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第一話 New World Online

仮初の臓腑が身をよじった。

仮想の肉体に詰め込まれた電子の内臓が、緊張の信号を受けて萎縮いしゅくする。

現実で揺れる生身の脳が、電脳の世界で感じる硬直。

握った剣を振り被り、振り下ろすまでの僅かな硬化。

内から胸をく動悸が吐息を乱す。


「は・・・・・・っ!」


データとして流れ、システムによって管理される血液。

手に頬に知覚する火照りは、実感として間違いなく熱い。

脳とシステムを行き来するシグナルが、刻々と『肉体』に反映されていく。

この世界に僕の意識がある限り、この感覚は終わらない。


「ギャア!」


終わるとすれば、それは僕の命が絶える時。

機器に縛られた僕の精神が消え、現実の脳が焼かれる瞬間。

或いは世界がクリアされ、このゲームが完了を迎える頃。

それまでは、どれだけ願ったとしても終わりは来ない。

仮想の吐息も鼓動も血の流れも、現実の血が肺が心臓がそうである様に止まらない。

僕の分身、僕が持つキャラクターの肉体が最期を迎えるまでは、決して。


心臓を始めとした器官は、生きている限り止まらない。そういう機能を持っているからだ。

死なない限り動く。生きている限り止まらない。生きるために止まらないし、死なないように動き続ける。

肉体は、生命は、そういう風に出来ている。


「ギィェェエエエッ!?」


従って、まだ生きている僕は、眼前の存在に速やかな死を与えた。

纏わり付く緊張を()じ伏せ、左から右へ、構えた剣を一振り。

鎧の隙間から禍々しい赤色の肌を除かせる体躯が両断され、光の粒子となって虚空に消える。


「ギッ!? ギギッ!」


振り抜いた剣に遅れ、その陰から飛び掛ってくる同型の異形。

短剣に近いサイズの片手剣を手に、発達した犬歯────涎に塗れた牙────を剥き出しにて口に並べている、小鬼の化物。

どんなゲームでもポピュラーなモンスター、ゴブリン種。

肌と同じ血の色に染まった眼が、殺気に濡れる。

迎撃しようにも伸び切った腕は戻せない。代わりに、踏み込んで鎧の味を食らわせてやる。

人より小さいせいか、衝撃も軽い。

少年程の体躯が吹き飛び、描かれる軌跡に牙の欠片が舞った。

欠片の落とし主も飛んだ先の木に激突し、短い悲鳴の後で光となって天に昇る。外見は醜いが、散り様は綺麗だ。


「ギィギギギギッ!」


「ギャッ! ギャアアッ!」


耳障りな鳴き声は気分に悪いが。

振り向かせた視界には跳んだ影が二つ。

故意か偶然か、同時ではなく僅かにズレた、一動作では捌くのが難しいタイミング。

薄汚れた鎧で日光を照り返し、無防備な背後へ襲い掛かってくる。

一撃で倒し切るのは難易度が高く、かと言って回避するには連撃後の体勢は分が悪い。

防ぐか、斬るか。経験に省略された思考が閃き、滑るように体が動く。

ほんの少し腰を左へ、反動をつけた後に足首と膝を連動して右回転。

避けるという全身のバネを用いる動作に比べれば、高速に位置する円運動を強引に行う。

乗せられない体重と威力は遠心力で代用し、

斜めに走らせた剣は狙いあやまたず敵の一体を腰から分断、もう一体の片足を斬り飛ばした。


「ギャヒィィィイイイイッ!?」


同時に殺せないなら、同時に無力化すればいい。簡単ではないが難易度は下がる。

舞い散る燐光の傍らで背中を強打した生き残りが叫び、曲げた背を地面に擦るように転げ回った。

失くした片足の、つるりとして血の出ない断面に手を当てている。

滑稽こっけいや間抜けと言うよりは憐憫れんびんを誘うか。

哀悼は意味をなさないが、速やかに送るのが義務だろう。

絶好の隙を見せる相手を見逃す理由もない。構え直した剣を手に駆け出す。


この世界で数mの距離は、ひどく短くて狭い。


風を斬って駆け抜けた刃は、空気の抵抗さえ伝えずに首を突き通した。

鎧の隙間を深く貫き、捻った両刃で頭部を刎ねる。鮮血に代わり、輝く粒となった死体の欠片が舞った。

血飛沫に替わって浴びせられる仄かな燐光。

光の粒子は(わだかま)るように虚空に留まり、数秒で大気に溶ける。

残るのは静寂だけ。

消えて行く化物の残滓(ざんし)を見届け、額と共に心中から余韻を拭い、剣を振る。

汚れ一つない剣に血払いは必要なく、刃は納刀の快音を響かせた。




「相変わらず面倒なことをしていますね」




もう少し心臓に気を遣ってくれないものか。


高音の余韻を鈴鳴りが追う。

振り返ると、立ち並ぶ木々の下、常緑に囲まれた隘路(あいろ)に割り込む影が一つ。

関節部の隙間を広げて全体に丸みを持たせた、女性的なフォルムの鎧が光を返す。

細めた目に映るのは、青を基調に金で縁取りを施された、ファンタジックなデザインの防具。

篭手には上向きに羽根状の飾りが施され、膝にもあるだろうそれが、腰から伸びる純白のスカートで隠されている。

顔を露出させた銀の(かぶと)から零れるのは、後ろに朱を引く炎色の頭髪。

姿だけなら戦の女神かはたまた乙女か。

一歩に合わせて横に広がった衣、その上を飾る鞘入りの剣が2本、柄で木漏れ日を浴びていた。


「こちらはもう終わりました」


「みたいだね」


かけられた声こそ高いが、込められた熱は低い。

頭上の枝葉を避けた日差しの中、ほんの少し冷えた気がする。


「そちらは?」


「見ての通り」


見て分からないはずはないのだが。

森の中にあって木々のない開けた広場。消えた死体の跡、地に落とされたカードを拾い上げる。


『ゴブリンオーガの鎧』


描かれているのは(つや)に欠けた金属の防具、倒した化物が着ていた鎧だ。同じ物があと5枚、周囲に落ちている。


「・・・・・・はぁ」


枚数を数え終わった頃に聞こえてくる溜息。見れば悩まし気に目を伏せる彼女。

わざとらしく響かせた嘆息は、どんな理由によるのか。


「また使わなかったのですか?」


「まあね」


主語の省略は信頼から来るのか、純粋な手間の問題なのか。悩み所と言えば悩み所だ。

彼女とパーティーを組むのは、今回のクエストでもう五度目。

赤の他人から始めた上、期間が一月とすれば少なくはない。

その間を通して一貫している僕のやり方が、どうもお気に召さないらしいとは分かるが。


スキルとアイテムの不使用。戦闘を有利にしてくれる二要素を排除しての臨戦。

今しがた終えたクエストも、全て単純な物理攻撃で済ませた。


「いいでしょう。追求は後にします。それにしても・・・・・・6枚ですか」


「ん?」


「数の割に時間を食いましたね、ミナセ」


装甲に包まれた指先、挟んで示されたカードは7枚。


『ゴブリンウィザードの杖』


表面に描かれているのは、先端に宝玉を取り付けた荒削りな杖。

見せ付けるようにカードの束を広げた彼女が鎧を鳴らしながら歩み寄り、互いの間合いが触れ合う直前で立ち止まる。

踏み込んで武器を抜けば届くだろう距離で、見上げてくる瞳の位置は頭一つ分低い。


「私の勝ちです」


「そうだね。あの時間で大したものだ」


上にあるこちらが迎える視線こそが、むしろ見下しているのは錯覚なのか。

勝ち誇っていると言うより自慢気と言う程度にせよ、特に何かを競った憶えはない。

まあ、そういう相手か。


「────────もしも」


視線が切られる。僅かに声の温度が上がった。


「使っていたらどうでしたか? 【不技不抜】」


呼ばれるあざなは相変わらず不似合いだ。

スキルを使わず、アイテムカードを抜かない戦闘スタイルから勝手に付けられた異名。

戻された視線に瞳を()かれる。同じ日本人色の眼が湛えた色は、深い。

興味というには挑戦的な声音で、敵意というには常識的な口調。どうにも対応に困る。

気心知れた相手とでもなければ、一戦やった後の不要な会話は疲れるのだが。


「戦いにifはないよ。結果が全てさ。何にせよこれでクエストクリアだ、早く戻ろう」


言い捨てて向ける背に苛立ちを感じる。それでも返答も同意も必要は無く、返した(きびす)は戻さない。

立ち位置は間合いを伸ばせば届く場所。

しかし幸いにして斬りかかる様子は無く、納めている刃を自制して後をついて来る。




胸の内で吐いた溜息は、どうやら気付かれずに済んだようだった。











第一話 New World Online











町の近辺に現れるようになった、ゴブリンキングに次ぐゴブリン系モンスター上位種、ゴブリンオーガとゴブリンウィザードの群の討伐。

僕らが受け、僕が前者を担当した依頼それ自体はつつがなく終了し、帰りに上等な夕餉(ゆうげ)を望めるだけの収入も得た。

現在、美味な食事が通常以上の価値を持つことを思えば、現状は笑顔で迎えるべきだろう。

だと言うのに。


「まったく、貴方という人は」


町に複数あるNPC経営レストランの一つ、【魔法の小皿亭】。

プレイヤーへのクエスト斡旋所から依頼の成功報酬を受け取った帰り、引かれた椅子に座るなりそう切り出す彼女。

外された兜より零れ出た赤髪が、不機嫌に毛先を曲げている。小粒の宝石をはめた耳飾が一対、顔の左右で揺れていた。


「未だに理解できません。この状況で、何故ああも非効率なプレイにこだわるのか」


時間が夕刻であるためにレストランの店内にはシャンデリアが輝き、

埃一粒もないテーブルクロスをかけられた卓上にはキャンドルが灯る。

高級と高品質を謳い、調度品からメニューの数字までが高価を示す場所。

周囲の席も人は(まば)らであり、寂れてもいなければ五月蝿くもない閑静な具合だ。

場としては、所謂(いわゆる)ロマンチックな雰囲気、というやつだろう。

女性は例外なくロマンチストという言に誤りがなければ、彼女の頬はもう少し緩んでしかるべきなのだが。

中間にある蝋燭(ろうそく)の灯火を切って来る視線は、生憎と鋭い。


「何度も説明したと思うけどね。僕にはそうする理由がある。だけどそれは教えない」


「それで納得出来ないから何度も訊いているのです」


内心の溜息を、悟られずに済んだか。

【不技不抜】。このゲームにおいて僕をそう名付けた女性は、中々にしつこい。

凝った細工を施された燭台の先で揺れる火より、彼女の両目に宿る炎の方が熱く思える。

眺めるには綺麗だが、向けられるには暑苦しい。

抑揚に欠ける声が、必ずしも感情を反映していないのが厄介だ。


「リティ」


「貴方は現状を把握しているのですか? ミナセ」


名前の先を言う前に身を乗り出して来た。

灯された明かりと窓からの夕日を受け、現実に無い天然の赤髪が色を増す。


「ロストしたプレイヤーは既に50を超えたと言われています。

 NPCの店舗からはとうにあらゆるアイテムの在庫が消え、現状はプレイヤーからの供給に頼るばかり。

 生産職のプレイヤーが奮闘してはいるものの、ようやく軌道に乗った食糧生産は作られた傍から消え去り、

 大多数のプレイヤーは食事を、毎日最低限の補充があるNPC飲食店に頼る日々です。

 ギルド同士の関係は今も協力より競争の色が強く、攻略の傍らで人材の確保に躍起なのが現況」


視線でマナーを指摘するもどこ吹く風。

外界に迫る暗闇より深い漆黒が、こちらを見据えていた。まるで同化して探るように、同じ色彩の僕の瞳を射抜く。

そう言えば目の色は弄っていないんだな。どうでもいいが。


「・・・・・・他はいいとして。君が最後のセリフを言うかな、リティ────────いや、レリティア」


「む」


乗り出した体が戻された。僕と彼女。ミナセと、リティことレリティア。

僕ら2人の関係を言い表すならば、New World Onlineというゲームのプレイヤーという共通項の他に、

命の恩人と危機を救われた人間、よくパーティーを組む相手というのが精々のはず。

逆に僕らを隔てる項の一つは所属しているギルド────プレイヤー同士の組合────の有無。


「君だって当の競争をしているギルドのメンバーだ。違うかい? 【双魔天剣】。

 加えて────強力かどうかは別にして────事ある毎に僕を勧誘している。

 他人事のように言うのは関心しないね」


それを抜きにすれば、彼女の言葉は概ね同意できる。主観を別にすれば完全に正しいと言っても差し支えない。

かつて目にした阿鼻叫喚、さながら地獄絵図の状態は脱したとは言え、現状がにこやかに語れるものではないのは事実。


「それは・・・・・・貴方の言う通りです」


他のワールドやマップとの交通途絶。プレイヤーを含めたあらゆる事物の封鎖。

1人の人間によって行われたそれは、一つの世界を隔離という形で二つに分け、僕らを隔壁の内に孤立させた。


「ですが、私は私の選択を間違っているとは思いません。

 プレイヤー全体の足並みが揃わない以上、誰かがこのゲームをクリアするしかないのです。

 そのためには・・・・・・どこかのギルドが勢力を増すしかありません」


「確かにね」


今この場所は、この世界は、無慈悲な神の箱庭と化している。

幻想の世界における正しい意味での創造主は、僕らに言った。




進め。さもなくば死ねと。




New World Online。

それが僕と彼女を始め、多数のプレイヤーが今もプレイさせられているゲームだ。

別名は新世界オンライン。

およそ一年前に公開され、世界的ブームとなったVRMMORPG型のゲーム。

かつて諍いの果てに世界を滅ぼした神々の一柱が、破滅の後悔から作り上げた新たな創造の地。

神に贖わず、神に抗い、神と争う力を持つことを許された生命が暮らす大地。

植物が動き、獣が人語を解し、神秘と物理が並存し、希望と絶望の狭間で人が人を超え得る────────『そういう設定』をされた世界。

僕と、そして彼女を含めたプレイヤーがこの世界に拘束されて、そろそろ体感的に一月が経つ。






僕がこのゲームに興味を持ったのは偶然だった。

逆に、人生を捧げる程に入れ込んだのは必然だったと思う。


『オンラインゲームの新世界』


訳その物を(うた)い文句とした、第三世代のオンラインゲーム。

第一世代の双方向、第二世代のリアルタイムに加えて、ヴァーチャルな空間における体験を実現した第三世代。

人間は肉体の受け取った情報を、脳で処理することで世界を感覚している。平成の小学生でも知っていた事実だろう。

その脳と架空の空間のデータを遣り取りすることを可能とし、

仮想の世界を実際として経験出来るようになったゲーム業界において、

良くも悪くも徹底したリアルさを求めたのがNew World Online、

日本では新世界オンラインと呼ばれるVR(仮想世界)MMORPG(多人数同時参加型オンラインRPG)だ。


『世界初、日本発の全体感型VRMMORPG』


新世界オンライン第二のキャッチコピーは、文字通りゲーム内の全てを体感可能なこと。

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。

人体に備わった五感に加えてもう一つ、生きるために生命が備えている感覚、痛覚。

それ以前のオンラインゲームと一線を画すインパクトを生む要素として、

メーカーは痛覚の再現をシステムに盛り込んだ。

当時から批判がなかった訳ではないが、企業側は痛みの種類を制限し、痛覚の再現率に段階を設け、

特に痛みの量は0から100%まで選択可能とすることで世論の矛先を何とか回避。

一方で50%以上に設定している間だけ行使可能な、

〈勇気〉という名前のスキル────再現率に応じて常時1〜3%程ステータスを上昇させる────を設け、

メリットデメリットの選択をプレイヤーに任せることで廃人とライト層を分けた。

先行のオンラインゲームをやり尽くしたコアなユーザー、特にグロテスクな表現に耐性のある海外ゲーマーにそれが受け、

新世界オンラインは国内と優先的に公開された国々だけで、初動から記録的なアカウント数の獲得に到る。

ライト層に対しても生産系や商人系を充実させ、

ゲーム内で農場経営から不動産運営までを可能としたシステムで取り込みを図った結果であり、

近年なお人口が増加し続ける世界においても高評価であることには疑いがなかった。

そして実際にプレイをし、独自のシステムや更に洗練された従来の設定に歓声を上げる人々。

全てではなくとも世界の目は一部、一時は確かにこの世界へ向けられていた。


思えばその時、事態は既に始まっていたのかもしれない。


アカウントの取得、キャラクターの作成、冒険、レベルアップ、仲間との出会い。

僕がこのゲームをプレイし始めておよそ一年、色々な良いことがあった。

仲間の視線の変化、裏切り、獲物への転落、逃走、反撃、敗北。

この一年と僅かで、様々な悪いこともあった。

現実でたった一年の間でもこのゲームは数え切れない思い出を僕にくれたし、重ねて来た経験は誰を前にしても恥ずかしがることではない。

たとえ何があっても、僕はこのゲームを好きだと言えた。そう思っていた。


ほんの一月前までは。


New World Online内部の日時における一ヶ月前。

あの日のことは僕も、おそらくは彼女も鮮明に憶えている。全てのプレイヤーがそうに違いない。

ゲームとしての冒険が終わった日。ゲームではない冒険が始まった日。

全ての絶望はそこから始まり、地獄の全てはそこより広がり────────そうして僕らには、微かな希望だけが残された。






一周年を記念しての第五次大型アップデート。

そのニュースに沸かなかったプレイヤーは、おそらくNew World Onlineにはいないだろう。

狂熱と騒乱。時間も場所も問わずにあらゆる年齢、あらゆる国籍の人間が一つの話題に呑み込まれた。

新エリアの追加や新アイテムの導入、更なる上位職業の実装、クエスト拡充、レベル上限100の撤廃。

様々な憶測が現実非現実を問わずに囁かれ、噂の一部が正解だと判明した時、彼らの熱狂はピークに達した。

未知のアイテムとモンスターを追加した新エリアの創設、更には一足先に新規の内容を味わえるテストプレイヤーの募集。

募集対象は国籍も年齢も問わず、期限までに上限レベル100に達しているプレイヤーの内の1000名のみ。

困難さと確率を考えれば稼動開始から一年が経ち、

遥かに膨れ上がったプレイヤーの中で熾烈なレベル上げ競争がなされたのは言うまでもない。

既に条件を満たしていたプレイヤーも他人との差を広げるべく奮闘した。

そうして迎えたテストプレイの開始日が、この世界の時間で僅か30日前となる。

あの日。

僕と彼女と、顔も知らない約1000人のプレイヤーが『ゲーム』の始まりを聞いた。






『君達は此処から出られない』


初めて立ち入った新エリアとそこに作られた新しい町。

輝かしい新天地の上空に拡大して表示された男の名は、八神と言うらしかった。

MMORPGの誕生以前からオンラインオフラインを問わずにゲームを作り続けてきた、ゲーム作りの生き神。

彼は僕ら全員に祝福を告げ、直後に地獄の始まりを宣言した。


『繰り返そう。君達は此処から、このエリアから出ることは出来ない。

 君達が移動を許されるのはこの町と、同エリア内の二つの村、そして君達が攻略を目指すことになる遺跡との間だけだ。

 場所に例外はない。それを適用される君達にも例外はない。他のエリアへの移動は無論、ログアウトも不可能だ』


髪のない頭と古木の枝のように伸びた髭に、(しわ)に覆われた顔。

年老いた────────年老い過ぎた老人だった。


『New World Online。

 私にとって人生最後となるこのゲームで、レベル上限100を達成した君達は、真のプレイヤーであると思う。

 君達はきっとこのゲームを、私が世に送り出した最後の子供を、十分に楽しんでくれたことだろう。

 十分に遊び、存分に調べ、十二分に攻略してくれたことだろう。そこに到るのは、きっと片手間の道ではなかったはずだ。

 君達は捨てただろう。

 勉学の喜びを、運動の楽しみを、家族との団欒を、友人との語らいを・・・・・・・・・恋人との一時ひとときを捨てただろう。

 ゲームのために。たった一本のゲームをするために、君達は多くのそれ以外を捧げ、僅かの間でも魂さえこのゲームに注いだだろう』


八神、と叫ぶ声が上がったのはこの時だったと思う。

聞こえはしなかっただろうが、そこで数秒、老人は声を止めた。

沈黙の間、1000のプレイヤーが(ひしめ)く広場には、(たん)の絡んだような苦しげな呼吸の音だけが響いた。


『私は、それが嬉しい。君達はゲームを楽しんだはずだ。

 凶悪事件が起こる度に槍玉に挙げられてはメディアから非難され、趣味を聞かれてゲームと答えれば白い目で見られ、

 もう何十年もゲーム脳などという言葉で侮蔑され続けてもなお────────ゲームをプレイする喜びから離れなかったはずだ。

 離れられなかったはずだ』


からからに枯れた声で、しかし途切れなく、はっきりと彼は続けた。


『そんな君達に、私から生涯最後のゲームを贈りたいと思う。とは言っても何か新しいゲームを、という訳ではない。

 先に述べた通り、このゲームが私の最後の子供となる。君達に提示するゲームとはこの中で行うものだ。

 サバイバル・・・・・・・・・いや、今はデスゲームと言った方が通りが良いだろうか』


彼の声の合間に響いた叫びは、強制ログアウトまで試して出来なかったプレイヤーのもの。


『これから君達には、自分の命とプレイヤー全員の生き残りを賭けてこのゲームを攻略してもらう。

 最初に言ったが君達は最早、このエリアからもこのゲームからも脱出不可能だ。

 ログアウトが出来ない以上は何もせずとも、いずれ現実世界にある君達の体が衰弱死するのは言うまでもないだろう。

 なに、既に私の連絡によって各所の人間が動いているはずなのですぐに死ぬ心配はない。

 最低でもゲーム内の時間で半年は保つだろう。不測の事態とならなければもっと長い。

 その間は安全が保障されている。

 逆を言えば、期限までにゲームをクリアしなければ君達の生存は絶望的となる訳だがな。

 それから、状況の理解を助けるために、更に一つの事実を補足しよう』


混乱の火が燃え広がるのは速い。


『このゲームでの死は現実での死に直結する。

 今や広く普及したハードだ。君達もこのゲームの体感システムのことは知っているだろう。

 君達がプレイするために入る筐体(きょうたい)型のハードは通常、

 脳とのデータの遣り取りによってゲーム内での感覚を忠実に体感させているのだが・・・・・・。

 君達のキャラクター、つまりゲーム内での君達が死亡した場合、

 送信に用いられてる装置の出力が制御を振り切って君達の脳を焼くことになる。

 運が良ければ死なずには済むだろうが、脳を損傷して待つ結果は似たようなものだな。

 ちなみに、ゲーム外から無理に接続を切っても同じことになるが心配は無用だ。

 その点についても連絡は済ませている』


眼下に1000人の狂乱を納めても老人の言葉は止まらず、どこか奇妙な熱を孕んでいた。


『さて。

 New World Onlineは通常、デスペナルティー込みで一日三度までの復活を認めているが、当然にそれもない。

 一度でも死ねば、ロストという言葉そのままに命の消失を迎えることになる。

 このゲームを脱出する方法はただ一つ。町の外にある遺跡を最下層まで攻略し、ラストボスを倒すことのみ。

 それでエンディングが、ゲームの終わりが迎えられる。

 レベルが上がることはないが、遺跡の中には新しいアイテムやモンスターも多数配置した。是非とも攻略の楽しみにして欲しい』


神のように、八神老人はプレイヤーへの宣告を続けた。


『無論、攻略の途中で死ぬ者も中にはいるだろう。だが悔いることはないはずだ。

 君達は真のプレイヤー、ゲーマーなのだから。

 全てを捨ててゲームに生きる君達ならば、全ての終わりをゲームで迎えることも本望だろう。

 このゲームが痛みをフィードバックするシステムを備え、かつそのレベルを操作出来るのは周知の事実だが、

 今回のテストプレイヤーは非戦闘系職のプレイヤーを除き、再現率を100%に設定している者だけを選ばせてもらった。

 言い忘れていたが、ゲームをクリアするまで設定レベルは100%で固定される。

 が、それもまた問題ないだろう。

 安易に0%に設定してゲームから楽しみを与えられることだけを選ぶのではなく、

 痛みも悲しみも辛さも、ゲームから得られる全てを自ら進んで一身に受けようとした君達。

 私はそれこそがゲームに対する愛であると思う。君達こそ本当のゲーマーだ。

 君達のようなゲーマーは、きっと他にもいるだろう。彼等もまた、何があってもゲームを愛し、プレイし続ける者達だ。

 君達や彼等がいる限り、私如き老いぼれが死んでもゲームが滅びることはない。私も安心して逝けるというものだ』


皺だらけの顔が笑った。


『実はこの映像が流れている時点で、現実の私は生きていない。今頃は体も冷たくなっているはずだ。

 私はゲーマーでこそなかったが、ゲームを作り、ゲームを愛する者であり続けてきたつもりである。

 その点では君達となんら変わる所はない。

 私を生き神と呼ぶ者もいたが、私が神などではないことが、今頃は私の死体で証明されているだろう。

 そのことに悔いはない。

 私は今こうやって、君達プレイヤーとゲームを通して触れ合っているのだから。

 私も、もう歳だ。必死に伏せてきたが、一年ほど前から指先さえ上手く動かせなくなってきた。

 迫り来る死期を前にして、君達のようなプレイヤーを見れたことは望外の幸せだったと思う。おかげで、今はとても安らかな気持ちだ』


自分の死を語りながら。

1000人もの人間の死の危険を告げながら。


『これから君達が味わう恐るべき体験の数々は、このゲームを消えない記憶として君達に刻むだろう。

 これまでの私のゲームとこれからすることは、このゲームを消せない記録として世界に残すだろう』


むしろ誇らしげに、彼は笑った。


『最後に。攻略において君らの集中を妨げることがないように、こんなことをした理由を明かしておこう。

 私は今まで命懸けでゲームを作って来たが、死の間際で命を賭けてゲームをするプレイヤーを求めたくなった。

 それだけだ。それ以上でもそれ以下でもなく、それ以外ではあり得ない。他の目的は皆無だ。

 陰謀の心配などせず、存分にプレイに励んで欲しい。それだけが唯一、私の望みである』


清清しく、爽やかで裏のない────────なのに恐ろしい笑みだった。


『私は寿命では死なない。私は現実では死なない。私はゲームの中でのみ死を迎える。

 そして見届けよう。いつか君達が、私の最後のゲームをクリアしてくれるのを。

 ゲームとは製作者とプレイヤーとの闘争だ。真のプレイヤー達よ、私を倒せ。そして私を殺すがいい。

 私はクリアを待っている』


言い切って口を閉じた八神老人の沈黙は長くなかった。

それでも、誰もが口を開けなかったあの張り詰めた空気は、永遠に感じたと思う。


『それではゲームスタートだ』


時にエンディングとは、終わりとはあっけない。

長々と説明を終えた老人はそう言って死ぬように目を閉じ、直後に映像は途切れた。

あとには、混乱するプレイヤー1000人の姿だけ。






そうして、その日。

その瞬間から、僕らの地獄は始まった。






「君の言う通りだ」


言ってから、ウェイターのNPCが運んで来たグラスの中身、回想と共に飲み下した水で喉を湿らせる。

赤々とした光が、濡れた容器の側面で歪んでいた。


「この一月の間にロストしたプレイヤーの数が50名以上というのは、憂慮すべき事態ではある」


キャラが死亡しても日に三度は復活が可能。このゲームにおけるそんな常識はあの日以降、儚く消えた。

通常の状態ならゲーム内で倒されても死体は残り、一定時間内に復活を選択すればペナルティと共に蘇る。

常識であり、欠けてはいけないルールだ。

だが。

あるプレイヤーは、八神老人が攻略を命じたあの遺跡で力尽きると同時に消滅し、二度と姿を見ることはなかったらしい。

あの日から今日まで同じ内容の、死人だけが違う話をたまに聞く。

もう疑う余地はないだろう。

現実での生死は別にしても、今までに確認されたロストの数が最低50。

1000人の内の50人。たとえ分母が違おうとも、死人としては絶対的多数だ。


しかし。


「だけど由々しいと言う程ではない。だから各ギルドの足も共闘には向かわない。

 50人も死んだということは、裏を返せば950人も生きているんだからね。

 非戦闘系のプレイヤーと攻略を諦めた“脱落組”を引いても、残りは700以上。

 ギルドの幹部クラスをやっているような強者に危機意識を持たせるには、まだまだ多過ぎる。

 特に【天極将】の連中なんかはそうだろう?」


間接的な問いを、明確な疑問にしてぶつける。


【天極将】。

そう呼ばれる人間は、このゲームのプレイヤー、

特に同じデスゲームに招待されたユーザーなら知らない者は居ない。

正確には【四天八極十六将】と言い、

New World Online────────新世界オンラインで最高峰と目されるプレイヤー28人を指す。

全員が全員、ゲームに生活を懸けた廃人プレイヤーを超越し、ゲームに人生を懸けるに到った廃神プレイヤーとされる存在だ。

僕とて他の連中ことは笑えないが、どいつもこいつも頭のおかしい、腐りに腐った廃人と言える。

ゲーム内通貨の現金化が認められている新世界オンラインではその手合いが多いが、強さという意味で【天極将】は別格。

100万を単位とするプレイヤー達における頂点28人と考えれば、実力の程が知れるだろう。


四天は人外、

八極は超人、

十六将は達人、


というのが一般の評価。聞いていて肌が(かゆ)くなる。頂点も頂点、まさしく最高に廃ってやつだ。

基本的には数が少ない程強く、四天と八極に関しては非戦闘系プレイヤーを含めない実力順、もとい戦力順で位置付けられている。

十六将は両翼とも評され、左翼が生産系、右翼が戦闘系職業による構成だ。


目の前の彼女が所属するギルドの名は【(あかつき)銀弓(ぎんきゅう)】。

創設者及び現団長は両翼の右羽根が一枚、弓手系最強との呼び声が高い【魔弾の射手】フィズ。

現在のフィズの方針では遺跡の攻略が最優先と聞いている。

ギルドの方針を構成員全員の方針とするなら、彼女自身が足並みを乱している側に立つだろう。

自覚があったのは、仮程度でも交流の相手としては幸いと言える。


「・・・・・・反論は出来ません。団長は、まだ【暁の銀弓】単独での攻略に主眼を置いています。

 実力次第では他のプレイヤーをギルドに入れるつもりはあるようですが・・・・・・・・・他のギルドとの協力は念頭にありません」


「だろうね」


自然な話だ。

人間は、基本的には他人の手を借りようと思わない。

自分で出来ると判断したことなら自分でするし、借りるとしても友人や仲間の手が精々。

赤の他人に何かを頼むなら頭を下げる必要があり、

そんなことをするのは少数の例外を除き、何か差し迫った事情がある場合に限られる。

フィズ自身の力量が高く、加えてギルドという集団が味方だと考えると、わざわざ他のギルドに頭を下げに行く必要性は薄い。

自分のギルドが半壊でもしない限りそんな真似はしないだろう。


新世界オンラインでは、現実との間に体感時間の差が生まれるせいもある。

ゲームは一日一時間のジレンマを克服するべく作られた技術だが、

後期の第三世代オンラインゲームではプレイヤーの意識を加速して遊ばせるのが常識であり、現実での一時間はゲーム内部での数時間以上。

あの日から今日までの一ヶ月、現実での時間経過は10日に達するかどうか。

元々が平気で数日でも仮想世界に潜っているようなプレイヤー達なのだから、現実の肉体を心配するのはまだ先のはずだ。

僕がそうであるように。


更に、【暁の銀弓】は【天極将】の1人が率いる有数のギルドときている。

構成は若干少数精鋭の感が強いが、言わば一大派閥のようなもの。

それだけに頼るレベルにある相手も少なく、いたとしても折り合いが悪い。派閥のトップは仲が悪いものだ。

【天極将】は新世界オンラインにおける英雄と同義語であり、ライバル関係にある組織のリーダー同士はぶつかるのが常と決まっている。


いや、そもそも。


このエリアにいるプレイヤーからして100万以上の中から選りすぐられた1000人、

新世界オンラインを稼動当初からプレイしているような高次元の者ばかりだ。

大多数は既にギルドやパーティー、フレンドと言った横の繋がりを持ち、赤の他人よりは気心の知れた方を頼るに決まっている。

大事なのは自分と仲間だけで、他の都合など知ったことではない。

そんなことは、戦いの始まりから決まりきっていた。






八神老人の映像が消えて何分か経った後、彼の言葉が嘘でも何でもないことを冷静に理解した者達がしたこと。

プレイの最初に行われたのは、アイテムの独占だった。

開始地点である広場から走り出して初めての町を駆け回り、ゲーム攻略において有効度の高いアイテムから買い占めて行く。

他人にぶつかろうと気にしない。他人を押しのけようと気に病まない。他人を踏みつけようと気に留めない。

彼らは選ばれた百戦錬磨の猛者達で、自分の行為の必要性を理解していた。

未知のゲームや新エリアの攻略において重要なのはスタートダッシュ。

持っている能力が同じなら。知っている情報に差がないなら。

時間で差をつけ、あとは実力でそれを広げることが自分の勝利に直結する。この場合の勝利とは仲間も含めた生存と同義だ。

星の数ほど存在するプレイヤーから選りすぐられた廃人達、

日々戦術や戦略を練って戦って来た者達に、全員が仲良く助かろうなどという妄想染みた思考は無い。

NPCの販売するアイテムに一定期間毎の個数制限があることは、間違いなく全員が知っていた。

なら、有限の資源をより多く手に入れた者が先に立つ。

点から線へ。線から面へ。

最初の誰かに続いて程なく全員が走り出した広場は、すぐに阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

そこからスタートにおける混乱の収束と全員が態勢を整えるまでにかかった時間は、

少なくともプレイヤー全体の進行を数日は遅らせただろう。






「だからこそ、貴方の力が必要なのです」


大仰なセリフを告げる声に、戯れの響きはない。


「戦力が1人増えるだけでも選択肢は増えますし、遺跡の攻略は確実に楽になります。

 元々がギルドによって同階層に大戦力を投入出来ないダンジョン。

 フィズさんのパーティーに入れない人間に出来るのは、遺跡で少しでも有用なアイテムを集めて渡すことだけです。

 必要なのは、何にも増して人数と言えるでしょう。それに」


彼女が真剣にゲームの攻略を考えていることの証左であり、同時に危うさでもある。

彼女が攻略のためにアイテム独占に走ったプレイヤー達と違う保障は、何処どこにも無いのだから。

僕自身そうであったように。

現時点で僕と違う勢力に属する彼女を味方と呼ぶことは出来ないし、仲間と言える程の信頼も持てない。

一方的な話ではなく、双方が共に。


「ミナセ。貴方が何故、スキルも使わずアイテムも抜かないという縛りプレイを課しているのかは知りません。

 ですが、貴方がどちらかでも使えば一級の使い手であることは分かります。どちらも使えば私にも勝りうるでしょう」


最後は余計、とは言え認識は概ね間違っていないか。意味のないifだというだけで。

僕がスキルを使おうが使わまいが、使えまいが彼女には関係ない話だ。

心情も事情も説明は不要。理由があるからそうしているだけに過ぎない。

僕のプレイスタイルを気に入らないのは結構。それで突っかかってくるのも問題は無い。

ただ、止めろという言葉には肯けない。


「ロストした────────死んだプレイヤーの噂を聞く間隔も短くなってきました。

 時間が経って遺跡の攻略が進むほど、遭遇する敵の強さも上がります。

 ロストプレイヤーの数はこれから加速度的に増えるでしょう。

 幸い、フィズさんに率いられた私達のギルドは攻略進度で上位にいます。

 全力の貴方が参加してくれれば、最上位に達する可能性も夢ではありません」


甘言に聞く価値は無く、仮定を試す意義も無い。女の言葉は穿って見る位が丁度いい。

彼女の本音、厳密には本音の何割かが最後の言葉にあるせいもある。

プレイヤー全体の危機的な状況。艱難辛苦を乗り越えて死の悪夢を打破する英雄。

誰よりも速いエンディング到達と他者からの感謝、喝采(かっさい)

廃プレ────廃人プレイヤー────の大部分は、英雄願望と優越感と自己満足のためにプレイする人間だ。

僕らは他の誰でもなく、自分のためにゲームをしているのだから。

他人よりも自分の感動を、誰よりも自分だけの冒険を望んでいるのだから。

彼女の中で、今も個人的な願望が優先されている可能性は低くない。


「私自身、敵としてではなく仲間として貴方の全力を見てみたいというのもあります。

 ですから、ミナセ。私達のギルドに入ってはもらえませんか?」


特に、自分自身がそのことを理解していないパターンが危険だ。

もしそうならば。目的の達成自体は全プレイヤーの利益と結びついている分、非常にタチが悪い。

正義という言葉ほど人を殺したモノは存在しない。

ましてや行動の単位がその思想に染まったギルドであった場合、誰がそれを止められるのか。


「────────」


視線を研ぐ。

胸に決めた返答を舌先に運ぶ間、キャンドルの揺らす火が彼女の目に映った。

眼球の表面に灯された色が、差し挟んだ呼吸で一瞬だけ弾ける。

嘆息に吹かれた蝋燭が消えかかり、小匙(こさじ)程度、彼女の両目に期待と不安が残された。左右の瞳に他の不純は見えず、故に危うい。

巻き込まれるのは御免だ。


「断る」


従って、首を振る方向は横。

僕にとってギルドに所属することは、メリット・デメリットで言えば後者の比率が大きい。

今ギルドに参加したところで与えられる役割は下働きが精精で、そんな安売りは出来ない。

勧誘と言っても提示される条件には通常のギルド加入以外に特典も無く、

交渉に際して比較的新人らしい彼女が単身で来ているのが証拠だ。

やはりギルド云々と言うよりは彼女単独の行動なのだろう。

勧誘の許可は得ているが、何か特別な条件を出すことまでは許されていない。そんなところか。

ギルドのメンバーが推薦する実力者とは言っても、音に聞こえた〈魔弾の射手〉からすれば、

『相手が入りたいと言うなら入れてやってもいい』程度の認識のはず。

僕より有名かつギルド未所属のソロプレイヤーは他にもいる。

まだ勧誘に訪れるのが彼女の所だけなのだから、認識に間違いは無い。

今の僕程度のプレイヤーを各ギルドがこぞって求めるのは、本格的に在野の人材が払底し始めてから。

おそらくはゲーム内でもう一ヶ月。短く見ても半月は先の話になる。

知名度の低いプレイヤーだからこそ、価値が吊り上がるのはこれからだ。

もっとも。

彼女が同じ事を理解していないはずもない。

その上でこう何度も交渉の場を持つのも、不可解と言えば不可解ではあるが。

まあいい。

僕の目的はその先だし、僕がギルドに入ることはどの道あり得ない。


「・・・・・・やはり、答えは変わりませんか」


返答に対する落胆の色は予想より薄い。この話も三度目になるのだから当然か。

あっさりした反応が諦めの良さに直結しないのが困りものだが。


「了解しました。今日はここまでにさせてもらいます。

 近いうちにまたクエストや遺跡攻略の協力を要請すると思うので、その時はよろしく」


「こちらこそ」


今日のように少数のパーティーを組むだけなら支障は無い。どころか感謝すべきでさえある。

1人より2人。極少数の例外を除けば、孤独なソロプレイは効率が悪いのだから。


「では、食事にしましょう」


タイミング良く、注文しておいた料理が運ばれて来る。

先行したプレイヤーによるアイテム独占によってNPCの販売する材料も無くなり、

〈調理〉スキルによる特殊効果付きの料理を目にする機会はほぼ無くなった。

おかげで高価な食事は更に付加価値を上げている。

料理自体はNPCの出すもの故に相場に合わせて値段を変えることは無かったが、

逆を言うなら誰にでも手を伸ばせるということであり、基本的には品薄だ。

こればかりはどうにもならない。

リアルさを売りにした新世界オンラインのレストランにおいても、現実よろしく日毎の量には限界がある。

アイテムを販売するショップ系と違い、翌日には在庫が回復しているだけまだマシだ。

食材アイテムの在庫切れによって求める人間が増えたため、レストラン系のNPC店舗は安い所から品切れで閉まっていく。

夕方まで開いている場所となるとそれなりに稀であり、安定した三食を望むなら高級品を求めるしかない。

食べない訳には行かないのだから。




『腹が減っては戦は出来ぬ』のは、この世界でも現実である。

新世界オンラインは世界初の全体感型VRMMORPG。

その売り文句が示すのは、空腹と言う感覚も再現されるということ。

当然ながら一定以上腹が減れば動作やステータスにも影響が出る。最初に町から消えたアイテムが食品・食材系だったのは必然かもしれない。

極一部のアイテムを排除すれば今の最人気は食材系アイテムで、仮に露天で売れば相場の数倍は値が付くだろう。

食事としての需要もそうだが、プレイヤーが〈調理〉スキルで生み出す料理に付属する恩恵、

一時的なステータスアップ等は、遺跡の攻略を目指す上では欠かせない要素だ。

八神老人による死のゲーム開始から既に一ヶ月。

定期供給で今朝に店舗へ入った商品も、一時間を待たずに売り切れている。

食材系を含めた各店に長蛇の列が生まれ、転売目的の人間や商人が並びながら交渉を行ったりと、なかなかに凄まじい有様だった。

僕もそれなりの早さで行ったつもりが、『ご覧の有様だよ』と言われて帰るしかなかった位だ。




こちら側に置かれたドラゴンステーキは、値段に見合う香ばしさを届けていた。

牛肉とは異なり鉄板の上で音を鳴らす肉汁は少なく、載せられた香草が聴覚に替わって嗅覚へ訴える。

脂身は少ないがサイズは通常の二回り以上。サイドの皿に盛られたライスも多い。

傍らのグラスには、ノンアルコールだが赤ワイン風味の竜血ジュースが注がれた。

どれも初めてではないが、記憶する味への期待感が新鮮さ代わりのスパイスだ。見るだけで食欲をそそる。

リテイの方には青白い羽根で飾られたブリザードホークの冷製スープと、ピリ辛が自慢の薄赤い火竜サンドイッチが並んだ。

揃った料理、合わせて三品。いずれも仕事帰りの空腹には刺激的だ。


「ごゆっくり召し上がり下さい」


一礼したNPCが離れる。計算されたお辞儀の角度は完璧だった。


「・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・」


(しば)し、供されたディナーに釘付けとなってから瞳を交える。

同じタイミングでこちらがナイフとフォーク、あちらがスプーンを手にした。


「次は借りを返しますから」


最後。

合わせた視線を外し、零すように言った彼女の声は低い。

機嫌もあるが多くは内容のせいだろう。

食事時、幾らか緩んだ空気でもなければ言い辛かったのか。


以前。

たった一度だけ、僕に助けられた彼女。

僕のプレイスタイルに苦言を呈するのも、よくパーティー申請をしてくるのもそのせいに違いない。

借りを返したいのだ。鬱陶(うっとう)しいが。

ただでさえ非効率と危険を伴う僕のスタイル、ギルドへの参加を求めるのもそれが理由なのだろう。

ふざけた縛りプレイをしている相手に助けられたことの不満もあると思うが。まあいい。


「よろしく頼むよ」


有名なギルドのメンバーと繋がりを持つこと自体は有形無形の利益に繋がる。

生き残るためにも、目的のためにも、それは打つべき布石だ。彼女自身にも興味がある。


「では、いただきます」


「いただきます」


どちらの思惑とも関係なく、開始だけは日本人式に食事を始める。何にせよ()るものは摂らねばならない。

食べることは生きること。

これまでを生きてこれたことへの祝福で、これからも生きていくための活力なのだから。




そうして僕等は、命を賭けたゲームに戻る。
























皆様、初めまして。天宿 晴雨と申します。

拙作をご覧いただき、先ずは有り難うございました。


未だ何も始まっていないに等しい状態で申し訳ありませんが、

このお話のジャンルは主にオリジナル・なんちゃって近未来MMORPG・デスゲームであり、目一杯に私の妄想を詰め込んであります。


従ってここまでにもこれからにも見苦しい点が多々あるとは存じ上げますが、精進を心掛けますので、

ご意見・ご感想がありましたら、どうか遠慮なくお寄せ下さいますようお願い致します。

ただ、彼等がゲームのプレイに際して使用しているハードに関する設定は作者が適当に考えたものですので、その点は平にご容赦下さい。


なお、この小説は別の場所にも投稿させていただいておりますが、

規約には反しないようなのでご指摘はご遠慮願います。


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