本編2-11
掌からふわふわと溢れる光の波が納まるのを確認して、思い切り息を吐く。
時間にして約5分。
魔石の時程魔力を持って行かれた訳ではないが、心の柔らかい所がごっそり持って行かれた気分だ。
顔を土気色に染めた両親をただ見ているだけなのがこんなにも辛いとは。
まさに死の淵に立たされていた二人を看病する立場に居たアーキデュークは、いったいどれだけ辛かったのだろう。
あの子の精神状態は大丈夫なのだろうか。
流石に《生命の水回廊》でも、精神疾患までは治せない。
本当に、《預言者》に対して良い仕事をしたと褒めるべきなのか、遅すぎると怒るべきなのか悩みどころだ。
額にじんわりと掻いた汗を袖で拭おうと、両親から放した手を持ち上げた辺りで、そう言えば私、トラの仮面してるんだったと思い至り、中途半端な位置まで上げた腕を降ろす。
……どうしてこういう所で格好つかないんだろう、私って。
「……もう、大丈夫です」
「っ! と、様……かあ、様ぁ……っ」
「危ないっ!」
少しばかり逡巡したが、今更どう取り繕っても私の恥ずかしさに拍車が掛かるだけなので、事実だけを口にする。
その言葉を聞いた瞬間、治癒を施される両親を見守っていた一対の緑から涙が零れ落ち、力無くその場に崩れ落ちそうになった所を、後ろに控えていたノヴァーリスが寸での所で抱きかかえる様に受け止めてくれた。
っっっセーフ!!
流石ノヴァーリス! 略してさすノヴァ!
「お怪我はございませんか?」
「だい、じょぶ……です。……父様と、母様は……」
「心配御座いません。あの人が貴方様のご両親に施したのは、水属性の最上位固有スキル《生命の水回廊》です。全ての属性最強と謳われる治癒魔法に、治せないものはございませんよ。どうぞ、ご安心を」
崩れ落ちた瞬間に怪我をしたからと言って、《生命の水回廊》で治せば良いと言う話ではない。私はもう、この場でこの子にこれ以上、心にも、身体にも、傷を作って欲しくない。
そんな私のエゴまみれの心情をノヴァーリスが理解しているなんて勿論思ってないけど、私が大切にしたいものを同じ様に大切に扱ってくれる彼の姿を、姿勢を目にするたび、どうしたって好きだなあって感情が雪みたいに降り積もる。
それは多分、いつか私を押し潰す感情だ。
だって私は、彼の女王陛下だから。彼を紫の闇から救うのはセシリアじゃなくて、きっとエレーヌだから。それを悲しいと思ってしまう事自体が、間違いだから。
仮面の下で自嘲じみた笑みを一つ零し、私はアーキデュークの前に膝をついた。
今は私の感情なんて、哀愁なんて二の次だ。
「御身に触れるご無礼、お許しくださいませ」
「……」
こくん、と一つ頷いた弟の右手を取り、自身の右手を彼の頬に充てる。
ぽろぽろ宝石みたいに零れ落ちる涙を親指で拭って、気が付けば私は、掛ける資格がないと思っていた言葉を、アーキデュークに掛けていた。
「よく、良く、頑張りましたね。貴方はとても、強い子です」
「っ……」
一層零れてしまった宝石達を指で拭い、言葉を紡ごうとして喉で引っ掛かる様に口を開閉する弟に仮面越しの笑みを向け、《生命の水回廊》を発動させた。
音を乗せないアーキデュークの唇が、「ねえさま」と言う形を取っていた事に、気付かない振りをして。
身体が小さい分、アーキデュークの治癒はすんなりと終了した。
真っ青だった顔色にも少し赤が戻り、ほっと息を吐き出す。
……これでもう、《預言者》が見せた未来が、この場所で訪れる事はない。
あれが明日だったのか、一週間後だったのかは解らないけど、先ほどまでの両親の様子からして、そう遠くない未来だったことは間違いない。
間に合った。私はちゃんと、間に合ったんだ。
セシリアのせいで不幸になってしまった人達の最悪の未来を、弟がたった一人残されてしまう悲しい未来を、壊せた。
その実感が後から後から込み上げてきて、涙が溢れそうになる。
今にも安堵からへたり込みそうになる身体を叱咤して、アーキデュークの手を引っ張り、立ち上がらせる。
多分もうそろそろ――
「……ん?」
「アーキデューク……?」
「っ!? 父上! 母上!」
すっかり顔色を良くした両親が、ゆるゆると瞼を持ち上げ、擦れた声でアーキデュークの名を呼ぶ。
その声に弾かれた様にベッドへ駆け寄り、頬を真っ赤に染めながら、アーキデュークは嬉しそうに笑って、大粒の涙を零す。
「どうして……身体が、こんなにも楽になっているなんて……」
「まあ、まあ……。貴方も随分顔色が良くなりましたね、アーキデューク」
「父上、母上! 姉上が、セシリア姉様が、助けに来てくれたんです!」
「セシリアが!? ど、どうしてあの子が! そんな事をしたら、あの子の身に何が起こるか……!」
「——その心配は御座いません、閣下」
アーキデュークの言葉に一気に顔を青く染めた父と母の姿にまた涙が込み上げそうになったのを何とか堪えて、私は胸の前に手をあて、軽く頭を垂れる。
「ご長子、セシリア・メヌエット・エグランディーヌ様よりご伝言を賜っております。長らく閣下達を不当に監禁しておりましたダルセ候、およびその奥方ティフトン夫人は、アルカンシエル王国宰相であるタイサン・トリス様によって、間もなくエグランディーヌの名を取り上げられます。表立ってではございませんが、トリス宰相閣下も長らく社交界を空けてしまわれたエグランディーヌ侯爵閣下を目に留めてくださると、お約束頂いておりますので、どうぞ安心して、侯爵家にお戻りください」
「そう、そうか……。セシリアは、強くなったんだな」
「御身は何ら差しさわりなく、次期女王の座が内定しております」
「まあ、まあ。わたくし達の宝物がこの国の時期女王様だなんて、なんて素敵なのでしょう!」
病を克服して直ぐ娘の心配なんて、どれだけ人が好いんだ、この人達は。
罵って良いのに。恨んで良いのに。セシリアのせいで、こんな場所で10年も過ごさせてしまった事がこんなにも申し訳なくて、悔しいのに、いまだセシリアの事を「宝物」だと言ってくれる人達に、どうしたって涙腺が緩んでしまう。
「——セシリア様より、長らく自身のせいで辛い生活を強いてしまった事、そして自身が全属性であった為、ダルセ候を凶行に走らせてしまった事、深くお詫びしますと共に、エグランディーヌ侯爵家長子の証たるメヌエットの名を返上致しますと、ご伝言賜りました。……次期女王と言う立場上、表立っての支援は出来ませんが、災厄の象徴たるご自身が関わる事で、また貴方様方の身に何か不幸が訪れぬように、エグランディーヌ侯爵家には陰ながら支援させて頂く形で、どうかご容赦ください、と」
「災厄の象徴だと!? 本当にそんな事を思っているのか!?」
「あ、あ……っ セシリア、わたくし達の可愛いセシリア……! 貴女は何も悪くないのに、わたくし達のせいで、貴女がそんなに傷付いてしまうだなんて、なんてこと……っ」
セシリアの為に父は眉間に皺を寄せ怒り、母は顔を手で覆って涙を零す。
そんな姿を見て、心が揺れない訳がない。
私だって本当は思ってたよ。私何も悪くないじゃん! って。
でも、所詮この世界の「バグ」でしかない「私」が、この優しい人達に関わるべきじゃない。
私が自分勝手に世界を変えると誓ったのは、自分の為。それに、この人達を――私の大切な家族を、巻き込んじゃ、駄目なんだ。
だから、どうか、どうか。
「……わたしを、ゆるさないで」
小さく、本当に小さく零した言葉は、いったいどちらの言葉なのだろう。
私? セシリア?
解らない。解らないけど、心の中はぐちゃぐちゃで、瞳からはぼろぼろ涙が零れ落ちて、つい漏らした言葉が、精いっぱいの強がりで、嘘なんだって事は、私自身が良く解ってる。
「っ……」
「……」
後ろで何か言いたそうに身じろぎをしたノヴァーリスに小さく首を振って、私は俯く。
「……どうして? 姉様は、僕達が嫌いなのですか……?」
「っ!? 決して、決してその様な事は……!」
「だったら!」
「——えっ?」
ドン、と、身体に衝撃が走る。
12歳にしては小さい弟に力いっぱい抱き着かれたのだと気付いた時には、地面に尻もちをついて、仮面が乾いた音を立てて地面に落ちていた。
「だったら! せっかく、漸く、漸く会えたのに……! どうして直ぐさよならなんて言うんですか、セシリア姉様!!」
「ど、して……」
何で? だって、私、仮面して、正体も解らないように、してたのに……。
「姉様が僕達を助けに来てくれたんだって、嬉しかった! 僕は殆ど姉様の事覚えてないけど、直ぐ解りましたっ……! だって、いつも父様や母様が聞かせてくれる、優しい姉様のままで、ぼくっ嬉しくて、また、父様と母様と、今度こそ姉様も一緒に暮らせるんだって思って、嬉し、かった、のにぃ……!」
わっと火がついた様に泣き出したアーキデュークを慌てて抱き締めて、その軽い身体を持ち上げる様にして一緒に起き上がった時、私も一緒に嗚咽を漏らしてぼろ泣きしている事に気付いて、放心した。
後から後から、涙が溢れて止まらない。
心の底から懺悔と後悔と、そして歓喜が溢れ出てきて、ああ、これは5歳だったセシリアの心なんだ、と、何処か冷静な頭の片隅で、すとんと理解した。
恐怖に染められて、絶望の中助けてと叫んだ、5歳の女の子の心。
「セシリア……。助けてやれなくて、すまなかったな」
「わたくし達の可愛い子。謝らなければならないのはわたくし達だわ。助けてあげられなくて、ごめんなさい。怖かったわよね、苦しかったわよね。ずっと貴女の幸せを祈っている事しか出来なかった不甲斐ない父と母を、どうか赦して頂戴……」
「あ……」
泣きじゃくる私達姉弟を、ベッドから出てそっと抱き締めてくれた両親の言葉に、今になって気付く。
お父様もお母様も、一度も不審者にしか見えない私に対して「誰」と問わなかった事に。
気付いてまた、涙が零れた。
「さ、最初から、きづっいて……!」
言葉が喉に引っ掛かって、上手く言葉が紡げない。
でも、ああ、そんな都合の良い事を、夢に見て良いのだろうか。
くしゃくしゃの顔で見上げた両親は、とても、とても優しく、笑っていた。
「当たり前だろう。立派になったな、セシリア」
「貴女が、優しいセシリアのままで居てくれた事、母はとても、誇りに思いますよ」
「っ……う、あっ……ひっ と、様ぁ……! かあ、様あ……!」
私は多分、この時初めて、本当の意味でこの世界の住人になれたのだと、この時ひどく、痛感していた。
閲覧、ブクマ、評価、誠にありがとうございます。
久しぶりの更新にも関わらず沢山の方に見て頂いていて驚きました……。ありがとうございます。
セシリア過去贖罪編は作者もメンタルをゴリゴリ削られながら書いてるので、この話書いてる時ぼろ泣きしてました。
セシリアはゲーム本編で自己犠牲な女王様で、そのセシリアとして転生できるぐらい、今のセシリアも自己犠牲精神高めなんですよね。
セシリア過去贖罪編、もう少しで終了です。
次はー……。閑話を挟みつつ、話の時系列的に真犯人編になるかと……また作者のメンタルが削られる……。




