ナンバリング・10
会社への行き帰りを無事に済ませた絵里の表情が、やっと緩んだ。
「さ、帰りましょう」
神経を使っていたためか、疲れた表情と声に、いつもの張りがない。
夕子は、疑問があるらしく、疲れてはいたものの、緊張の解けた絵里に、尋ねる。
「もう、いいの?」
女性が、マンションの中に入ったのを見送った直後なのだ。
仮に、建物の中に犯人がいたら、どうするつもりなのだろう。
絵里は、
「大丈夫よ」
と、初めて笑った。
歩き出しながら、説明を始める。
「ストーカーなら、会社近くにいるのを見たから」
「えっ? 顔を知っているの?」
「あたしはね。見ているのよ。もちろん、断言しているわけじゃないけれど。……人違いだったとしても、ここには、管理人室に私服の警官がいるわ。夜は泊まり込んでくれているのよ」
「警察との連携、ですか?」
「そういうこと」
「よく、警察のかたが協力してくれましたね」
今までのことを考えてみると、これは異例のことではないか?
彼らへの依頼は、ほとんどが警察から入るが、一度彼らに任せたら、あとは手を引いていたはずだ。
それは、双方のためなのである。
警察には警察のやり方があり、必ずしも健たちのやり方と一致するとは限らない。
いや、むしろ、メンバーのやり方は、歓迎されないことのほうが多いのだ。
時として、犯人のほうに荷担するようにも見える彼らの考えは、法律に縛り付けられた警察側には、理解しがたいだろう。
今回のように、ストーカーが絡む事件となると、尚更だ。
一人の人間に深く関われない警察にとって、健たちに押し付けるのは都合がいいはずで、いくら一人とはいえ、警官を専従させることがあるとも思えない。
絵里は、そうね、と素直に頷いた。
「協力させた、と言ったほうが当たっているわ。最初、被害届が警察に入ったのね。決まったパターンだったから、警察はパトロールをする程度だった。実害がない限り、それ以上のことはできないのよ」
「わかります。それで手遅れになることも多いんでしょう?」
「そうよ。今回にしても、実害と言えるものを、警察では目撃していない。と、すると、被害妄想かもしれないじゃない。彼女とストーカーは知り合いだった……。一方だけの証言では、どうとでもとれるわ。……あたしたちが来たのは、ちょうどその頃というわけ。警察は、さっさと押し付けたかったでしょうね。それを、ケンが止めたのよ。……で、彼女とも話し合って、ある意味おとりのような協力をしてくれている、ということよ。でも、あたしたちが四六時中一緒にいることなんて、できない。だから、女性の護衛をつけているの」
夕子は、彼女の説明を頭の中で整理をするように聞いていたが、ふと、彼女を見上げた。
「でも……犯人にしてみたら、外出時に護衛がいないことを不審に思いませんか? ストーカーということは、あの人の行動をずっと、見張っているようなものでしょう? あの人が警察に行ったことも、夜には護衛がいることも知っているのではないですか? なのに……昼間は誰もいないことに、かえって警戒するような気がするんですけれど」
相変わらず、夕子の判断力は確かだ。仕事から極力遠ざかり、普段は家事をしながら留守番をするだけなのに、こうして、概要を説明すれば、正確に流れを読み取る。
クスッと笑って、絵里は歩きながらも、言葉を探すように人差し指を顎のところに持っていった。
「……そうね……例えば、アルコール中毒」
「は?」
「ケンもそうだけれど、ヘビースモーカー」
「エ、エリ?」
突然、何を言い出した?
絵里は、意味ありげに、夕子を見下ろした。
「爪を噛む癖、髪をいじって時間を潰す人。……もし、それを強制的に止められたら、どうなると思う?」
不思議そうに絵里を見返しながら、夕子はしばらくすると、小さく答えた。
「一種の禁断症状……でしょうか?」
「パトロールは続いている。夜は護衛がいるから、近づけない。昼間は誰もいないことが却って怪しい……ということまでは、ストーカーもわかっているはず。……これは、あたしの思い込みかもしれないけれど、ストーカーって、ある意味、自己愛のようなものじゃないかしら。相手を想う気持ちは自分が一番だ。だから、いつかは相手に自分の愛が伝わる……性格によるかもしれないけれど、攻撃的な犯人じゃない限り、常に相手の行動を監視して、隙を見て接近しようと……というか、アタックしようとしているんじゃないかしらね。彼女、まだ若いわ」
と、いいながら、いたずら気味にチラッと舌を覗かせる。
絵里よりも年上の女性をそう形容したことに対するものだったようだ。
夕子も、思わず笑った。
「例えば、会社の同僚とか、上司でも、友人でもいいけれど、彼女と男の人が仲良くなることだってこの先、あってもおかしくないでしょう。現に彼女、昼間は外食じゃない」
女性の会社の近くには、それほど飲食店があるわけではなかった。
しかし、皆無ではないのだ。
絵里たちも、今日は彼女と同じ店で、昼食をとった。
夕子が、気づいたように足を止めた。
「エリ、あのレストランに、ストーカーの人はいたんですか?」
「どうかしら? 少なくとも、あたしが見当をつけている人はいなかったわよ」
「そう、ですか……。あの……それで、あなたがたは、何かを待っているということなんでしょうか? その、あの人が別の男性と仲良くなることで、ストーカーの人の出方、とか……」
絵里は、フッと息をついて、背伸びをしながらまた、歩きだした。
「時間があれば、が条件ね。いつまでもここにいるわけじゃない。メインはケンたちのほうだから、期限はわからないわ。でも、もしかしたら、こっちはそれほどかからないかもね。場合によっては、あたしたちから仕掛けることだってできるもの」
仕掛ける……。
夕子は、彼女から視線を逸らし、小さく身震いをした。
少しだけ、健たちが恐ろしく感じる。
不安を募らせている女性を平気でおとりにし、犯人を心理的に追い詰めて、実力行使を誘導することも、彼らは平然とやるかもしれないのだ。
以前、聞いたことがある。
健は、司令の受けた依頼を、そのまま解決するわけではない、と。
基本的に、警察から入る依頼だが、本当に、メンバーを必要としているのは被害者たちのほうだ。
メンバーの、最初の仕事がそうだった。
依頼者、つまり、健たちが認めた被害者の依頼のためなら、誰に迷惑がかかろうが構わなかった。
『被害者』が満足する結果であれば、だ。
それが正しいのか、間違っているのかの判断は、夕子にはつかない。しかし、一瞬よぎった、彼らに対する恐れは、言葉にならない問いかけとして、心に響いた。
“本当に、それがいいことなの?”
と。
結果が全てなの?
その疑問は、未だに彼女の心の中で燻っている。
「あの……」
「ユウコ、帰ったらもっと納得のいく説明をしてあげる。だから、そんな顔はしないで」
見抜いている。絵里は、不安そうな彼女の肩を抱き寄せた。
「さ、これから買い物よ。今日のことは一度、忘れなさい」
やはり、夕子には荷が重かったか。
人間関係に、すっきりしたものなど、さほど多くない。それが、犯罪という要素を含むものならば、単純に、被害者がいい人だとは限らないことも、彼女には理解しきれないらしい。
仕事から遠ざかっていたから……。
そして、人見知りゆえに、他人との関わりを恐れていたから。
しかし、それは理由にならない。
いくら実たちが外れたからと言っても、健が彼女にも声をかけたというのなら、他にも意味があるはずなのだ。それが、健の考え、やり方なのだから……。
絵里は、彼女の腕を自分に絡ませながら、帰り途中の商店街に足を向けた。




