本編3-21
改稿版になります。
血に濡れたような色をした怒気を孕む一対の瞳が、その大きな瞳からぼろぼろ涙を流して、周囲の魔物を睨み付けている。
怒りからか、興奮からか、恐怖からか。フー、フー、と粗い呼吸を繰り返し肩を上下させる小さな子どもの周りは、まるで陽炎でも発生しているかのように、その身から発せられる熱によって周囲の光を屈折させ、揺らめいていた。
(まずい!)
そう思ったのは一瞬で、気が付けば私はその子ども――ベルに向かって走り出していた。
ドレスが足に絡みついて、ひどく重い。でもそんなことを気にする暇もなく、ただただ、ベルに向けて手を伸ばす。
鋭い爪を伸ばした魔物が、彼の後ろでその爪を振り上げていた。
今まで魔物達は得物を狙っての膠着状態が続いていたのだろうが、力を持った私達の介入、そして突然のベルの能力の使用が刺激となったのか、膨れ上がった殺意が肌に突き刺さる。
「とど、けえぇえっ!!」
思い切り地面を蹴って、身体中から熱を発するベルを腕に抱き込み、その勢いのまま数回地面の上を転がり、ドン! とすごい勢いで木にぶつかってようやく止まった。
「ぐぅっ……!」
腕の中に居る小さな身体を抱き込んでかばったせいで、しこたま背中を木に打ちつけ、息が詰まる。
ベルに向かって爪を振り下ろした魔物はすぐさまノヴァーリスに斬られたが、彼との距離はだいぶ開いてしまった。
「セシリア様っ!」
「ノヴァーリス、前!」
「っ! ぐっ……!」
背中を中心に身体中あちこちぶつけたが、気にすることなく即座に起き上がる。アドレナリンが出まくっているのか、あまり痛みは感じない。
もちろん髪もドレスもぐちゃぐちゃだが、気に掛ける暇もなく私は氷属性を発動させた。
とは言っても明確な属性固有スキルを持っていないので、ただ魔力に任せて冷気を出すだけだが、冷やした端からベルの熱によって蒸気に変えられていく。
ノヴァーリスと変わろうにも、彼は私達を背に庇う形で魔物と対峙しているので、そんな余裕もない。
「やだ、いやだ! 父さん、母さん! 助けて、助けてっ!!」
「大丈夫! ベル、大丈夫だから、私達が絶対、貴方も、貴方のお父さんもお母さんも助ける、護るからっ!!」
だからお願い、落ち着いて。
そう言葉をかけ続けても、視野狭窄に陥っていて周りが見えていないのだろう。ベルにはただ目の前の、魔物に襲われている光景しか写っていないらしい。
腕の中の熱が、どんどん膨れ上がる。出し惜しみなしの全力で氷属性を発動しても、しょせん氷属性の固有スキルを持たない私の力など、たかが知れていた。
じゅっと音を立てて、ベルを抱き締めている腕の皮膚がただれる。
だが今は≪生命の水回廊≫を発動させる余裕などない。一つの属性固有スキルを使用している間は、他の属性固有スキルは発動できないからだ。いくら属性固有スキルを持たないとは言え、氷属性は私が持つ、全属性を含めた八属性の中の一つ。水属性との併用はできない。
今私が氷属性の発動を解けば、恐らくベルは中途半端に行き場を無くしている自身の熱に焼かれ、大怪我を負うだろう。それこそ、命に係わるほどの。今の私に、そんな怪我が治せるだろうか? 答えは否。
≪浄化≫の連続使用、そしてここに来て属性固有スキルを持たない氷属性の、全力開放。
器を持たない力は、ひどく不安定だ。
底の抜けた容器にいくら水を注いでもすり抜けていくように、属性固有スキルという器を持たない私の氷属性は、普段からは考えられないほどのスピードで、私から魔力を奪っていく。
「やめろっ! やめろぉっ!!」
「落ち着いてベル、お願いだからっ!」
私の腕の中でがむしゃらに藻掻くベルの指先が、私の頬を掠める。子どもとは言え、理性のリミッターが外れた力は強く、頬がじんと熱を持ち、血が流れた。
そして、とうとう抑えきれなくなったベルの熱が、炎という形を持ってぽつり、ぽつりと姿を現す。
周囲の草を燃やし、私の氷属性で抑えきれなくなった暴走した力は、少しずつその腕を広げていった。
もしあの時、咄嗟にベルに駆け寄ったのが私じゃなくてノヴァーリスだったら。今頃この炎を抑えられていたかもしれない。でも今、ベルを抱えているのは私だ。選び取れなかった選択肢をいくら考えたって仕方ない。
どうにかこの状況を打破できないかと、とにかく忙しなく視線を動かし、必死に思考を巡らせる。
「スノウは駄目、動かせない。向こう側の主戦力はあの子。今アシュラム達から離れれば、数の優位で押し切られる」
「セシリア様っ! 早く騎赤をお離しください! 彼の暴走を抑えるのであれば、私が変わりますっ!!」
「駄目、駄目なの! 今私が離れたら、ベルが大怪我を負うかもしれない! ……そうだ、ノヴァーリス、≪永久氷牢≫で私とベルを――」
「なりません!! もろとも倒れたいのですかっ!?」
「っ」
今まで聞いたことのない鋭い声に、思わず肩が跳ねた。
そうだ。ドーム状に広げた≪永久氷牢≫で私とベルを包めば炎の蔓延は防げても、ドーム内の酸素は限られてくる。私が酸欠で倒れたら、暴走するベルの炎を食い止める術は、ない。そうすれば私も、ベルも、焼け死ぬだろう。
そんな危険を、ノヴァーリスが犯すわけがないのだ。
冷静になろうとすればするほど、頭がこんがらがってくる。自分の短慮に思わず唇を噛み締め、ベルを抱く腕に力を込めた。
「ごめん、今のは愚策だっ――」
た。最後まで言葉を紡ぐより早く、女性の悲鳴が辺りに響き渡った。
私もノヴァーリスも、同時に声のした方を向く。ここに辿り着いた時より格段に魔物の数は減ったが、それでも総てを殲滅できたわけではない。
そして視線を向けた先で見た光景に、私は愕然とする。
「う、そ……どうして、≪咎モノ≫がここに……。術者が、近くに居るって言うの?」
私はただ茫然と、禍々しい瘴気を放ち咆哮を上げる≪咎モノ≫に視線を向け、しかしすぐさまハッと我に返り周囲を見回す。
ここは、王都とエグランディーヌ侯爵領を跨ぐように広がっている森の中だが、それ以外にも隣接している領土がある。――センティッド伯爵領。他国との貿易経路を樹立させたことを評価され、約二十年前に爵位を授けられた新興貴族。
その領土はエグランディーヌ侯爵領に比べればとても小さいが、いまだ他国と根強い繋がりがあり、人の流入も多い土地だ。そこに術者が紛れ込んだとしても、誰も気づかないほどに。
「母さん! 母さんっ!!」
「っ!? 駄目、ベル――あぐっ」
どん、と身体が地面に打ちつけられる。
私の静止を振り切り魔物を縫うように走り出したベルは、自身を包むはずだった紅蓮の炎が、彼が辿った道の後ろで魔物達を燃やし尽くしていることに、気付いていないようだった。
「ベル、止まって! 行っちゃ駄目、ベル、ベルっ!!」
「セシリア様っ」
「ノヴァーリスお願い、ベルを止めて! あのままじゃ、あのままじゃっ」
ようやく総ての魔物の位置の把握が終わったのか、ノヴァーリスが広範囲に≪永久氷牢≫を発動し、私やベル達を巻き込むことなく魔物を氷漬けにし、私の元へ駆け寄ってくる。
何とか上体を起こし、私は力の限り、ノヴァーリスに向かって叫んだ。
「――あの子の炎が、あの子の両親を殺しちゃう!!」




