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TOGETHER  作者: SINO
~第二部 切り札~  一章 八人目は居候
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ナンバリング・7

 男性がビルに入っていったのを見届けると、健は踵を返しながら、左の耳に何かを嵌め込んだ。

「これだけ?」

と、志乃が間の抜けた声で尋ねる。

 健は、にっこり笑った。

「まさか」

「……だよなぁ。それで? 次は何をするんだい?」

「出勤だけでは片手落ちだろう。帰りまで、待つんだ」

「はぁ?」

 健が、先に歩き出してしまう。

 慌てて後を追い、志乃は前に回り込むと、立ちふさがるように、呆れ顔で腰に手を当てた。

「あんた、俺をからかってねぇか? こんなくだらない仕事のために付き合わせたってんなら、帰るぞ」

 よく考えてみると、健の行動自体、おかしかったのだ。

 護衛というわりに、電車の中でも、歩いているときも、さほど男性に気を配っていなかった。まるで、散歩でもしているように、のんびりと歩いていたようにしか、思えないのだ。

 いくら、実の代役とはいえ、無駄な時間をだらだらとしているくらいなら、家にいたほうがマシだ。

 要するに、今朝のことを含めて、志乃は、健が、自分を実から遠ざけるために連れ出したのだと思った。

 夕子まで出掛けているから、家にいるのは護だけだ。

 今まで、志乃は護と一言も口をきいていない。また、普段のメンバーの中でも、彼だけはほとんど誰かと話すこともない。少なくとも、まともに彼の声を聞いたことがないのだ。

 それどころか、存在感が希薄で、時おり、そこにいたのかと気づくほど、志乃にとっては影の薄い存在でしかなかった。

 と、なれば、彼が居残っていたとしても、こっそり実に会うのに、障害になるはずがない。

 健は、それを懸念して、連れ出したにちがいない。

 ならば、今からでも帰ってしまおう……

 そう考えていた志乃を見上げて、健は人通りがあるにも関わらず、彼の髪を漉き上げた。

「愛しているよ」

「なっ……」

 いきなり何をいうのか……顔どころか、身体中が熱くなる。

「な、んだよ。て、照れるじゃねぇか」

 先程の、車内での昂りが蘇り、志乃は慌てて彼の手から顔をずらした。

「おいで。まだ、仕事があるんだ」

 平然と手を下ろすと、健はまた、歩き出した。

 向かっているのは、駅の方だった。

 どうもはぐらかされた気がする。

 健には、そういうつもりがないのかもしれないが、自分の目的を話そうとせず、うまく誘導しているような感じがする。

 逆らえなかった。

 あの笑顔で言われると、力が抜ける。脅迫的であり、まるで魔力のようだ。

 仕方なく、ついていくしかなかった。

 大通りを、人の波に逆らって歩いていた健だが、駅が見えるという距離まで来たとき、突然足を止めた。

 隣の志乃が行き過ぎ、すぐに振り返る。

 健は、俯けた顔を、抑えていた。

「どうした?」

と、声をかけた途端、

「……だめか……」

という呟きと共に、足が崩れた。

「お、おい!」

 支えることは間に合わなかったが、踞った体を掴む。

 歩いている周囲の足がいくつか止まるなか、健の右手が、両目を覆う。

「ブレスレットを……」

と、僅かな震えを伴って、左手が上がる。

 志乃は、胸で彼を支えながら、それを外した。

「人気のないところに……運んでくれないか。ちょっと、動けそうもない」

「ど、どこに? どうしたんだよ?」

「どこでもいいよ」

 声は弱いが、言葉ははっきりしている。

 辛そうに顔をしかめているのか、口許がひきつっていた。

 が、意識はしっかりしているようだ。

 志乃は、周囲を見渡した。

「き、喫茶店があるけど……ダメかな?」

「頼む」

 このとき、彼らを気にしながら行き交う一人から声がかかった。

「どうしました?」

 勇気をもって声をかけてくれたのだろう。若い女性だった。 

 志乃が、健を見下ろす。

 どう答えていいのかわからなかったのだ。

 返事をしたのは、踞ったままの健だった。

 無理に顔をあげて、弱々しく笑いかける。

「なんでも……ありません」

「顔色が……あの、この先に病院が……」

 病院、と聞いた途端、健は彼女の言葉を遮り、冷たく言った。

「構わないでくれ……シノ」

 声の変化に、志乃は女性に目もくれずに健の腕を自分の肩に回すと、見つけた喫茶店に足を向けた。

 そこに入る直前に振り返ると、先程の女性が、心配そうにこちらを見ていたが、無視して扉を開ける。

「いらっしゃい……ま、せ……」

「病人! 少し休ませてくれ。奥の席を借りるぞ」

「は、はい」

 勢いに押されて、ウエイトレスが通路を開ける。

 扉から、一番奥まったボックス席に健を運ぶと、そこに寝かせ、志乃は膝をついた。

「それで? どうすりゃいいんだ?」

 今しがたの、女性の親切を冷たく断ったことから、持病の貧血なのだということはわかったが、肝心の実はダウンしている。

 志乃は、こういうときの対処を知らなかった。

 僅かに、覆っていた手をずらして、健はブレスレットを示した。

「タカヒロかタカシを呼んで。ここに……薬を持ってくるように……」

「わ、わかった」

 だから、外させたのか。

 使い方とナンバーは、夕子から教わっている。

 志乃は、その場に膝をついたまま隆宏を呼び出すと、耳に当てた。

『はい。どうしたの? ケン』

 ブレスレットは、名前が表示される。

 隆宏の声に、一瞬間をおいて、志乃は息を吸い込んだ。

「俺、シノだけど。ケンが倒れたんだ。薬を……」

『また? ……ああ、そういえば、飲まないで出ていったっけ。ミノルに怒られるのに、どうして忘れるかなぁ』

 隆宏の向こうで、高志の、『また忘れたのか?』という声が混じっている。

 二人とも、のんびりした声だった。

「ず、ずいぶん落ち着いてるじゃねぇか……」

 こっちは、本人を見ているから慌てているというのに……。

『よくあることだからね。オレたちが忘れていたのも悪いんだけれど……。それで? 今、どこ?』

 志乃は、場所を教えて言葉を止めた。

「ちょっと待ってくれ。……ちょい、そこの姉ちゃん。この店、なんて名前なんだ?」

 近場の、目についた店構えだけで入ったため、名前まで確認していなかった。

 どうしていいのかわからず、それでもとりあえず水を持っていくように言われたらしく、ウエイトレスは、テーブルから少し離れた通路で、声も小さく答えた。

 片手で礼をいって、すかさず店名を隆宏に伝える。

 すぐに行くとはいえ、少し時間がかかると言って、隆宏の声は切れた。

「来てくれるってさ。俺はどうすればいい?」

 隆宏と話したせいか、少しだけ、落ち着いた。

 健が、目を閉じたまま、テーブルの向こうを指差した。

「座っていれば、いいよ。コーヒー……飲み損ねただろう?」

「へっ? ……あ、ああ、さっきの」

 行きがけに、飲み干すに至らなかったコーヒーのことを言っているのだと気がついた。

 まったく、自分が倒れたというのに、呑気なものだ。おまけに、隆宏たちに心配の欠片もない。いつものことと言っていたが、前には頻繁にあったということだろうか。

 こっちは初めてのことに驚いたというのに……。

 一人で慌てた自分がバカみたいじゃないか、などと心で毒づきながら、テーブルの対面に座ると、まだ立っているウエイトレスに手招きした。

「厄介ごとを持ち込んで悪いな。少しの間、休ませてもらうよ」

「あ、いえ……あの、救急車かなにか……」

「あんたもかい?」

「はい?」

 テーブルの影になっている健に顎を向けて、志乃は言った。

「休めば治るんだよ。大袈裟に騒ぐこっちゃない。迷惑なら出てくけど?」

「あ、あの……」

 困り果てて、ウエイトレスはカウンターを振り返った。

 無理もない。まだ若そうな彼女は、このような事態に直面したことがなかったのだろう。

 マスターが、ようやくこちらに向かってきた。

「あの、もしよろしかったら、奥に部屋がありますから、そちらでお休みになられますか?」

 精一杯の心配顔と、それに反して迷惑だと言いたげな内容の言葉に、志乃が同意する。

「そりゃ助かるな。……いいだろ? ケン」

「……すみません。ご迷惑をおかけします。案内を……お願いできますか?」

 見苦しい姿なのは承知しているが、体が動かない。

 しかし、力の入らない腕で、かろうじて僅かに起き上がった。

 その態度と、柔らかい言葉遣いに、初めてマスターが微笑んだ。

 志乃の態度は決して誉められたものではないが、健の言葉は、マスターの気持ちを和らげたらしい。

 それでも、病人が客席にいるのは、店にとっても見映えが悪いどころか、悪評の種になりかねない。

 そういう思いだけは、僅かに表情に出ていたが。

「こちらへどうぞ」

 志乃がまた、健に肩を貸す。だが、さっきよりも健の足に力が入らないのか、彼の重さが増した。

 面倒だ、と、唐突に背負った。

 想像以上に軽いことに驚いたものの、そのまま、他の客の注目の中、マスターのあとについて、カウンターの奥に入っていく。

 どうやら、従業員の休憩室のようだ。

 ロッカーと、小さなテーブル、それにテレビが置いてある。

 片隅の長いソファに、健を寝かせておけそうだった

「毛布をお持ちしますか?」

「どうする? ケン」

「……毛布は結構です。申し訳ありませんが、彼にコーヒーをお願いします」

「かしこまりました」

 マスターが出ていくと、志乃は健の傍らに膝をついて、額に手を当てた。

「少し熱があるみたいだぜ」

「微熱程度じゃないかな」

「なあ……本当にこのままでいいのか? なにか、他にできること、ねえのかよ?」

「……こうしているしか、ないんだ。困らせてしまったね。ごめん」

「病人が気を使うんじゃねぇよ。まったく……」

 健はいつもこうなのだろうか。自分よりもメンバーのことを考えているのはわかるが、まさか、志乃にまで気を回すとは。

 あるいは、話しかけるから、無理して付き合っているのか?

「俺、黙ってたほうがいいか?」

「構わないよ。体が動かないだけだから」

 その割りに、いつもの穏やかさがない。時おり、顔をしかめているということは、相当な目眩がしているのかもしれない。

「それって、ホントに貧血の症状なのかい? 体が動かなくなるもんなのか?」

 病人の世話をし慣れていない上に、自分が健康体だったから、志乃には病名以外、症状が理解できない。

 だが、普通は、目眩の症状くらいではないのだろうかと、訝る。

「……言い方が違うのか……。ひどく目が回るんだ。だから、体を動かそうとすると、反動がくるんだよ」

「ああ、そういうことか。貧血、なんて、立ちくらみくらいしか知らねぇからな。軽くみてたけど、辛いんだろうなぁ」

 目眩自体は嘘ではなかったが、本当に体が動かない、とはいえなかった。

 これ以上心配させたくなかったのだ。

 今回は下半身だけのようだが、ひどいときは、身体中が痺れるように動かなくなる。

 今は慣れたとはいえ、これで隆宏たちにも何度か迷惑をかけたことを思えば、志乃に追い討ちをかけても仕方がない。

「あ、あのさ、膝枕ってどう?」

 何もできないながら、志乃は自分なりに気遣いたいらしい。

 電車の中といい、今といい、彼の本質は、案外、お人好しなのかもしれない。

 健は、辛そうだが、苦笑混じりに言った。

「そうしてくれる?」

 できれば、頭を動かしたくはなかったが、志乃にそこまでわかるはずがない。

 普通の貧血とは違うので、何をしても無駄なのだが、せっかくの申し出を断らなかった。

 そそくさと、彼の頭を抱き上げてソファに腰を下ろすと、静かに自分の足に頭を乗せる。

 そのまま、覗き込んだ。

「こんなときにタバコってのもおかしいよな。なにか欲しいもんはないのかい?」

「さっき、言ったはずだよ。オレからは何も要求しない。君が、考えるんだ」

「難しいことを言うよなぁ。あいつらは当たり前にやってるんだろう?」

「そうだよ」

「それって、あんたのことよく知ってるから出来るわけだろ?」

 考え込んでしまった。

 志乃は、健の額に手を当てたまま、ソファの背もたれに頭をのせて、目を閉じた。

「あんたのクセ……いや、それだけじゃわかるわけねぇし。……好み……は当然の知識だろ? でも、そんなの教えてもらってねぇぞ。それに、タイミングだろ? 合図を送るわけ、……ねぇしなあ」

 志乃の足の上で、健がクスクス笑っている。目眩自体に周期があるのか、それとも笑わずにいられないのか。

 気がついて、彼を見下ろす。

「なんだよ。ガラにもなく考えてるっていいたそうだな」

「そう見える?」

「違うってのかい? 大体な、わかるわけ、ないじゃねぇか。ミノルはなんにも教えようとしねぇしよ。あんたとこれだけ話したのも今日が初めてなんだぜ」

「わかっているよ。承知して、言っているんだ。オレを、よく見てごらん」

「あんたを?」

 ノックが聞こえた。

 考えていた志乃が、慌てて返事をする。

 入ってきたのは、トレイを持ったマスターだった。

「お待たせしました。もし、よろしければ、トーストですがお召し上がりください」

と、トレイの二品をテーブルに乗せる。

 志乃が片手を上げて、これは礼を言っているつもりらしい。

 代わりに、健が答えた。

「ありがとうございます」

「いえ。ですが、本当にこれだけでよろしいですか? 医者を呼ぶこともできますが」

「これ以上は構わないでください。今、主治医がこちらに向かっているので」

 どうも、健は実以外の医者を認めていないのか、それとも医者自体が嫌いなのか、その言葉を聞くと声が尖る。

 先程の女性に対するほどではないが、休ませてくれているマスターに向かっても、それが伺えた。

 しかし、気がつかないマスターは、主治医という言葉に安堵した。

「そういうことでしたら、ゆっくりなさってください」

 一礼して、彼は出ていった。

 さっそく、志乃がトーストに手を伸ばす。

 家では、急かされて出てきてしまったため、正直言えば、食べた気がしなかったのだ。

 こぼさないように、皿ごと取り上げる。ついでに、邪魔そうに髪を後ろに飛ばして、健を見下ろした。

「俺だけ悪いな」

「いいよ」

「……でもさ、確かあんた、何も食ってなかったよな。これ、食うか?」

「……シノ……」

「あ、そっか」

 自分からは要求しない。無駄に渡すこともできない。

 我慢をさせるわけにもいかないし。

 貧血状態でも、腹は減るだろう。

 しかし、バターたっぷりのトーストでは重いかもしれない。そう考えると、喫茶店の軽食自体、病人には向いていないように思う。

 コーヒーを飲ませても、微々たる栄養にしかならないし……。

 皿を持ったまま、あれこれと考えていた志乃は、やがて、それをテーブルに戻すと、ゆっくり彼の頭を下ろして席を立ち、部屋を出ていった。

「マスター、リンゴジュースかオレンジジュース、作ってくれねぇか?」

 少しの間に、店内には客が増えていた。

 マスターは、何人分かのコーヒーを作っている。

「お連れ様のですか?」

「そ。あいつ、朝飯食ってないんだ。ジュースくらいなら飲めるだろうからさ」

「それでしたら、ヨーグルトはいかがですか?」

「あ、それがいいや。頼むよ」

 思い付かなかった。

 胃にも負担にはならないし、ジュースよりはボリュームがある。

 すぐに持っていくというマスターに礼を言って、部屋に戻ると、今度は直に床に腰を下ろした。

「しばらく我慢な。ヨーグルト持ってきてくれるから」

「……助かるよ」

 とは言ったものの、苦笑するしかなかった。

 ヨーグルトもそうだが、健は、デザートの類いは好きではないのだ。

 だから、夕子がせっせとケーキやクッキー、アイスやドーナツと作っても、彼が手をつけるのはせいぜい一口くらいだ。

 もちろん、ヨーグルトも出てきたこともあった。一口大に切ったフルーツに絡めてあったが、それも、ひとつを口にしたくらいだ。

 確か、志乃もそれを見ていたはずなのだが。

 いや、自分で思い付いてオーダーしたことだ。

 それだけでも、今は良しとしなければ。


  


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