3『ローグス』
タツヤマは薄暗い施設の廊下を走っていた。
厚い防弾チョッキに戦闘用のカーゴパンツ、両手にはグロック19自動拳銃を構えている。
廊下の突き当りに人影がちらつく。
彼は咄嗟に近くにあった台車の裏へと飛び込んだ。
瞬間、人影が連射したサブマシンガンの銃撃音が通路に響く。
タツヤマは身を強張らせつつ、祈りを捧げるようにグロックを両手で持った。
「ハァ―――」
銃撃戦は彼にとって日常の一部だが、それでも慣れる気配はない。
死の恐怖はいつまでも付き纏う。どれだけ屈強な警官や軍人、ギャングや殺し屋にすら平等に。
それは死線を掻い潜るために必要な本能であり、失ってはならないものだ。
次々と台車に当たる銃弾の振動を広い背中に感じながら、タツヤマは相手の出方を伺う。
アドレナリンが過剰放出され、独特の苦味が口腔に広がる。鼓動が秒刻みで早まっていく。
そう、これこそが『生きている』という証だ。
タツヤマはグロックを片手に持ち替え、懐から鉄の塊を取り出した。温存していた、最後の手榴弾。
レバーをしっかりと握り、安全ピンに指を掛ける。
突然銃声が止んだ。
台車の陰から覗くと、影は硝煙だけを残し、姿を消していた。
弾切れという可能性が一瞬頭に浮かんだが、却下する。
素人ならともかく、ある程度経験を積んだ者であれば、弾倉が空になるまで撃ち続けるとは考えづらい。
こちらの反撃を見越して隠れたか。
あるいは応援を呼びに行ったか。
「ああ―――面倒臭いぜ、クソが」
一か八かの判断で、タツヤマは台車の影から腕だけを出し、手榴弾を廊下の先めがけて思い切り滑らせた。
からんからん、と金属が廊下を渡る音が聞こえ、五秒後に轟音が施設全体を震わせた。
タツヤマは警戒を解かず、少しだけ顔を出して状況を確かめる。
硝煙の向こう、突き当りの角から擦り切れた脚が覗いていた。
「当たりか」
ふぅ、と息をつき、タツヤマは身を起して再び全力で走る。
彼の目的は黒焦げの死体を増やすことではなく、その先だ。
もはや時間の猶予はほとんど残されていない。
入り組んだ通路を数秒で駆け巡り、タツヤマは遂に目的地へと辿り着いた。
ドアの前に立ち、用意したカードキーを丁寧にリーダーへと通す。
三重に閉ざされた鉄扉が一つずつ開いていく。タツヤマの喉をアドレナリンまみれの唾がゆっくりと通る。
そこは、整然とした研究室だった。
壁際にはコンピュータや計器、専門用具が所狭しと並んでおり、中央を取り囲むようにおぼろげな光を放つカプセルが設置されている。
その内の一つ、ドアの真正面に位置するカプセルの蓋だけが、開かれていた。
タツヤマが内部を覗き込む。
そこにあったのは、馴染みのある赤茶色い髪の毛が数本と、多量の血痕。
「おい、嘘だろ」
まさか、そんな訳がない。
情報の出所は絶対に信用できる。作戦も完璧で、自分の行動にも不備はなかった。
あらゆる手段を尽くし、考え得る限り最速でこの場所に辿り着いたはずだ。
タツヤマは急いで他のカプセルの内部も確かめる。
だが当然のごとく中身は空で、使用形跡もない。
『目標』が入っていたと思わしきものは、どう考えても正面のカプセルのみだった。
タツヤマは震える指でゆっくりと血の跡をなぞり、握り締める。
「あ、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
後悔と無念が心中で綯い交ぜになり、絶望を形作る。
慟哭は消えることなく響き続け、それに共鳴するかのように研究室も音を立てて崩れていく―――。
▼
「ああああああああああああああああああああああああああああああ痛ぁ!」
タツヤマは絶叫と共にベッドから勢いよく転がり落ち、埃まみれの床にキスをした。
「きゃあっ!」
横のテーブルでなにやら作業をしていた少年が、女性と聞き違えるような嬌声を上げて椅子から飛び上がる。
「ああ、あ―――。ああ」
夢か。そう、夢だ。
タツヤマの意識は徐々に覚醒し、現実を認識してゆく。
「葵よぉ、僕ちゃんもしかして、もしかしてた?」
「……はい。か、かなり唸ってました。怖いほどに」
葵と呼ばれた少年は恐る恐る頷く。
そうかそうか、とタツヤマは目を擦った。
斎賀葵はその反応に違和感を持ち、それを伝えようか数秒迷った挙句、諦めて口をつぐんだ。
タツヤマは彼の右往左往する表情を呆っと見つめ、やがて手元に視線を落とした。
ディケンズの小説『二都物語』の文庫本が転がっている。容姿の似ている二人の男が一人の女性に惹かれる、悲恋の話だ。
タツヤマはそれを手に取り、続きを読み始めた。
▼
九州地方、福岡県北九州市八幡西区に佇む、広大な敷地の廃工場。
その内部、元々は休憩室だったフロアに設置されたベッドがタツヤマの定位置だ。
この廃工場はタツヤマの手によって大胆に、あるいは強引に改装され、今では彼が率いる組織『ローグス』の根城となっている。
ローグスには目の前の葵を含め、社会に適応できず行き場を失ったならず者達が大勢参加している。
そして、彼らにとって居心地の良い空間を提供しつつ、埋もれた才能を発掘するのがローグスの主な目的だ。
ローグスのリーダーは今のところタツヤマが務めている。
彼が作った組織なのだから当然であり、本人もやり甲斐がある役目だとして適当にこなしている。
だが最近、
「タツヤマさんって緊急時以外は大きめのナマケモノだよね」
という苦言がメンバーから数多く寄せられており、彼の立場を危うくしていた。
しかしタツヤマにその態度を改めるつもりは皆無だった。
だらだらするのは気持ちいい。最高だ。
できれば一生、夢も見ることなくベッドに埋もれていたい。
▼
タツヤマが二都物語の続きを読み始めて数分後。
「邪魔しますよ」
休憩室のドアが乱暴に開き、小柄な少年が入ってきた。
「来たな、問題児」
タツヤマはそう思い、そのまま口に出した。
葵も黙ってこそいるが、内心同じように思っているのだろう。あからさまに挙動不審の度合いが増した。
少年――須藤真和はタツヤマの言葉を気にすることなく台所に行き、冷蔵庫を無造作に開けた。
そして叫んだ。
「……ない。ない! なくなってる!! オレが作ったプリン!!!」
彼は冷蔵庫のドアをこれまた乱暴に閉め、タツヤマにキッと睨みを効かせた。
「やめろ。みんなの大切な冷蔵庫が壊れちまう」
「白状してくださいよ、タツヤマさん」
「む?」
何のことだろう?
真和はもしや、俺を疑っているのか。
リーダーの俺を。
問題児を拾ってやった俺を。
甘いもの大好きな俺を。
「なるほど」
タツヤマは睨みを正面から受け止める。
「俺じゃないぞ、真和」
「……マジっすか」
「マジ」
「本当に?」
「俺はずっと寝てた。疑うなら葵に聞いてみろ」
「…………………………」
真和はもうしばらく疑いの視線をタツヤマに送ったあと、幼児のように癇癪を起した。
「誰が! 誰が食いやがった!? オレのプリン!!! オレの愛!!! オレのあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!」
タツヤマはうんざりした顔で両耳を塞ぐ。
葵はノートパソコンを閉じ、ガクガクと痙攣している。
どうしたものか。
文庫本を投げて黙らせるか?
いや、真和にこの本は勿体ない。
かくなる上はデコピンで殺すしか……。
タツヤマがそう考えて指に力を込めた、その時。
「私です」
黄色い塊の入ったカップとスプーンを持ちつつ、もぐもぐと口を動かす少女が開けっ放しの戸口に立っていた。
「き、北本……さん……?」
突然、真和は畏怖の視線をその小柄なボブカットの少女、北本晴に向けた。
「お腹が空いていたので」
晴は尚も口を動かしつつ、真和を見つめる。
ただそれだけのことなのに、彼はグラホのバイブレーションのごとく震えている。
そんなに怖がらなくてもいいだろうに。
タツヤマはそう思う。
今彼女の手に握られているのはカップとスプーンだ。
であれば、晴に危険性はない。
―――最も。仮に彼女が真和の恐れている通りの物を手にしていれば、ここに居る全員の額に風穴が空いていただろう。
真和は更に縮こまった身体を両手で抱き、その場に座り込んで晴の方をちらちらと窺っている。
晴は何事もなかったかのように空いている椅子に座り、間食の続きを始めた。
……落ち着いたか?
タツヤマは再度、文庫本を開く。
起きぬけの読書も満足にできないとは。いつからこの部屋は爆弾共の溜まり場になった?
考えようとして、やめた。
「面倒臭いぜ」
今は本を読もう。読むのだ。タツヤマはそう決心し、本のページをめくる。
▼
「なにをする所なの? ここ」
ボロボロに錆び砕けた看板の前で愛紗はポカーンと口を開いたまま言った。
僕も最初にここに来たときは口をあんぐりさせたものだった。
辛うじて「三……食……工」と読めるその看板はもう何年も手入れをされておらず、隣接する駐車場もコンクリートが割れていた。その中にポツンと置いてある、ピカピカに磨いてあるシルビアS15はローグスのメンバーの一人である斎賀葵の車だ。
工場と思われるその外観も壁が半分以上砕けよくわからない色に黄ばんでいた。
「まぁ……入ろうよ」
僕はそう呟いて愛紗の手を引く。
正面玄関にまで向かうと、ボロボロに穴が空いたパイプからネズミが飛び出てきていずこかに逃げていった。
正面玄関のガラス製のドアを開ける。
ボロボロな外観とは打って変わりそこは立派なホールだった。
スピーカーからはリラックスできる優雅な洋楽が流れ、カウンターの向こうのテレビには古き良き時代の映画が流れている。映画は日替わりで別の映画に変わり、今日の映画はロブ・ライナー監督の『スタンド・バイ・ミー』。おそらくこれはここのリーダーのタツヤマさんの趣味によるものだろう。
「ふーん……」
お化け屋敷のような外観からは想像もつかない内装に愛紗は驚いた様子だった。
「ほら、いいところでしょ? ここのメンバーもさっき言ったとおりみんないい人だよ。なんというかー「この人達といると退屈しないなぁ」とか――」
「オレのあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!」
休憩室から金切り声のような奇声が聞こえた。
それを聞いた愛紗の表情がまた警戒のそれに戻る。
おのれ真和。僕は内心舌打ちしたい気分だった。
「……たしかに、退屈しなさそうね」
皮肉たっぷりに愛紗が苦笑した。
行こう、と僕は再び手を取る。
休憩室に続く階段を上り、ドアを開けた。
「こんにちは、何かあったんですか?」
僕はなるべく笑顔を取り繕い挨拶をする。しかし――
「帰れ」
ベッドで読書をしていたタツヤマさんが不機嫌そうに一蹴した。
「えぇ……」
うろたえる他ない。
「見てみろ、この部屋はすでに定員オーバーだ。おととい来な」
タツヤマさんは本を手放さずそう言う。
僕は部屋を見渡した。手前のテーブルでプリンを食べているのは北本さん。銃が好きで、自宅に何丁もの銃を所持しているという眼鏡をかけた小柄な女子高生だ。
ノートパソコンの手前で僕の方に懇願するような視線を向けているのは斎賀葵さん。車やメカに精通している、ローグスの中では一番『まともそう』なフリーター。
どういうわけか地面に屈み込み、ブルブルと震えているのは須藤真和。生き物や植物をこよなく愛するが、それらから毒素などを抽出して爆弾とかを作ったりする困ったちゃんなのだ。この子はどういうわけかここローグスのアジトに毒ムカデを放ったり、この工場の一角を爆弾でふっ飛ばしたりしている、謂わば『問題児』である。
この通りこの集いにはまともな奴? なにそれ美味しいの? というくらいの異常者、社会不適合者の集まりだ。僕も入れてね。
「いやぁでもさっきからなんか奇声聞こえてましたしなにやら物騒な音も」
「なぁにいつものことだろ」
さも平然とタツヤマさんは言う。
「まぁそうでしょうけれど」
愛紗に手首をつねられ僕はここへ来た目的を思い出した。
「あ、いや、そうだ! 実は僕、タツヤマさんに用があって!」
「俺に?」
「紹介したい子がいるんです! ローグスの志願者として」
僕は愛紗の方を見る。愛紗はもう「願い下げよ」と言わんばかりに表情を曇らせていた。
強制的に連れてくるには気が引けるが、まぁ仕方ない。どの道この子には雨をしのぐところがないのだから。
ほらこっち、と僕は愛紗の手を引っ張った。
タツヤマさんは文庫本を閉じベッドに座り直す。
「…………」
愛紗はフードの奥からタツヤマさんを凝視していた。
「弓愛紗さんです」
愛紗が黙ったままなので、僕が代わりに紹介する。
真和は愛紗を見るなり立ち上がり熱烈な視線を向ける。
北本さんは愛紗と僕をちらっと一瞥し、再びプリンに取り掛かった。
葵さんは蚊の鳴くような声で「よろしく」と手を振る。
そしてタツヤマさんは――
「――カプセル」
愛紗が呟く。
「何?」
「からっぽのカプセル。あなたはその前に膝をついている。いつまでも、ずっと。赤い手で顔を覆って、泣いているのね」
愛紗は俯きから顔を上げ、はっきりと喋った。
からっぽのカプセルだって? この子は急に何を言ってるのだろう? 僕はそう考えたところで嫌な可能性が過った。
そうだ。愛紗の毒舌と並ぶもう一つの特徴、それは――
「そんなに、後悔するようなことだったの?」
タツヤマさんの内面を読んだ愛紗が再び悪魔の微笑みをみせた。
葵さんはタツヤマさんと愛紗を交互に見て怯える仕草をしている。
真和は何の話かは察していないが、不安を滲ませた風に愛紗を見つめている。
北本さんは食べ終わったプリンのカップとスプーンを置き、タツヤマさんを凝視する。
他のローグスのメンツも戦々恐々としていた。
僕も固唾を飲み下す。まさかこんな事になるとは。もう何もかも台無しじゃないか。
せっかくの住処を愛紗は足蹴にしたも同然だった。
僕はなにも考えずに口を開く。
「あ、あのですねタツヤマさん。彼女は――」
「よし、わかったぞ拓斗。この子を迎え入れよう」
タツヤマさんの急な返事に、僕は耳を疑う。
愛紗はおそらく僕にしたのと同じように、タツヤマさん見られたくなかった内面を視た。識った。普通なら怒って力づくでも追い出すところだ。それなのに何故。
「え?」
「愛紗ちゃんを迎え入れると言ったんだ。どうせ面倒くさい奴がひとり増えるだけだ。なにも変わらんさ」
極端なまでの大雑把思考。
僕は恐る恐る愛紗の方を見る。彼女はというと、いたずらに失敗した子供のようにバツの悪そうな視線をそむけていた。
どっと他のローグスの面々から歓声が上がる。
「愛紗さん、よろしく! オレ、須藤真和と言って――」
真和が愛紗の元に駆け寄り、自己紹介をした。
葵さんはほっと胸をなでおろし改めて、今度は先刻よりも大きな声でよろしくという。
北本さんは冷蔵庫の方に向かい、まだなにか食べ物はないかと漁りだしていた。
そしてタツヤマさんはベッドに再び寝転がり読書を再開する。
僕は唖然とする他なかった。あの心視は大人でも感情を表す、つまりは悲しみや怒りと言った感情を引き出すようにできているものだ。実際、滅多なことでは動じない僕ですら一発で憤ったほど凄まじい力を持っている。タツヤマさんの懐が広いだけではどうにかなる能力ではなかった。それなのに?
僕は疑問に満ちたままその夜はローグスのアジト『ローグ・ハウス』で就寝した。