純血のお勉強
一人称始まり
ここのところ毎日、と言っても今日でまだ三日目だが、夜の図書室清掃以外の時間は本を読ませてもらっている。
この図書室は広く、昼間の間は多くの生徒が出入りし本を読んでいる。
皆魔導書を読んでいるようだが、それ以外の魔血の読み物もどれも面白そうだ。
ぐるりと一周して分かったが、童話から詩や歌、専門書まで幅広く揃っているように見える。
それらを読んでもいいが、フリーンさんが言っていた魔導書を読み始めないと授業に参加してからが大変だ。
……参加できるかは別として。
ということで俺は今魔導書の第一巻を読んでいる……が表紙をめくったところで手が止めている。
いくら読んでも意味が分からない印がその本の表紙をめくったところに記されていたからだ。
いたずら書き……にしてはしっかりと印字されていて、誰かが書いたような雰囲気は感じられない。
もう一ページめくってみるが、そこからは俺でも読める普通の文字列が書いてある。
「分からない、これはどういう意味なんだ?」
俺はこのファヴールを探し出すために色々な土地を回った。
人間の国はもちろん、亜人の里や町、エルフやドワーフの土地にも行ったことがある。
つまり、実体験を通して多くの文化や文字を学んだ。
それなのにこの印がなんなのかすら分からないなんて。
最初は目次か、とも思った。
しかし番号に該当するような印は無いし、数からしてこのページの量を紐づけることが出来るはずがない。
魔血が使い、書く言葉は皮肉にも地上の人間と同じ。
であれば俺は読めるはずだ。
しかし、読むことはできない。
知らぬ間に言語が進化し地上とは違うものになっているわけはない。
魔血が地上と分かれてから何十年も経っているが、跡形もなく言語が変わるなどあり得ない。
「いや、あり得るのか……?」
地上で言う非現実な現象なんて、この魔法の栄えるファヴールでは現実にできる。
そんな非現実な現象を起こす魔法に関連する印であれば、言語の一つや二つ、奇怪な進化を遂げていても不思議ではない。
「魔法を発現するために必要な言語か……?」
それならば周りにいる生徒に聞いてみてもいい。
しかし俺だけ読めないなんて言うのは、最悪俺が魔血を持たないということがバレてしまう可能性もある。
それだけは避けなければいけない。
「おっと、そろそろ時間か」
所詮は一ページ目のあらすじのようなものだと思うし、魔血の全員が目にしているはずだから意味のないものなのだろうが……
……何故か「そうではない」と俺の心が告げている気がした。
ふと見ると図書室の大時計は俺が使用人室へ戻らなければいけない時間の少し前を指していた。
魔導書の中身を読むことができなかった一日を悔やみながら、それ一枚でも重い表紙本を閉じようとしたが、どうも頭に印のことが引っ掛かる。
……書き写しておくか。
机の端にあった白紙の束から一枚引きちぎり、その横の羽ペンにインクをつけてひとつひとつ書き写した。
フリーンさんならこの印の意味は分かるのだろうか、と俺が本を閉じようとしたその瞬間。
眼前に光の玉が現れ──
──爆ぜた。
「わっ!」
驚き、本を落とす。
鳴り響く一瞬の轟音。
恐る恐る顔をあげる。
みんなが不思議な顔で見てきたり睨んできている。
俺のせいではない! 見るんじゃない!
そんなことよりも、一体何が起きた?
「あの光の玉……もしかして」
本を拾い上げると、眼前に今度は掃除初日に現れた老人が立っていた。
「わっ」
老人は人差し指を口に当てて言う。
「図書室は、静かに」
「すいません……」
「その紙はなんじゃ?」
もしかしたらこの老人なら印の意味を理解できるかもしれない。
これが落書きだった場合おしまいだが、図書室長かもしれない人なら少しは手がかりを持っているはずだからだ。
俺は手短に事情を説明して、書き写した紙を手渡した。
「……お前さん、からかっとるのか?」
「え?」
「この紙、何も書いてはいないじゃないか」
「……なんですって?」
──何も、書いていない?
嘘だ。
俺は老人から紙をひったくり、穴が開くほど紙を見返した。
……書いてあるじゃないか。
「なんですか、あなたこそ俺を……」
老人が……いない?!
あらゆる方向へ顔を向けても老人はいない、何をしているのか不思議がって俺を見る若い生徒の顔ばかり。
静かな図書室の空気が俺の肌を粟立たせる。
ふと時計を見た。
「まずい」
俺は急ぎ足で図書室を後にした。
──ギリギリで間に合った俺は使用人室で軽めの仕事をこなした。
あっという間に夜の清掃時間になり、再び図書室へ向かう。
「謎の印? どんなの?」
図書室であったことを話し、書き写した紙を見せるとフリーンさんが興味津々で近寄ってきた。
どこかで嗅いだ花の匂いをさせるフリーンさんは垂れた髪を耳にかける。
その仕草に心を打たれそうになり必死の思いで目を逸らす。
「ち、近いです……はい、これ」
フリーンさんは紙を回したり、折り曲げたりして眺めた後、首を傾げながら紙を返してきた。
「悪戯好きな図書室長のことだから……とも思っていたけど、これずっと本の表紙に書いてあるただの印だよ? あんまし関係は無いんじゃないかな?」
「やっぱり、ただの印でしたか」
「確かに不思議な形だし、わたしも最初に読んだ時は気になったけど、それどの本にも描いてあったような気もするから、ただの印と思っていいかもね」
俺は違うと言われると、この印のことに限ってそれは早いと思ってしまう、不思議だ、何かがあると思ってしまうようになっていた。
まあ、まだフリーンさんと図書室長にしか見せていないのだ。
元々魔導書を読むのは、基本ファヴール魔法学園に通う生徒だ。
その生徒たちに見せていないのに結論は出せない。
フリーンさんが俺の考えを見透かすように口を開いた。
「その様子だと、まだ図書室長と私にしか見せてないよね?」
「はい、生徒なら読める可能性はありますか?」
「分からないなー。けど、カイ君がその印とやらを魔法筆記か口で伝えられるなら、一人、解読できそうな人知ってる」
「本当ですか?!」
「うん、学園内でも有名なあの子、セティアナ・イリーアちゃん!」
……いや誰だ。
「有名と言われましても分かりませんよ」
「え?! 知らないの?! と、とにかく、彼女に聞けば分かるかもしれないよ。頭が良くて魔法に関してもこの街トップクラスの実力を持っているの! 確か……昼間は図書室で勉強しているから行ってみるといいよ。カイ君のことだから無いとは思うけど、邪魔にならないようにしてあげてね?」
「昼間、図書室。分かりました、気を付けます」
──俺の体に魔血が流れていないことをバラさないようにも、な。
「それじゃあ掃除始めようか」
図書室に来た俺たちは昨日と同じように箒やモップを使って本棚や机を掃除をした。
使用人生活初日のように図書室長は来なかったのでスムーズに仕事が進む。
吹き抜けから手摺りに肘をついて見下ろすと、今日もフリーンさんは大量の手紙を読んでいる。
毎回誰があれ程の量を送ってくるのか……というかフリーンさんは毎日あれを読んでいるのか……
手紙を読んでいるがもちろんサボっているわけではなく魔法で箒や雑巾を操っている、と思う。
そんな姿を見ているとフリーンさんは俺の視線に気づいてしまい、手紙を置いて見上げた。
「どしたのー? 印の謎解けた? それとも掃除飽きた?」
「いえ、解けていません。少し休憩しようかなと思っていただけです」
どうして俺の視線に気付いたのかが謎だが、偶然だろう。
「私も少し考えてみたんだけどね、一つ分かったことがあるの」
「何ですか?! 教えて下さい!」
「一番有力な説だよ」
俺は生唾を飲み込んで聞いた。
もしかしたら解決への糸口になるかもしれない。
「私へのファンレター!」
スルッ、と肘が滑り落ちそうになる。
「あぶぁっ」
「わっ、危ない! カイ君気を付けてよ」
あの人、人ごとのように言ってるぞ……!
「誰のせいだと……!」
「え? 何か言ったー?」
「いいえ! 何も言ってません!」
魔導書をフリーンさんの脳天目掛けて落としてやろうかとも思ったが、そんなことしても殺されるのは多分俺だ。
ひょっとしたら立場的に殺されるよりもひどいことになるかもしれない。
不自然なまでにすぐに印のことで頭が一杯になってしまう俺は掃除を続けた。