まっていますものね。慧眼、恐れ入ります」
ロストしたまま戻らないプレイヤーのことを知り、本当に命懸けかもしれない冒険を前に足を止めた者達────────脱落組。
そんな彼らでもゲームのシステム上、どうしても腹は減る。
戦わずに食を望むなら、選べる道は築いた資産を食い潰すか、戦いに臨まない職を求めるかの二択だ。
盗むという選択肢の実行者は早々に叩き潰された。
戦闘に比べれば自由度も収入も低いにせよ、バイト系のクエストにはとにかく危険が無い。
飲食店系のバイトなら多くは賄いが付くため、最低でも日に一食は食べられる。
【終焉の町オルガン】。
このエリアで求職者が溢れ返るのに時間が掛からなかったのは、記憶に新しい。指示がもう数日遅れていれば、シアにしてもどうなったか。
その場合は彼女から申し出た公算が大きいが。
「大した事じゃないさ。それよりも、そう言えば質問に答えていなかったね」
向けられた世辞に、手首の先を振って返す。
「用事、と言う訳でもないけれど。そろそろ渡しておこうかと思って」
振り終わり、落とした手で“本”からカードを抜いていく。
トレイを抱えたままの彼女に差し出すと、細まった視線が札の山を見据えた。
「────────ご苦労様です。確かにお預かりしましたわ」
盆を下ろして手がカードの束を受け取り、真剣な瞳が内容を検めていく。
昼の活気を外にした酒場に、暫くカードを切る音が続いた。
「これとこれと・・・・・・この辺りは売りに出すと致しましょう。もう値段が安定して来ています。
良心的なプレイヤー相手なら提示される値は変わらないかと。
それと、こちらも私の方でお預かり致します。少し待てば幾らか値が上がるでしょう。
その2枚に関しては探している者を見掛けましたので、機会があれば交渉を試みますわ。
残りは保留、御大将の取り分と致します。そちらでお持ち下さい」
説明の間、並び替えられたカードがカウンターに配される。
情報に通じているということは、市場の事情にも通じているということ。
シアは仲間内の誰よりもカードの流通や相場に詳しい。
カードの売買におけるアドバイザーというだけでも、欠くことの出来ない存在だ。
全体のために共有を決めた財産は、可能な限り上手く運用しなくてはならない。
死が現実と化したこのゲームで僕ら全員が生き残り、或いは勝ち残るためにも。
「・・・・・・それで足りるのか?」
ではあるのだが。
配分の結果、僕の手に残るカードは数枚。市場価値の変動を考慮しても、前回より随分と多い。
僕の戦果には違いないが、それもバックアップあっての物である。
「充分に、十全に、完全に、些かの不足も無く。
貴方だけでなく皆も頑張っております。過ぎた心配はご無用ですわ。
そもそも先に備えて念のため程度に蓄えているのであって、現状で無理に蓄財を計る必要性は御座いませんし。
何より、御大将に少しばかり贅沢をしていただきませんと、他の者としても羽目を外し難いので」
「そういうものかい?」
「然様にございます」
僕にしても食うに困っている訳ではなく、厳しく切り詰めている状況でもない。
リティとの食事代などは必要経費としても、さっき私的な買い物をしたばかりでもあるし、どうにもピンと来ないな。
資金であれ道具であれ人脈であれ、戦力を蓄えるに越したことは無いのだが。
それでも後々を考えれば受け取っておくべきか。
「分かった。なら有り難く貰っておくよ。皆にも適当に楽しむよう言っておいてくれ」
「御意に」
下げられる頭を前に、配当分を回収する。
開けた頁を合わせると、余白を増やした“本”が掻き消えた。
「では私も────────コール」
対面の相手が入れ替わりでキーワードを口にする。
出現したシステム端末を開くと、残るカードを手際よく収め始めた。
「おっと。それからもう1つ」
作業が終わり、もう一冊の“本”が消えた処で、ふと思い出す。
カードと言えば、失念している物があった。
「あら。まだ何かありまして?」
義務ではないと言っても実に危うい。持参した手土産を渡し忘れるなど、間抜けにも程がある。
疑問符を浮かべた瞳を受け、もう一度、余計に『コール』と唱える。
律儀に現れる本状端末。
番号の若い頁を開き、もう一枚、抜き出したカードを手渡した。
「これを。差し入れだよ」
『レインボースライムの七玉餡蜜』。わざわざ道中で用意した、新世界オンラインでも有名なスイーツ類の1つだ。
上にした表側、器に盛られた七種の玉を描いた柄に、彼女の視線が寄る。
「・・・・・・あらあらあら」
キュピーン、と彼女の目が輝いた。
纏うドレスや伸ばす髪と同色の黒。
暗い店内で闇色を沈める瞳の中に、場違いな十字の光が浮かぶ。
エフェクトの無駄遣いだ。
「このカードを私に差し出されるということは・・・・・・・・・頂いても宜しいので?」
感情表現用アイコンを貼り付けたままの顔が期待に輝く。
くるくると回った瞳の星が、三周ほどして漸く消えた。
「勿論。その為に買って来たんだ。確か好物「では有り難く」────────おい」
巻き起こった風が手元を過ぎ去り、アイテムを封入した札があちらに移る。
強奪した得物を抱き締め、盗人が猛々しく笑んだ。
「流石は我らが御大将。
部下の好みをお忘れにならないばかりか、合わせた品まで差し入れて頂けるとは。
素晴らしいお気遣い、感謝致します」
元より譲り渡すつもりだった品ではある。
ではあるが────────今一つ釈然としない。
「・・・・・・はぁ。分かった、もういい。好きにしてくれ」
が。
既に相手に渡った以上、嫌味を言っても詮無いことか。
この程度の不満を口にして軋轢を生むこともないし、シアが相手なら十分に予測が出来たこと。
それなりに長い付き合いである。
それだけ喜ばれていると解釈しておこう。
「はい!」
浮かべる喜色は白々しいが。
この喜びようもまた、今の新世界オンラインでは無理も無いし、道理のある事だ。
作製不可能アイテム。
八神老人によって隔離されたゲーム内において、
物流を遮られて供給不能となったアイテムが出たことによって発生した、新たに得ることが叶わなくなったカード群。
必要な材料が足りず、或いは必須の道具が無く、
または不可欠な施設を持てず、果ては必需のスキルの持ち主がそもそも居ない、そんな創造物。
強制された死のゲームをクリアするまでは作り出すことが出来ない、
誰かが手放すことでしか────誰かが失うことによってでしか────手に出来ない品々。
『レインボースライムの七玉餡蜜』もその一つだ。
廃人の1人であるシアが好むだけのことはある高級品だが、以前は相応の金を積んで手に入らない品ではなかった。
今となっては探すことからがスタートだ。それ自体もひどく難しい。
『フラウの黄金果実』とは異なり、材料をドロップするレインボースライム自体がこのエリアに居ない。
食べようと思えば、少なくともたまには食べられた、当たり前に存在していた嗜好品。
それを口に出来なくなり、この非日常に叩き落されてからの一ヶ月。
思えばストレスを溜めていて当然。好物を前にしての、多少なりと行き過ぎた行動も自然、か。
気付けなかった僕の方こそ、恥じ入るべきなのかもしれない。
「それじゃあ、渡す物も渡したし、そろそろ行くとするよ」
心なしか、温くなった水を飲み干して立つ。
僅かに見下ろす形になった相手から、意外そうな視線が注がれた。
「あら。もうですの? 開店までならゆるりとなさって構いませんのに・・・・・・」
「いや。出来ればもう一稼ぎしておきたい。この時間に出れば今日中には帰れるからね」
必要な行動とは言え、酒場で不特定多数の飲んだくれ相手にバイトを続けていれば鬱憤は溜まる。
彼女の負担を減らしたければ、その分だけ僕が頑張るしかないだろう。
彼女が情報の収集を任されている様に。僕には戦闘という役目があるのだから。
一戦でも多く敵と戦い、一体でも多くの敵を倒し、一枚でも数多くカードを得れば、それだけ他の負担は減る。
「もう少し躊躇いをお見せになっても宜しいでしょうに。相変わらず憎い御方」
「また来るさ」
フルツという名の職人が、技術による戦いをしていた様に。
今はシアと名乗る彼女が、人知れず裏方の戦いをする様に。
僕は僕の、ミナセとしての戦いをしなくてはならない。
僕等が生き残るために。
僕等だけでも、生き残るために。
「そうですか。では、ご武運を」
送られた言葉に背を向け、振り返らないまま手を振って応える。
鎧と足の音の中に紛れ、苦笑する気配が伝わった。
「行ってらっしゃいませ」
扉を開け、鳴り響くベルを後に、傾きの強くなった陽の下に出る。仰ぐ蒼穹の眩しさに、思わず目を細めた。
青空が夕色に焼けるまで、もう少しある。月が中天にかかるまでは長いだろう。
アルコールを売り物とする通りにはまだ人気が無く、時間外れの出入りを見る影はない。
この辺りに、酔っ払い共が放り出されるまでには戻れるか。
「さて、さて」
廃人たるプレイヤーの────キャラクターの────筋力値を以て跳躍する。
適当な店の屋根に足を置き、手で陽射しを遮って見晴るかすと、遥か遠方に遺跡の輪郭が見えた。
菱形を半ばまで沈めた様な、暗黒色のピラミッド。その地下に根深く広がる、未踏のダンジョン。
1000人ものプレイヤーが目指し、八神老人が攻略を命じた大迷宮。
朝も昼も、夕も夜も、佇む異様は変わらない。内部で繰り広げられる死闘も、決して。
「行くか」
今日、一度は潜った草原フィールドで受けた様な風が吹く。
爽やかな気流が前髪を掻き上げ、身を浮かせた。屋根伝いに飛び跳ね、一路、遺跡を目指す。
早過ぎるのを自覚しながら、逸る心が剣を取らせた。
死のゲームは未だ終わりを見ない。命を懸けた戦いは続いている。
それは、今日が明日を迎えようとも同じだろう。
だからこそ。
いつか来る終わりのために、或いはいつの日かこのゲームを終わらせるために、僕等は更に戦わねばらない。
生きることは戦うこと。
リアルもヴァーチャルも、それだけは変わりない現実なのだから。
第二話をお送り致しました。ここまでご覧頂き、有り難うございます。
何かありましたら評価・感想にて。