ガーベラの花束を
これはヴィオレッタと博士のお話。これ以降に続くとすれば、それは彼女たちのお話。
もしも願いが叶うのなら、どこか遠くへ行ってみたい。広大な花畑が見てみたい。
その車いすの老婦人は私を見て、微笑みながらそう話した。機械による旅であれば出来ると返すと老婦人は、今の病弱な体ではそれも無理だと、私に微笑んだ。
ならばと、私は彼女の代わりに旅に出て、多くの経験を持ち帰ることを約束した。
「……ふむ」
私はハンドルを握りながら、少し前にあった事を思い出していた。心の中と違い、シートが小気味よく揺れる。フロントガラスの向こう側には、何処までも続く世界が広がっている。
左を見れば藍色の海が、右を見れば緩やかな坂と青々とした草原が見える。
今、自分が装甲輸送車を走らせているのは、第四統合政府「アルカディア」のアーカイブによれば、旧体制に頃に敷設された沿線ということらしかった。整備されなくなってからだいぶ時が経ってしまっているせいか、精密機器運送能力を持つ装甲輸送車の走行性能を以てしても、時たま揺れを感じるような状態だった。
ただ、目的地を目指すだけであればここを通らずとも到達はできるが、私には、海と草原の同時に見られるこの場所を通過し、景色をセンサーカメラの録画に収めるという目的があった。
しばらく運転していると、運転席内の電子モニターに情報が表示され、直後、ビープ音が何かを報せるように鳴った。
「メンテナンス終了か。どれ…」
私は装甲輸送車の運転をオートパイロットに切り替え、席を立ち、後方のメンテナンス用設備、鳥籠へと向かう。カンカンとタラップを降り、培養槽のようなカプセルベッドへ。中には、一糸纏わぬ姿の少女が眠るように横たわり、メンテナンスを受けていた。カプセル横のモニターには、彼女の識別名である「V-Ioletta」の文字が表示されている。
白い肌、滑らかで凹凸のメリハリのある肢体、整った目鼻立ち。およそ美少女として必要とされる要件を全て備えている、と私は考えている。
今はそれぞれ、頭部、胸部腰部含む胴体部、左右腕部、左右脚部に分けられ、互いが情報伝達に用いるニューロチューブのみで接続されている状態になっている。各部の接合面や表面には、ヒトのそれに近い生体パーツも用いられている。
「この容貌で戦闘用と言うのだから。つくづく、この娘を作り上げた存在は天才的であり、冒涜的でもあるね。お陰で私は、大いに助かっているのだけれど」
リクライニング式に屹立したカプセルの中で、アームによって部位が再構築されていく少女を見守りつつ、コンソールを操作していく。モニター画面にはメンテナンスの結果が表示され、全て問題なしと報告している。
「あとは、待ちかな。彼女の分のコーヒーでも淹れるとしよう」
全てを確認した後、私は横の個室に設置してある給湯室へと向かった。
体のリフレッシュ目的のため、側道に停車し、休憩に入る。
「博士、目的地までは、あとどのくらいでしょうか?」
「そうだねぇ…。あと一時間半くらいかね」
ついでにコーヒー休憩を挟む。横では「V-Ioletta」ことヴィオレッタが、カップからコーヒーを嗜んでいる。彼女たちはアンドロイドのようなものではあるが、食事はヒトと同じように行うことが出来る。摂取したものは、彼女の心臓部である響鳴機関のコアエネルギーへと変換される。
彼女はカップを持つ手を変え、私の方に向き直る。
「そう言えば、先ほどはお聞きしませんでしたが。今回の目的地は、件の車いすの?」
「うん。今日は彼女の誕生日なのさ。少々時間が掛かったが、お世話になった礼をするに、ちょうどいいと思ってね」
「誕生日を祝う風習、ですね。ヒトは記念日を大切にしますよね」
「ああ、特別なのさ。ただ過ぎる時の流れであっても多少は意味あるものに出来るのが、誕生日を祝う風習だと私は個人的に考えているよ」
私はカップの中身を飲み干し、大きく息を吐いた。ついで、紙巻煙草に火を点ける。それを咥えて、ゆっくりと煙を飲んだ。
「しかし、この場所が汚染区域になっていなくてよかった。こうして休憩できるし、彼女に贈り物を届けることも出来る」
「ふふ…。嬉しそうですね、博士。私も嬉しいです」
「そうかい?いや、そうだね。早く届けないとね。私が貰ったものを、少しでも返したい」
互いに微笑み、私は海に向けて煙を吐き出し、ヴィオレッタは立ち昇っていく紫煙を見送った。
休憩を終え、再び装甲輸送車内部。
相変わらずの心地いい揺れに身を委ねつつ、海沿いの道を行く。
ただ、時たま横転した車の残骸が道を塞いでおり、最初ほど安穏な道のりではなくなっていた。その都度ヴィオレッタの力を使い、残骸や、そこに滞留していたエコーが変化したのだろうノイズを除去。そうして浄化したエコーを回収していく。
「浄化終了。エコーの回収を完了しました。これは装甲輸送車のコアエネルギーに回しますか?」
「そうだね、そうしよう。この先にエコーが堆積しているか分からないからね。そう言えば、響鳴機関の調子はどうだい?ヴィオレッタ。メンテナンス作業の時に、少し調整方法を変えてみたんだが」
「順調です。むしろエネルギー効率が上がったように思います。ヒトで例えるのなら、血の巡りが良くなった、ような」
「なるほどね。血の巡りとはまた良い表現だよ。分かった。定期的にあの調整を行うとしよう」
「有難う御座います」
話に興じていた私達の会話を、携帯端末の発する音が遮る。ノイズに対する反応だ。本来であればボクスタイプ支援ユニットを随伴するので、そちらから伝達されるのだが、今は装甲輸送車の防衛力として置いて来ていた。
「おっと…、またノイズの反応だ。ここは残骸も多いから、比例して多いな」
「浄化します。博士は装甲輸送車でお待ちください」
「ああ」
程なく残骸の中から現れた部位の欠損した人体のように見える黒い靄に対し、ヴィオレッタは腕の内蔵武装を起動。響鳴機関の音叉を鳴らすような駆動音を纏いながら交戦を開始した。
そこから複数のノイズとの交戦と浄化、エコーの回収を繰り返しつつ、私達は目的地を目指し続ける。
そこからちょうど一時間半後。目的地となる住宅がある近辺へと装甲輸送車を乗り入れる。風光明媚な景色を望む丘の上に建つ、小さな庭を持つ一軒家が見えてくる。
着飾らないシンプルな煉瓦造りだが、各所にバリアフリー構造が配置されているなど、細やかな配慮が施されている。
「この先だね。ボクス、データカードの作成は?」
「既に終了しております。ご主人様」
私の問いかけに、後方から丁寧な口調の電子音声が聞こえた。視線は向けられないが、そこにはボクスタイプ支援ユニットの長方形が、台座型デバイスに接続する形で鎮座している。私は返答に頷き、運転に戻った。
その時だった。
「うん?」
手元にある携帯端末が、先ほどとは違う音を発し始める。それは聞き覚えのある音で、そして、今居る場所で最も聞きたくない音でもあった。
「博士…」
「……」
装甲輸送車を停め、車両の自動防御装置を起動したうえで私は席を立った。
「ヴィオレッタ、戦闘と浄化の準備をして、ついて来ておくれ」
そして、ヴィオレッタに指示を下す。その時の私はどんな表情をしていたのか、今でもよく考える。
「了解しました。博士」
ヴィオレッタは何も言わず、直ぐに後方のメンテナンスコンテナに移り、戦闘準備に入った。
先ほど鳴った音。それは堆積したエコーが未処理の状態で近くに存在することを示すものだった。
車両を出て、日差しに身をさらす。汚染とは無縁の新鮮な空気と潮風が頬を撫でる。しかし、その爽快感を一瞬で無意味にしかねないほど、周囲には人の気配が無かった。
目の前に見えている家を改めて視界に収め、歩を進める。不思議と歩く速度にためらいはなく、むしろ積極的に、これから待っているだろう現実に向けて突き進むようだった。
「ヴィオレッタ。エコー反応は、何処から?」
「反応は恐らく…」
隣を随伴するヴィオレッタが一歩前に出て、辺りの風を感じるように見回す。私は足を止め、その様子を見守った。
纏う戦闘衣の表面に施されている、響鳴機関から間接的に繋がるエネルギー循環回路が淡く発光している。この時のヴィオレッタは探知能力が強化されており、周囲の情報収集能力と精度が飛躍的に高まる。そんな彼女が答えを出す。
「裏庭ですね。花壇がある場所と推測します。付近には金属製の軽車両が伴っているようです」
「軽車両…。分かった。汚染の程度は?」
「現在は汚染を確認できません。侵蝕の恐れは無いと考えます」
「分かった。先導をお願いするよ」
「承知しました」
それ以上は言葉を交わすことなく、ヴィオレッタを先頭に二人で歩を進めていく。
木で造られたアーチ状の門を潜り、踏み石を歩き、玄関を横目に見てから通り過ぎ、手入れされた砂利道、芝生道を通る。
「この先です。念のため、私から距離を取ってください」
「ああ、そうするよ」
そして、裏庭へ。
「大丈夫です。どうぞ、こちらへ」
「うん…。そうか、やっぱりそう言う事か」
ヴィオレッタから数秒遅れで裏庭へと身をさらした私は、まず最初に美しく咲き誇る花々に息を呑み、次に、その中央に佇む、座席の部分に未だ処理されていないエコーの光が人型のままで滞留している、一台の車いすの有様に圧倒された。
「これは…。花畑と、その向こう側の景色とが、一体化しているのですね。まるで訪れた人物に、この景色を紹介するように」
ヴィオレッタの言葉。
「キミらしいな。花畑の中で往生を迎えるとは…」
目の前に見える、咲き誇る無数の、オレンジ色のガーベラ。
「神秘に囲まれ、その中央に佇むキミは、さしずめ冒険心を秘めた旅人といった趣かな?」
「確か、このガーベラの花言葉は…」
「ああ。前進する希望だよ。きっと彼女は諦めなかったんだろう。この花畑と一体化するように、見せつけるように景色に誘導されるこの視界が、彼女の想いなのかもしれないね」
自分の考えを口にした私は、ゆっくりと花畑の中心に向けて歩を進める。ヴィオレッタは付いてこない。
「やあ、来たよ。すっかり遅くなってしまった」
車いすの前に来た私は、膝を折り、車いすに座る人間に話しかけるようにして、言葉を発した。
「素敵な棺じゃないか。かつて知の民は、こうやって花に包まれて死を悼まれていたと言う。数多くの贈り物と共に…」
ポケットに手を入れる。その中にある物に触れ、握って取り出した。
「涙でキミを送ることは出来ない。人とは違って、そう言うことは出来ないからね、私は。その代わり、これをキミに贈ろう。持って行きなさい」
握った手を、そのまま座席に向けて差し出し、開く。一枚のメモリチップが座席に転がり落ちた。
「花畑や自然の景色ばかりを収めた、珠玉のメモリチップだ。大容量なうえ高精細な画像、動画ばかりだから、飽きることは無いだろう」
それだけを伝えると、私はその場に立ち上がり、周囲の花畑を一望した後で、車いすに背を向けた。そのままヴィオレッタの居るところに戻る。
「もう、よろしいのですか?」
「良くはない。だが仕方ないさ。あの人は常々遠くに、旅に出たがっていたんだ。待ち切れなかったんだろう」
「エコーは、どうしましょうか?」
「……そうだなぁ」
私は思案する。幾つかの考えが頭に浮かび、幾つかの考えを却下して、答えを出す。
「回収しよう。装甲輸送車のコアエネルギーとして」
エコーとは残響。その場に残る意思の果て。元の存在とは異なるエネルギーの塊。
つまるところ、私が出した答えそのものは合理的であっても、その根底にある理由付けは、“彼女を連れて旅をする“という、何処までも非合理的なものだった。
ヴィオレッタのは何も言わずに微笑を浮かべ、エコーの回収へと向かった。
「ん…」
それを見送った後、私は煙草を取り出し、しかし火を点けることなくそれをしまった。吸うことそのものに問題はなかったが、ふと思ったのだ。
「彼女の門出だ。煙で曇らせては、台無しだろうからな」
何となく空を見上げ、蒼空へと向けて思い切り笑った。