ナンバリング・2
遠慮がちのノックに、やはり返事はなく、ドアを開けて中に入った志乃の目に映ったのは、薬品棚に隣接しているテーブルに突っ伏している実だった。
「お、おい」
慌てて駆け寄る。
……やはり、眠っているようだった。
思わず、安堵の呟きが洩れる。
「ミノルゥ」
見ると、彼の手元には薬がひとつ。
健がいつも飲んでいる、手包みの薬方だ。
毎日、一つずつ作っているのか、それとも、これひとつで力尽きたのか、判断ができない。
改めて実を起こすと、今度はそれほど苦労もなく反応があった。
「起きたか?」
「……呼びに……きたのか」
まだ半分、虚ろな目をしている。
志乃は、本当に心配になってきた。
今まで、一度たりともこんな姿を見たことがないのだ。
彼らと同行するようになって、いや、実と同じ部屋で過ごすようになって、朝、まともに起こされたことがない。
正に、叩き起こす、という言葉通りだった。
一度、ベッドから落とされたこともあったくらいだ。
それが、今朝はまるで立場が逆ではないか。
「な、ミノル、今日は寝てろよ。ケンだって一人で動けるだろ? あんた……夕べはきつかったんじゃないか?」
とは言ったものの、思い返してみても、別段、変わったことをしたわけでもないはずだ。
しかし、現にこうして実の姿を見ると、やはり、やりすぎたかと反省し始めている。
実は、それを聞いた途端、肩に添えられた志乃の両手を、うるさそうに払い除けた。
「平気だと……言っているだろう。おまえの声……耳障りなんだよ」
「なんだよ。人が心配してるのに」
いつもの勢いがないものの、実に睨まれた。
「心配するくらいなら……」
一度、頭を強く振って、実は言った。
「……満足させろよ。あんなもので……足りるか」
さすがに、志乃もカチンときた。
「ひっ、ひでぇ!」
彼の皮肉や嫌みはいつものことだが、それにしても、こんなときですら、容赦がない。
言い返そうとしたが、実がよろめきながら部屋を出てしまったため、慌てて後を追った。
まるで夢遊病者のようだ。階段の手すりに寄りかかるように一歩ずつ降りていく実の体を、なぜか結局支えてしまう。
実も、今度は払い除けようとはしなかった。
階段を下りる二つの足音に、夕子は席を立つと、スープを用意し始めた。
絵里がそれを手伝うのはよくあることで、取り分けたスープを配膳していく。
ただ、護は、その足音に何かを感じたらしく、彼女たちのほうではなく、階段に足を向けていた。
実の姿が見えてくる。
その顔色を見たときに、彼は思わず腰を上げた。
「マモル、座って」
健がすかさず、彼の腕を引いて、強引に座らせる。
「ケン……」
「いいから」
今では、例え僅かなことでも、健の言うことに対して、誰もが無条件に聞くようになっている。
護もやはり、仕方なく僅かに頷くと、座り直した。
志乃に支えられた実が座ると、目の前の高志が実を乗り出した。
「寝坊かよ。……まだ眠そうじゃないか」
いつもの実なら、相手の言いたいことを先回りするように即答するのに、今回は間があった。
「まさか……おまえにそんなことを言われるとはな」
「一応心配しているんだよ」
「……そうか……。薬が抜けていないだけさ」
「いつもの?」
隆宏も、彼の顔色に、声を潜めて聞いた。
ただ、そう尋ねたものの、いつも、というほど頻繁に常用しているわけではないのも、隆宏は知っている。
メンバーが揃った当初に、数えられるほどではあったが、健から、話は聞いていた。
そう、話だけなのだ。
実は、健の前以外では、決して服用しない。
何かがあった、とは思っても、彼は深入りせず、また、実も隆宏に答えを返すことなく、健に言った。
「薬の種類を変えたんだ」
その一言で、健はすべて納得した。
「わかったよ、ミノル」
優しく微笑む。
実は、安心したのか、力なく椅子を引いた。
「もう少し……寝かせてくれ……。出掛けるまで……」
「いいよ」
返事が聞こえたかどうか。よろけながら席を離れると、リビングのほうのソファに、倒れ込むようにして横になった。
志乃や、隆宏たちが心配そうに目で追う。
健もまた、頬杖をついて、何気なく実のほうに視線を向けていたが、他のメンバーたちが食事を始めたのを横目に、しばらくして、護に耳打ちをした。
「オレのベッドに運んでくれないか」
つまりそれが、先程護を止めた答えだったのだ。
実が寝てしまうのを待っていたらしい。
高志たちも手伝って、静かに実を背負うと、護が二階に向かう。
健もまた、席を立つと、座ったままだった絵里に言った。
「君たちは先に済ませてかまわないから。……彼は任せて」
「わかったわ。それなら遠慮しないから」
「シノ、ちょっと部屋に来てくれないか」
何をするつもりなのだろう。
健のあとについて、また部屋に戻る。
彼は、デスクのコンピューターを起動させた。
「どうしたんだい?」
「聞きたいんだけれど、君は、ミノルがどの薬を飲んだのか、覚えている?」
「えっと……」
薬の名前までは聞いていなかったから、志乃は、健を手招きすると、薬棚に向いて、中を見渡した。
棚の中に並んでいるのは、彼らに必要最低限のものばかりで、どちらかというと、大きな医療箱のようなものだ。
それでも、普通のドラッグストアでは売っていない薬品もあり、志乃はその中から、肩越しに目的のものをみつけて指差した。
「これだよ」
「間違いないね?」
「目の前で見ていたからな」
健は、棚のガラス越しからその薬の名を覚えると、コンピューターを操作して、薬の効用を打ち出した。
「やっぱり……」
「何?」
覗き込んだ志乃は、口のなかで効用を呟いて、目を見開いた。
眠れないからと言っていたし、先程の様子も見ていたから、てっきり睡眠薬だと思っていたが、これは、ただの栄養剤ではないか。
彼の反応を流し見て、健はコンピューターを切ると、デスクに手をついて考えた。
ここまで我慢させていたのか……と。
やはり、自分の責任だ。
本当に、いつまでも情けないリーダーだと、思う……。
実が何をしていたのか、知っていて止めることもできなかった。まして、本来なら自分が代わらなければならなかったというのに、それすら、言い出せなかった。
だが、メンバーのなかで、誰よりも仲間を想う実も、これしか、志乃を引き入れる方法を思い付かなかったのか?
今からでも、自分が引き継ぐことはできるだろうか……。
「ケンってば」
強い声が聞こえて、健が顔を上げた。
どうやら、何度か呼び掛けていたらしい。
「……ごめん、何?」
「やっぱりって言ったろ? あんた、あれが睡眠薬じゃないことを知ってたのか?」
「……いや。……さっき、ミノルが教えてくれなければ、わからなかったよ」
志乃が、目を見開いた。
「教えた? いつ? そんなこと、言ってたか?」
彼にしてみれば、純粋な問いかけだったのだろうが、それこそ、健の方が内心、驚いた。
「君はわからなかったのか?」
「な、なんだよ、それ。教えてくれよ。いつ言ったんだよ」
ひと月も一緒にいて、一体、志乃はメンバーのどこを見ていたのだ……。
健は、ため息ひとつ、言った。
「仕方がないね。今回は教えるけれど、これからは言葉のひとつ、表情の変化も見逃さないようにしてくれないか」
「……うん。それで?」
無意識に、窓際のベッドに腰を掛けて、健は志乃を見上げた。
「君は言ったね。ミノルがオレの薬を作っている、と」
「言ったけど? あそこにあるじゃないか」
と、薬品棚の脇にある机を指差す。
「シノ……今まで、彼が薬を作っているところを見たことがあった?」
「……いや……ない」
あるわけがない。先程の実の行動が日常ならば、志乃がまだ寝ている間に作っていただろうからだ。
「それから、彼の言葉だ。薬の種類を変えた……」
「……わかんねぇよ」
健の話し方はいつもこうだ。
まるで、外堀の事実だけを羅列して、提示するだけで何がわかるというのだ。
不満を含んだ返事に、健は、僅かな懇願を含めるように、呟いた。
「君は、彼と一緒にいて気がつかなかったのか? オレたちは、余計なことを言わないし、やらないんだ。彼がいちいち、オレに、自分が飲んだ薬の種類なんて、言わない。どうせ、わかるはずがないことを知っているからね。最後に、君は、ミノルが薬を飲んだと言った」
「……だから……?」
「彼はね、オレの前でしか、服用しないんだ。理由があってね。タカヒロたちでさえ、聞いてはいても、見たことは……ないんだ。そういうことくらい、ミノルから聞き出していると思ったんだけれど……。つまり、自分がどういう状態なのか、どうしたいのか……彼はオレに、君から聞き出せと言っていたんだよ。彼は……限界なんだ」
「限界? 何が?」
ポカンとした、間の抜けた声だ。
やはり、理解しようとする努力すら、見えない。
何も、わかろうとしていない。
もしかしたら、志乃は、自分の気持ちすら、未だに気づいていないのか。
健は答えず、深く息をつくと、一度部屋を出ていった。




