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本編2-5



「ごきげんよう。トリス宰相閣下。突然の訪問、非礼をお詫びいたします。緊急事態ゆえ、先ぶれの手紙もなく御前にまかり越しました事、どうぞご容赦くださいませ」


「……これは、どなたかと思えば」


 完璧な淑女の礼を取って、あからさまににっこりと微笑み、タイサンを見やった。

 突然目の前に現れた私たちにタイサンは初めこそ瞠目して見せたが、すぐに笑顔の奥に表情を隠してしまう。


「私に何か御用でしょうか? 氷の牢獄など作らずとも、私は逃げませんよ」


「あら、牢獄だなんて。これはわたくし達の内緒話を聞かれない為の、鳥かごですわ」


「ほう……話、とは?」


「わたくしの生家、エグランディーヌ侯爵家にまつわる件で確認させて頂きたい事があり、急ぎ訪問させて頂いた所存です」


 執務室に降り立った瞬間、部屋全体にエクストラスキルの《全域結界》を発動させ、その上からノヴァーリスが薄く伸ばした《永久氷牢》を重ねていく。

 これでこの部屋の調度品や書類が損なわれる事はない。ついでに、人も入ってこれない、音も漏れない。

 我ながら良い仕事したわ、と内心で渾身のドヤ顔を披露し、先ほどのやらかしなど微塵も感じさせない態度で、タイサンの前に立つ。


「エグランディーヌ侯爵家の? それは貴女自身が、一番ご存じなのでは?」


「お恥ずかしながら、わたくしには現状が掴めず。人命も掛かっておりますれば、是非トリス宰相閣下のお力をお借りしたく参りました」


「……聞きましょう」


 人命、と言う言葉に、タイサンがピクリと反応を示す。

 それは常人であれば気付かないような些細な動きであったが、私とノヴァーリスは、その動きを見過ごさなかった。


「先に伺っておきたいのですが、トリス宰相閣下は、エクストラスキルの《瞬間記憶》を、お持ちでいらっしゃいますね?」


「……これはまた。それは問いではなく、断定では?」


「まさか。我が国の優秀な宰相閣下であらせられるタイサン・トリス様なら、固有属性など持たずとも、他に優秀なエクストラスキルをお持ちだろうと思ったまでですよ」


 本当は絶対継承スキルの《スキルカード》で覗き見して、本当にこの人ハイスペックだな!? と驚愕したのだが、そんな事はおくびにも出さない。

 眼鏡のブリッジを押し上げ、タイサンは真っすぐ私を見て、頷いた。


「我が国の優秀な次期女王陛下に隠し立てしても仕方ありません。持っていますよ、《瞬間記憶》」


「流石、トリス宰相閣下でございますね」


 本当はこう言う言葉の応酬は苦手なのだが、今後の事も考えると、へたに下手に出て「傀儡にしやすい女王陛下」と思われるのは困る。

 タイサンがそう思うのではなく、この先のやり取りで、タイサンの周りがそう思う可能性は決してゼロではない。

 なので、彼との表面的な力関係は対等か、または私が少し上、ぐらいが望ましい。ならば、例えそれが表面上の力関係であったとしても、そう見えるように今のうちから練習しておくべきだろう。

 タイサンも私の目論見は解っているようで、こんなくだらない言葉遊びに付き合ってくれるらしい。

 彼自身も、私が次期女王に相応しいか、見極める心積もりなのかもしれない。

 三ヶ月前、スノウの安全と引き換えに、国宝レベルの魔石の三分の一を譲渡したが、そんなものはほぼ無償提供に等しい。つまりはそれが、彼に対する「貸し」である。こういうのは後からじわじわ効いてくるなあ、と実感する瞬間だ。


「では、なんの憂いもなく内緒話が出来ますわ」


「人命が掛かっている内緒話とは、穏やかではありませんね」


「ええ、本当に。……では、トリス宰相閣下。エグランディーヌ侯爵家の今現在の当主とその夫人の名を、お教えいただけますか?」


「何を可笑しな事を……エグランディーヌ侯爵家の現当主は、貴女の叔父上であるダルセ・エグランディーヌ侯爵。細君はティフトン夫人です」


「あら。それは可笑しいですわね。わたくしの父、ジョエル・エヌメット・エグランディーヌ侯爵も、その夫人でありわたくしの母、オリアナ・エグランディーヌ侯爵夫人も、その直系男子であるわたくしの弟、アーキデューク・エグランディーヌも存命でございますのに」


 ころころと笑いながら、あの叔父夫妻はそんな名前だったのかと、今更ながらに思う。

 5歳で記憶を失って以降、屋敷に居た誰もあの二人の名前など呼ばなかった。旦那様、奥様で通じるからだ。

 親だと思っていた人物の名前も知らない、と言う異常性に、もっと早く気付くべきだったと、臍を噛む。


「エグランディーヌ侯が、存命……!? 10年前、エグランディーヌ嬢以外の当時の侯爵家の方々は、事故死したと記録が残っています。その為、ダルセ・エグランディーヌ現侯爵が幼い貴女の代わりに、家督を継ぐと」


「10年前……ええ、そうでしょう。わたくしを人質とし、叔父夫妻がわたくしの家族を追いやったのが、10年前ですもの」


「そんな、馬鹿な……」


 思わず、と言った様子で椅子から立ち上がったタイサンが、執務机に手をつき、呆然と呟く。

 本来の当主たるべき人間が生きているのに、その人物を書類上で殺し自身を当主に据えるなど、国に対する憚りだ。それだけで十分な罪に問える。

 しかもそれを行ったのが次期女王の身内など、洒落にならない。とんでもない醜聞だ。

 だからこそ私は、タイサンの元に来た。

 10年前、彼はまだ宰相ではなかったが、タイサンなら当時の記録をエクストラスキルの《瞬間記憶》で把握しているだろうと思ったからと、この国の政、その中枢に深く食い込む彼なら、秘密裏にこの件を処理してくれると、思ったから。


「しかし、何故今になってその様な事を?」


「……」


 タイサンの疑問は、最もだと思う。

 今更。それはそうだ。10年もの長い時間、エグランディーヌ侯爵家はあの男の天下だった。それはつまり、私も、私の家族も、あの男に逆らわなかったという事。

 それを、何故今更になって行動を起こそうと思ったのか。それは、絶対に聞かれると思っていた。


「……夢を、見ました」


「夢?」


 訝し気に、タイサンが眉を顰める。

 そんな曖昧なもので? とでも言いたいのだろうか。しかし忘れる事なかれ。私は、「全属性」だ。

 その結論に行き着いたのか、タイサンは一つ頷くと、私に続きを促した。


「季節は、夏。蝉の鳴き声が鳴り響く粗末な部屋で、わたくしの両親が質の悪い流行り病に罹り、弟を一人残し、逝ってしまう、夢です」


「貴女はそれを、予知夢であると、そう感じたのですね」


「ええ。……そしてお恥ずかしながら、わたくしは叔父にある禁呪を掛けられ、10年前……5歳から以前の記憶を、無くしておりました。その夢を見た時に、はっきり思い出したのです。今までずっと叔父夫妻がわたくしの両親だと思い、生きてまいりました。でも、それは間違いだった。わたくしの本当の両親が、弟が、今なお悲しみに溺れそうになっている……確かに今更、と思われるかもしれません。しかしわたくしにとっては、今だからこそ、なのです」


 本当は夢属性の属性固有スキルの《予知夢》ではなく、絶対継承スキルの《預言者》が見せた光景だが、そこはスルーして、魔力量を弄られている件を伏せ、事実を語っていく。

 ここで下手な誤魔化しは要らない。そんな事をすれば、事態はもっとややこしくなるだろう。そして私のステータスの説明なんてもっと要らない。本当にややこしい事になるから。


「何が、お望みですか?」


「10年前の書類が間違いであった事。今なお、エグランディーヌ侯爵家の正式な当主は、わが父、ジョエル・エヌメット・エグランディーヌである事の証明を。叔父夫妻の身柄は、国にお任せ致します」


「……では、こう言った筋書きに致しましょう。貴女は叔父夫妻を名乗る詐欺師に実の家族を人質に取られ、従うしかなかった。そして女王就任を機に私の力を借り、詐欺師を排除。本当のエグランディーヌ侯爵家の方々が家に戻る……いかがです?」


 詐欺師に脅され、従うしかなかった。確かにそれなら、詐欺師に屈したとされエグランディーヌ侯爵家の威信は地に落ちても、家族を優先する心優しい女王陛下として、国民の印象に私の事は強く残るだろう。

 でも、それはダメだ。セシリアのせいで人生を狂わせてしまった人たちを使って、私が名を上げる事など、赦されない。


「わたくしは、死んだことにしてください」


「……何を仰っているのですか?」


「セシリア様っ……」


「わたくしが次期女王であると知る方は、この国でまだほんの一握り。現女王陛下と神殿の神官長、そしてトリス宰相閣下を含む、ごく少数の方のみです。であれば、次期女王がエグランディーヌ侯爵家の娘であると公表しなければ良い。セシリア・メヌエット・エグランディーヌは死に、わたくしはただの【セシリア】として、女王に就任致します。わたくしの名を上げる為に、わたくしの家族を使う事は、決して赦しません」


「ご家族が、悲しまれるのでは?」


「……そう、かも、しれません。ですが、もう10年です。もしもわたくしが全属性でなければ、きっと叔父はこの様な凶行は行いませんでした。わたくしの家族が、それに巻き込まれる事も……。もう、わたくしから、開放して差し上げたいのです」


 10年もの長い時間、私の存在のせいで、きっと両親も、弟も、ずっとずっと苦しんできた。私を殺すと叔父に脅されて、優しい両親は従うしかなかったのだろう。たった5年。でも、その5年の間に注いでもらった両親からの愛情は、確かに本物だった。それだけあれば、きっとセシリア()は生きていける。空っぽじゃなかったのだと、あの優しい記憶が、証明してくれるから。

 ぐっと握った拳に力を入れ、真っすぐにタイサンを見つめる。


「トリス宰相閣下にお願いしたい事は、先ほど申し上げた通りです。わたくしの家族は病を患い、遠い地で療養していた。当主代理を叔父夫妻に任せ、わたくしを任せ。しかしわたくしは病により急死。病を克服した両親と弟がエグランディーヌ侯爵家に戻り、気が付けば姿を消していた叔父夫妻を除き、総ては元通り……それで、良いではありませんか」


「そんなっ……セシリア様!」


「お黙りなさい、ノヴァーリス」


 納得がいかない、と言わんばかりに声を荒げるノヴァーリスの方を見ず、自分でも驚くほど低い声で、彼を制す。

 解ってる。こんなのただの自己満足だ。彼らが過ごした10年間を、私は棒に振ろうとしている。なんて勝手で、なんて、残酷。

 しかし、セシリアが死んだという悲しみは、生きてさえいれば、いつか癒える。もうこれ以上、私のせいで振り回される事のないように。もうこれ以上、私の存在が彼らを傷付けないように。

 これは、私が背負うべき咎だ。

 ズキズキ痛む胸を無視して、私は言葉を紡ぐ。


「……赦されるのであれば、トリス宰相閣下には、10年ぶりに表社会に戻るエグランディーヌ侯爵家を補佐して頂きたく」


「お望み通り、ダルセ・エグランディーヌ候、及びティフトン夫人の件については、こちらで内々に処理致しましょう。補佐の件も、公には出来ませんが、気に掛ける程度の事はお約束致します。……しかしそれ以上は、貴女のご家族を救出してから、話し合うべきです。私も人の親だ。……護りたかった娘が、自分達のせいで存在を殺してしまうなど、私なら、耐えられません」


「っ……また、参ります」


「ええ、今度は、貴女のご家族と一緒に」


 その言葉には答えを返さず、唇を噛み締め、なんとか頭を下げる。

 スノウを腕に抱いたノヴァーリスが、そっと私の肩に触れた。

 ぐちゃぐちゃに絡まる心を深呼吸を数回繰り返してなんとか鎮め、雷属性の属性固有スキル《時空間転移》を発動して、エグランディーヌ侯爵家にある私の部屋へ【飛ぶ】。

 ぞわっとした感覚が、身体を支配した。

 私たちが転移する瞬間、タイサンがひどく悲しそうな顔をしていた事に、私は(つい)ぞ、気付かずに。




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