2.人間、追い詰められると結構簡単にきれる
とうとう始まる地獄の一時限目国語!どうなる伊織!どうする伊織!?
「ではこの問題を白崎君」
「じゃあ、改めてここを白崎君に解いてもらおうかな」
「白崎君、この答えは?」
「このクラスには私一人しかいないのかーーーー!!」
本日一時限目の授業は、自称愛の伝道師鷺宮教師の国語の授業だ。
いつもならば授業とか教科書とかそっちのけで、教師持論の恋愛トーク炸裂時間になっているはずが、どういうわけか今日は違っていた。
まじめに教科書のページを指定してプリントを配り、ごくごく普通の授業を開始したのだ。
鷺宮先生支持派はがっくりと肩を落としたけれど、それ以外の授業風景はいつものもの。
ひとつだけ違ったのは、なぜか問題を指名される生徒が白崎伊織ただ一人だけだということだった。
伊織の手によりど派手に狂夢の机が引っ繰り返されて、教室中の視線が伊織に釘付けになった。
怒りに震えながらキッと伊織は隆一を睨んだ。
「嫌がらせですか先生。何ですか、恨みでもあるんですか」
「あの、僕の机」
はわわわわと震えながら椅子に座ったまま青ざめている狂夢そっちのけで、隆一と伊織は見合う。
隆一はキザったらしく前髪を掻き揚げると、ふふっと笑った。
「まじめに授業したがっていたから叶えてあげただけだよ、僕の子猫ちゃん」
「上等じゃゴルァアアアアア!!」
ヤクザも裸足で逃げ出すくらいの迫力で隆一に詰め寄ろうとした伊織を、すんでのところで甲威が後ろから羽交い絞めにして押さえつけた。けれどそれでも放れようと伊織が暴れる。その度に甲威は力加減をしながら必死に抑えるのだった。
「伊織危ない危ない、退学になっちゃうよー」
「ぼ、僕の机が、マイデスクが」
「うるっさい!!もう頭にきた!蹴る!殴る!殺す!埋める!」
暴行から殺害、そして隠匿まではっきりと言葉にする伊織に、さすがの月江も青ざめて凍り付いている。
人間、追い詰められると結構簡単にきれる。
「多数の女子生徒から人気を得ているから、嫉妬しているのかい?可愛いなぁ、伊織ちゃんは」
隆一の目には、富士山大噴火の如く怒っている伊織が「嫉妬する可愛い女の子」に見えているらしい。
どうすればそんなに強烈な脳内フィルターが働くんだ。
甲威はため息をつきながら、「そいやー」と気の抜けた掛け声と共に伊織の後頭部目掛けて手刀を振り下ろした。
大噴火から一転ぐったりと倒れた伊織を小脇に抱えて、えへっと笑顔を浮かべる。
「先生に絡まれて感極まっちゃった様子なので、落ち着かせるために保健室につれていきますね」
何か大きい荷物であるかのように担ぎ上げると、甲威は笑顔のまま「あははははは」と笑い声を上げて軽やかなステップで教室を出て行った。
二人が出て行った後には、「僕も罪な男だ」とかなんとか言ってうっとりしている隆一と石造のように固まった大多数の生徒、そして机を蹴られて青ざめたままの狂夢が残された。
「いやいや、素晴らしい卓袱台返しだったよ。歴代の雷親父も絶賛するくらいの良い飛びっぷりだった」
時は変わって昼休み。
いつものように机を2つくっつけたテーブルに、4人は所狭しとお弁当やパンを広げてランチタイムに入っていた。
にこにこと上機嫌でパンを頬張りながら笑う甲威を見て、伊織はぶすっとふてくされた。
伊織に負けず劣らず不貞腐れている狂夢が箸をぎりぎり齧りながら唸るように言う。
「なんだって自分の机じゃなくて僕の机なんだよ…。あぁ愛する僕の机」
狂夢の席が伊織の斜め後ろで非常に蹴り易い位置にあったのはわかるが、どうにも解せない。
箸が折れそうなくらいに噛み締めている狂夢の頭を撫でて、月江はうんうんと頷いた。
「伊織の鉄拳の矛先は、例え沖縄と北海道くらい離れててもあんたに向かうわ」
「なんでー!?不思議過ぎてもはや不気味!いおりんのいじめっこーうわーん!」
漫画のように表情がコロコロと変わる狂夢にみんな笑うが、只一人伊織だけはやっぱり死んだ魚のような目をしたまま空ろだった。
一時限目のあの時間保健室に運ばれた伊織はそのまま国語の授業を丸々休み、二時限目から授業に出た。
けれど追い討ちをかけるように伊織の机の上には宿題のプリントが置かれていた。
恋愛とは何か自論を述べよ。
伊織はすぐさまに投げ捨てようとしたが、皆が渡されていたことを知って思い直した。
宿題はほぼ全てが成績に響く。嫌でも提出しなければ、もしかしたら留年なんてことになるかもしれない。
最悪「伊織ちゃんと少しでも長く授業がしたい」なんて理由で通知表に赤い煙突を建設されたら溜まったもんじゃない。
ずっと黙りこくっている伊織に、月江は小首をかしげて近づいた。
「伊織〜?」
「あっ」
弾かれるようにして顔をあげた伊織は、苦笑いしながら3人を見渡す。気付けば皆こっちを見ていた。
「ごめん、ちょっと…暗殺について真面目に考えてた」
途中からガラリと声のトーンを落として喋りだした危険思考に、月江と狂夢はアワワワと手を取り合って震えた。
一方甲威はと言えば楽しそうにくすくす笑っている。
「僕、一度人間解剖してみたかったんだぁ」
殺ったら死体の処理は任せてね☆
にこにこと平和に微笑んでいるくせして喋ったことは伊織より更に酷い甲威に、狂夢と月江が仲良く揃って突っ込んだ。
「お前が一番やばい!!」
「ほら僕、サドだし」
そう、この蒼条甲威という男は温和で優しそうな黙っていればそれはそれはイイ男なのに中身はかなり飛んでいる。
将来の夢なんてないけど、お金持ちの高飛車マダムを×××で×××にしたいとか言い出す奴だ。
けれどそんな内面は仲良くて極限られた人にしか出さないから、一向に甲威の人気は落ちない。それどころか成績優位を取って名前が廊下に張り出されるたびに、告白してくる女子が増える。
「でもさ甲威!なんであんなこと言ったの?あれじゃ先生ますます勘違いしちゃうじゃん!」
月江が卵を突き刺したままの箸でびしっと突きつけて言った。
そう、伊織が大噴火で大激怒していたのを止めた時に喋ったあの一言二言三言は、確実に隆一の勘違いを増幅させる結果になっていた。
「え、別に嘘は言ってないよ?」
確かに、絡まれて感極まったと言ったものの、恋愛的な要素で照れてからとか恥ずかしいからとかは微塵も言ってない。
言ってないからこそ、相手は都合良く解釈する。
なんとも策士的な台詞に、月江はぐぬぬぬぬと拳を握った。
「それに」
そこでまたにっこりと天使のような微笑を浮かべてから、甲威は続けて言った。
「僕、泥沼大好き」
「やっぱりお前が一番最悪だーーー!!!」
狂夢と月江のハモった突っ込みが響いた教室で、伊織は一人ため息をついた。
放課後が、怖い。