序の二 入学試験当日 その9
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七十七式陸戦。その四号機に差し当り問題は無く、摩耗した部品だけを交換すれば問題無し。搭載されている玄素駆動機も。あれだけ酷使したにも係わらず、不備のある箇所は見つからず。逆に、相対戦前よりも調子が良くなっているらしい事に、紬は安堵し、
「皆様、本日は遅くまでありがとうございました。それでは失礼いたしますっ!」
四号機の整備作業に付きっきりの学生達に一礼して、機巧兵格納庫の脇にある通常の出入り口から、外に出る。
目に見える範囲では、五稜門の教師や事務員と思わしき人や、緑と白を基調とした五稜門の制服を着た学生が、天幕やパイプ椅子の収納や、後片付けを忙しくおこなっており。
少し離れた所で、国防軍の辻一佐が率いる緑の服を着た隊員が降着状態の<Dragon・Tooth>を大型輸送車に既に積み込み、そろそろ撤収しようかと言う頃合いだ。
「やぁ、物部君。こんな遅い時間まで、本当にお疲れ様だったね」
格納庫出入り口の脇にある、自販機の側を通りかかった紬に声を掛けるのは、先ほどまで試験官として相対していた近衛・兼定二尉であり。
その手には、直ぐ横の自販機で購入したと思わしき、”近畿圏限定濃厚ミルクカフェオレ”と描かれた缶を左手に持ち。二尉の周囲には少し甘ったるい香りが漂っている。
紬は、背筋を伸ばし一礼をしてから、
「いえ、近衛二尉。本日は一芸入試の相対戦の相手を務めて頂き、ありがとうございました。本日は、その、参りました!」
その言葉に近衛は驚いた様子で、手に持っていた缶が、思わずズレて落ちそうになるのを慌てて両手で保持。
「いやいや、そんなに畏まらなくて良いよ。物部君は、中学生で、国防軍の軍務に服している訳じゃないんだから、それに・・・・・・」
缶の中身を一口含み、飲み下してから。
「私も、ね。今日は、一杯食わされたと、そう思う場面も多々あったし。特に最初の超過駆動からの多段階加速、それに繋がる急速旋回、中盤の市街戦での遅滞戦闘を想定した背面走行。最後の背面急速旋回は、最初の急速旋回から、段々と物部君に合わせて感覚を慣らしていなければ、きっと抜かれていたよ。まぁ、中学生、もう高校生かな、それであれだけの技術があるなんて、本気で驚いて、悔しかった」
それにと、前置きしながら近衛は、格納庫の中の。丁度、整備中の四号機辺りに視線を向ける。
「私の大事な、我が君が見ていたからね。大事な人の前では、少しでも良いところを見せたいから。ってのは、面と向かって言うのは恥ずかしいから、私が言ったことは秘密だよ?」
はにかみながらも、誰かを思って口にする。そんな近衛の優しい視線の先に、誰が映っているのかは紬には判らないが、その人を本当に大事に思っている事が分かる。
近衛は、格納庫の中に向けていた視線を、体勢をそのままに、紬に向ける。
「物部君は、私に負けたと思っているね?」
紬は、有りの儘の事実を突きつけられ、顔を俯むかせ、手を強く堅く握ぎり締める。しかし、これは先ほど自分が受け入れていた事実でもあるが、やはり悔しいものだ。
近衛は、紬をまっすぐ見据えるように体勢を直し。
「私も、今日は物部君に負けたと思ってる。丁度試合に勝って、勝負に負けた、そんな気分なんだよ、今日は」
近衛・兼定から発せられる、自らの勝利を否定する言葉。その言葉に、紬は驚きのあまり唖然とし、顔を上げてじっと近衛の顔を見る。
近衛は、子供っぽい。さも、悪巧みと言った笑みを浮かべ、
「だから、こうしようと思う。お互いに勝ち星を預け合おう。次に相対の機会があれば、その時の勝者が、勝ち星を総取りだ。うん、私なりにも良い妙案だ」
皇宮守備隊所属の、近衛・兼定と機巧兵で相対する、その機会を得るには。一つは、国防軍や、探索者協会が共同主催する総合軍事演習に参加し、機巧兵戦の会場となる”富士山青木ヶ原演習場”での偶発、遭遇戦での乱戦の中で運が良ければ相対できる。
もう一つは、五稜門や、その他の国防大学校付属の各高校の代表を決める代表戦。そして代表に選抜される事で出場できる、全国高校競技大会新人戦。そのエキシビジョンに、皇宮守備隊は毎年参加しているし、相対の相手は指名できる。
五稜門に入学するのは厳しいけれど。探索者協会経由ならば、探索者として名を上げれば必ず。必ず再び相対出来ると信じ、
「近衛二尉、自分の勝ち星を預けます」
覚悟と、決意。その双方を合わせた意思を持って答え。
「よろしい、物部君。私の勝ち星を預けよう、どのような形であっても必ず来たまえ、待っている」
近衛・兼定は、その覚悟に答える証として。コーヒー缶を持っていない、右手を差し出し。答えるように、紬も右手を差し出し、堅く握手を交わした。
――これが、物部・紬という少年が、難関五稜門高校での入学試験の日程を終えた、当日の出来事である――




