モモ1
「ほら、モモ。ご飯ができたぞ」
コトンと目の前に底の深い小皿が差し出される。
首をのばして成分を見極められるくらいに目を凝らす。
もう油断はしない。
そう固く決心をしていた。
けど、どれだけ見ても成分はわからなかった。
中身はクリームシチューのような白いスープだ、ということだけはわかった。
「何にも怪しいものは入ってないよ。それともモモンガにはヒュードルのスープじゃダメだったのかな」
サラは不安げな声になる。
母上に教えられた自慢の一杯だったんだけどな・・・
という呟きが聞こえた。
胸を抉る一言だ。
サラはじっと探るようにこちらを覗き込んでくる。
そんなにまじまじとみられると確認しにくい。
ヒュードルって一体何なんだよ。
サラはまだ自分の皿にも手を伸ばさない。俺はつい首を縮こませる。
疑っているのが何だか申し訳ないと気持ちに苛まれる。
たぶん、サラは本当に世話焼き、なのかもしれない。
ちょっと過剰なくらい。
そんな彼女に少しずつほだされていったのか。
「やっぱり草や虫を食べるのか」
という不穏な一言が決意を煽ったのか。
ついに俺は一口なめてみることにした。
温かいスープ。
ヒュードルが何かはわからなかった。
が、それはなかなかに美味しかった。
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校舎の窓から飛び出た和馬はその後、風に吹かれるまま長く飛び続けた。
どうやら和馬がいた建物は山の上にあったようだ。
下に下に、と高度を下げながらもずっと街を降りていくことになった。
和馬は空から街の様子を俯瞰してみる。
建物は煉瓦造りの家屋が多いようだった。
いわゆる西洋風とでもいうのだろうか。
和馬にここが異国だという認識を強く与える。
街の上部は白を基調として、大理石を組み合わせたものが多い。
一軒一軒が大きく、まるで神殿のように荘厳さを感じさせるものすらある。
下るにつれて煤けた赤土色の細々とした家が混じり合っていき、空から眺めるとグラデーションじみていた。
まるで絵画のような対比だ。
それらに共通しているのは、大抵「加齢」しているような古めかしさ。
そして緑色の蔦が煙突やら窓枠やらに絡みついていることだろうか。
電柱やビルは建っていない。
代わりのように木々や池が点在している。
街のなかに自然がある、というより自然のなかに街が溶け込んでいるみたいだ。
街の境界がひどく曖昧で、外に広がる草原と森に一部の家屋は侵食されたようになっているのも拍車をかける。
歴史をひとつ巻き戻したような、そんな印象。
だいぶ勢いが落ち始めた頃、この街の外に広がる森はどこまで広がるのかを確認したくなった。
さらに遠くに視線をやる。
そこで和馬は、はたと自分の目を疑った。
街の外、遠くにある、巨大な『大樹』に気がついたのだ。
そのサイズは、巨大という言葉では形容しきれないくらい巨大だった。
自分が小動物になっていたことは関係ない。
それも相まって大きく見えたのかもしれないが、大樹の大きさはそんなレベルではなかった。
天まで届き、雲を割り、その幹は街ひとつすっぽりと入ってしまいそうな太さ、雪の中にあって葉は青々と茂り、生気に満ちていた。
大樹は巨大だった。遥か遠くにあるはずなのに、距離感を狂わせるくらい。
しかし、
何よりも特筆するべきは、その美しさだった。
こんなものは、現世には存在していないだろう。
「綺麗だ」
思わず呟いていた。
見惚れてしまっていたからだろう。
風がいつのまにか凪いでいたのに気がつかず、
和馬は大樹に目を奪われたまま、屋根にぶつかって、落ちた。
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そして目が覚めたとき、和馬はまだモモンガだった。
自分の手を見て、その小ささと毛深さにがっくりくる。
夢ならよかったのに。
雷にうたれて死んだことも、ユノや天使たちにあんな扱いを受けたことも、モモンガにさせられたことも。
何だこのひどい仕打ちは。
俺は何一つ悪いことはしていない。
俺に降りかかった災難はぜんぶ俺のあずかり知らぬところで進んでいってるじゃないか。
和馬は行き場所のわからない怒りに駆られた。
自分の人生にほとんど価値がないとは思っていても、こんな理不尽なことに耐えなければいけないものでもなかったはずなのに。
俺の味方は誰もいないのか。
そんな自棄な気持ちにも襲われた。
「お、気がついたか」
憤慨していると、上から声がかかった。
見上げてみると、藍色の瞳をもった少女が和馬を観察していた。
そういえばここはどこなんだろう。
「心配したんだぞ。ずいぶんぐったりしてたし、全然起きないし」
少女はおっかなびっくりという風に俺の方に手を伸ばしてくる。
いまの和馬にとっては巨大な手。
和馬は嵐がすぎるのをやり過ごすように身体を固くしこらえようとする。
藍色の瞳の少女は「大丈夫だよ」と声をかける。
長いまつ毛を持つ切れ長の目がキツそうな印象を与えるが、その声は和馬を包み込むような優しさだった。
そっとなぞるように毛の先に触れた。
「頭から血も出てたんだぞ。まったくやんちゃなモモンガだな。飼い主のところから逃げてきたのか?怪我の治癒をしてくれたファニに感謝しろ、もちろん看病した私にもな」
ふふ、と笑いながら和馬の頭をそっとなでる。
「うん、傷はふさがってる。さすがファニだな」
どうやら怪我の具合を確認したようだった。
「でもまだ安静だぞ。ちゃんと治るまでうちにいなよ」
子どもに言い聞かせるみたいに彼女は言った。
和馬はついそれに頷く。
「うん、よし。いい子だ。えーと、そうだな。名前も決めなきゃな・・・モモンガだからやっぱり、『モモ』、かな」
おいおい、それは少し安直すぎやしないだろうか。
状況を整理しきれていない和馬も呆れるほかない。
当の少女は名付け親として満足げにうんうんと頷いていた。
「これからよろしくな。私は『サラ』だぞ。ちゃんと名前覚えくれよ」
「くしゅ」
返事をしようと思ったが、ぶるっと急な寒気に襲われて、くしゃみがでた。
「何だ治癒魔法に体温を奪われたのか?待ってろ、温かいスープをいま作ってやる」
そういって、サラはキッチンに消えていった。