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銀河航空  作者: ロキソニンあるよ。
2/6

高校にて 2


            ✈︎


「でもどうして? 四十九日の法要は済んだんだよ。住職さんもこれで幽霊なんて出ないって言ってたのに」

「そんなのしらないよ」


 放課後、美月は陽太を抱えながら視聴覚室へ忍び込んだ。黒いカーテンがしまった密室で二人きりになった途端、姉弟は辺りをはばからず声を出した。


「わざと逝かないようにしてんでしょ? 気持ちはわかるけどさ、いいかげん諦めなさいよ」

「ボクだってどうすればいいのかわかんないんだよ」


 本当に混乱しているのだろう。また泣き出しそうにまぶたを充血させていく陽太を持ち上げ、机の上に座らせた。


「天国はいいぞお。Wiiでも、PS4でも、なーんでもあるぞー」


 美月は、弟の頭を撫でた。髪の毛は柔らかく、頭皮からは生きていた時のような暖かさが伝わってくる。


「美月は、逝ったことあるの?」

「ないけど。でも、アンタとお姉ちゃんでは知識量が違うんだから。陽太はなーんにも知らなすぎ」

「美月が知ってること、まちがっているのも多いよ・・・・・・」


 それにしても陽太の体温が高いような気がして、美月は額と額をくっつけた。

 やっぱり、少し熱があるのかもしれない。

 時刻は午後の四時過ぎ。小児科の診察時間にはぎりぎり間に合う。病院に陽太を預けて、保険証と診察券を取りに戻らなきゃならない。夕食も消化の良いものに変えたほうがいいだろう。何より、陽太が寝込んだ時に備えて高校に休暇届けを出さなくては・・・・・・。

 って、バカバカしい。

 風邪をひいたところで、いや、どんな難病にかかったところで、この先、弟が死ぬことはないのだ。

 頭ではわかっていながらも、気持ちが勝手に先走っていくのを、美月には止めようもなかった。

 悲しいかな、身についてしまった習性は中々消えてくれないのだ。


 子育てはめんどくさいことの連続だ。

 美月は身を以てそのことを知っていた。

 おかげで、十六歳、高校二年にしかならないのに主婦たちとも話が合う。子育てママを応援するサイト『羽とヒヨコ』の掲示板での話だけれど。

 こんな生活へ美月を陥れた戦犯の一人は父親だ。

 あの男がよそに家庭を作ったせいで、それまでの順風だった生活があっという間に過去の遺物となった。美月が十二歳、陽太が二歳の時に両親は離婚。母親の実家がある街の小さなマンションで、三人の暮らしが始まった。

 そうはいっても不思議と父親への憎しみは沸かない。彼は国際線のパイロットをしていてたんまりと養育費を振り込んでくれている。私立の女子校に入った学費だって出してくれた。金づるだと割り切れば、愛着すら感じる。

 彼よりもはるかに罪深い、第一級の戦犯がいた。

 母親だ。

 離婚後、母親はすぐにツアーコンダクターの仕事に就いた。若い頃は、航空会社で客室乗務員をしていたというから、旅行にかかわる仕事が好きだったのだろう。

 仕事は忙しく、なし崩し的に陽太の世話は、中学に入ったばかりの美月の役目となった。毎日のように保育園へ迎えに行き、夕食も準備した。月に数回、母親が出張で家を空ける時には、姉弟だけで夜を過ごした。

 不満なら何度も訴えた。その度に母親は意外そうな表情をした。


『嫌だったら、バアバに頼んだらいいのに』

『別に嫌じゃないよ』

『だったら文句を言わない』


 そんなやりとりをしている間、たいてい母親は鏡台にむかっていた。化粧をする手早い手つきには感心した。自然で品のあるメイクをするために、客室乗務員だった頃に培った秘密の技があるらしい。ぜひ大人になるまでにその技を学びたいものだと、不満も忘れて美月は見惚れるのだった。

 やっぱりその朝も、鏡台にむかう母親にダラダラと文句と垂れていた。

『陽太にとって、アンタがお母さん代わりなんだからね。頼んだわよ』

 母親が何気ない感じでそう言った時、なぜだか美月は返答ができなかった。母親はさっさと化粧を終えると、キャスターつきの旅行鞄をひいて家を出ていった。颯爽としたその姿がいつになく眩しく見えて、美月の目に焼きついた。

 バンコクのホテルで火災が起こったのは、その晩のことだ。

 母親は、とり残された掃除婦を助けようと黒煙を上げるホテルに飛び込み、そのまま帰らぬ人となったのだ。結局、美月は口紅の塗り方さえも学ぶことができなかった。

 だから、何もかも母親のせいなのだと、今でも美月は憤っている。

 あの人が死にさえしなければ、四六時中、弟の世話に追われることもなかった。あの人が死にさえしなければもっと受験に身を入れられた。あの人が死にさえしなければ高校生活を、今よりもっと楽しめただろう。

 それに、あの人が死にさえしなければ・・・・・・陽太が命を落とすようなこともなかったはずだ。


「このまま天国に逝けなかったら、どうなるの?」


 陽太が不安げに問うてくる。

 美月は、みぞおちの奥の柔らかい部分を、硬い氷柱の先っぽで圧されたような感じがした。

「何も変わらないよ。いや、案外、楽しいことになるかもね」

「本当に? 幽霊でも、家にずっといていいの?」

「もちろん。そういう幽霊って、けっこう普通にいるんじゃないかな」

 痛みともかゆみともつかないものが、じんわりと胸に広がっていく。

 陽太を安心させてやりたいが、頬が引きつってうまく笑えない。

 弟は、そんな姉を疑わしげに睨んでいた。

 もしも、このまま弟と一緒に暮らしていけるなら素晴らしいことだと思う。陽太は、永遠に無邪気なままの姿で、美月を慰めてくれるはずだ。


 だけど、それは正しいことなのだろうか?


 美月は、ためらいを消せない。

 以前から陽太のことで不安があるとネットの情報を頼ってきた。食事や医学や行政サービス。子育てに関することならたいてい答えを見つけることができた。

 しかし、今、知りたいことについていくら調べても、除霊やお祓いといった怪しげな情報ばかりしか出てこない。

 幽霊になった弟について、だれが相談に乗ってくれるというのか。

 その時、美月は物思いから覚めた。視聴覚室を支配する深い沈黙に気づいたのだ。沈黙に気づくというのも妙な話だけど、実際、何かハッとさせるものが静寂の中から立ち上っていた。そういえば、トロンボーンやトランペットといった吹奏楽部の騒々しい練習音もまったく聞こえない。まるで校舎から人が消えたようではないか。


「そのままじゃ、地縛霊になるで」


 陽太は目を丸くして美月を見返している。弟の耳にも、見知らぬ声が確かに聞こえたらしい。

 突然、黒いカーテンが音を立てて開かれ、闇を裂くように西日が差し込んできた。


「幽霊だからって、わざわざ部屋を真っ暗にする必要はないねん」


 美月は、眩しさに目を細めながら、窓際に立つ声の主を確かめた。黄金色に輝く夕日を背にしているせいなのか顔形は不鮮明だが、影絵のようなシルエットはショートカットの女の子だ。

 視聴覚室に人がいたことにも驚きだけれど、どうやら彼女には陽太が見えるらしい。あまつさえ、正体が幽霊だと気づいているとは!

 いや、念のため確認しておいたほうがいいかもしれない。


「ねえ、弟が見えるの?」美月は尋ねた。


 影絵のような女の子は、しばらく黙り込んだ。宙が切り抜かれたように真っ黒な顔から、鋭い視線を感じる。


「私にタメ口? 一応、これでも先輩なんやけど」

「き、気を悪くしたのなら、ごめんなさい」

「君、友達おらんやろ?」


 今度は美月が黙り込んだ。何か気の利いた言葉で言い返してやりたいが、何も浮かばない。

 ため息に続いて、女の子の笑い声が聞こえた。


「心配せんでええよ。あたしだってこの学校に友達なんておらんし」

 影絵が左右に小さく揺れている。


 視聴覚室の据え付けの長テーブルと椅子の狭い隙間を、女の子がこちらにむかって歩いてくる。室内には女の子の影が長く伸び、彼女が近づいてくるにつれて、それは蛇のようにウネウネと北へむかって動いていく。

 やがて、彼女は、美月の目の前で足を止めると、顔を覗きこんできた。


「ふーん。まだ中学生みたいな顔してんな」


 美月のほうだって、負けじと女の子を見つめ返した。見たことがない顔だった。茶色に染められたショートカットの髪は、洗いざらしのように毛先が乱れていた。同じショートでも流行りの黒髪ボブとは違う。やけに額が広く感じるのは、眉が異様に細いからだろう。もしかすると、眉毛を全部剃った上に、ペンで書いているのかもしれない。


「三年生の方ですか?」

「ちゃうよ。二年」

「じゃあ、同じ学年ですね」


 女の子が身につけているのは美月と同じこの高校の制服のようだが、どこか印象が違う。紺色のカーディガンから出したブラウスの襟が長い。一方、スカートの丈は短くて、膝上まで詰めてあった。そして足首では、白くて太い靴下が、だらしなく襞をなして垂れている。あまりに大きすぎてレッグウォーマーのようだ。同学年にこんな子がいたら目立つはずだろうが、やっぱり記憶はなかった。


「家どこ?」と問われた。

「S駅の南口です」

「ふーん。いいとこに住んでんやね。あそこ新しく駅ビルができたでしょ。イトーヨカドーが入ったさ」

「駅ビルはありますけど・・・・・・」

「ありますけど、なに?」

「新しいなんて。私が生まれる前にできたものですよ。それにお店はセブン&アイと丸亀製麺」


 女の子は、細い眉を吊り上げ、唇を突き出し、酸っぱい梅干しでも食べたように顔をしかめた。


「生まれる前? そりゃあ、あたしも年をとるはずやわあ」

「はあ?」

「じゃあさ、『竹くらべ』って店知らないよなー」


 電車の窓から見える、毒々しいネオン看板が脳裏によぎった。


「知ってます・・・・・・でもあれって店って言うか・・・・・・」

「えっ! まだあんの! 北口にあるボロいラブホ! あそこ、よう行ったなー 部屋の中にでっかいシャンデリアがぶらさがっててめちゃくちゃセンス悪いの! つーか、なに顔を赤くしてんの? 嘘! もしかして照れてんの?」


 実際、美月は頬を紅潮させていた。それどころか熱に浮かされたように目をらんらんと光らせている。様子が変だと気付いたのか、女の子は真顔になった。


「な、なによ」


 美月は、胸がトクトクと鼓動を速めていくのを感じた。そう、初めて陽太を見かけた時もそうだったように全身が総毛立っている。間違いない。これはきっと目の前の不可思議な現象に体が反応している証拠だ。


「あなたも幽霊なのね」

 そう問うても、女の子の表情には変化がない。

「まあ、幽霊ちゃあ、幽霊かな」

「私は菅野美月。あなたは? 生きていた時の名前を教えて!」

「急に馴れ馴れしくなんねんな」女の子は、若干煙たがっている様子だが、しぶしぶといった感じで名乗ってくれた。「内村夕実うちむら ゆみ。そうだね、お察しのとおり、とうの昔に死んだ女や」

「夕実さん。こっちにいるのが弟の陽太。ほら、挨拶しなさい。霊界の大先輩にあたる方だよ」


 机に座る陽太は、姉に促されて小さくお辞儀をした。恥ずかしがっているのか夕実と目を合わさない。


「まだ死んで日が浅いって感じだね」

「四十九日が過ぎたばかりなんです」

「ふ〜ん。陽太くんだっけ? 調子はどうだい? 生きている時より体調いいだろう?」


 陽太は、姉の背後に隠れる。


「ごめんごめん。怖がらせちゃった?」夕実は笑った。「 つーか、この子、殺されたんやろ? ちゃうの? おかしいな。いつまでも上の世界に行けない魂ってのは不幸な死に方をしたのが多いんだ。私がこれまで出会ってきた連中も、たいてい殺人の犠牲者だった」


 美月は恐る恐る尋ねた。


「もしかして、夕実さんも?」


「ちょっと冗談はやめてや!」と笑い返された。「あたしは、好きでここにいる。どんな環境でもとことん楽しむのが流儀やし」


「上の世界て、天国?」


 弟が、背後から小声でそんなことを夕実に尋ねた。


「天国か、地獄かは、行ったことないからわからへんね。だけど、そこは魂が最後に行き着く場所らしい。銀河の中心にあるんだって」


 聞き捨てならない情報に、美月は前のめりになった。


「じゃあ、天国って、銀河系にあるんですか? 惑星みたいに? 信じられない」


 天国というのはもっと抽象的な存在だと思っていた。けれど、たとえ信じられないほど遠い場所だとしても、物体として存在しているものらしい。だとすれば、原理的にはロケットを使って行ける場所ということになる。


「さあね、そこが星なのかどうかはわからへん。銀河の中心なんて、もののたとえなのかもしれへんしね。とにかく、生きている人間のジョーシキなんか通用しない。死後の世界なんて、でたらめなことばかりなんや!」


 美月は興奮し、武者震いまで起こる始末だ。

 そうだ。こうして幽霊と話をしていることからして、すでに常識からかけ離れている。 ありえないことなんてないのだ。


「そうそう。馬鹿馬鹿しいついでにもう一つ教えてあげるよ。あっちの世界までどうやって行くと思う?」


 美月は反射的に答えが口から飛び出した。

「銀河鉄道!」

「そんなわけないやろ!」

 夕実は厳かにこう言った。


「飛行機で行くの」

                                  

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