本編2-6
屋敷の部屋に戻り、私はその場に立ち竦んだまま、俯いていた。
ノヴァーリスの腕から飛び降りたスノウが、小さい声で「がう、がう……」と鳴きながら、私の周りをぐるぐると回っている。
その小さな身体を抱き上げ、ぎゅっと抱き締める。
「本当に、私にはスノウも、ノヴァーリスも居るから、大丈夫なんだよ……」
「……しかし、それではセシリア様のご家族が納得されませんよ」
「でもっ! でも、これ以上私の傍に居たら、また不幸にしてしまうかもしれない……! お父様もお母様も、アーキデュークだって、ノヴァーリスやスノウ程、強くない。自身の身に降りかかる災厄を、振り払えない……!」
「セシリア様……」
「ごめん、ごめん、なさい……本当は、ノヴァーリスやスノウだって、私の近くに居ない方が、良いのかもしれない……」
「そんな事はありません!」
「ノヴァーリス……?」
「なんでも、そうやってお一人で抱え込まないでください……! 僕はセシリア様と出会ったあの日から、不幸であった事など一度もありません! 貴女と一緒に居て、災厄など感じた事も、ありません」
「でも、私……いつも迷惑、掛けて、ばかりで……! 今回だってっ」
「何度でも、何度だって言います。お願いですから、僕を頼ってください。僕を、スノウを、頼って、ください……。僕たちは貴女に笑っていて欲しい。僕たちの前では、無理をしないで欲しい。その為なら、僕はなんだってします。この世界を滅ぼしたって構いません」
「っ!? それはダメっ! 私の為に世界なんて滅ぼさないで! 自分を犠牲にしないで! 絶対にそんな事赦さないから! そんな事されたって、私は全然嬉しくない!」
「……ええ。貴女様であれば、そう仰ると思っていました」
ノヴァーリスが、優しく微笑む。
その微笑に、涙が滲んだ。ああ、この子は、こんな顔まで出来るように、なったんだ。
ぎゅっと眉間に力を込めて、瞳から涙が零れ落ちないように、耐える。
《預言者》と《過去視》でダブルパンチされてから、どうにも私は可笑しい。いつもの自分で居られない。
自身の不甲斐なさに、唇を噛み締めた。
結局私がどうにか未来を改変しようとしたって、この世界でセシリアという存在が災厄である事に、変わりはないのかもしれない。
10年前も過去でも、9年先の未来でも、セシリアに関わる事で、誰かが不幸になる。誰かが、命を落とす。
真っ赤に広がった血だまりの中に倒れたノヴァーリスの姿を思い出し、頭を振った。
「セシリア様……そんなに強く噛んだら、切れてしまいますよ」
「っ……」
する、と、ノヴァーリスの指が私の唇を這う。
あまりの事に目を見開き、ぽかんと間抜けな顔を見せてしまった。
瞬間、ぼっと炎が灯るように頬に熱が集まる。え、ちょ、待って、は!? 私のさっきまでの思考回路返して! 君、こんな恥ずかしい事さらっと出来ちゃうような子だったっけ!?
顔を真っ赤に染めはくはくと口を開閉する私に、ノヴァーリスは相変わらず優しく微笑んだままだ。
「そんな優しいセシリア様だからこそ、僕もスノウも、貴女を護りたいのです。だからどうか、その御心を、貴女自身が殺さないでください」
「がうっ」
「ノヴァーリス……スノウ……」
「まずは、セシリア様のご家族を、無事に救い出しましょう。僕も微力ではありますが、お手伝い致します」
「がぁうっ!」
「あはは……すごい、二人が居てくれるなら、百人力だ……。前にも言ったけど、私、二人が居てくれるから、頑張れるんだよ……」
「ええ。僕もです」
「がうっ」
その言葉に頭の奥が、すっと冷えたように感じる。一本、線が通ったような感覚だ。
……ああ、そうだ。私は、《破壊者》。世界にそう認定されているなら、セシリアが災厄だという事実も、壊してしまえば良い。それが、私だ。
ノヴァーリスを救いたい。その為に私も生きて、世界も救う。傲慢で、自分勝手に未来を壊し、改変しようとする。それがきっと、私の本質。
事実にへこたれて、弱気になっている暇なんてない。私にはやるべき事がいくらでもあるんだから。
ノヴァーリスを救う。彼には生きて、笑っていて欲しいから。でも傲慢で、強欲な私は、それだけじゃ満足出来ないから。
セシリアのせいで不幸にしてしまった、今の私の家族。殆ど一緒に居た記憶なんてないのに「大切」だと思えるのは、セシリアがそう思っていたからなんだろう。だったら、私が護らないと。5歳の頃の「彼女」が「私」であったかは、解らない。それでも今の私は、間違いなくセシリアだ。だったら、過去のセシリアが願い、それでも成し遂げられなかった事を、私がしよう。
私には、その力があるんだから。何のための脳筋ゴリラステータスだ。こんな時に発揮せず、いつ発揮する。
「……うん。お父様と、お母様と、私の弟を、絶対に死なせたりなんて、しない。今まで大変な思いをさせてしまった代わりに、今度はめいっぱい、幸せになって欲しい。だから早く、助けに行こう」
「はい」
私と言う存在は、確かに足枷になると、今でも思う。……でも、それを決めるのは、私じゃ、ないんだ。確かに、家族には幸せになって欲しい。私が不要だと言うなら、喜んで目の前から消えよう。ただ、彼らの感情までは、私のものには、出来ないから。
流石の私だって、そこまで傲岸不遜じゃない。
「あ、でも、顔と正体は隠す」
「……セシリア様」
少し呆れたようなノヴァーリスの声に、ビクっと肩を震わせる。
そ、そんな目で見たって負けないから!
「だ、だって! 私が助けたに来たって解ったら、変なフィルター掛かっちゃうかもしれないし!」
「しかし」
「命の恩人だからって理由で一緒に暮らそうとか言われたら、私泣くよ!? そもそもそうなる原因を作ったのが私なのに! 感謝なんてされたら、申し訳なくて絶対に泣く!」
「……本当に、正体を隠したまま、実のご両親にも、弟君にも、お会いにならないおつもりですか?」
「…………うん。きっとそれが、最適なんだと、思う」
「そう、ですか……。貴女様がそう判断したのであれば、僕はそれに、従います」
そう言いつつも全く納得していないと解る顔をするノヴァーリスに、私はそっと微笑んで見せた。
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セシリア迷走編でした。もう少し過去贖罪編続きます。