不測の事件
剣崎司令に護の資料が入ったケースを渡し、すぐに部屋に戻るつもりだったから、デスクの前に立ったまま対応したのだが、司令のほうが許してくれなかった。
彼にしても、護を心配していたわけだから、ここに残っているメンバーが一体、何をしているのか、詳細とは言わないまでも、様子を聞く権利があってもおかしくない。
せめて、護が今、どういう具合なのか、それだけでもと言われては、このまま戻ることができなくなってしまった。
だが、やはり、なるべくなら早く護の傍に行ってやりたいという思いが、健の口調に表れていた。
投げやり、ではなかったが、気の入らない報告をするような言い方しかできなかったのだ。
剣崎司令も、その『報告』で満足するしかないことを受け入れた。
彼らには彼らの生活が始まっており、そこにノーマルが介入することを喜ばないことは、昨日、健からきいたばかりだったからだ。
そこで、話題を変えて、司令はデスクの下の引き出しから、ベルトを一本取り出して、健に手渡した。
「これは試作品なのだがね」
スラックス用のベルトだった。
本部では、服のアクセサリーまで作るのか? と、問いかける健の視線に、司令は、
「ワイヤー、だよ」
と、ベルトのバックル部分を指差した。
「バンドタイプではマモルのようにケガをするとわかったからね。同じ機能をつけたようだ。必要はないかもしれないが、一応、考えてみたものだ」
制作部も懲りないな……と、健が苦笑する。
「オレたち用はわかりますけれどね。エリとユウコはどうするんです?」
剣崎司令も、困惑気味の笑みを浮かべるしかなかったようだ。
「制作部のスタッフは全員が男性だからね。恐らく、彼女たちのことは頭にないのだろう。……君たちにだけでも構わないと思うが?」
「……まあ、いいですけれど……」
試作品というのなら、一応、ここで試しておいたほうがいいのかもしれない。
使い方の説明を受けて、バックル部分から、ワイヤーを引き出してみた。
が、今度のものは、巻き取ることができないとわかった。
「……中途半端だなぁ……。使い道がないですよ、これじゃ……」
「そういわずに。制作部も、あれこれと考えているのだから」
「……わかりました。完成したら、教えてください」
健が、ワイヤーを出したままのベルトをデスクに置くと、司令はもうひとつ、先程の引き出しから黒いホルダーを二種類、出した。
「これも、用途によってつけられるように作ってくれたものだが、レーザーとスティックのホルダーだよ。ベルトに挟めるようになっているから、こちらのほうが実用的かもしれないね」
確かに、こちらのほうが遥かに、健たちには必要だ。
これも、人数分ができ次第、渡してくれるという。
その時、ノックの音が部屋に響いた。
例によって、剣崎司令はマイクのスイッチを押して、
「どうぞ」
と、声をかけた。
が、ドアが開く気配がない。
訝しげに健を見上げ、司令はまた、
「どうぞ、お入りください」
と、繰り返した。
今度は、ドアに何かがぶつかる音がした。
そのあと、ようやくドアが開き、その向こうには、どこか妙に顔がひきつった、資料部の野々村が立っていた。
妙なのは、表情だけではなかった。
突然、突き飛ばされたように部屋の中に転がって、その後ろから、二人の男が慌ただしく入ってきて、ドアを閉めた。
「動くんじゃねぇ!」
一人が銃を持っていた。もう一人は、ナイフを野々村につき出している。
「す……すみません……」
目出し帽で顔を隠した二人のうち、ナイフを持った男が、銃を持つ男に目配せをされて、野々村の腕を引き上げると、司令のいるデスクのほうに突き飛ばす。
司令も健も、何事が起こっているのか判断できなかったらしく、呆然としていたのだが、二人組には、怯えているように見えたようだ。
銃を持った男が、幾分か余裕のある態度で、部屋を見回した。
「あんたが社長か?」
野々村が、健の足元でブルブル震えている。
剣崎司令が、首をかしげながら、言った。
「そうですが……あなたがたは……?」
「余計なことは聞くな。おとなしくしてれば、殺しゃしねぇ」
健は、ようやく理解した。
相手が何をしたかまでは知らないが、芝が言っていた、騒ぎの主犯のようだ。
彼は、野々村の頭の影で、犯人たちに見えないようにブレスレットのスイッチを押した。
そして、実の声が聞こえる前に、口を開いた。
「目的はなんですか?」
「うるせぇ! 喋るなと言っただろう!」
「ここがどういうところか、知っていて乗り込んできたんですか?」
「なんだと?」
健は、野々村をデスクの脇に追いやって、庇うように前に出た。
「動くな! これが目に入らないのか!」
どちらかというと、銃を持った男の方はソファの近くにいたから、健からは距離があった。
ただ、銃があるということが、男にとっては強気でいられる理由だったようだ。
しかし、そのようなものに怯えるはずが、健にはないことを知らない。
相手は素人だ。
銃の構えかたが、まるでなっていない。
健は、困ったように、僅かに野々村を見下ろすと、続けた。
「目的はわからない。犯人は二人だ。一人は銃を持っている。もう一人はナイフ」
まるで、野々村に話しかけるような呟きは、独り言のようにも聞こえ、パニックに陥りかけて、ただ震えている野々村も、成り行きに、呆然と座っている司令も、健がなぜ、そのようなことをいうのか、理解できなかった。
ただ、次の言葉は、確実に、銃を持った犯人に向いていた。
「ノックは一つ。それが、あなたの最期になる」
「黙れ!」
言うと同時に、一発の銃声が響いた。
ヒッという叫びと共に、足元の野々村が頭を抱えてうずくまる。
司令も、思わず椅子から転げ落ちた。
弾丸は、健の脇を掠め、ガラスに当たった。
それを、ゆっくり振り返り、健は冷静に言った。
「やはり、ここがどこだか知らずに来たようですね」
「……どっ、どこだっていうんだ」
「ご覧になればおわかりの通り、防弾ガラスを施している、普通では考えられないところですよ」
二人が窓を見ると、確かに、僅かなヒビも入っていないではないか。
ナイフを持った男が、おずおずと、ソファの男を振り返った。
「こっ……ここは……何なんだ?」
「少なくとも、あなたのように銃を持ちなれない人が入るところではありません。何をしたいのかはわかりませんが、おとなしく警察のお世話になった方がいいと……思いますが?」
警察、と聞いて、逆上したらしい。
「うるせぇ!」
また、発砲したが、やはり、健は動かない。
今度は、本棚に弾が食い込んだ。
その直後、ドアが一度、音を立てる。
ソファのところにいた、銃を持った男が、音に反応して振り向くと同時に、健が声を上げた。
「ソファだ!」
そして、ドアが開いた途端、レーザーの光が、男の頭を貫いた。
同時に、健の手がデスクのベルトに伸び、ワイヤーをもう一人の男の首に振った。
犯人の首に巻き付いたワイヤーを軽く引くと、絞まった力で、男が倒れ込む。
「動かないでください。あなたまで殺したくはありません」
実が、ドアを閉めて、意地悪そうに笑っていた。
「おまえは甘いな」
倒れ込んだ男を片手で押さえ、健が苦笑する。
「この人は危険じゃないからね」
言いながら、犯人を起こし、ワイヤーで縛り付けた。
「すみません。警察が来るまでおとなしくしていてください」
生き残った男は、縛られて食い込んだワイヤーの痛みで、ようやく事態が把握できたようだ。
頭を撃ち抜かれて、血まみれで倒れている相方を見て、ガタガタと震えだした。
「こっ、殺さないでくれ……助けて……」
健が、男の正面に回り込む。
「キャップ、腰を抜かすのは後にしてくれませんか。警察に連絡をお願いします」
そして、男に向き直った。
「殺しはしません。ですが、一般人を人質にしておいて、命乞いは虫が良すぎませんか?」
「誰が一般人だよ」
と、実が茶々を入れる。
「キャップたちのことだよ。嫌みはやめろって。それより……」
健は、顎で野々村を示した。
「ミノル、彼を医務室に連れて行ってくれ。具合が悪そうだ」
実際、野々村は恐怖と、そのあとの部屋に漂い始めた血の臭いに、口許を押さえて、今にも吐き出しそうにうずくまっていたのだ。
小さな舌打ちとともに、億劫そうに実は野々村に近づいた。
肩を貸すつもりだったが、実際は野々村の身長は実よりも高い。だから、力が入らない彼に寄りかかられて、よろめきながら部屋を出ていった。
剣崎司令は、なんとか気力を取り戻し、警察に連絡を取ったあと、まだ無意識に、小刻みに体を震わせて、椅子に座り込んだ。
「け……警察はすぐに来てくれるよ」
声まで震えている。
健は、その怯えを忘れさせるほど穏やかに微笑んだ。
「ワイヤー……役に立ってしまいましたね」
このような用途があると判れば、制作部は尚更張り切るのだろう。
この場にそぐわない、優しい微笑みに、剣崎司令も少しずつ、落ち付きを取り戻した。
しかし、油断をすれば、気力が萎えそうでもあったらしく、重そうに腰をあげると、犯人の前に膝をついた。
「……ここは、警察に関係しているところです。同時に、殺人のプロもいるところなのですよ。……その目出し帽を外しても構いませんね?」
それには僅かに抵抗したものの、犯人は、無駄だということを、縛られているワイヤーの痛みで知ったようだ。がっくりと項垂れた。
司令が、ゆっくりと帽子を剥ぎ取る。
人質をとって、何をしたかったのか、健には興味はなかったが、帽子のしたの顔を見たとき、どこか納得したように嘆息した。
中年の、うだつのあがらない風貌をした、ごく普通のおとこだった。
ところどころに、白髪が見え隠れしている。
司令は、帽子を折り畳んで、手に持ったまま言った。
「警察に引き渡さなければなりませんが、それまでは隣の部屋で座っていてください。……ケン」
実は、健に甘いと言ったが、司令のほうが、よほど寛容だ。
促されるまま、健は犯人を支えてたたせると、隣の部屋に連れていった。
部屋の中央には、四人が座れるソファセットが置いてあり、健は、男をそのひとつに座らせると、縛っていたワイヤーを外した。
キョトンとして、恐る恐る彼を見上げた男に、健はため息混じりに言った。
「観念していらっしゃるようですから。……今さら、逃げようとは思わないでしょう?」
力をなくし、男はまた、項垂れた。
「あんた……プロだったんだ? ……ここは、やくざの事務所だったんですか?」
「違います。少なくとも、人質にしようとしたあの二人は、暴力とは無縁の、普通の人ですよ」
「……あんたは?」
答えず、逆に聞き返す。
「あなた……震えていらっしゃいました。相方の人に唆されたか、脅されていたのですか?」
俯いたまま、男は重く頷いた。
「見張ってるだけで……金をやると言われて……。あいつがピストルを持ってるとは思わなかったんです。俺はナイフひとつだけでした。……強盗に失敗したと……言われて、一緒に逃げた……」
「せめて、ビルの両隣のテナントに逃げ込むべきでしたね」
「……ここは、なんですか?」
男は、すっかり降参していた。
ケンが、男のソファの脇に膝をつく。
「国の直属の組織なんですよ。犯罪抑制のためのね」
「そんなところに……入り込んだのか……」
絶望のためか、頭を抱えた男が呟いた。
「丸眼鏡のあの男がここに入っていくのが見えたから……奴はあっという間に人質にして……来てしまったんだ。……他の仲間はどうなったんだろう……」
「お仲間はあと何人いたんですか?」
「ふ、二人……。そのうち、の一人が……計画した……。俺はただ……見張り役で雇われただけだ。……競馬場で……」
健は、チラッとドアに目を走らせた。
「来たようですね。詳細は警察のほうに話すべきでしょう。行きますよ」
腕をとって立たせた健に逆らうことなく、男は司令室に戻った。
警官は五人だった。二人が司令と話している。二人は殺された男の死体を検分していた。
そして、最後の一人が、犯人に掴みかかろうとでもするように乱暴に近づいてきた。
「お手柔らかに願います」
すかさず、健が犯人と警官の間に割り込む。
庇うような彼の態度に、警官が鼻白んで怒鳴った。
「どきなさい! 犯人を庇うというのか?」
「庇うわけではありません。ただ、静かにお願いしているんです。この人は反省しています。抵抗はありません」
「ケン」
デスクから、司令が声をかけた。
「いいから、引き渡しなさい」
言われたとおり、健はあっさりよけた。
だが、すかさず警官が、犯人に胸ぐらを掴んで引きずろうとした途端、彼はその腕を捻り上げた。
「ケン!」
そのまま、警官を膝まずかせる形で押さえつけ、健が司令をも睨みあげる。
「キャップ、犯罪者だからといって、乱暴してもいいわけではないでしょう? 警察は、こういうことを平然とします。オレは……それを見逃すほど感情じゃない」
「て、抵抗するかぁ! 貴様も逮捕するぞ!」
他の四人が、素早く反応した。
が……
「お静かに!」
その場を納めたのは、デスクを両手で叩いた剣崎司令だった。
「あなたがたに、彼を拘留する権利はありません! ノーセレクト部メンバーのことは、警察機構に通達があったはずです!」
ノーセレクト……五人の警官がざわついた。
「し、しかし……犯人を引き渡してもらわないことには……」
腕を捻られて、苦しげに言った警官を解放する
「お渡ししないとは言っていません。乱暴なことはしないで下さいと申し上げたはずです。なぜ、あなたがたはその程度のことができないんですか?」
全員、唸るしかできなかった。
健は、彼らを無視して、犯人に向き直った。
「人質をとるような犯罪は、許せるものではありません。同時に、警察だから何をしてもいいわけでもありません。……理不尽なことがあるようなら、告訴する権利があることを覚えていてください」
張り詰めていた神経が、健の穏やかな申し出に、緩んだ。
男が泣き出したのだ。
「す、すみません。ご迷惑を……おかけしました」
乱暴な扱いさえされなければ、素直に出頭できるのだ。
男は、おずおずと前に出て、両手を警官の目の前につき出した。
警官は、自分の腕時計で時間を確認して、宣言した。
「午前八時十三分。緊急逮捕」
カチリ、という冷たい音で、犯人に手錠がかけられる。そのまま、健が横目で見ている中、警官に連れられて出ていった。
そうなると、残った警官に事情を説明する時間をとられることになる。
次期に、鑑識などの捜査員もくるだろう。
剣崎司令は、残った警官に失礼を詫びて、健を隣の部屋に連れていった。
「なぜ、犯人を庇ったりしたのかね?」
やはり、そのことが疑問だったようだ。
健は、司令をソファに招いて、自分も対面に腰を下ろした。
「庇っていませんよ。ただ、警官の態度が気に入らなかっただけです」
「そうかね? 当然の対応だろう? 彼らは人質をとって、立てこもろうとした。それだけ凶暴な犯人だと警察は判断していたはずだ」
健は、やりきれないという風に髪をかき揚げると、司令から視線を外した。
「……怯えていたんですよ。最初から……」
「……? 誰がだね?」
「だから、あの犯人。わからなかったんですか? それに……片方は銃を持っていたのに、あの人が小さなナイフひとつなんて、変ですよ。第一、刃物は接近戦でしか使えない。なのに、人質にとった野々村さんを手放すなんて、素人以下だ。……一目見れば、怯えていることくらい、わかったでしょうに、警察は最初から凶悪犯扱いでした。それが気に入らなかったんですよ」
それだけか?
考えを巡らし、剣崎司令は目を伏せたが、ややあって、
「……そうか……あのことがあったから、か……」
と、呟いた。
一瞬だが、健の視線が険しく司令を捉えた。
「ああ……すまない。余計なことを言った。……君が、あのときのことを思い出したのかと思ってね。つい……」
「思い出していたら、犯人のほうが無事ではなかったんじゃないですか? あの時だって……」
言いかけて、口を閉ざした。
黙って立ち上がる。
これ以上、蒸し返されたくはない。
「部屋に戻ります」
逃げるように言い捨てる健に頷いて、司令も腰を上げた。
「事情は私が説明しておく。そっちから戻りなさい」
この休憩室も、廊下に続くドアがついていた。




