ナンバリング・4
ノックと共に、健はドアを開けた。
実の側に付き添っている護が顔を上げる。
「ケン、いいか?」
という彼と、
「頼みがあるんだけれど」
と切り出した健の声が重なる。
二人は、同時に言葉を止め、そして、健が護を促した。
「見て……ほしい」
そう言って、護は、眠っている実の右手を毛布から出した。
まったく起きる気配がない彼の、リストバンドをずらす。
近づいた健の目に映ったのは、そこに見えた痣だった。
「シノは……彼に何をしているんだ? これは……オレの……」
自分から口にすることができないためか、護は目を逸らしながら続けた。
「彼は……ミノルに……」
「それ以上は言わなくていいよ」
手をかざして、止める。
健は、刺激しないようにリストバンドを元に戻すと、その手を毛布の中に入れた。
「これはね、シノが悪いわけじゃない。ミノルの意思でなければ、こんなものはできないだろう?」
実の心に一番近く寄り添い、常に彼のために生きている護だからこそ、健のいうことが嘘ではないことがわかる。
実が、誰かから、黙ってやられるわけがない、と。
それだけに、辛い。
「ずっと……気づかずにいた……。あなたは知っていたのか?」
「一応、リーダーだからね」
その答えに、護の視線が尖って、彼に向いた。
知っていながら、黙認していたということではないか。
しかし、それは一瞬だった。
健は、常に先を見越している。黙っていたことにも意味を含んでいるはずだ。
「……そうか。シノは……そういう男だったのか」
すぐに顔を背けた護の声が、嫌悪を含みながらも微かに震えていた。
それは、かつて自分を変えた男と同じ種類の人間が側にいることに対する恐れだ。
昔、実が心の底に封じ込めてくれた感触が、少しだけ、顔を覗かせる。
自分が元に戻ってしまわないか、それが……怖い。
「オレは……」
「マモル、大丈夫だよ。今のおまえならね。自分を信じて。いいね」
決して気休めは言わない。
健の『大丈夫』は、確実な、安心感を含んでいた。
それを意識できたわけではないが、護は顔を上げた。
「君の話は?」
「アキラさんを呼んだよ。彼の診断には絶対服従。これは命令だとミノルに伝えておいてほしいんだ」
「だが、仕事の方は?」
「たまには側にいるのもいいだろう?」
途端に、僅かではあったが、照れたような微笑みが護に浮かんだ。
「ありがとう、ケン」
その顔に、健が目を細める。
「おまえが彼を想う気持ちは誰にも負けないね。一度でもいいから、オレにもそういう顔をしてもらいたいが……それは、わがままか。……とにかく、彼を頼んだよ」
そういうと、健はやっと下に降りた。
隆宏たちはもう食事が終わったらしく、一人志乃だけが、元気よく頬張っている。
健は、椅子に座ることなく、壁にかけた時計を見上げた。
「食べ損なったなぁ」
時間がないのだ。
彼が今、手掛けている仕事の相手は、雨が降らない限り、同じ時間に家を出る。そのため、そろそろ出なければ間に合わない。
隆宏も、つられて時計を見上げた。
「どうしようか迷っているんだ。ミノルが抜けるとなると……」
「マモルもね」
「えっ? マモルも?」
土壇場になって、戦力が二人も欠けては、隆宏が慌てるのも当然だ。
健は、志乃の背後に回り込んで、彼の肩に手を添えた。
「その代わり、付き合ってくれるよ、シノならね」
「……お、俺が?」
トーストを口に入れながら、驚いて志乃が振り返った。
同行し始めてから今日まで、彼はずっと、夕子と二人で過ごしていたのだ。
掃除や、買い物ついでの散歩、そして料理の合間まで、彼女と話をしながら留守番をしていた。
本当に、形だけの同行としかいえない日常で、健たちの仕事にはまったく興味を示そうとしなかった。
今でも同じ……はずなのだが……。
断りの答えをさせない、柔らかい微笑みが志乃を見下ろしている。肩に添えられた、冷たく感じる手も、承諾するまで離さないといっているようだ。
口の中のトーストを飲み込んで、志乃は脱力したように息をついた。
本当に、彼の言葉には力が抜ける。
「しょうがねぇなぁ。あんたの笑顔は、一種の脅迫だよ」
当たっている、と、高志たちが笑った。
渋々とだが、承諾の意味を含めて、残りのトーストを急いで頬張る。
「あと、ユウコ、君も手伝ってくれるね?」
「はい」
護や実の代わりには到底なれるものではないことを承知しながらも、彼女はしっかりと頷いた。
「と、いうわけで、タカヒロ、シノはオレが借りるよ。あとは任せるから。……ほら、シノ、急いで」
「ま、待って……コーヒーくらい……」
「あ、それからユウコ、出掛ける前に、マモルにも食べさせておいてくれる?」
「はい、すぐに」
それだけ言いおいて部屋を出る健のあとを、名残惜しそうにコーヒーを一口だけ含んだ志乃が、急いで追って行った。




