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―Resonance Girl― 共鳴少女  作者: 玉屋ボールショップ
ActⅠ『ならず者たち』
4/5

2『家出少女』

 すべてが『元通り』だった日々のことを覚えている。

 つまりは僕がどうしようもない欲求不満を抱えていても、家庭は冷え切っておらず母……母さんもまだ生きていたころの日々。


 小学校の運動会。

 母は早朝の四時に起き、弁当を作ってくれた。

 たまごふりかけの乗ったご飯に、タコさんウインナー、中にベーコンを入れて焼いた卵焼き。とてもおいしかった。

 僕がかけっこで一位を取ると手を叩いて喜んでいたらしい。

 友達の親にカメラ役を頼み、撮った記念写真。

 はにかみながらVサインをしている僕と妹をセンターに、いつもどおりの朗らかな笑顔の母、真顔でピースをしている父。


 やがて中学に上がると僕はとうとう自分の衝動を自覚する。


「行ってきます」


 声を張り上げ玄関の戸に手をかける。


「拓斗、ちょっといいかしら?」


 母はいつもの「行ってらっしゃい」の代わりに心配そうな声音で僕を引き止めた。


「ん、なに?」


「あのね……なにかお母さんに秘密にしていることとか、ない?」


 僕は動揺する。言えるわけがなかった。刃物に執着し、それで生物を切り裂きたいという衝動に駆られているなんて。


 その動揺を感じ取ったのか母は慌てて、


「いえ、別に話したくないならいいのよ? ちょっと最近たっくん暗かったから、なにか悩みとかあるのかなぁって。お母さんの思い込み?」


「そう……だと思うよ。学校も楽しいし、パルクール部も面白い。あ、そうだ。沢口さんっていう気になってる女子もいて――」


 僕は強い口調でごまかすと母は、


「そうなの……。悩みがあったらいつでも相談なさい。人に相談するのが一番だから」


 これが母の口癖だ。昔からいつも言い聞かせられてきた言葉。この言葉を聞くと何故かわからないけど安心感で心が満たされている感じがしたものだ。


 ――今じゃなくてもいい。いずれ――


 その時の僕はそう高をくくっていた。


 でも現実は甘くはなかった。


「癌……?」


 僕は呆然とする中で辛うじて口をぱくぱく開閉させる。


 父は背中を向けながら話した。


「ああ、とても厄介なやつだ。もう手遅れかもわからん。抗がん剤を使用して生き長らえさせたとしても、待っているのは地獄の苦しみだ。……真矢にはまだ黙っていてくれ。あいつももう色々難しい時期だ」


 僕もだいぶ難しい時期なんだけど、という突っ込みは置いたとしてもあの元気だった母さんが癌……とてもそうだとは思えない。


 それから僕はなるべく母と共に多くの時間を過ごすことにした。もちろん父とそして事情を知った真矢も。


 そんなある日、母と公園に出かけた。母の病状は悪化の一方でもう僕に支えられて歩くのがやっとだ。


 母が「ちょっと疲れた」と訴えたのでベンチに腰掛けさせた。僕も隣に座る。


 どこか遠くでソフトクリームを落とした子供が顔をグシャグシャにして泣いていた。

 それを見て母は軽く指差し、


「ふふ、たっくんもよくああやってアイス落っことしてお母さんに泣きついていたわ……。あんまりにもジタバタするようだから仕方なくお母さんの分もあげたり……」


「うん」


 自分でも生気のない返事だと思い、焦って笑顔を取り繕った。


「……拓斗」


「どうしたの? 母さん」


「もし母さんが……駄目になったとしても、人に相談しなさい。一人で抱え込まないで。おまえと共に悩みを共有し、共鳴できる人を見つけなさい。私はいつでもおまえを、拓斗たちを見守っているよ」


「うん」


 僕は涙を堪えるのがやっとで母の顔はあまり見れなった。


 母はもうすぐ旅立つ。

 言えるわけないじゃないか、もう。



 目にじっとりとした湿り気を感じながら僕の意識はゆっくり覚醒する。

 しばらく呆然として換気扇の回る天井を見る。


 そうだ。僕はあれからネットカフェで寝泊まりしているんだっけ。


 他人事のように認識し、僕は体の痛みを堪えながらマットから身を起こした。

 母さんの夢を見ていたな。

 懐かしさと、切なさともどかしさから深々とため息をつく。



 僕は娯楽街にあるチェーンのネカフェの一室で半ば自堕落な生活を送っていた。学校にも行かず、家にももちろん帰らず。


 ホログラフィック式のモニターには、ひとつのニュースで持ちきりだった。


「【考察】シブヤ戦争は何故、いかにして起こったか?」


「あの出来事から今日で五年……シブヤ戦争を振り返る」


「シブヤ戦争、首謀者は本当に『悪人』だったのか?」


 …………。


 あの暴動事件からもう五年か。


 僕は何気なしにそう思う。


 シブヤ戦争……。ニュースサイトやマスコミにも報道が制限されてあると言われる、東京・渋谷で起こった大規模な暴動。


 簡単に言えば、暴力団と警察の機動隊との衝突だ。僕が五年前に見たニュースでは暴力団が揃って機動隊員に向かって火炎瓶を投げつけているシーンが印象的に記憶に残っている。


 しかしこの事件には背後で何かが動いていたとの見解もあり、謎の深まる事件だった。


 暴力団側の『主犯格』とされる龍山たつやま直人なおとも結局警察に捕まったが、一切何も喋らなかったとのことだ。


 龍山直人……この人については僕も色々勘ぐることがないわけでもない。


 しかし、それは殆どデマカセな未確定事項であったので、僕が決めるには如何せん荷が重すぎた。


 僕はモニターの中の時計を見た。午前九時三〇分。


「そろそろ出るかな」


 そう独りごち、スクールバッグを持ち、部屋を出た。


 財布を取り出しつつレジカウンターで、代金を払う。


 そろそろ財布のお金も尽きつつある。空腹のあまり万引きとか強盗をする展開はなんとか避けたかった。これ以上堕ちるところまで堕ちる気はさらさらない。


 バイトに行くことも考えたが、高校生のアルバイトは親の承認が必要なので、家に帰れない僕は当然雇ってもらえない。


 ――となると、やはり『あそこ』に寝泊まりするしかないか。あそこに。


 そんな事を考えつつ、僕は店を出た。



 店から出て僕は通りを渡り歩いた。


 街の人々はヤンチャっぽい兄ちゃんが多くを占めている。それもその筈、ここは治安の悪さから「修羅の国」だの「スラム」だの言われている北九州の娯楽街だ。

 手榴弾はさすがにその辺に転がってこそいないものの、危ない所には変わりなかった。


「ギャハハハハ!!」


 パチンコ屋から頭の悪そうな不良グループがバカ笑いをしながら、歩いてる僕に向かってきた。

 耳に障る笑い方だ。僕はそう思いながらも目を合わせないように不良どもの隣を通り過ぎようとした。


 通り過ぎようとする直前、不良の一人がまるで僕の肩に吸い寄せてきたかのようにぶつかってきた。

 信じられない。僕はそう思いながらも不良に謝る。


「あ、ごめんなさい」


「ごめんなさいだァ? どこ見て歩いてんだよジャリ」


 うーん、面倒なことになった。

 僕は冷静にそう認識する。


「わざとじゃないんです。お許しを」


「いまの当たり方はケンカ売ってるとしか思えないんだけどなぁ?」


「ヨー君、ガキいじめてどうすんのさ?」


「まぁ良いじゃないの。当たってきたのはあいつなんだし」


 不良の取り巻き、つまり同じ不良たち二人が野次を飛ばす。


 ……大声で叫ぶか? 僕はそう思ったが、今の通りはこういう性根の腐ったバカどもの巣窟だ。面白がる奴は居ても助けを呼ぶ人はいないだろう。


 となると……、はぁ仕方ない。


 僕はそう思って首の関節をこきゃっと鳴らした。僕には一応、格闘術の心得がある。


「おーおー元気いいねぇ? ヤル気満々ってか! あぁ!?」


 不良が胸ぐらを掴んで、顔をずいっと近づけた。口からシンナーらしきニオイをプンプンさせている。

 その時だった。


「ケンカはいいけど、その喋り方やめてくれない? 気持ちが落ち着かないわ」


 僕と不良達は一斉に声の方向を見る。

 あの少女だった。数日前、僕の心を読んでは内面を抉るような言葉を次々と放った彼女だ。

 相変わらずフードで顔が覆われてはいたが、昼間のお陰で愛くるしい顔立ちが伺える。


「なんだぁ、オジョウちゃん? 文句あるってのかよ?」


「耳につく喋り方はよしなさい、と言ったの。ケンカはご自由にどぅぞどぞー。あなた達が勝てる相手ではないと思うけれどね」


 僕の胸ぐらから不良の手がパッと離れる。僕はしわしわになったシャツを直しながらも、不良と少女のやり取りから目を離せないでいた。


「あいつ、ヤバくない?」


「ヨーちゃんどうするよ……」


「俺がこのモヤシに負けるとでも言うつもりか?」


「そうは言ってない。けど、ハタチになって未だに母親のお金を盗んでパチンコをしているあなたに負けてほしくないって思うわ」


 不良に迫られているのにもかかわらず、物怖じしない少女はそう言ってニタァと笑う。

 あの夜に見せた、悪魔の嘲笑だった。

 不良はというと意を突かれたかのように、少女から後ずさりをした。


「な、なんで……」


「なんでわかったか? ……まぁそんなことはどうでも良いの。更にそこのパチンコ屋で二〇万注ぎ込んで大負けした貴方には関係のないことよ」


 少女は愉しそうに、更に内面を抉り出す。


 どっちを止めればいいんだろう。僕は本気でそう思った。


「ふん、そのくせ意外とマザコンなんだね? 家での生活は自堕落で床を踏めば母親が食事を持ってくる始末……。将来がしんぱーい……」


 不良は先刻からガタガタと震えていたが、その一言でトドメを刺されたのか、


「覚えてろよクソアマァァァ!」


 と言って、足早に逃げていった。


「まってよヨーちゃぁん!!」


 そしてその後を追いかける仲間たち。


 助かったのか? 僕はその後姿が人混みに消えていくのを見ながら、おぼろげに思う。

 しかし、やはり超能力と言っていいのだろうか、あの子の読心術は。

 ――あの子?

 そう思ったところで僕は少女が現れた方を見た。


 少女の方もまた、遠く人混みに呑まれそうになっている。


「ちょっと、きみ!」


 僕は叫びながら少女の後を追った。



「待ってよ! ちょっとったら!!」


 僕は少女を追いかけて本人と始めて会った公園の南口に来ていた。ずっと追いかけていたのだ。叫びながらね。


 少女はしばらく僕から逃げるように、早足で歩いていたが、やがてウンザリした顔をしつつ振り返った。


「なぁに?」


「この間のお詫びと、今さっきのお礼をしたくて」


 少女は口角を上げ、フッと笑う。


「自惚れさせて悪いけれど、あなたを助けたくてあんな事を言ったんじゃないの。わたしのしゅ……、いやあいつが癪に触っただけだよ」


 いま自然に「わたしの趣味よ」と言いかけなかったか?


「というわけでわたしは別にあなたを助けたくてやったわけじゃないんだから。怒鳴ったことへの謝罪は聞き入れるけど、その辺は勘違いしないように、よろしく」


 いちいちキツイ言い方をする奴だ。


 それがあの夜からの、その少女に持っている印象だった。


 しかしここで怒ってしまえば、またおなじ轍を踏むことになる。


 だから僕はなるべく友好的な態度をとるように全力を注いだ。


「それでもさ、結果的に僕を助けることになった。それで僕はとても感謝している。それでいいだろ?」


 少女は眉を顰めた。感謝されることにはあんまり慣れていないらしい。


「ん、う、うん」


「僕、拓斗。よろしく」


「愛紗、――ゆみ愛紗あいさ


 自己紹介を交わすと、愛紗は目の前にあったベンチに腰掛けた。僕もその隣に、しかし愛紗とは適切な距離感を保ちつつ坐った。


「愛紗さんね。うーん、どういっていいかわからないけど……」


「読心術もどきのことでしょう?」


 僕が頷く。


「別に……生まれついての特性だよ。それ以外説明つかないわ」


「やっぱり……別に心理学とかのたぐいではないんだな」


「心理学であそこまでポンポンわかるわけないでしょう? 馬鹿みたい」


 毒舌は変わらずだったが、「馬鹿みたい」からは自嘲的なニュアンスも感じ取った。


「おかげで学校では孤立、友達もいない、まったくサ・イ・ア・ク、だわ」


 愛紗はそう言って皮肉な笑みを浮かべた。


 居心地が悪くなってきた。――まるで、


「だから家出を決行したの。もう何も厭だったから」


 ――自分を見てるようだったから。


「あなたも同じ境遇でしょう? あの夜別れ際に言ったことはそういうこと」


 そうか、と相槌を打つ。色々気になることもあったが、下手を打つとまた去りそうだったから黙っておく。


 きゅう、と間抜けな音が愛紗の方から聞こえて、僕は視線をそちらに流す。

 愛紗は顔を赤くして見開いた目を自分の腹部に向けていた。

 家出している身だ。しばらくは食事らしい食事をしていないのだろう。

 そういう事情はわかっていても、僕は思わず吹き出した。

 しまったと感じても笑いを止めることはむずかしい。


 愛紗は顔を赤くしたまま、こちらにキッと睨みを効かせ、


「ちょっと話しすぎたわね。じゃあわたしはこれで」


 と立ち上がった。


「ま、待ってよ」


 僕は笑いをなんとか押し殺し、愛紗の手首を掴む。


「家に帰れないなら、寝泊まりにうってつけの場所があるんだ。……ちょっと問題がある子も中にはいるけれど、みんないい人だよ」


「わたしが空腹で行き倒れる未来でもみてるわけ? そんなことないよ。だってほら――」


 愛紗は掴まれていない方の手でポケットの中を探り『BALANCE KARORI』とデカデカと書体された小箱を取り出した。


「食料もある」


「ダメダメ。あのな、知ってる? バランスカロリは満腹感を感じさせてるだけで十分な栄養は取れないんだよ?」


 どこかで聞いたような薀蓄を引用し、必死に食い下がる。


 その熱心さが心に響いたのか、あるいは呆れたのか、愛紗は大きなため息をひとつ吐いた。


「……しつこいわね。言っとくけど、少しでもなにかあったらわたし帰るからね?」

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