本編2-2
蝉の声が、する。
ジージー、ミンミン、木々の隙間から、鳴き声が響く。
ぼんやりと目を開けば、知らない場所に居た。
いや、居たと言うには語弊があるかもしれない。正確には、私の意識だけが其処に在った。
ぐったりと力なく横たわる男女に縋るように、男の子が泣いている。
濃い金色の髪。ぼろぼろ涙を流す瞳の色は、外で梢を揺らす木々と同じ、緑色。
幼くまろい頬は、しかし栄養が足りていないのか、少しやつれていた。
「父上っ母上っ……どうか、どうか、僕を置いて行かないでくださいっ……!」
私より少し下であろう年頃の男の子が、悲痛な叫びを口に乗せ、涙を流す。
見たことも、会った事もない人達の筈なのに、どうしてかその光景に胸が張り裂けるような痛みを覚えて、視界が歪む。はく、はく、と口を開閉させ、気が付けば私まで涙を流していた。
何でこんなにも胸が痛むんだろう。解らない、解らない……本当に?
頭のどこかで、私であり、私じゃない声がした気がした。
ゆる、と、力を振り絞るように、やせ細った男の手が、男の子の頭を撫でる。
「次期、当主が、な、くん、じゃ、ない……だい、じょうぶ。お前は、一人ぼっちには、ならない、よ……」
「父上っ!」
「……ああ、ああ。……わたくしの、可愛い子。あな、たの……おねえ、さま、が、きっと、貴方を、見付けて、くれるわ……」
「母上っ!」
「ああ、そうだな……」
「ええ……だって、世界でたった二人の、きょう、だい……です、もの……」
きっとかつては傾国と謳われるほど美しかったのであろう顔にゆるゆると優しい笑みを浮かべ、頬のこけた女が、その眦に涙を浮かべた。
夕焼けに揺れる小麦のように濃い金色の髪は、艶を失っていた。
「僕の、姉上……?」
緑色の瞳いっぱいに涙を浮かべた男の子が、ぽつりと呟く。
「僕……覚えてます。優しい、姉上……」
「ああ……そうか、そう、か……きっと、お前が、あの子を……ささえ、て、あげるん、だよ……」
「わたくしの、可愛い、子供たち……わたくし達は、いつでも、あなた達の幸せを、願って、いるわ……」
ああ、ああっ!
私はこの人達を、知っている!!
ぐらりと、世界が歪んだ。
後から後から涙が零れて、しかし零れ落ちる涙もそのままに、私は呆然とその光景を見ていた。
「いやあっ! 助けてっ!! お父様! お母様!」
「大人しくしろ! お前はわしのお陰で、この国一番の魔力を手に入れるのだ!! 次期女王になれるのだぞ!!」
「要らないっ! そんなの要らない! いや、やだあっ!! お父様っ! お母様っ!!」
「良いから来い!! ふふ、ははははっ! これで、この家も、この国もわしの物だ! わしを馬鹿にしおったあの兄を! わしを見ようともしなかったあの女を! あ奴らが宝物だと宣う貴様を使って、地獄に叩き落してくれるわ!!」
「いやあっ!! お父様、お母様っ! 助けて、助けて!」
「ようやく、ようやくだ! カゲノ国からこの秘術を盗み出すのに、どれだけの時間が掛かったか……!」
肥え太った男の指が、濃い金色の長い髪を鷲掴み、床の上に描かれた魔法陣のような物の上に少女を引き摺っていく。
髪を掴まれたまま引き摺られた女の子は、痛みと恐怖にそのシャボン玉のような輝きを持つ瞳を曇らせ、ぼろぼろと大粒の涙を流していた。
しかし、所詮は大人と子供。
女の子がいくら泣いて暴れても、男は意に介することなく、魔法陣の上にその女の子を縛り上げ、ブツブツと呪文のような物を呟き、その子に砕かれた色とりどりの魔石が入った液体を振りかけた。
魔石と液体の魔力に魔法陣が反応し、強い光を放つ。
じゅ、と、一瞬で液体が蒸発した。
「あ、ああああっあぁあぁああぁあああぁぁっ!!」
絹を裂くような、少女の絶叫が暗い、昏い部屋に響く。
ニタリと笑みを浮かべた男は、壊れたようにずっと笑っていた。
ビクン! と女の子の身体が一層強く跳ね、力を失う。
涙を流したまま力を、瞳の輝きを失ったその女の子は、虚空を見つめるようなぼうっとした視線を男に向け、叫びすぎて枯れた声で、小さく呟いた。
「だれ……?」と。
その一連の光景を、私はただ見ている事しか出来なかった。
だって、だって、あれは、セシリアだ——!!
「あ、ああ……っ!」
ぼろぼろと、瞳から涙が零れ落ちる。
両手で顔を覆い、その場に力なく膝をつくと、頭の中に一気に映像が流れ込んできた。
優しい両親。可愛い弟。それが本来の私の、セシリアの家族だった筈なのに。
では、今まで両親だと思っていたあの二人は——誰だ?
セシリアが5歳になったばかりの、月のない夜だった。
3歳年下の弟がぐずり、その時、セシリアは一人だった。いや、近くにメイドなり侍女なり居た筈だが、恐らくあの男に買収されていたのだと思う。
難なくセシリアの部屋にやって来たあの男は、彼女を屋敷の地下室へと連れだした——探検をして遊ぼうと、嘘をついて。
当時、何となくその男の事は苦手だったけれど、しかし父の弟——叔父だから、セシリアは疑う事無く男の言う事を信じた。
そして、あの凶行が行われた。
生まれ持っての全属性で、同年代に比べ豊富な魔力を持っていたセシリアの魔力を、さらに増やす為の、秘術。呪い——毒と言ってもいい。
それは本来、長い時間を掛け、強い痛みと共に少しずつ魔力を馴染ませながら行われる筈のものだった。だが、功を焦った叔父が本来なら死んでも可笑しくない量の魔力を注いだのだ。
しかし元々豊富な魔力と、そして全属性と言う器を持っていたセシリアは、その膨大な魔力を体内に取り込み、自分の物とした——記憶と感情を、引き換えに。
「……可笑しいと、思ってたんだ……。5歳から前の記憶がない事も、《私》っていう異分子が、すんなり馴染んだ事も……!」
怒りで、頭がどうにかなりそうだった。
まだ甘えたい盛りの、たった5歳の子供にする事じゃない。
泣きながら助けてと叫んだセシリアの言葉を無視して、あの男は嗤っていた。自分の欲望を、満たす為だけに。
そして同時に、何故ノヴァーリスが、あんなにもセシリアに依存し、執着していたのかも、分かった気がした。
きっと彼は、これから先、9年の間に、セシリアの過去を知ったのだろう。だから、執着した。もしかしたら世界で唯一、——かもしれない人に。
ノヴァーリスとの問題は、思ったより根が深いのかもしれない。
しかしそれよりもまず、あの毒親——もとい、叔父夫妻をどうにかしなければならない。
《過去視》が視せた過去は、今更覆らない。
しかし「未来」なら。きっと《預言者》が見せたのであろうあの光景なら、まだ、間に合う。
ずっと、ずっと久しぶりに、きっと10年ぶりに見る弟は、すっかり大きくなっていた。
歳の頃から言って、多分、10歳~13歳程度。あまりきちんとした栄養を摂れていないように見えたから、もっと上かもしれない。
季節は、夏。今と同じ季節だ。だったらあれは、少し先の未来なのかもしれない。
やせ細った父の指には、エグランディーヌ家の家紋が入った指輪が嵌めてあった。
あれがきっと、当主の証。
だったら、両親と弟はこのエグランディーヌ領の何処かに居るはずだ。あの叔父がまともに領地の仕事を熟すとは考えにくい。
で、あるのなら、今も変わらず、領地の仕事は父が行っているのだろう。それなら、エグランディーヌ領の外で監禁、あるいは軟禁されているとは考えにくい。
「待ってて。絶対に、見つけ出すから」
勿論、ベルの事も、その両親の事も心配だけど。
両親も、弟も、きっと全属性を持ったセシリアが居なければ、その人生が狂う事は無かった筈だから。
「ごめん、ごめんね、ベル。絶対に私が見つけるから。だからごめん、今だけは、私が家族を優先する事を、許して……」
セシリアが狂わせてしまった人の人生だから、どうか私に、贖罪の機会を——。
色んな感情が、胸を押し潰す。怒り、罪悪感、焦燥……様々な感情がごちゃ混ぜになり、瞳からはぼろぼろと涙が零れた。
それを腕で乱暴に拭い、前を向く。
ベルではなく私の家族を優先させると決めた以上、私がこれ以上泣く訳にはいかない。
万が一、なんて考えたくないけど、もし私が間に合わなかったら、彼の気が済むまで詰られて、罵られて、殴られる覚悟を決めて、前を、向く。
「……リ、様、……リア様っ!」
……ああ、私の、騎紫の声だ……。
「セシリア様っ!!」
「……ノヴァーリス」
「良かった、気付かれたのですね……!」
「があうっ」
「スノウも……ごめん、私、倒れてた……割には身体が痛くない?」
「いえ、寸での所でスノウが気付いたので、僕とスノウで支えさせて頂きました。サクリーナさんが顔を真っ青に染めていらっしゃいましたが……また、僕の知らない所で無茶をなさったのですか?」
「し、てない……今は」
「今は?」
少し声を低くしたノヴァーリスに、へらりと力のない笑顔を浮かべる。
底なしの沼から這い出た絶望に足を引っ張られるような感覚は、もうしなかった。
「……ちょっと、私って、嫌な人間だなあって、思って」
「……何もかも、お一人で抱え込まないでください」
「がうぅ……」
「ありがとう、二人とも。……でも本当に、此れは私自身の、問題だから」
「お供します」
「……ダメ」
「セシリア様……」
ぐ、うう。そんな、あからさまに眉を寄せたって駄目なんだからな! こんな時に、流石の私だって可愛いなんて思ってませんから!
「ダメだよ……ノヴァーリスが居ると頼っちゃうもん」
「…………頼って、ください。お願いですから」
そんな、本当に懇願するように言わないで欲しい。思わず頷きそうになる。
「本当に、私的な、事なの……でも、絶対に私がやらなくちゃいけない。私が招いた、結果だから。私が、責任を取らないと……」
「貴女様がそうお決めになったのなら、僕は従います。ただ、御身の傍を離れるつもりはありません。僕は——護衛ですから」
「……ノヴァーリス」
いっそ晴れやかなまでのその顔に、もう「護衛」と言う言葉に縋り付いていたノヴァーリスは居ないのだと目を見張る。
そこに居るのは、紛れもない、アルカンシエル王国の鉄壁の守護、防御の要を担う、騎紫だった。
閲覧、評価、ブクマ、誠にありがとうございます。
漸く本編1-1、および1-16の内容を回収出来ました。
騎赤のベル・ヴィクトリア本人が出てくるのはもう少し先になります。その時には黄騎と橙騎も出てくる予定。予定は未定←
次話は明日の12時更新予定です。




