本編1-8
ふわりと、花が綻ぶようにノヴァーリスが微笑んだ。
彼と出会ってから約2週間。
初めて見る、顔だった。
その笑顔に意識を持っていかれ、思わず素の喋り方が出てしまった事に臍を噛む。墓穴をさらに深く掘った気分だ。
揺らめく炎を内包し、キラキラ輝くノヴァーリスの《永久氷牢》。
あらゆるモノを閉じ込める氷の牢獄……と言うのはゲームの知識であったが、現物を見ると、不思議な感覚だった。
氷の中に炎が揺れているのに、外側の氷が溶ける事はない。
どんな原理なんだろうと思ってしまったが、魔法に私が考え付く原理も何もあったものではないと、色々な思考を放棄して、細かく散らばった美しい氷をぼーっと眺める。
もう、《時空間転移》で帰って良いだろうか……うん、ダメだよね。知ってた。
「セシリア様?」
「……ノヴァーリス」
「はい。何ですか?」
緩やかに微笑んで、ノヴァーリスが座り込む私に手を差し出してくる。
太陽の光が、ノヴァーリスの白月光の髪をキラキラと輝かせて、まるで後光を背負うようだ。ちょうど影になった紫玉の瞳が、一層色を濃くして、愛しそうに私を見つめてくる。
あまりの神々しさに拝みそうになる。私の推しは菩薩か如来なのだろうか。
好きな人の前だと、人のIQはチンパンジー並みになるのだと、どこかで聞いた事がある。あれは推しにも適用されるんだな、と、どこか飛んだ思考で考えた。今だったら、私よりチンパンジーの方が頭が良い気がする。
もう、「しゅき……」としか言わなそうな口と脳を必死に動かし、とりあえずノヴァーリスの手を借り、立ち上がる所から始めた。こういう小さな一歩が大切なのである。……何言ってるんだろう、私。
「……その、幻滅、しましたか?」
「幻滅、ですか……?」
ぐっと喉に力を入れて、今現在一番気になっていた事を聞いてみる。
魔鉄道で散々あんな偉そうな事を偉そうに言っておいて、毛虫を前にしてこのザマだ。
泣き喚いての《大煉獄》。ちょっと洒落にならない。
「そう、ですね」
思案するように顎に手を添えたノヴァーリスが、私から視線を逸らす。
引いた? 引いたよね?
解っていた事とは言え、心臓が早鐘を打って、やたら痛みを訴えてくる。
「先ほどセシリア様が仰っていた、ひく、と言うお言葉と、幻滅したと思われたのは、同じ意味と捉えてもいいのでしょうか?」
「……ええ。幻滅ですとか、軽蔑ですとか、失望したとか、不快感を覚えたとか、ガッカリしたとか、そう言った意味です……」
待って。自分で言ってて結構へこむ。
言葉を発するごとに私の視線は下へ下へと落ちていき、ノヴァーリスは涼やかな目元を限界まで見開いて、瞳が零れるんじゃないかと心配になるぐらい驚愕に目を見開いていた。
「僕は……」
「っ……」
ぐっと握った掌に力を込めた。
殺すならいっそ一思いに殺してよ! もったいぶらないでよ! なんて荒ぶる内心を沈めて、なるべくノヴァーリスから視線を逸らさないように、気を抜くと下を向こうとする瞳を、持ち上げる。幻滅したと死刑宣告されるなら、せめて推しの目を見て死にたい。
ダメだ。毛虫の魔物とエンカウントしてから、だいぶ混乱してるな私。
「先ほど、泣きながら蹲るセシリア様を……その、可愛らしい方だな、とは、思いました」
「……」
は? と、音にならず、唇から空気が零れ落ちた。
え、なんの話? ノヴァーリスの瞳には、違う世界の私の姿でも映ってたの?
「貴女様は、僕なんて必要ないぐらい完璧な方で、僕はいつも、セシリア様のお役に立ちたいのに、貴女様に赦して頂いたり、諭していただくばかりでしたので……その、セシリア様にも苦手な事があって、安心しました」
「……」
「それに、先ほどは混乱からだと思うのですが、まるで心許したように砕けた口調で話しかけて頂いて、嬉しかったです」
「……ああ」
——ノヴァーリスの女王様フィルター、舐めてたわ。
私が思っていたよりずっと、ノヴァーリスの中の「女王陛下」と言う存在は揺るぎないようだ。
微かに朱が差した、まだ幼さを残すまろい頬。少し薄い唇は、緩く弧を描いている。
彼が今現在その紫玉の瞳に映しているのは、多分「女王という器」だ。今まで、「私」がノヴァーリスの前で完璧であった事なんてないのだから。そもそも本当に完璧な人間なんて、この世に居ないだろう、普通。
ノヴァーリスは、私が「女王陛下」だから、私の言動は「完璧」と思っている節があるのだと思う。
つまり「私」が「女王陛下」でなければ、彼は「私」に見向きもしない。
そう思うと、なんだか遣る瀬無くなってくる。
ガチ恋勢じゃないし大丈夫とか思ってた私の横っ面を叩いてやりたい。結構、辛いぞ。
推しが「女王陛下」しか見ていないことも、今まで掛けてきた「私」の言葉より、「女王陛下」の存在そのものに負ける事も。
すっと冷えた頭で考える。
でも、それでも、私は君を生かすと決めたから。
ノヴァーリスの為とかそんな高尚な理由ではなく、私自身の、我儘で。
「私」が、君に幸せになって欲しいから。幸せそうに蕩ける、その紫玉の瞳が見たいから。
だから、胸の痛みには蓋をして、にっこりと微笑んで見せる。
そう、そうだ。ノヴァーリスの心を手に入れるのは、「私」じゃない。主人公だ。圧倒的光属性の、本当の意味で慈愛に満ちた女の子。私の次の、女王陛下。
「私」は、道化。この子を生かす為の、演者。その為にこの世界に発生した、バグ。
そう自分自身に言い聞かせなければ、「私」を見てよと、みっともなく泣き崩れそうになってしまう。
そんな無様、そんな醜態、私自身が許さない。
さあ、笑え。笑え。この子が死ぬ未来を、ひっくり返す為に。
「——だったら、ノヴァーリスの前でだけは、この喋り方で居ようかしら。その方が私も楽だし」
「っ! はい、セシリア様のお心のままに」
「でも流石に公の場では改めないとね」
「そう、ですね……。流石にそれは、僕も立場的に苦言を呈する事になるかと」
「気を付けます。私がやらかした時には、フォローをよろしくね、私の騎紫様」
「はい。貴女様のお心を曇らせるもの総てから、僕がお護り致します。女王陛下」
「……私はまだ、次期、女王だよ」
蕩けるように、ノヴァーリスが笑う。
自分勝手に未来を改変しようとした代償は、この胸の痛みだけ。
世界を滅ぼす術式が発動されるまで、恐らく後9年。
それだけあれば、この胸の痛みとも巧く付き合えるようになるだろうか。
勝手に零れそうになる涙を、眉間にぐっと力を入れて押しとどめた。
セシリア、自分の感情を自覚する回でした。
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ようやく魔石採取編、別名セシリア恋心自覚編に作者の中で目処が付きました。
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