3.乙女心は案外と複雑なものでした。まる。
午後の授業は気だるいもので、歴史と数学の二時限はほとんどがお昼寝時間となっていた。
「授業をさぼるなら留年すればいいじゃなーい」がこの学園のモットーなので、起こしてくれる優しい教師なんてほとんどいない。
そんなわけだからその二時限はとても静かに行われ、あっという間に帰りのホームルームが終わって放課後の掃除時間がやってきた。
「それで、打開策みたいなのは浮かんだ?」
長い廊下を箒で適当に掃きながら、月江はちりとりを持ったままぼーっとしている伊織に話しかけた。
「うん、と…さ」
無表情のまま伊織が振り向く。片手にはチリトリがきつく握られている。
「どうしたらこのチリトリで奴を倒してレベルアップすることができると思う?」
だめだこりゃ。
月江は大げさな溜息をついて、伊織の横に並んで一緒に壁に寄りかかった。
「今日さ、狂夢っちに家まで送ってもらいなよ」
「え?」
驚いて目を瞬く伊織を見て月江はにっと笑う。
「いつも放課後には先生に話しかけられてたけど、内容って普通のだったんでしょ?」
こくりと伊織が頷く。
「でも狂夢に協力要請したってことは、本格的に迫ってきそうじゃん。今日の授業みたいに」
言われて遠い目をした伊織の視線が、遥か遠い時限の彼方を見つめる。放っておいたらこのまま風化しそうな伊織の頭を撫でて、月江は続けた。
「だから、狂夢っちと帰るんだよ。昨日、勘違いだったけど宣戦布告されたみたいだし、都合良いじゃん」
それで両思いに発展するなら大儲け。
えへへと笑う月江に、伊織の溜息が混じる。
「狂夢に迷惑かけちゃうよ。それに…」
そこで伊織は言葉を切った。
確かに協力してもらって隆一を遠ざけることはとても嬉しい。けれど、きっとそれまでだ。狂夢はこれからもずっと女の子に憧れて女の子になりたがるホモだろうし、伊織のこの気持ちが受け止められるはずがない。
なんとも複雑な状況に改めて伊織は落ち込んだ。
さっさと諦めてしまえばいいのに、それが出来ないから最悪だ。しかも、彼女がいるならまだしも男が好きだなんてなんか許せないむきー。
考えていることがそのまま顔に出てたのだろう、いつの間にか月江がにやにや笑っていた。
「いっやーん、いおりんの乙女ー」
「勘弁してよぉ」
伊織は困ったように苦笑いして、廊下の突き当たりを見た。そこには、狂夢と甲威が掃除している姿がある。もう掃除は終わったのか、二人してなにやら雑巾を投げたり雑巾を投げたり雑巾を投げたりしている。
「でも、いいや私」
甲威に捕まって技をかけられ死ぬ死ぬ騒ぎながらも笑っている狂夢を見て、伊織はふっと微笑んだ。
「あいつの親友って位置だけで、結構嬉しいから」
いつの間にか廊下には夕日が差し込んで綺麗な橙色に染まっている。
月江は「うん」と頷いてにっこり笑った。
4人の行動は校門で手を振って別れるまで一緒が日常だったが、今日は一足先に伊織と狂夢が帰ることになった。
なんでも、いつも通りじゃなくてラブラブなのだといい感じに隆一が捉えてくれるように考えた月江の提案だった。
狂夢は、朝の一件ですっかり月江の言うことを聞く素直な良い子になっている。
オプションと言う名で手まで繋がれた伊織は、友達でいいやーなんて言ったのにやっぱりどきどきしていた。
女の子になりたいとか日々言っているくせに、狂夢の手はゴツかったし体格だってやっぱり男の子だ。
にやにやしている月江と甲威に見送られながら玄関を出て歩いていたが、やっぱり恥ずかしくて伊織はずっと俯いたままだ。
「たまにはこういう普通なのも面白いね〜なんて」
茶化すように伊織を見下ろした狂夢は、急激に照れだした。
びっくりなことに、あの伊織が赤面して俯いている。
「あ…いや、うん」
狂夢だって女の子が嫌いなわけじゃない。
初々しく赤面しながら歩く二人の背後を、月江と甲威はコソコソと尾行していた。
「思いのほか雰囲気いいな、二人」
「カップル成立とかになんないかなー!」
「えー、それじゃ俺つまんないわ」
「俺とか僕とか本当に忙しいね君」
木の後ろに隠れて見守っていた月江が、あっと声をあげた。
「甲威、あれ」
ちょいちょいと制服の袖を引っ張って月江が指差した先には、先生自慢の白い外車が止まっていた。
校門の近くにビッシリと着けられ、いつの間に着替えたのか外出用のスーツ姿の隆一がサングラスをかけて立っている。
「おぉっとこれはこれは面白い展開ダー☆」
本当に楽しそうに歓声をあげる甲威の足を踏んで、月江は睨んだ。
「がんばれ狂夢っち!失敗したら分かってるよね!」
赤面から一転青ざめた伊織は妙に決まりすぎている隆一を見て一瞬で石化した。
一人で歩いていたら白昼堂々拉致されかねないような状況だ。
狂夢はあわあわと伊織と隆一を見比べていたが、やがて冷や汗を掻いた苦笑いを浮かべて切り出した。
「先生、あのー…」
えーと、なんだっけ。
狂夢はすっかり困って焦って頭が真っ白になってしまった。
その状態を見た隆一は成程と面白くなさそうに小さく息をついて、サングラスを外した。
気付けばいつの間にか少数のガヤが遠巻きに3人を囲んでいる。
「狂夢くん、僕は負けない!伊織ちゃんの心は僕が頂く!」
「いや、その、違」
冷や汗を浮かべて慌てる狂夢に昨日のままビッシリと指を突きつけた隆一は、ふっと前髪を掻き揚げて伊織に近づいた。
「さぁ伊織ちゃん、行こう」
「伊織…」
狂夢が不安気に伊織を見下ろすと、なんと俯いて震えている。ハッとして拳を握り、狂夢はどんどん縮んでいく二人の間に割って入った。
「先生!強引なのは良くないと思います!!」
「狂夢くん、邪魔だ。退きなさい」
「伊織は嫌がってるじゃないですか!」
実は怒りに打ち震えていた伊織だったが、狂夢のその言葉にはっと顔を上げた。
これからどうやって打ちのめしてやろうかなんて考えていた伊織に、その言葉は青天の霹靂だった。
「狂夢……っ」
いつもは悪ふざけしているくせに、ここぞという時は仲間思いの彼。
伊織は改めて狂夢への気持ちを確信すると、少女マンガよろしく目をうるうるさせると狂夢に飛びついた。
「狂夢〜〜〜!!」
「うわ」
「え?」
飛びついたついでと言わんばかりに伊織に突き飛ばされた隆一は、派手に後ろに倒れこんだ。
まさかそんな状態で突き飛ばされると思ってなかった隆一が構えているわけもなく、そのままど派手に愛車に後頭部を打ちつけて大人しくなる。
「あれ?」
わわわと両手を挙げたまま狂夢が目を白黒させる。
自分は何もしていない。
「あ、あの、伊織さん、今なにし…」
「狂夢、やっぱりちゃんと考えてくれてたんだねっ」
「いやもうえ?え?」
混乱している狂夢と、感激している伊織に、ふたつの影が走り寄った。
「さすが狂夢ー!かっこよかったよー!」
「僕的にはイマイチ詰まらない展開だったなぁ。M狂あたりが出てきてこじれさせてくれれば、最高なのに」
月江は感激して狂夢と伊織に抱きついたが、甲威は不服そうにぶつぶつと文句を言っている。
やがて、あっと閃いたかと思うと、甲威は何気なく完全に気絶している隆一をかつぎあげた。後頭部には可哀想なまでに腫れたタンコブが見える。
「うふっふーん♪」
いきなりご機嫌になった甲威を、3人がハッと振り向いた。
まさか。
甲威はまるで大きな荷物でもあるかのように、隆一を乱暴に車の後部座席にぽいっと投げ入れた。それから華麗なステップを踏んで、ドアを閉める。
いい笑顔で甲威は堂々と車の運転席のドアを開けると、3人に片手をあげた。
「じゃっ!」
「じゃっ、じゃねーーー!!!」
狂夢と月江は声をハモらせながら、あわてて甲威に飛びついた。
白昼堂々教師が生徒に拉致されそうになっている。
「なんだよもう邪魔するなよー僕の素敵な実験日和がー!」
「犯罪者になるぞ!?テレビで僕らが取材されたらどうするんだよ!」
「そーだよ!やだよ私友達から逮捕者出るの!!」
車の運転席でわやわやと騒いでいる3人を見ながら、伊織は改めて抱きついた事実を確認して一人照れていた。
細かったが、案外としっかりした体つきだったように思う。
頬に両手をあててパァッと赤面した伊織は、やーだー!とか叫びながら恥ずかしさに悶えるのだった。
その後、無事に鷺宮教師は他の男性教師の手によって無事に自宅まで送られていった。
後日談であるが、あの時の後頭部強打で隆一は完全に最近の記憶を失っており、ここ2日の大騒ぎ事件はまったくもって無かったことにされてしまったのである。
「残念な結果だったけど、ちょっといおりんトキメいたでしょっ☆」
「そんなことないです」
「あらいやだ伊織ちゃんてばぁ!月江ママにはホントのことを言ってもいいんだよぅ」
「まったく本当にそんなことないです」
教室でいつも通り昼食を取っていた4人だったが、この日だけは伊織と狂夢が月江に散々からかわれることになったのだった。
なんだかドタバタした終わりになりましたが、これで短編読みきりは完結です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。