カズマ4
女神がきゅうに巨大化した。
いや、俺の身体が縮んだのだ。えらく小さく。
床との距離が近い。
いまになって焦って辺りを見渡してみる。
目の間にはユノを筆頭に山ほど巨大な天使たち。足元には木の匂いが鼻先に直撃するほど近くなった床。
そこには黒い墨汁のようなもので何かが描かれている。が、絵なのか文字なのか、まったく全容は掴めそうもない。
こんなことならミニマム化する前に周りをちゃんと確認しておけばよかった。
机もある。パイプこそ使ってないが、現世でもあったものと造りは同じようだった。
教室。俺が「友達が欲しい」と願って天国にきたからこういう造りになったのか?
そういえば大きくなった天使たちは『ユノ』を除いてみんな同じ――ウエイトレスの制服をもう少しフリフリにしたような恰好をしている。
和馬はそこが教室であるという想像から、天使たちの服装を学校の制服なのではないかと推察した。
「女神さま、いや、ユノ?」
突然の変化に、俺は縋るような声をだした。
でた音のキーがいやに高い。
まるでアニメのマスコットキャラクターみたいな・・・
自分の手足を見てみる。
ぎょっとする。
異様に毛深かった。
というよりももう毛並みが揃いきっていたのでそれは人の身体ではなく、明らかに何か動物のそれだった。
白くてモフモフで、柔らかそうだと暢気に思った。
小さく赤白い、粘膜がむき出しになったような手がさきにちょこんとついている。
これは誰だ?
俺だ。
じぶんの身体を犬が体の匂いを探るみたいに回りながら確かめる。
手首から脇にかけてマントのような毛皮の膜が脚まで伸びている。
自分の身体の一部だと理解するのに時間がかかった。
これは飛膜?
ムササビとかモモンガとかが、空を滑空するための・・・
俺は小動物になっているのか?
友達が欲しいと願ったら輪廻転生した先はリスの仲間だったのか?
鏡が欲しい。
認めたくなくてもう一度体を確認する。
体は動く。むしろ軽いくらいだ。
魂が抜けるような疲れは消えていた。
その代わりに自分の身体が自分でなくなってしまっていたことが余計に確認できてしまった。
この状況はなんだ?
願いを言ったらモモンガになるなんて。
いやモモンガに「させられた」のか?
そんな俺の願い事が気に入らなかったのか?
いいや違う。はじめから天使たちみんなが俺を見る目が何だか化け物を見るようだった。
雷を脳天に落とされたのも、モモンガに転生させられたのも、人生を真剣に生きてこなかった俺への天罰なのだろうか。
俺をあの綺麗な唄で呼んでくれたのは甘い罠だったのかよ、ユノ。
ユノが呟く。
「あなたはやっぱり、メメントだったのですね」
誰だよ、それ。
俺は東和馬だって言ったろ。
さっきサー・カズマなんてくすぐったくなるような気取った呼び方してくれたじゃないか。
「ゆ、ユノ。これは一体どういうこと?」
とにかく何か説明が欲しい。
何から聞けばいいかわからないけど、この状況を少しでも飲み込みたい。
だけどユノは答えない。
黙って俺に近づき、かがみこむ。
そんな場合じゃないけれど、長いスカートの隙間から一瞬白いパンツが見えた。
嬉しいけど、本当に嬉しいんだけれど、そんな場合じゃない。
俺はいま小動物なのだ。
「あなたは一体どんな能力を持っているのです?」
真剣な面持ちで顔を近づけてくるユノにドキリとさせられる。
だから本当にそんな場合じゃないんだって。
頭を回転させようとすればするほど、ユノの息遣いとか髪から香る花のような匂いとか、先ほどのパンツとかが熱ばかり高めて暴走させる。
ああ、こんなことならもっと女の子に慣れておくんだった。
ユノに向ける適切な質問が思い浮かんでこない。
ユノは縮こまる俺にお構いなしに触れようと手を伸ばしてくる。
そんな、ちょっと自分の魅力に無頓着すぎるよユノ。
見た目は小動物になっても、中身はケダモノな高校男児なんだぜ。
・・・草食系かもしれないけど。
「異邦の騎士、メメント、サー・カズマ。あなたにはたくさん名前があるのね。
古代人の少年だったり、白いモモンガだったり、色んな顔を持っている。
・・・伝説の通りですね」
伝説?浮かんだ疑問など些細なことだと吹き飛ばしてしまうかのようにふっ、とユノの吐息が俺の鼻筋にかかる。
そして白い毛並みをなでるようにユノが俺の頭部に触れた。
瞬間、バチチと火花が散るような音とともに衝撃が起こった。
静電気を少しだけ大きくしたようなものだったけれど、あまりに突然だったので、俺もユノも思わず後ずさった。
頭のてっぺんが少しだけ痛い。
雷よりもましだけど、なんて考えていると鋭い刺すような視線を感じた。
ユノだった。
冬のドアノブから手を引っ込めて抑えるみたいな仕草をユノがしている。
なんだ、たかがちょっと大きめの静電気が起こっただけだろ?
だけど、ユノの顔には「信じられない」と深刻な表情が浮かんでいる。
「召喚獣が術師に手をだすなんて」
「アルカナは雷?死獣ではないの?」
「さきほどの黒髪の少年はどこに?」
「鎖がないのはやっぱり・・・」
「反逆の証。攻撃の狼煙」
「封印よ!だれか、はやく封印してください!!」
俺がここにきてからほとんどずっと黙っていたユノを囲む天使たちが口々に好き勝手なことを言いだす。
なんだよ、いまのは不可抗力だろ。騒ぎすぎじゃないか。
だけど、彼女らはお互いが主張しようと声を張り上げていくから収拾がつかず高まっていく。
なにか我慢していたものが先ほどの静電気のせいで爆発してしまったかのように、叫ぶことで自分たちのまえに壁を作ろうとでもしているのかのように。
怒号に変わりつつある声が地面を揺らす。
ユノはまだ何もいわず、彼女らにも答えず、和馬のことを睨むように見ている。
「下手に動かないように」と牽制しているみたいにもとれる。
「そんな、信じてくれよ」
傍目からしてみればうるうるとした小さな瞳で小動物が生存を訴えかけているのだろう。
肉食獣に「食べないで」と懇願している不憫な姿。
見た目なんか構わない。全力で訴えかける。
ふう、とこちらまで届くくらい大きな息をユノが吐き出した。
下唇をなめて濡らし、決心を固めるようにそれを噛んだ。
それは彼女の癖なのかもしれない。
「わかってくれたのか?いまのが単なる静電気だって。わざとなんかじゃないって」
和馬は言う。
あの唄を歌った時のように透き通る声で、ユノは返した。
「あなたを、今から封印します」
神に宣誓するみたいに、それは揺るぎないものだった。