表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

66/67

本編4-3


 いくら考えても答えの出ない疑問を延々と考える時間が私にあるのかと問われれば、まあ当然のように答えは「否」である。

 女王としての公務の引継ぎ、顔合わせ、根回し、政治・経済・帝王学の基礎的な勉強。七騎士と女王としての連携を高めるための訓練等々、やることは山積みだ。ちなみにアシュラムに「普通は女王と七騎士の連携訓練なんて要らないんですよ知ってましたか陛下」とかノンブレスで言われたけど気にしない、気にしない。

 慰問の予定を延期してしまった孤児院にも、当初の予定より多目の手土産を持ってきちんと訪ねて来た。元日本人としてリスケさせてしまったことを平身低頭謝りたかったのだが、哀しいかな、私の立場がそれを赦してくれない。なのでせめてもの誠意に、と、最近流行しているらしい玩具とか、本とか、お菓子とか、それはもう色々と。

 孤児院のシスターたちは真ん丸に瞳を見開きながら、何度もお礼を言ってくれたけれど、その度に私のチキンハートがちくちく痛むので、早々にその場を離脱し子どもたちと盛大に遊んだら、後からアシュラムにしこたま怒られた。一緒になって駆け回っていたメイアンとスノウ、木陰で女の子たちに絵本を読んであげていたサクリーナだけが私の味方ではあったが、彼ら彼女らを巻き込むわけにも行かず、甘んじてアシュラムのながーいお説教を受けたのが三日前の話である。ちなみに、何故かノヴァーリスも一緒にお説教を受けていた。


 そうして久々になんの予定も入っていない本日。私はエグランディーヌ侯爵家の端っこにある小さな湖を擁する小さな森の中で、ベルと二人、湖畔に佇んでいた。

 真ん丸で小さな手が、きゅっと私の手のひらを握る。常人より熱く感じる手のひらは、彼が強い魔力を有する炎属性だからなのだろうか。

 湖の輝きを反射して美しく煌めいた真っ赤な瞳が、ゆらゆらと揺れていた。


「ベル。お話ってなにかしら」


「……あの、あのね」


「うん」


 スカートの裾が汚れるのも厭わず、繋いだ手は離さないまま、ベルの隣で膝を折る。話がしたい、と、この屋敷に来てから初めてベルに話しかけられ、散歩がてらこの湖畔まで二人っきりで歩いて来た。まあ少し離れたところにノヴァーリスとスノウは居るんでしょうけど。ベルは気付いていないようなので、気にせずそのまま真っ直ぐ彼の瞳を覗き込めば、ゆらゆら揺れる紅に私の虹色が混ざって、不思議な輝きを放った透明な雫が一粒、ベルの瞳から零れ落ちた。


「ご、ごめんっなさい……!」


「……どうして、貴方が謝るの?」


「だ、だって、お、おれが、おれのまりょくが、ぼうそう、しちゃったせいで、お姉ちゃん、けが、けがしたって、聞いて、おれが、お姉ちゃんのほっぺた、ひっかいたって、うでも、火傷、ひどかったって……! なのに、おれ、けが、させちゃったこと、なんにもっおぼえて、なくてっ……お、お姉ちゃん、おれ、こわかったよね? 痛かった、よね? ごめ、ごめんなさい、こわい、思いさせたのに、痛いこと、おれが、おぼえてなくて、ごめん、なさいっ……」


 ぼろぼろ、ぼろぼろ零れる涙にこそ、しゃくり上げながらなんとか言葉を紡ぐその姿にこそ、私の心はきゅうっと音を立てて痛む。

 あの時、あの場において正確に私の現状を理解出来たのなんて、あの白月光の髪を靡かせた騎紫しか居ない。


(……話したわね、ノヴァーリス)


 よりにもよって、恐怖によって錯乱状態に陥っていたあの時のベルの様子を、正気に戻ったベル本人に。きっと彼のことだから、ベルに頼み込まれて、断れなかっただけなんだろうけど。もう一年以上の付き合いで、ノヴァーリスが悪戯に人を不安に陥れるような言動を取らないことは私だって理解している。

 だけどまあ、ノヴァーリスが六歳……もう七歳になるかどうかぐらいの時と同じ感覚で物を語れば、そりゃあ、こうなるわな。ベルは『セシリア(わたし)』やノヴァーリスと違って、人の悪意とか、醜いところとか、何も知らずに育った普通の男の子なんだから。思わず零れそうになった溜め息を呑み込んで、目の前でぼろぼろ涙を零す小さな男の子を、ぎゅうっと抱き締める。

 腕の中で小さな身体がビクリと震えたが、気にせずその柔らかな薄い金色の髪の毛を優しく撫でた。

 それでもまあ、ベルがまだ小さな子どもだからと言葉を、真実を濁さなかったノヴァーリスに倣って、私も誤魔化さずに、全部を話してやろうじゃないの。


「あの時も今も、私は泣いている男の子を抱き締めただけよ」


「で、でもっ」


「ねえベル。私ね、これでも結構強いの。模擬戦見てた?」


「う、うん。見た……。メイアン兄ちゃんが出した草のつる、全部炎で焼いてたやつ……」


「ああ、あれ。あれねー。メイアンは凄い凄いって笑ってたけど、後でレイニーとカインに怒られたわ。容赦なさ過ぎって」


「あと、えっと、グラハム兄ちゃんをひっくり返してた」


「グラハムに得物(ナイフ)投げられたら私が負けちゃうからね」


 あれは確か最初にグラハムに肉迫した時に仕掛けた磁力のポインターと、その反発を利用して、彼が≪瞬間移動≫で姿を現すであろうポイント、つまり私の死角になり得る数箇所にトラップを仕掛けたやつを案の定グラハムが踏み抜いて、磁力の反発でバランスが取れなくなってすっ転んだのだ。滅茶苦茶顔を赤くしていたので、よく覚えてる。

 ごめんグラハム、あれのやり方アシュラムにも教えちゃったから、多分次の対アシュラム戦で君はまたすっ転ぶ。


 ……え? なに、私って実は女王じゃなくて、悪鬼羅刹か何かだった?

 自分のやらかしっぷりにちょっと不安になるが、ぽろぽろ涙を零しながらも「お姉ちゃん、かっこよかった」と言ったベルの姿に、グラハムをまた転ばそうと真顔で決意して、スカートの隠しから取り出したハンカチでベルの目元を拭う。アシュラムには相殺されるし、何故かノヴァーリスはバランス取れてしまうし、レイニー、カイン、メイアンにそんなこと出来ないので、是非グラハムには頑張って頂きたい。話が逸れた。


「そう。私これでも結構強いでしょ? それにね、傷や病気を癒す属性固有スキルだって持ってるのよ、私。全属性だからね。だから身体の傷なんて全然平気なの。ほら、頬にも腕にも、傷跡なんて残ってないでしょ?」


「……うん」


 一度ベルから身体を離し、袖をめくって腕を見せる。スノウの≪生命の水回廊≫によって治療された私の身体に、傷跡なんて一つとして残っていなかった。


「でも、私にも治せない傷だってもちろんある。なんだかわかる?」


「わ、わかんない」


「心の傷。心の傷だけは、私の属性固有スキルでも、他のどんなスキルでだって治せない。ねえベル。もしあの時、私達が貴方の元に行くのが遅くなったり、そもそも行けなくて、ベルが独りぼっちになっちゃったら、きっと貴方の心は辛くて、痛くて、ずっと痛い、痛いって泣いてたと思う。違う?」


「ひとりぼっち? 父さんも母さんも居ないの?」


「そうよ、居ないの。貴方のお父さんもお母さんも居ない、私達も居ない。世界で、ベルだけになっちゃうの。あの時の状況は、一歩間違えればそうなっても可笑しくなかった。怖いだろうけど、考えてみて。悲しい?」


「……う、ううー」


 私の言葉にくしゃっと顔を歪めて、またぼろぼろ泣き始めたベルをもう一度ぎゅっと強く抱き締めて、歌うように言葉を紡ぐ。


「ベルは偉いね。ちゃんと謝れて。強い子だ。優しい子だ。こんなに優しいベルが世界で独りぼっちにならなくて良かった。ベルの心が、痛いって泣かなくて良かった。ねえベル。教えて。私は、私達は、貴方の心を護れた?」


「ん、うんっうんっ……! おれ、を、おれの、父さんと、母さんを、助けてくれた、のが、お姉ちゃんと、お兄ちゃんで、おれね、あのね、うれし、くて……! ほんとは、ちょっとだけ、覚えてる、んだ。こわ、くて、ひっく、助けて、助けてって、ずっと、思ってた。おれ、は、どうなっても、良い、から、おれの父さんと、母さんを、助けて、って。そしたらね、おれ、聞こえ、た、んだよ、お姉ちゃんの、声。ぜったいに、助ける、からって、言ってくれたの、おれ、おれね、ひっく、うれし、かったぁ」


「うん、うん。そっかあ。良かった。ベルを護れたんなら、私はね、ちょっとの怪我ぐらいへっちゃらなんだよ。ベルは? 私が泣いてたら、転んででも助けてくれる?」


「っ! も、もちろん! ぜったいに助ける!」


「ありがとう、ベル。私はそれとおんなじことをしただけ。助けてって泣いてたベルを、私が助けたくて、助けたんだよ。だから、ベルからのごめんなさい、は、ごめんね。私の我儘で、受け取れないの」


 ぱちり。瞳いっぱいの涙が瞬きに合わせて零れ落ちた。

 数拍時間を掛けて私の言葉の意味を考えているのか、数度瞬きした紅の瞳はしかし一瞬ののちハッと見開かれる。

 大仰な動きに合わせて揺れた薄い金色の髪を撫で、ベルの言葉を待つ。


「あ、ありがとう!!」


「正解! どういたしまして。その言葉なら、喜んで受け取るわ。私も、ノヴァーリスも、アシュラムもグラハムもスノウも。みんな、ベルからのごめんなさい、より、ありがとう、の方が、ずっとずっと嬉しいの。素敵な言葉をありがとう、ベル」


「えへ、えへへ。おれ、おれね、ぜったいお姉ちゃんのきせきになるよ。なれるかな?」


「なれるわよ。ノヴァーリスに剣の扱い方と魔力コントロールのコツを教えてもらって、アシュラムとグラハムに体術を教わってるんでしょう? 将来を楽しみにしているわ、わたくしの騎赤。どうか貴方のその力で、助けてって泣いている人を沢山助けてあげてね。貴方が、皆にとっての奇跡の福音たる存在になるのを、楽しみにしているわ」


「……? むずかしくて、わかんない」


「今はそれで良いの。さ、目元を冷やしましょうか。魔力が篭って、身体も熱いでしょう?ノヴァーリスー。近くに居るの解ってるから。話も聞いてたでしょー? 私は別に怒ってないので、ベルの身体と目元冷やしに出てきてくーだーさーいー」


 多分こっちかな、と思った方向に向かって思い切り声を張り上げると、ガサ、と少し遠い距離から物音がして、困惑のような、悲嘆のような、歓喜のような、懺悔のような、後悔のような、何とも形容しがたい顔をしたノヴァーリスが、腕にスノウを抱え姿を現した。

 ほらね。やっぱり居た。

 ざくざくと大股でこちらに近付き、ベルの前で膝を折る。氷属性の固有スキルを持っていない私は、大人しく場所を譲って、代わりにスノウを抱きかかえる。お日様の匂いがするわ、この子。


「ベル。君はまだ魔力の状態が不安定なんです。感情を高ぶらせては、行き場を無くした炎が君の身を焼くことになると、私はそう、教えませんでしたか……?」


「ししょ……ごめんなさい」


「……いいえ。貴方の気持ちを、私ももっと慮るべきでした。貴方は私と違い、真っ白な少年であることを、失念していました。申し訳ありません、ベル。身体が熱くて辛いでしょう? さあ、こちらにおいで」


「ししょ」


「何ですか、ベル」


「……へんな顔、してるよ。どこかいたいの?」


「いえ。いいえ。セシリア様が、ベルが、あまりにも優しくて、嬉しいだけですよ。君を泣かせてしまって、申し訳ありませんでした、ベル」


「んーん。ね、ししょ。ししょも、ありがとうの方が、うれしい?」


「……はい。嬉しいですよ」


「えへ。えへへ。お姉ちゃんが言ったとーりだ。ししょ、あのね、おしえてくれて、ありがとう」


 両手を広げたノヴァーリスの胸に躊躇なく小さな身体がスポンと収まり、彼の白い騎士服を小さな手がぎゅっと握りこむのを見て、喉の奥でんぐう、と悶絶を呑み込んだ。私が公務でバタバタしてる間に、推しがショタと師弟の絆築いているとか聞いてないんですけど? 何、え? なに? ベルがノヴァーリスを「ししょ」と呼ぶに至ったまでの記録とかある? 言い値で買うわ。金ならある。

 そうか。仮説だけどベルには「ノヴァーリス」って長いのか。それで剣と魔力コントロールを教えてくれてるから師匠か。それすら上手く言えなくて「ししょ」なのか。は? 可愛いが過ぎるだろ。後で他の七騎士に確認しよう。

 私の悶絶など知る由もなく、ノヴァーリスもぎゅっとベルを抱きかかえ、ゆっくりと自身の纏う冷気をベルの体内に流し込み、小さな身体の中で轟々を唸り声を上げている炎を鎮静化させていく。少し汗ばんでほんのりと赤くなっていたまろい頬は正常な白さが戻り、涙に濡れて腫れぼったくなっていた目元も冷やされ、先ほどより幾分かスッキリした顔をしていた。


「ししょ。もう熱くないよ」


「そうですか。良かった」


 さすがノヴァーリス。仕事が早いうえに正確だ。氷属性の固有スキルを持たない私じゃこうは行かない。現にベルと居る間はずっと冷気を出していたにも関わらず、ベルは自身の中にある炎で苦しんでいる。そして大放出とは言わずとも、器のない力を少しずつでもずっと放出していた私に対して、魔力をたっぷり蓄えたスノウを届けるため、炎属性のベルを処置する氷属性の自分だけではなく、しっかりスノウまで連れて来る男なのだ。私の好きになったこの人は。




閲覧、ブクマ、評価、感想、誠にありがとうございます。

長らくお待たせしてしまい申し訳ございません。相変わらずの亀足更新ですが、のんびりお付き合い頂けますと幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ