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銀河航空  作者: ロキソニンあるよ。
3/6

河原の秘密

             ✈︎


「ねえ、もういいよ」

「どこかありそうなところは思いつかないの?」

「そんなのわかるはずないよう」


 美月は、クローゼットの中から、大きな衣装ケースを引きずり出した。

 蓋を開けると、陽太が着ていた幼児服が綺麗に畳んでしまわれている。

 この中にあるとも思えないけれど、一枚ずつ広げては、例のものが隙間に入り込んでいないか確かめていった。


 天国行きの航空チケット。


 信じられないことだけど、死者にはそんなチケットが配られるらしい。家へ戻ると、美月は食事もとらず、陽太の学習机はもちろん、タンスの引き出しや、書類の入ったリビングの戸棚を探し回っている。かれこれもう四時間が過ぎるが、それらしきものは全く出てこなかった。

 どうやら、衣装ケースの中にもないようだ。美月は、ため息をつきながら、散らかした幼児服を畳み直す。


「本当にチケットを持ってた記憶はないの? 死んでからのこと、一から思い出しなさい」

「だから、そんなのはじめから持ってなかったよ。きっとあのコ嘘をついてるんだよ」


 学習机の椅子に座った陽太を、美月は睨みつけた。


「夕実さんを信じなさい」

「あのコ嫌いだよ。なんだか嫌な感じがする」

「もう少し愛想良くしなさいよ。幽霊だって、これからはコミュ力が大事なんじゃないかな」

「よく言うよ。学校での美月は、ほとんど喋らないじゃん」

「うるさいな。だいたい、どうして学校まで来るのよ。幽霊なんだから、ずっと仏壇の中にでも入ってればいいのよ」

「やだよ」


 美月は、あることに気づいて、思わず飛び上がった。


「そうだ仏壇だよ! どうして真っ先に見なかったんだろう!」


 かわいい子孫のために、ご先祖様はきっとチケットを届けてくれるはずだ。

 美月は、さっそく日本間へ行って、仏壇をくまなく探したが、やっぱり紙切れ一枚見つからなかった。裏切られたような気になって、美月は仏壇をにらんだ。


「何がご先祖様よ! 一度くらい助けなさいよね!」


 鈴をひと叩きすると、静まり返った室内にチン!と音がこだまするきり、どこからも返事はない。

 ふと、畳の上にアルバムが目に入った。葬式の時に父親から渡されたものだ。中の写真はデジタルカメラに入っていたデータを印刷したものらしい。葬式の直後は、一人きりの部屋でよくこれを見ながら泣いていたものだった。弟が幽霊となって戻ってきてからは、そんなものがあることさえもすっかり忘れていたけれど。

 表紙をめくると、生まれたばかりの美月を抱く、浴衣姿の母親が目に飛び込んできた。


「それってさ、美月の写真ばかりだよね」


 いつのまにか隣では陽太が正座をしてアルバムを覗き込んでいる。


「陽太のだってあるよ」


「おまけって感じだよ」確かに数百枚ある写真の半数以上は美月を写したものだった。「まあ、別にいいんだけど」


「そういえば、あの人のことは覚えてるの?」

「あんまり・・・・・・」

「五歳の時だもんね、死んだの」

「うん」

「だけど、二人で暮らし始めた頃は『ママに逢いたい逢いたい』でぐずってばかりいたんだから。私が近づくと逃げたりしてさ」


 あの頃、陽太は幼心にも気づいていたのかもしれない。


 マンションでの二人暮らしを強行したのは、美月のわがままだった。

 父親からは二人を引き取ると言う申し出があったが、彼女がそれを拒否した。父親と一緒に暮らしている女が、継母となることが我慢ならなかったのだ。それじゃあ、せめて陽太だけでもという話もあった。親戚たちは美月が親代わりとなることに激しく反対していた。

 事情を知る人たちは、陽太が死んだ時、みなこう思ったに違いない。


 あの娘に任せたのがすべての原因だったのだと。


「だけど、やっぱり腹が立つなあ!」


 美月の苛立った声に、陽太はびくっとしながら顔を上げた。


「なにが?」


「どうしてあの人は幽霊になって出てこないんだよ! そうでしょ? 自分からチケットを持ってやってきてさ、アンタを天国まで連れて行くのが筋じゃない。一体全体、何してんのよ! 勝手に死んで、死んだ後もほったらかし。本当に頭くる!」


 美月は、弟を引き寄せ、ぐっと抱きしめた。甘い髪の匂いを嗅ぎながら、陽太の体温をしっかりと感じる。

 一枚の写真が目に入った。客室乗務員のユニホームを着た美月が、搭乗ゲートの前で立っている写真だ。小学生の頃、子供に職業体験をさせるテーマパークで撮ったものだ。当時の美月は、大きくなったら母親と同じ道に進むつもりでいたし、文字通り世界中を飛び回る客室乗務員という仕事に憧れを抱いていた。

 しかし、今は、将来について何も思い浮かばない。悪いけどサービス業は嫌だ。感じの悪い客を笑顔でもてなすなんて自分にはできない。かといって、他にやりたいこともない。これまでは陽太を育てることに、気を張って生きてきた。『すごいね』『尊敬する』。クラスメイトたちからはそう言われた。親がいなくなった。それでも自分の力で家庭を切り盛りして、学校と両立させている私。いつも忙しい私。美月は、自分でもすごいと思っていた。それがすべてだった。

 今となっては、幽霊が羨ましい。

 将来のことなんて考えなくてもいいのだ。

 美月はくしゃみをした。そういえばなんだか肌寒くないか。心なしか、抱きしめている陽太の体からも体温が引いているようだ。


「やっぱりあそこへいってみる」


 美月は立ち上がった。


「あそこって、どこ?」

「アンタは家にいな。いいね」


 きょとんとした陽太をその場に残して、美月は家から出ていった。

 パーカーを着て正解だった。外は、涼しいというより、寒いくらいだ。日が暮れると、秋の深まりを感じる。しかし、風にはまだ夏の匂いが残っていた。

 美月は近所にある川べりへやってきた。真夏にはバーベキューなどで賑わう河川敷には、夏の終わりにかけて伸びた雑草が鬱蒼と茂っていた。むせるような青臭い匂いの中を、美月は上流にむかって歩いていく。

 背丈よりも高いススキや葦に遮られて、川面は見えなかった。かすかに水の音がするようだけれど、虫の音にかき消されて定かじゃない。

 目的としていた場所まで来ると、美月は懐中電灯で辺りを照らした。しばらく辺りの地面を入念に調べた後、彼女は思い切ってセイタカアワダチソウの群の中へと分け入っていった。花粉なのだろうか、頭上から粉のようなものが降ってきて、花の匂いで全身がかゆくなりそうだった。実際に目はチクチクとして、瞬きをする度に涙が滲んで来る。セイタカアワダチソウはよほど密集して生えているようで、壁のように迫ってくる茎を全身で押し返しても、地面はわずかなスペースしか現れなかった。こんなところにチケットは落ちていないだろうと判断し、美月は、行く手を遮る茎をかきわけることに集中した。可能性があるとすればこのセイタカアワダチソウの群れの先だ。花粉で煙る中で、くしゃみをしながら格闘を続け、ついに目の前が開けた。

 風とともに、水の匂いが広がった。足元からも、流れる水の音が聞こえる。どうなるかを承知の上で、美月は前方に足を踏み出した。案の定、ひざ下まで、冷たい水につかった。水を吸ったジーンズが両足を締め付けてくる。数歩、川の中を歩いてみて、水の量はそれほどでもないことに気づいた。

 しかし、あの時は違ったのだ。山頂のほうで降ったゲリラ豪雨が、川の水量を激増させ、一時的にセイタカダチソウが埋まるくらいの水量になった。それは誰もが予期できない水量の変化だった。事実、上流で水遊びをしていた少年たちの保護者の証言によれば、急に水流が増すほんの十分前まで空は晴れていたし、水流もふだんと変わりがなかったという。『急に水かさが増えるなんて、専門家でも判断できなかっただろう』『退避行動があれより遅ければさらに犠牲者が出ていたはずだ』。後日、警察からはそう言われた。まるで事故は誰の責任でもないとでも言いたげだった。しかし、あの時、自分が保護者としてそこにいればきっと異変に気づけたはずだと美月は思う。しかし、よりにもよってあの日は夏休みの登校日で、陽太のことは母子家庭サークルのママさんたちに任せるしなかったのだ。

 川中央にある中洲まで、美月は川を渡りきった。中洲とはいっても小型の漁船ほどしかなく、案の定、川岸と変わらずセイタカアワダチソウが繁茂している。しかし、北側の大半は雑草の繁殖から免れ、砂利が広がっていた。美月は中洲に上がると、砂利になったあたりを懐中電灯で照らし、地面にそれがないか探し続けた。


 天国行きの航空チケット。


 しかし、それらしきものは見当たらない。いや、はなからこんなところにあると思ったこと自体、どうかしている。ふいに、美月は電池が切れたように歩みを止めた。

 辺りには虫の音と、川の流れだけが聞こえていた。

 川を渡って中洲までやってきた自分の行為が、途方もなく馬鹿げたものに感じられた。誰かに注意されたら、どんな言い訳ができるというのだ。徒労の極み。すべては妄想のように思えてきた。チケットの件だけではなく、何もかもだ。夕実という女子高生の幽霊も、そして、陽太も。

 幻だと考えるのが自然なのだ。現に、この時も、岸辺の方から「美月ぃ」と呼ぶ陽太の声が聞こえてきた。半べそをかきながら姉を探し求めている弟の声が、セイタカアワダチソウの向こうからはっきりと聞こえてくる。現実ならこんなにタイミングよく彼がやってくるだろうか。何もかも自分が作り出した妄想なのだからこそ、ここぞという時にかぎって陽太はどこにでも現れるのだ。

 美月は耳を塞いだ。それでも弟の声は、はっきりと聞こえてくる。


「どうして! どうしてこんなとこに来たんだよ! やだよ! 助けて!」


 陽太は、パニックに陥っているようだ。これは幻聴なのだと自分に言い聞かせてみる。陽太は、死んだ。母親も、死んだ。みんな死んだんだ。だから、こんなことはありえないのだ。


「美月ぃ、どこにいるの! 早く! 早く来てよ!」

「だから家で待ってればいいのに・・・・・・」


 美月は耳を塞いでいた手を放した。そうして水の流れに足を突っ込み、急いで川を渡りはじめた。結局、こうして幽霊となった陽太を受け入れるしかないのだ。

 セイタカアワダチソウと格闘しながら川岸へと上がる。闇の中から聞こえる泣き声のほうへと足を向けると、地面で丸くなった黒い影が見えた。懐中電灯の灯に、しゃがみこんだ陽太の小さな背中が照らし出される。


「美月ぃ、どうしてこんなところに来たんだよ」


 弟の目は涙に濡れていた。


「チケットが落ちてるかもって思ったんだよ。ここはアンタが発見された場所なんだし」


 陽太の体は激しく震えている。まるでびしょ濡れになりながら、唇を紫色にして凍えているようだ。


「だからって、どうしてこんなところに・・・・・・」

「家で待ってなって言ったでしょ?」

「うるさい」

「バカ! アンタのためにやってるんでしょう!」


 感情のままに声を荒げ、後味の悪さだけが残った。


「ごめん。さあ、家へ帰ろう」

「手を放してよ」

「怖いんでしょ?」

「怖くないよ」

「嘘つき。さんざん、泣いてたくせに」


 抵抗を諦めたのか、陽太の手は子猫の腹のように柔らかくなった。

 二人は手を繋ぎあったまま河川敷を歩いていく。会話はなかったけれど、それでも陽太となら居心地の悪さなんて感じなかった。

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