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TOGETHER  作者: SINO
~第一部 初めの時~ 一章 それぞれの器 それぞれの役割
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ヨコハマ 1

 十三日の朝。

 健は、夕子の部屋をノックした。

 中の気配がこちらに気づいたようだ。

 相変わらず廊下は静かだ。

 もう、みんな司令室にいったのだろう。

 別館に呼び出しが掛かるまで、彼はずっと、渡されていた資料や以前の訓練データを見ていた。

 三日間、部屋に閉じ籠っていたのだ。

 預かった資料は、さほど役にたつ内容には思えなかった。

 趣味や嗜好品、嫌いなもの、身体的な数値や特徴など、他の些細なことは覚えるのに差し障りがないだろうが、性格などは所詮、レイラーや剣崎司令の個人的な見方であり、健はまだ、夕子以外の誰とも会っていない。

 下手に資料を読み込んで、先日のような先入観を持ちたくはなかった。

 だから、どちらかというと訓練データのほうばかり目を通していたといえる。

 呼び出しがあったあと、ようやく着替えようとしたのだが、これがまた彼には困難なことだった。

 なにしろ、三日前にクローゼットに服を突っ込んだまま、なにもしていなかったからだ。

 部屋の中にいる限りは、どのような格好でも構わないと思って、いつも着ていた部屋着をひっくり返しながらも探し出し、そのままだった。

 しかも、三日間、それきりだったのだ。

 だが、さすがに外出着を出さなければならない。

 服のコーディネートさえ知らなかったため、山になって、もはやきれいに畳まれているものがない服のなかから、なんとか無難だと思えるものを選んだものの、クローゼットの中は、誰が見ても頭を抱えるほど崩れていた。

 それを無理矢理押し込んで扉を閉めて、夕子を迎えにいったのだ。

 彼は、剣崎司令から言われていたことを一つ、忘れていた。

 ハウスクリーニングのスタッフが彼の部屋の掃除に入ったとき、これは意外な話の種になるだろうと想像していないに違いない。

 静かな廊下で彼女を待っている間、健はエレベーターホールのほうを振り返って、ふと、並びの一番端のドアに目を留めた。

 夕べのことを思い出す。

 夜中の、やはり静まり返った廊下でノックの音が続いているのに気づいたのは、休憩がてらに酒の用意をしたときだった。

 元々、彼らの部屋はある程度の防音が施してあるらしく、いつもの集中方法をしていても、外に漏れることはなかった。

 しかし、廊下の音は健にとって、振動と、気配に形を変えて伝わった。

 それで初めて、前の部屋━━護が来ていたことを知ったのである。

 剣崎司令は、絵里の到着も、実が来たことも内線で知らせてくれていた。

 なのに、護の連絡だけが、なかった。

 あまりに長くノックが続いていたため、健はさすがに、気になって部屋を出た。

「キャップ?」

 驚かせるつもりはなかった。

 しかし、必死にドアを叩いていた司令は、声に、青ざめて振り返った。

 まるで、ドアを庇うように足が下がる。

「ケ、ケン、……まだ、起きていたのかね?」

 部屋の時計は、ベッド脇においてある。

 ずっと机に向かっていた彼にはそのとき、何時なのかはわからなかったが、そう言われるほど遅い時間にここにいる司令のほうがおかしくはないか?

「どうしたんです? 開かないんですか?」

 司令の顔が逸れた。ドアに耳をあて、中の様子を伺っている。

 そのまま、彼は言った。

「ケン、すまないが、司令室から鍵を持ってきてくれないか。一番上の引き出しに、束ねてある。急いで」

「あ、はい」

 切羽詰まった声に、健は理由を尋ねる前に動いた。

 エレベーターに乗り、一階のスイッチを押す。

 護はいつ、着いたのだろう……先程の疑問が浮かぶ。

 五人目のノーセレクトに関わらず、最後に記載されたメンバー。

 データでは、完璧な数値とは逆に、資料の中身はほとんど白紙に近かった。

 レイラーの自殺のあと、保護者という夫が彼を育てていたからなのか。

 一階のホールから、渡り廊下を駆け抜けて、本館に入る。

 照明を薄暗く落とし、BGMも止んだこちらのホールには、受付に二人の男性が座っていた。

 制服から察するに、警備員のようだ。

 飛び込んできた健の姿に、二人とも何事かと立ち上がる。

「白木さん、どうしました?」

 彼らもまた、健のことを知っているようだ。

 エレベーターのスイッチを押したものの、健はふと、カウンターに足を向けた。

「すみません、お聞きしますが、キャップはいつ、別館に行きましたか?」

「剣崎さんですか? そちらにいらっしゃる? ここは通っていませんよ?」

 と、すると、裏を通ったか。

「夕方、家に帰られましたが」

「そうですか」

「何かあったんですか?」

「まあ……。用事を頼まれたものですから」

 穏やかに微笑みかけ会釈をすると、健はまたエレベーターに乗り込んだ。

 司令室に駆け込んだ彼は、明かりの消えた部屋を真っ直ぐデスクを目指し、暗闇に慣れるまもなくほとんど手探りで引き出しを開けた。

 じっと目を凝らし、整理された中を覗き込んで、仕分けられた一つのプラスチックボックスの中から、チェーンに繋がれた鍵の束を取りだし、引き出しをそのままに引き返した。

 司令の元に戻り、束を手渡す。

「これ、ですよね」

 ずっと、中の様子を伺っていたらしい司令は、声をかけられて、はじめて振り返ったあと、気まずそうに鍵を受け取った。

「ケン、君は部屋に戻りなさい」

「そこはマモルでしょう? 何があったんです? オレに何かできますか?」

「戻りなさい。なんでもないから……早く!」

 知らされなかった到着━━それに、記載のない資料━━知られては困ることが護にある、ということか。

 健は、軽く頭を下げると、自分の部屋に戻った。

 ドアに寄りかかり、廊下の様子に神経を傾けた。

 鍵を探す音が微かに聞こえる。……目的のものを見つけて……開けた。

 それきりだった。

“深入りはするな……か”

 今の護を遠ざけて、司令は過去の、役に立ちそうもない資料を押し付けた……。

 そんなものが、何になる?

 夕子の部屋のドアが開いた。

「お待たせしました、ケン」

 三日前には見られなかった可愛い笑顔が健を見上げた。

 臆することなく、顔をあげている。

 これならば、他のメンバーに会っても、心配はないだろう。

「何人くらいの人に会った?」

 彼女の歩調に合わせてエレベーターホールに向かいながら、尋ねる。

「三人です。最初にキャップから……」

「レイラーとはいわないんだね」

「はい。今日からはキャップだと念を押されました。……えっと……会ったのは、外部総括の峰岸さんと、ハウスクリーニングの鈴木さん、それに、会計部の千代田さんです」

 三人とも、健が知るはずもなかったが、優しく頷くとエレベーターに乗り込んだ。

 途端に、彼女が頭を下げる。

「ごめんなさい。最初はうまくご挨拶ができなかったんです」

「少しずつ慣れることはできたんだろう?」

「一応は、はい」

 あの日、司令室に行った夕子に、健は課題を出した。

 剣崎司令からスタッフを紹介してもらうこと、そして、その人たちの元に出向き、自分から声をかけること。

 その際健は、たとえ名前だけでもいいから、はっきりと口にするように教えた。

 他人に対する恐れは、今後、メンバーの迷惑になる。

 せめて、本部内だけでも、顔をあげて歩けるようにすることが大事だ、と。

 これは、彼女にとっては、最大の勇気を必要とした。

 しかし、健のアドバイスはそれだけだった。

 今になって、彼女は思う。

 健のやり方は、決してなおざりではなかったのだ。

 こと細かくアドバイスをされていたら、きっと彼女は、健の後ろに隠れていただろう。

 司令から、会うべきスタッフを教えられたあと、一人で本館内を歩き始めたときには遠くに人影が見えただけでも体が震えたが、勇気のふるいどころを、彼女は健の言葉の中に見いだしていた。

 剣崎司令は恐らく、健の意図を汲み取れたのだろう。

 人選に、ハウスクリーニング部のスタッフをつければ、夕子は本館に居続けるしかなくなる。

 つまり、別館に近づけないようにしたのだ。

 そして夕方の終業時間のあとは、別館にではなく、家の方に戻るように指示していたらしい。

 彼女は、楽しそうに健に言った。

「昨日は鈴木さんのお仕事を手伝いました。あの人は本館専門のスタッフだそうです。それで、途中で思い出したんですが、私、子供の頃に、キャップの昔からのご友人というかたに会っていたんです。そのかた、今は技術部門のチーフをなさっていて、そちらに伺ったときに見かけました。お忙しそうだったから、声をかけられませんでしたけれど」

 穏やかに微笑みかけ、健は、夕子の髪に手を漉きいれた。

「相手を見ることができた証拠じゃないか。忙しそうだとわかっただけでも進歩だよ」

「ありがとうございます。……最初の峰岸さんにはご挨拶ができなかったんですが、お仕事のことを教えてくれました。本館が機能しやすいように、外部とか、他の部署とかの橋渡しをするようなものなんだそうです。今はまだ、やることがないと、おっしゃっていました。それから、会計の千代田さんは、ここに来る前は証券会社のほうに勤めていたそうです。会計部もまだ、お仕事はないみたいでした。それで、会計部の人たちと、お茶を飲んだりしてお話しすることができました。皆さん、お話好きだったみたいで、いろいろ聞かせてもらえたんです」

 話ができたことが、よほど嬉しかったのだろう。

 最初とは別人のように、彼女の言葉があふれでていた。

「よかったね。その人選はキャップがしてくれたんだろう? あの人こそ、本部全体を把握しなければならない人だからね。覚えるのに相当努力しているんじゃないかな」

「あ、いえ、違うんです」

 思わず口ごもった彼女だったが、すぐに申し訳なさそうに微笑むと、健を見上げた。

「最初に言われたのは、資料部の野々村さんに会うように、ということだけでした。キャップはまだ、把握していないから、と。……あの……」

 途端に、俯いてしまった。

 何か言いあぐねているようにも見える。

 健は、彼女が口を開くのを待った。

 やがて、決心したのか、また、健を見上げた。

「野々村さんというかたは、……少し、怖い人でした」

「怖い? 君はまだ……」

「ごめんなさい。言い方が、間違っていました。……野々村さんは、真面目なかたです。とても厳しい人に見えたんです。だから、あまりお話できませんでした。近寄りがたいという感じで……」

「もう、いいよ。わかったから」

 彼女なりに懸命だったことは、その表情でもはっきりとわかる。

 誰かの付き添いなしに、一から始めたことだ。落第点とはいえないだろう。

 まずまずの成果だったと、健は微笑んだ。

 そして、いつの間にか立ち止まっていた司令室のドアに目を向け、言った。

「この中にいるのは、キャップを除けば全員がノーセレクトだ。君も、データは見ていたね? エリは女性だ。なにも怖がることはないし、同じ仲間として察してくれる。けれど、それに甘えることなく、自分から彼女たちに向くんだ。わかるね?」

「はい、がんばります」

 三日の間で身に付いた自信から出た、迷いのないハッキリとした答えに、夕子の頭をなでて、健はドアを開けた。

 


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