ナンバリング・3
戻ってきたとき、手には、階下から持ってきた電話があった。
ナンバーを押して、受話器を耳に当てる。
相手の声が聞こえたとき、彼は志乃から顔を逸らした。
「アキラさん、すまないが、来てくれないか?」
相手の返事は、一瞬の戸惑いのあとに聞こえた。
『? えっと……その声はケンかい? どうしたの?』
「ミノルを診てほしいんだ。神経がかなり参っている。安静にさせておきたくて」
『ミノルかぁ……。僕の言うことなんか、聞かないと思うけど?』
「形だけでもいんんです。オレが言い含めておくから」
『いや、診るからには形だけにはしないけど』
「そういってくれると思いました。ありがとう」
『剣崎さんに場所を聞いてすぐに行くよ。……それで、他になにかある?』
やはり、玲も半分以下の数値とはいえ、ノーセレクトの要素を含んでいる。健がまだ、なにかを隠しているのに気づいたのだ。
健は、今度は志乃を見据えて、続けた。
「ミノルが休んでいる間、マモルだけを側におくと伝えてほしいんだ。誰も、彼に近づけさせない」
ことさらゆっくりと言った健に、志乃が体を震わせた。
健を見下ろすその目に、怒りが浮き上がる。
それを正直に受け止めながら、だが、健は玲の声に、また目を逸らした。
『医者の言葉として伝えるよ』
「お願いします」
静かにスイッチを切った途端、それを待ちかねたように、志乃が目を吊り上げて、健をベッドに押さえつけた。
「どういうことだよ!」
実には、誰にも近づけさせないとは、電話の相手に言った言葉ではない。あれは、明らかに志乃に向いていた。
両腕をベッドに押さえられながらも、健はいつもとは違って、険しい顔で、志乃を見返した。
「君が怒るのは筋違いだ。怒りたいのは……オレの方だよ」
「なんでだよ!」
「君の狙いは、一体なんだ? なんのために近づいたのか、忘れたか? ミノル一人がターゲットだとは言わせないよ。もし、そうだと言うつもりなら、オレは、何があっても阻止する。オレたちは、一人も欠けることはない。ノーセレクトの誰一人、離さない」
確固とした強い言葉に、志乃が咄嗟に何かいいかけた。
しかし、それよりも、健が続ける方が早かった。
「オレはね、シノ。君が圭吾さんの仇を討てるように……いや、君の願いを叶えようと思っている。そのためならば、いくらでも手を貸すつもりでいるんだ。だから……」
健の視線が、不意に逸れた。
何か考えるように、目を伏せたのだ。
だが、また志乃を見上げたとき、そこには、いつもの優しい、そして、情けないほど儚い微笑みがあった。
「シノ……。自分の本音を隠さないでくれないかな」
「本音……? な、なんだよ、それ……」
とぼけているのか、それとも判っていないのか、という迷いは、健にはなかった。
志乃は、自分の本音に気づいていない。
いや、気づいていながら、確信が持てないでいるのか?
健は、押さえつけられてはいるものの、力がなくなっている志乃の両手を外すと、半身を起こした。
呆然と、その動きを見ている志乃が、ゆっくりその場に腰を下ろす。
何かを考えているように俯いた彼は、しばらくして、呟いた。
「本音って……なんだよ……」
健が、黙って様子を見ている。
やがて、志乃は顔を上げた。
「何もかも……知ってるような言い方しやがって……」
「オレにはわかるんだよ。……認めるのが、怖い?」
「……み、認めるも何も……俺は……」
声にも、力はなくなっていた。
志乃が、弱く、言った。
「あんたらを……あいつも、仇だから……」
……やはり……
志乃にも本音はわかっていたのか。
健は、両膝に肘を置いて、志乃を見下ろしながら、声をかけた。
「そうだよ。でもね、想うのは自由じゃない? 別に、やめろといっているわけじゃない。……さっきも言ったように、ノーセレクトは、どんなことがあってもオレが守る。誰一人、欠けることなくね。だから、君がターゲットを一人に絞るのなら、協力はできない。……君の目的は違うだろう? 少しの間、ミノルを休ませてあげてくれないかな?」
休ませる……。
つまり、やはり実と離れることになる。
そう聞いた途端、反射的に健を見上げていた。
「やっぱり、俺を一人にするんだ……」
それは、諦めた口調だった。
“……なるほど……。これが『シノ』なのか。似た者同士、だな”
健が、気まずく微笑む。
「あのね。そういうわけにはいかないんだよ」
「?」
「彼が今、寝ているのはオレのベッドじゃないか。と、なるとオレがここに来るしかないんだ。ミノルの代わりにもならないけれど、迷惑でなければ、置いてくれないかな?」
健は、誰にでも、こうして他人に伺いをたてる。それが、仇と公言している相手にさえ、だ。
彼の、大きな優しさが、志乃の身に染みる。
同居を始めてひと月、健のことだけが、志乃は理解できなかった。
なぜ、こんなに情けない奴がリーダーに収まっているのか、と最初は思った。
些細なことを知らないことが、あまりにも多いのだ。そのたびに、メンバーの、呆れたため息を聞いていた気がする。
実などは、普段から嫌みや皮肉が多いから、怒るときも容赦はなく、健はどことなく顔色を伺っているように見えるときもあった。
まったく役に立たないようなのに、なぜ、リーダーでいられるのだろう、という疑問がいつも付きまとっていた。
しかし、それが当然に思えるときも、あったのも事実だ。
今も、そうだ。
情けないはずなのに、大きく思える。
健たちを、憎い仇と思い、近づいた最初の決意が、健と言葉を交わすごとに薄れていくような気がしていた。
いや、彼だけではなく、他のメンバーと接しても、同じだった。
健の決定だというだけで、隆宏たちも、まるで旧知の友人のように志乃に接している。
リーダーに対する、絶対の信頼感と、肌で感じる、彼らのチームワークが羨ましかった……。
今、それも本音のひとつだと、思い知らされた。
そして、もうひとつの本音も、健は知っていると言った。
志乃は、気まずそうに顔を覆った。その下から、声が洩れる。
「俺、さ。いつも一人だったんだ。ガキの頃からずっと、一人だった。だから……本当はあんたたちが羨ましかったんだ。あんたが俺の同行を許した。たったそれだけで、ミノルたちは従ってる。それだけ信頼されてる……」
少しずつ、膝を立てて、志乃は、今度はそこに顔を埋めた。
「そんな相手がいるって……いいよな。だから、ミノルが側にいるって、言ったとき、きっと嬉しかったんだ。……そりゃ、最初は違ってたさ。ラッキーって、思ったよ。絶対、皆殺しにするって、意気込んでたから。……ミノルみたいに、ひねくれてる奴って、口を割らせるのは簡単だろう。そう、思ってた。まさか……俺があいつに……惚れるなんて、思わなかった……」
しばらくして、膝の間から深い吐息が聞こえ、志乃はゆっくりと顔を上げた。
「無茶、しちまったなぁ。あいつ、いやがらないからさ……。でも……」
ふと、言葉を止めて、彼はぼんやりと、健の背後、窓のほうに話しかけた。
「あいつを抱いてるの、俺じゃないんだ。……それが悔しくて……。あいつの相手は俺じゃない。あんたなんだ」
と、寂しそうに健に視線を戻す。
健は、黙って聞いていたが、視線に答えるように、僅かに首を降った。
「そうじゃないんだけれど……ね。……けれど、ある意味、当たってはいるのか……」
「……わかんねぇよ」
「彼は……たとえ相手が誰でも、同じなんだ。そういう意味では確かに、オレでないとダメなんだけれど……」
「そっか……。やっぱりな」
「ただ、誤解はしないでくれないか。彼は、オレがいないと生きていけない。それは嘘じゃないけれど、それだけだ」
「どういう、こと?」
子供のような問いかけに、健はまた、一度だけ、首を振った。
「ねえ、君に一年の期限をつけた意味を、よく考えてくれないか。まだ、ひと月だ。自分の目で確かめもしないで、安易に答えを得ようとしないでほしい。まず、自分で考えてくれ。どうしてもわからないときに聞くように努力してくれないか」
言い聞かせるような言葉だったが、志乃には、納得できることではなかった。
自分で、実の口から聞いていたからこそ、健と実の仲を疑っているのだから。
ほぼ、毎日のことだ。
『ケン……まだ、足りないのか……?』
彼を求め、呟いている以外には聞こえない言葉のどこに、誤解のない真実があるというのか。
自分の本音に気づかなければ、実とのことは、手段でいられた。
だが……。
親友の仇を討つ━━恨みを晴らす━━必ず……。
志乃は、重く頷いた。
「わかったよ。自分で……確認する。そして、あんたたちを……」
彼は、健を見ないように、踵を返した。
「腹減ってるんだ。下行くよ」
「そうだね。先に行っていていいよ」




