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ひめごと  作者: 暗炬
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02.楽園は遠く、遠く(中)

 産まれた頃から僕を焦がしていた感情の熱は、その後、愛や恋という形になって僕の胎の中でじりじりと燃えていた。恋というものは精神疾患であり、三年もすると解消されるという説があるようだが、それはどうやら誤りだったらしい。

 数年がたち、プライマリースクールに上がる頃。僕の胎の中の熱は小さくなるどころか、更に大きな熱となっていた。

 例えば、朝、隣で眠るアイザックの顔を見た時。

 例えば、二人で並んで食事をとる時。

 例えば、二人で揃いの制服に身を包み、リボンを結びあう時。

 例えば、彼のその柔らかな髪に触れた時。

 例えば、彼のその瞳に僕が映りこんだ時。

 それから。

 それから。

 彼との日常のありとあらゆる中で、僕は胎の奥で熱を感じ。時にはその熱をエネルギーに変え、行動を起こした。僕にとってこの熱は、彼が隣に存在する限り無限に生み出される、いわば永久機関のようなものだったのだ。

 ああ、別々になってしまっても大丈夫だった。僕と彼は分かれてしまったけれど、こうしてずっと一緒にいられれば問題ないのだ、と。そう信じていたのに。


 このつかの間の楽園を叩き壊したのは他の誰でもない、母だった。


「僕、将来はアイザックと結婚する」

 それはどんな会話の流れだっただろうか。僕はしっかりと片割れの手を握って、頬を染めながらそう言った。隣の彼はどんな顔をしていただろうか。今となっては覚えていない。きっと彼が僕の言葉に反対なんてしない、と。そう思い込んでいたのだろう。

 その時の僕は、愛し合った二人が一緒にい続けるには『結婚』という手段があり。ばらばらになってしまった僕たちがこれからもずっと一緒にい続けるにはこの方法しかないのだ、と。そう信じていたから。

 しかし、母はそんな僕に向かって少しだけ眉を垂らして。そうして、真っ赤なルージュで彩られた唇を動かした。

「あら、そうなの、ディエゴ。でもね」

 ――あなたとアイザックは兄弟だから結婚できないのよ。

 雷に打たれるほどの衝撃、とはまさにこのことだろう。頭上から浴びせられた母の言葉に、僕はただただ全身を震わせることしか出来なかった。もしかしたら、泣いてしまったのかもしれない。残念なことに詳しくは覚えていない。

 覚えているのは、そのあと。母に促されるまま、彼と共に布団にもぐりこんだ時のことだ。

 男同士。

 兄弟。

 結婚できない。

 隣で穏やかに眠る彼を見ながら、どくどくと脈打つ心臓を押さえる。じりじり。じりじり。胎からせり上がる熱を感じながら、大声で泣き出したくなった。普段であれば彼の寝顔を見ながら眠りにつくのに、ぐるぐると巡る言葉が邪魔をしてうまく眠れない。

 母の言葉を反芻する。

 男同士。

 兄弟。

 結婚できない。

 つまり、僕と彼が一生一緒にいられる手段がなくなってしまった。もしかしたら、彼は僕とは違う誰かと結婚をして、僕から離れてしまうかもしれない、ということだ。それがひどく恐ろしくて、僕の胎の中でごうごうと。業火の如く熱がせり上がってきた。

 ああ、彼を誰にも渡したくない。

 だって、彼と僕はもともと一つの存在だった。

 彼と僕は離れ離れになってはいけない存在なのに。

 ああ、彼はまた僕から離れてしまう――とそこまで考えて、僕は、は、と息を呑んだ。脳裏に浮かんだのは、そう。まるで悪魔のような囁きだった。

 ――なら、彼が僕から離れなければいいのではないだろうか。

 そう、離れてしまうのなら、離れないようにすればいいのだ。磁石の赤と青がぴったりとくっつくように。周りがどれだけ引き離そうと離れないほど、強く、強く、僕たちが結びついてしまえばいい。

 ゆるり。自然と唇が吊り上る。じりじり。じりじり。僕の胎の中の熱が、僕を内側から焼いていく。


 そう。その日から。

 僕は彼に『愛される』人間になると決めたのだった。


 彼が頭を抱える勉強を教えてあげられるよう、人一倍勉強をした。

 彼が苦手だという運動でアドバイスができるよう、人一倍運動にも力を入れた。

 彼が美術館で首を傾げてばかりだったので、美術の知識を蓄えた。

 彼が。

 彼が。

 彼が。

 僕の行動原理はすべて彼が基準となり、熱が僕を突き動かした。

 そうして。


「ディエゴ」


 彼の柔らかな桜色の唇が動く。僕の目の前。無事に同じハイスクールに通うことになった彼が座っている。紺色の制服に身を包みながら、金色のスプーンを手に僕をまっすぐと見つめていた。

「何、兄さん」

 そんな彼ににっこりと笑って見せれば、彼の黒曜石のような黒い瞳がぱっと煌めいて、それから彼は楽しそうに言葉を紡いでいく。今日の学校のこと。それから僕が所属する生徒会のこと。それから。それから。跳ねるような彼の声色に適当に相槌を打ちながら、思わず吊り上りそうになる唇を何とか留める。

 ――ああ、これなら、彼は僕から離れていかないだろう。

 僕は金のスプーンを握り直し、食卓に置かれたヨーグルトの皿にダイブさせる。一口すくって口へ。

 ヨーグルトと共に入れていたイチジクを、ぶちり。奥歯で噛みしめた。


 


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