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TOGETHER  作者: SINO
三章 ノーセレクト
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救い

 看護師の、淡いブルーの白衣だった。髪はショートだ。ボーイッシュにも見えるが、それでも魅力的な、優しい微笑みに似合っている。

『愛しているわ。今だけなのはわかってる。それでも、私は愛しているのよ……』

 健の腕が、その体を抱き寄せる。

「そうだね。ごめん……。オレも、愛しているよ……」

 その呟きの返事は、聞き覚えのある刺々しいものだった。

「おまえにそう言われてもなぁ」

 訝しげに身じろぎをして、健はうっすらと目を覚ました。

 自分が抱きかかえていた相手が実だと理解するまでに時間はかからなかった。

 思わず突き放して、半身を起こす。

「なっ……なんで?」

 急速に、夢の中の女性は、記憶の彼方に消え去った。

 その代わり、隣で横になっていた実が、イタズラ気味に笑う。

「誰を愛しているって? そういう女がいたのか?」

 思い出した。

 夕べ、自分が休もうとしたとき、実が部屋に入ってきて、懇願するように、一緒に寝てくれと言ったのだ。

 正直なところ、食堂で彼の話を聞いていたからこそ、避けたい申し出ではあった。

 しかし、そのときもまだ、護の想いが残っていただろう実の、妖艶にも見える瞳で頼まれては、突き放すことができなかった。

 愛情ではない、体を求めたわけでもない、ただ、護の本心は、ノーセレクトという絆を求めているし、それが、実の感情の中に残っていたからこそ、断れなかった。

 しかし、まさか自分のほうが寝ぼけて、よりによって実を抱き寄せていたとは……。

 健は、頭を抱えながらため息をついたが、考えてみると、思い当たる女性がいない。

「……誰だったんだろう……?」

「なんだ、それは? まさか、付き合いが多すぎて覚えていないとか言わないだろうな?」

「いや……。本当に心当たりも何も……ないよ。女性との付き合いもなかったし……」

 いや、一人だけ、いたことはいた。

 だが、彼女はセミロングを、ゆるいウエーブでまとめていた。

 第一、彼女は牧場のアルバイトで滞在していたにすぎない。

 もう、ほとんど記憶から消えかけている夢の女性は、看護師ではなかったか?

 どうして、看護師なのだ?

「あの制服……どう見ても看護師……だよなぁ……」

「彼女は看護師か?」

 声が、からかっている。

 健は、思い出しながら首を振った。

「彼女なんて、いないってば。ノーマルとの付き合いを制限されていたのは、おまえも知っているだろう?」

「どうだか。……さすがに寝ぼけていれば、感情は解放されるみたいだな。本気だったようだが?」

 これには驚いた。

 感情が伝わったことが、ではない。

「本気?」

 実際には会ったこともない、夢の中の女性に、か?

「だから、誰なんだろうと思ってさ」

「誰……だろう。本当に、看護師に知り合いなんて、いないからなぁ」

 こんな他愛のないことで、健が嘘をつく意味がない。

 実は、興味を無くしたらしく、肩をすくめると大きく伸びをして、自分も起き上がった。

 健が、ベッドをからソファに移り、話を変える。

「調子はどう? 落ち着いたか?」

「ん~……もう少し、か」

 それでも、夕べのような妖しさは見受けられない。表面的に見れば、いつもの彼だ。

「ミノル、悪いんだけれど、着替えを出してくれないか」

「いちいち遠慮するなよ」

 言うと同時に、勢いよくベッドを降りると、実はクローゼットを開けて、一揃えを手渡した。

「おまえがこれからすることは二つだ」

「二つ? 何?」

「一つは、芝さんを呼び出すこと。もう一つは、着替えたらオレの部屋に来ること」

「どうして?」

 実の手が、健の右腕に触れた。

「包帯からテープに貼り変えるためさ」

 夕べ、シャワーのあとで、一度包帯を巻き直している。そのときに、判断していたようだ。

 本音を言えば、うっとうしかったのは確かだ。

 すぐに行くよ、と言った。

 実が部屋を出ていくと、すぐに剣崎司令経由で芝を呼び出し、着替えてから実の部屋に向かった。

 そこでもう一度、薬を塗ってもらい、大きなテープを貼ってから、リビングに上がっていった。

「マモルはどうなんだろう?」

 芝が来るのを待っている間に尋ねるのは、健らしいと言えばらしいか。

 ここに来る前に、様子を見ようとは思わなかったのか……。

「まだ起きないよ」

「そうなのか?」

「オレのかけた暗示が、簡単に解けると思うなよ」

 明らかに、冗談だとわかる口調で笑った実は、すぐに息を吐いて、頬杖をついた。

「ずっと、神経が張り詰めていたからな。オレたちに会ってから、隙を見せないようにしていたんだろうよ」

「そうかも……しれないな」

 健も、しみじみと呟いた。

 物心ついた頃は、人見知りだったと言っていた護にとって、外で遊んでいても、常に他人の、同情という視線が付きまとっていたに違いない。

 境遇を知った時から、身近であったはずのレイラーすら、疎ましくなっていたのだろう。

 実という希望を教えられ、生きることに多少の意欲を持ったものの、それすら、犯人に壊されてからの三年間は、彼にとって、更に生というものが過酷になっていたはずだ。

 それでも、心の奥底には、憎悪を持ちながらも、同じノーセレクトの仲間を待ち続けていた……。

「これは……確かかどうか、わからないんだが……」

 実は、何気に窓に視線を移しながら言った。

「声が……聞こえたような気がしたんだ。心の声……言葉、かな。多分、オレの思い込みなんだろうが……」

「どういう意味?」

「『オレを見てくれ』って。心が裂けるほど強い声だった気がする」

 感情が入り込んでも、実には心の言葉を言い当てる能力は持っていない。だから、思い込みだとしか言えなかったのだろう。

 けれど……。

 健は思った。

 あるいは、本当にそう、言っていたのかもしれない、と。

「……ミノル、マモルは……彼は、おまえだけを求めている。他のものには、ほんの僅かも動かされない強さを持っている。彼の存在の、すべてがおまえにあるんだ。……迷惑だとはもう……思っていないだろう?」

 実は、首をすくめただけだった。

 と、そこに芝が入ってきた。

「今日はまた、早い呼び出しだねぇ」

 言いながらも、彼女の表情はニコニコしている。

 健の、

「おはようございます」

という声と、実の、手を上げただけの挨拶に、そそくさとキッチンに入ったが、手を洗いながら、カウンターに身を乗り出して、言った。

「外、騒がしいんだよ、今」

「何かあったんですか?」

 彼女は、食品棚から食材を二人分、取り出しながら続けた。

「わからないんだけどね。……ここは静かだよねぇ。結構パトカーが行き交っているっていうのに、何も聞こえないわ」

 もっとも、芝の家は、どうも駅のほうに近いらしく、そっちが騒がしいらしい。

 ただ、単なる話題のひとつであり、健にしろ、実にしろ、さほど関心を持たなかったからだろう。それきり、黙々と調理をこなし、テーブルに簡単な朝食を用意すると、

「ごめんねぇ、こんなものでさ」

と、小さく謝った。

「うちも、これから朝御飯なんだよ。あまりゆっくりしていられないの」

 なんだ、と、実が軽く言った。

「そういう時は断ればいいじゃないか。無理をしても続かないぞ?」

「何を言ってるの。ユウコちゃんがいないから来たんじゃないの。そりゃ、この程度で不満なら最初から来ないけど。……やっぱり迷惑かい?」

 二人は、言葉こそ違っていたが、そろって

「充分」

ということを告げた。

「片付けはオレがやるから、家に戻れよ」

「悪いねぇ。それじゃ、コーヒーがサーバーに入っているからね」

 慌ただしく彼女が出ていくと、健はふと、息をついて、実を覗き込んだ。

「オレが言うことを全部、取られたみたいだな」

「早い者勝ち」

「おまえが他人と話すとは思わなかったよ」

 実は、トーストを一口頬張り、呆れがちに小首を傾けた。

「黙っていてほしいなら、次からはそうするが?」

「別に、ダメだとは言っていないよ」

 しばらくは、黙って食事をしていた。

 やはり、高志と絵里は、いつもムードメーカーなのだと思う。

 おしゃべりな高志は、メンバーの中で一番、食欲がある。そのため、話をしながらの食事では、やはり、終わらせるのが一番遅い。しかし、彼や、絵里の雰囲気で場が和んでいるため、食事の時間自体が長くても、気まずくなることは皆無だった。

 もっとも、今の時間が気まずいというわけではない。

 健は話好きだが、どちらかというと人の話を聞くのが好きな方で、その会話の中に、自分の存在があることを楽しむタイプだ。

 実のほうは、最初こそ、メンバーすら寄せ付けようとしなかったが、今では、高志たちにひけをとらないほど、会話に参加している。

 ただ、やはりそれは、自分の中の他人の感情を利用した、相手に合わせた態度なのだ。

 だから、自分からはさほど話題を振ろうとはしないし、相手が黙っているのなら、自分も口を出さない。

 基本的に、何事に対しても、積極的な興味を持たない性質らしい。

 黙ってコーヒーのお代わりをするために席を立った実を、目で追っていた健は、ふと、呟いた。

「タカヒロたちのほうに行ったほうがいいかな……」

 ポットごと持って戻ってきた実が、自分と健のカップにコーヒーを注ぐ。

「手間取っているのか?」

「どうだろう。昨日呼び出されてちょっと顔を出してきたんだけれど」

「ギブアップか?」

「……というわけでもなさそうだけれど」

「なんだよ。はっきりしないな。どういうことなんだ?」

 食後の、ミルク入りのコーヒーを取り上げて、健は簡単に昨日のことを話した。

 彼自身、隆宏たちの仕事の詳細がわかっているわけではない。剣崎司令から渡された資料を、ほとんど丸投げして、それきりだったからだ。

 だから昨日は、隆宏たちの立場をハッキリさせに行ったにすぎない。

 それから連絡ひとつないから大丈夫だとは思うのだが、健にしてみれば、本音は別にあったようだ。

 護に関して、もう、自分にすることはない。彼の回復を待つとしても、その間、なにもせずここにいるよりは、合流したいというのが、それだった。

 もちろん、隆宏たちを心配しているのも嘘ではない。

「おまえたちは、あとから来てもいいんだ。せめてオレだけでも……」

「薄情もの」

「なっ、なんでっ?」

 カップを片手に頬杖をついて、実は窓のほうに向いて言った。

「オレは言ったよな。マモルには、ノーセレクトのオレたちが必要なんだ……って。確かに、オレだけを見ていただろうさ。でも、本当にあいつに必要なのは、おまえなんだよ」

「そんなことはないだろう?」

「……こういえばわかるか? あいつは、オレを必要としている。じゃ、おまえはどうなんだ? マモルが目を覚ましたときにおまえが……リーダーがさっさとタカヒロたちのところに行っているとわかったら、どう思うだろうな。おまえにとって、あいつは大して重要な存在ではなかった……そうとられても仕方がないだろうなぁ。寂しい思いをするかもしれないと、オレは思うが、それでもタカヒロたちのほうが大事だというのなら……」

 横目で、見下すように視線を流すと、実は、投げやりに言った。

「行~けぇばぁ」

 健は、やりきれない、という表情で頭を抱えた。

「わかった! わかりました。嫌みったらしいな、もう」

 自分が、護に対して、それほど影響力があるとは思えなかったため、軽い気持ちでいたのだが、どうも、実は見透かしていたらしい。

 健の、戸惑う姿がおかしかったのだろう。実は含むように笑ったが、すぐに真面目な顔で、彼に向き直った。

「あのな、これは確信があって言うんだが、あいつは、ノーセレクトなら誰でもよかったんだよ」

「……? 誰でも……?」

「オレだけに執着しているのは、結果にすぎないんだ。昨日、おまえも聞いただろう? 大事なのはオレか? ……ってさ」

 催眠状態に入る直前の言葉だ。

 そう、あの時、護はわからないと、言った。

 それを聞いたからこそ、健は事態が悪くなっているのではないかと心配になったのである。

 実はその時、確か、

『一度、思い込みを壊さなければダメだ』

と、言った。

 健は、呆然と呟いた。

「まさか……思い込みだったと……いうのか?」

「ちょっと、目を閉じてみろ」

「は?」

「ほら、目を閉じろよ」

 不審に思いながらも、健が目を閉じる。

「いいか。想像してみてくれ。おまえが子供だったとして……たとえば、だ。周囲の大人が、おまえのことを親無しの哀れな子供だと噂していたら……そういう目でおまえを見ていたら、どう思う?」

 基本的に、健は想像力が発達しているわけではない。だから、実のいうシチュエーションを頭に描くのは容易ではなかった。ただ、そういう状況だったことを護本人から聞いていたため、彼に置き換えて、ようやく気持ちを向けることができた。

「確かに……同情の目で見られてはたまらなかっただろうな」

「ノーセレクトということばを、意識の底まで染み込むほど言い聞かされていた。ノーセレクトだから、親がいない……そう思うのは当然だ。ならば、親はどうした? 自分を捨てたのか? 普通はそう思うよな」

「……そう、だな」

「だから、あいつは調べた。見つけた結果が、肉親の自殺だ。自分の存在が、死に追いやった。……子供の、未発達の感情では、自殺など思い浮かぶはずがない。だから、マモルは考えたんだ。死にたいというハッキリした意識ではなく、自分は存在してはいけない人間なんだ、とな。世の中に、あいつ以外のノーセレクトはいない。全世界で、自分だけが、違う。子供の小さな世界では、いくら仲間がいるといっても、会えなければ一人でいるのと変わらない」

 目を閉じたまま、健は頷いた。

 その気持ちは、充分すぎるほど理解できたからだ。

 彼にも、その想いはあった。

 牧場の中に建っていた、台形を逆さにしたような家の中で、彼はいつも一人でいた。

 窓の外から見えるのは、動物と、時おり来る観光客、それに牧場を手伝っていたスタッフだけだった。

 健が、その人たちと会うことは許されなかった。人がいるときには常に、閉じ籠っていなければならなかった。

 目の前にいた、楽しそうに笑いあっているノーマルたちは、健にとって、異世界の人たちのような気がしていたのだ。

 実は、頷いた彼を確認して、続けた。

「そんなときに、実際に同じ仲間を見かけたとしたら……」

 静かに目を開けて、健が優しく実に顔を向けた。

「それが、おまえだったわけだよね」

「だから、それは結果でしかないんだ。たとえば、近くにいたのがおまえだったとしても、タカヒロやエリだったとしても、あいつは救われた想いだったはずだ。だから、オレが大事だという思い込みを、一度壊さなければならなかったんだよ。大事なのはオレじゃなくて、ノーセレクトなんだ」

 だから、実は当然だが、何よりリーダーである健が、護を必要としていることを証明するのが一番だということか。

 冷めかけたコーヒーを一気に飲み干し、健は軽く実の肩を叩くと席を立った。

「マモルについているよ。ただ、その前に、彼の資料を返してくるから」

「おまえが持っていたらどうだ?」

 実も立ち上がった。

「いや。あれは、オレが持っていてはいけないものだ」




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