本編3-12
――一ヶ月後。
真っ白な正絹で作られたエンパイアドレスを身に纏い、私は姿見の前に立っていた。
ビジューや宝石、刺繍、レースで彩りを加えられ、襟ぐりが大きく開いたドレスは、否が応でも胸元とデコルテが強調される。毎日こっそり≪創造創生≫で作った豆乳を飲んでいたおかげか、アジット山脈を駆け巡っていた時より大きくなっていると信じたい。
胸の下できゅっと絞められ、そのすぐ下から引き摺るほど長い、オーロラみたいな光沢を放つ、金の刺繍糸で国章が入れられたロングトレーンを着けられた時、私は転ぶことを覚悟した。
胸元にはドレスと同じく正絹で作られた薔薇のコサージュがあり、ドレスの裾に行くにつれ、糸の色が白から銀、銀から金に変わり、いっそ艶やかなまでの見事な刺繍が施されていたが、何ってだから、重いのだ。
いくらセシリアのステータスが脳筋ゴリラだろうと、それは体力とか攻撃力の話であり、筋力の話ではない。これが女王の正装かと思うと、政務のたび憂鬱になりそうだ。
「大変お似合いでございます、お嬢様。さあ、こちらのイスへお掛けください。最後に御髪を整えましょう」
「……ありがとう、サクリーナ。わざわざ女王宮にまでついて来てくれて……本当に……なんとお礼を言えば良いか……」
女王宮の一角。次期女王の控室としてあてがわれたその部屋には、現在私とサクリーナのみで、衣裳はもちろん、ヘアセットやメイクまで全部サクリーナ一人で、しかも物凄い速度と正確さでもって仕上げてくれたので、私としては本当にこの有能侍女に頭が上がらない。
最初はアイリーン陛下の侍女の方々がお手伝いを申し出てくれたのだが、全力で丁重にお断りさせて頂いた。なんと言うかこう、侍女さん達の圧が凄かった。怖いぐらい凄かった。
今後も私の専属侍女はよほどのことがない限りサクリーナ一人で通したいけど、それだと彼女の負担はどうなんだろう。サクリーナの負担を減らすためにも、あと一人ぐらいは専属侍女を雇ったほうが良いんだろうか。
「お嬢様にお供できないのであれば、エグランディーヌ侯爵家を辞して女王宮の侍女となる心積もりでしたので、生家からの侍女同伴が認められていてわたくしも安心致しました」
「サクリーナ大好き」
「はい、わたくしもです」
ふふ、と穏やかな笑顔を浮かべ、さも当然のようにサラリと物凄いことを言ってくれたサクリーナに、思わず間髪を容れずに告白してしまった。
この間も彼女の手は淀みなく動き、するすると見事な手つきで私の髪を結っていく。右側のフェイスラインと襟足の髪を残して、残りを後頭部で一つに纏める。それから数本の三つ編みを作り、きつめに結ったままの三つ編みと、少し結い目をほぐした三つ編みをくるくると巻いていき、あっと言う間に一つに纏めてしまった。
残した襟足部分はコテで巻き、耳の後ろぐらいにある部分の髪をそのまま流し、残りは纏め髪の下で左右に分けた髪をクロスさせ、これまた見事なお手並みで纏めてあった髪に毛先部分を入れ込み、一つにしてしまった。私からすると、いつ見ても手品である。
最後に、シルバーのタッセルチェーンを纏め髪の下を潜らせるようにして飾り付けて、両耳に薔薇モチーフのイヤリングを着けられたところで、サクリーナから「はい、終わりましたよ。お嬢様」と声が掛けられた。
戴冠式でティアラを被ることを想定して、装飾品の類はどこまでも控え目だし全体的にフォーマルに纏まっているが、動く度に微かにチャリ、と揺れるタッセルチェーンとティアドロップデザインのイヤリングが十六歳の少女らしさを演出していて、これまた可愛らしい。
そう、季節が冬から春へ移り変わる中、殆ど誕生日の変わらない私とノヴァーリスは一つ歳を重ね、十六歳になった。
結局あれからも時間が許す限り魔物を狩り、しかしベルとその両親を見付けられないまま、とうとう戴冠式当日を迎えてしまった。
いまだ≪預言者≫は沈黙を保ったままで、逆に考えれば、まだ時間があるのだと……ベルはまだ、私の両親やアーキデューク達の時のように、切羽詰まった状況ではないのだと自分に言い聞かせ、手袋に覆われた手のひらをぎゅっと握った。
私が女王になれば、騎赤捜索の大義名分を得て、国の力が使える。私の騎赤――ベル・ヴィクトリア。そう、名前は解っているのだから、もしかしたらすぐ見つかるかもしれない。国に戸籍謄本の登録があれば一発だ。……もちろん、ベルが出生申請もしないような貧しい農村出身だと、その望みは砂の城が如くあっけなく崩れ去るのだけれど。
今から『最悪』を想定しても仕方ないと、私は瞳を閉じて、小さく深呼吸を繰り返した。
「待ってて。絶対に見付けてみせるから」
サクリーナにも聞こえないよう、口の中で小さく、小さく音を零す。
思考の海に沈んでいた私の意識は、不意に響いたノックの音で引き戻された。私がハッと顔を上げるより早く、サクリーナが扉に近付く。
「どなた様でしょうか」
「セシリア様が騎紫、ノヴァーリス・センティッド。我が女王陛下を、お迎えに上がりました」
「これはセンティッド卿。丁度セシリア様のご準備が終わったところです」
「スノウがそわそわし出しましたので、もしかしたらと思いまして。私もつい、急いてしまいました」
「がうっ」
扉越しに聞こえた声に私はこちらを見たサクリーナに向かって一つ頷き、入室の許可を出す。私としては、いまさらノヴァーリスとスノウに対して許可も何もないのだが、ここはエグランディーヌ侯爵家ではなく、現在はアイリーン陛下が主である女王宮なので、私が好き勝手するわけにもいかないのだ。
その辺りはノヴァーリスもきちんと解っているようで、彼の腕の中でもごもご動いているスノウに苦い笑いを零しながら、「まだ駄目ですよスノウ」と声を掛けていた。
解っていたし覚悟もしていたけど、七騎士正装姿のノヴァーリスほんと、あの、格好良すぎて憤死しそうなんですけど。
「セシリア様……! 大変お美しゅうございます。お声が掛かる前に参じてしまい、申しわけございませんでした」
「気にしないで。……ノヴァーリスも、良く似合ってるよ」
そして私の姿を見るなり相好を崩し、ふにゃっと微笑む推しの破壊力よ。
語彙が溶ける語彙が。もっと言葉の限りを尽くして褒め称えたいのに、ありきたりな言葉しか出て来ない自分が恨めしい。いっそ溶けてしまいたい。
しかし人体の形を溶かすわけにはいかないので、そしてせっかくサクリーナが施してくれた化粧を崩すわけにもいかないので、私はやり場のない感情を持て余していた。
閲覧、ブクマ、評価、誠にありがとうございます。
騎赤救済編とは言ってるのに、ベル全く出て来ないなって作者が一番思ってます。




