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閑話 サクリーナ・ジョイス


 あれは、雨の日だった。

 当時、12歳で両親を亡くし天涯孤独の身となった私は、行く当てもなく、ふらふらと彷徨っていた。

 お腹が空いた。もう、何日まともなご飯を食べていないだろう。

 とうとう足が縺れ、雨で濡れた地面の上に倒れる。

 幸いにか不幸にか、そこは舗装された道の上で、着ていた襤褸の服がこれ以上泥で汚れる事は防げたが、硬い地面に叩き付けられた身体が、あちこち痛みを訴えてくる。

 それでも、もう動く体力も、気力もない。

 そのまま長い時間雨に打たれていれば、四肢の感覚も鈍くなってくる。

 ああ、私、このまま死ぬのか。

 どんどん熱を失っていく身体に、私はそう確信していた。

 そして不意に、ぼやける視界の中、真っ白で柔らかそうな手が差し出される。

 ゆる、ゆる、と視線を上げれば、ぼやける視界の中で、しかし私は確かに、天使を見た。

 雨に打たれまろい頬に張り付いた濃い金色の髪。この国で《全属性》と言われる虹色の瞳は、こんな薄暗い雨の中でも、煌めいていた。

 こんな綺麗な色彩を持つ天使に連れて行って貰えるなら、死もそこまで悪い物ではないのかもしれない。

 震える身体に鞭を打って、小さな天使が差し出した手を取る。

 途端、ふにゃりと微笑んだ天使の笑顔を見て、私の意識は途絶えた。



「……夢」


 つ、と頬に伝う涙を手で拭い、まだ日も明けきらぬ窓の外に視線を向ける。

 ——あれから、11年の歳月が過ぎた。

 路上で死にかけていたわたくしをセシリアお嬢様が拾ってくださって、その後、エグランディーヌ家が後援している孤児院へと身を寄せた。

 孤児院では、侍女になる為の勉強を中心に行ってきた。全ては、あの日の恩を返す為。

 そうして16歳の誕生日を迎え、わたくしは念願かなってエグランディーヌ家の使用人として雇用され、間もなく、セシリアお嬢様付きの一人となったが……その時、4年ぶりに拝見したお嬢様のあまりの変わりように、愕然とした。

 天使の様に微笑んで、わたくしに手を差し伸べてくださったセシリアお嬢様。

 あの雨の日。それより前だって、誰もわたくしに手など差し伸べてくれなかったのに、たった4歳のお嬢様はあの日、そうすることが当然の様にぼろぼろだったわたくしに、手を差し伸べてくださった。

 朦朧とする意識の中で、それでも確かに、あの時のお嬢様の笑顔を、わたくしは覚えていたのに。その微笑みをよすがに、ここまで努力を積み重ねて来たのに。

 8歳になられたお嬢様は、にこりとも笑わない人形の様な女の子になってしまっていた。

 ショックが無かったと言えば、嘘になる。

 例えわたくしの事を覚えていらっしゃらなくても、もう一度、あの天使の様な笑顔で微笑んで頂きたかった。そんな願望が、確かにあった。

 それでもわたくしは、お嬢様の傍に居続けた。

 にこりとも笑わない、人形の様なお嬢様。周りの使用人たちは気味悪がったけれど、わたくしには関係ない。

 わたくしは、心優しいお嬢様を知っている。

 たった一つ、わたくしの中で揺るがないその事実だけを胸に、わたくしは、お嬢様に仕え続けた。


 そんなお嬢様に変化が訪れたのは、次期女王陛下への就任が決まり、騎紫であるノヴァーリス・センティッド様と顔を合わせてから。

 三日も目が醒めず、魘されていらっしゃった事はとても心配したけれど、目が醒めたお嬢様は、どこか溌剌と、スッキリしたお顔をなさっていて、ひどく安心したのを今でも鮮明に覚えている。

 そうしてまた、あの天使の様な優しい笑顔を、わたくしに向けてくださった。

 堪らなく嬉しかった。零れそうになる涙を必死に押し留めて、お嬢様へ頭を下げる。


 お嬢様。セシリアお嬢様。

 いつだって誰かの為にその繊手を差し出せる貴女の事を、わたくしは本当に、誇らしく思うのです。

 不敬に思われるかもしれませんが、姉のような気持ちで、ずっと、ずっと貴女様の傍におりました。そう告げれば、セシリア様は何と仰るのでしょうか。

 人形の様になってしまったお嬢様は、またかつての輝かんばかりの色彩を取り戻された。

 そんな貴女様はきっと、わたくしの戯言にも、笑ってくださるのでしょう。

 心優しい、わたくしが仕えるべき大切な主。

 もしこの先、センティッド卿が貴女様の事を泣かせるようなことがあれば、このサクリーナがきちんと叱ってみせましょう。

 だからどうか、いつまでも、いつまでも、笑っていてください、セシリアお嬢様。

 貴女様は、このエグランディーヌ侯爵家の、太陽なのですから。



この後にもう一話閑話を挟んで、新章開幕予定です。

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