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TOGETHER  作者: SINO
三章 ノーセレクト
81/356

伝えきれない想い

 フッと目が覚めて、まるで猫のように背伸びをした実が半身を起こしたとき、健は机のコンピューターに向いていたが、部屋の中には、シチューの甘い香りがまだ残っていた。

 鼻をひくつかせて、実が、振り返った健と、テーブルの食器に目を移す。

「おまえだけ食ったのかよ」

 いつもと変わらない刺々しい声だ。先程までの怯えたような瞳も、嘘のように鋭くなっている。

 健は、首をすくめて席を立った。

「外食でもしようか? 飲み物くらいしか付き合えないけれど」

「そうしてくれ。腹が減って、死にそうだ」

 タオルケットを剥ぎ取った実が、そのまま部屋を出ようとしたものだから、慌てたのは健のほうだった。

「待てよ!」

 急いでタオルケットを実に被せる。

「なんだよ? うっとうしいな」

「人前でそれはやめてくれ」

「なんで?」

「な、なんで? ……恥ずかしくないのか?」

 キョトンと見返した実には、言われたことの理由がわからなかったらしい。

「別に、部屋に戻って着替えをするだけだぞ。それが恥ずかしいことなのか?」

「じゃなくて、人前でだよ」

「……おまえが女だというのなら、とりあえずは遠慮するべきなんだろうがな」

と、タオルケットを取ろうとする実を、健は強引に止めた。

「おまえには羞恥心はないのか? とにかく、オレの前でもやめてくれ。こっちが恥ずかしいよ」

「? ……変な奴だな。……まあ、もう少し待っていてくれ。シャワーも浴びてくるから」

 仕方なく、という雰囲気でタオルケットを巻き付けたまま、実は自分の部屋に戻って行った。

 なんか、どっと疲れた気がする。

 直前まで実が寝ていたベッドに倒れこみ、健はぼんやりと天井を見上げた。

 相手が女性でないから平気?

 そういうものなのだろうか? 自分のほうがおかしいのか?

 世間の常識を、自分は常にキッシュたちから教えられていたと思っていたのだが。

 だが、考えてみれば、たしか、彼の大切な友人にも、同じような男がいたと聞いた気がする。

 あれは、レイラーの主治医、小島利明の師匠に当たる人だったな。

 それでも、キッシュと、彼の部下たちはおろか、当の小島利明ですら、当然のことのように黙認していたらしい。

 だが……。

 健は、自分の両腕を目の前に上げた。

“……たまらないな……。やっぱり、男に抱きつかれるのは……やめてほしいと言ったところで……”

 無駄かな……

 というか……面と向かって拒むことができない自分が不甲斐ないのだろう。

 そんなことを考えながら待っていると、シャワーを浴びて、さっぱりした表情の実が、ノックもせずに入ってきた。

 手には、折り畳んだタオルケットを持っており、それを、健の腕を引いて起こしたたあとに放った。

 洗いざらした髪からは、まだ滴が滴ったままだ。

 それが、シャツの肩口を濡らしていても、一向に気にしていない。

 変なところで神経質に、こと細かく拘るくせに、自分のこととなると無頓着でいる実が、やはり、理解できない。

「それで? おまえは何が食べたいんだ?」

「……何、というものはないが? ただ、今は人が少ないところがいい」

 健が、ブレスレットで時間を確認する。

 世間では、多分、夕食としては最適な時間ではないだろうか。

 いくら平日の夜、とはいえ、レストランなどは客が入り込む時間だろう。

 と、なると、やはり無理をしても芝を呼び出したほうがいいのだろうか。

 確かに、三階リビングなら人気はない。その代わり、芝がいる限り、まったく人気がないとは言えないし、自分のほうも、護のことを聞くこと自体、憚られる。

 かといって、料理ができたら邪魔だからといって、彼女を追い出すこともできない。

 エレベーターホールで立ち止まって、健は、一階ロビーを見下ろした。

 そうしながら、実にとって都合のいい場所を考えてみる。

 ややあって、彼の顔が、ロビーの向こう、本館に続く渡り廊下に向いた。

「まあ、あそこのほうがいいか」

 昼間は、せっかく小堺に誘われたというのに、一口も食べることなく終わってしまったのだ。

 エレベーターのボタンを押した。

 黙ってついてくる実を従えて、本日二度目になる四階の食堂に足を踏み入れた。

 やはり、フロアにほとんど人気がなかった。

 本館自体は、就業時間があるため、残業をしているスタッフ以外はいないだろうと考えたのは正解だったようだ。

 ただ、誰一人いなかったわけではない。

 キッチンに近いテーブルに、作業服を着た五人ほどの団体が食事をしていた。

 やはり、健には見覚えのないスタッフだ。

 そして、彼らも、入ってきた二人を、疑問符を浮かべながら見ている。

 健は、入り口にあるサンプルが並んだガラスケースを実に指し示した。

 彼が、一通り、それらを眺める。

 黙ってついてきた手前、文句を言うつもりはなかったようで、軽く腕組みをしながら健に言った。

「支払いはカードで構わないんだろう?」

「……多分」

 思い返せば、昼間は、一口も食べていなかったものの、支払いもせずに出てしまったのだ。

 芝に聞いてみなくてはダメだな、などと考えているそばで、実はさっさとガラスケースから離れた。

 作業服の団体からも、調理場のカウンターからも一番離れた席に向かう。

 昼にも連れてこられていたにも関わらず、健は、テーブルの上にメニューがあることに気づいていなかった。

 初めて来たはずの実のほうが、まるで常連のように、当たり前にメニューを広げて、チャイムを押す。

 普通のレストランなら、ウエイトレスがフロアにいるのだが、ここでは、調理場の方から、白衣を着たコックが出てきた。

 実は、自分のオーダーをすると、メニューを閉じて、顔を上げた。

「酒は置いていないのか?」

 コックは、呆れたように帽子の位置を直しながら、眉根を寄せた。

「あるわけないでしょう。ここは会社ですよ」

「ならば、すぐに用意をしてくれ。種類はなんでも構わない」

「ちょっと! 聞いてなかったのか? どこの部署なの? 責任者に文句を言わせてもらうよ」

 部署のチーフに文句を言わなければならないと言う、正義感があったのだろう。

 健が、実に目配せをして、遠慮がちに手を上げた。

「すみません。オレがリーダーです。ノーセレクト部、白木健。用意をしてくれますか?」

 聞いた途端、あんぐりとコックの口が開いた。

 どうして、ノーセレクトがここにいるのだ?

「ノ、ノーセレクト部? し、失礼しました」

「いえ。お願いします」

「あ、えっと……はい、取り寄せてきます」

 そそくさと立ち去ったコックに首をすくめ、実は不思議そうに肘をついた。

「なんで、ノーセレクトというだけで態度が改まるんだ?」

 答えにくそうに、健が視線を泳がせる。

「なんか……オレたちは組織の頂点だから、……だって」

「頂点? ここの?」

「おまえはキャップから説明を受けなかった? オレたちがここの要なんだって」

「……聞いた気がするが……忘れた」

 言いながら、実は改めて、フロアを見渡してクスッと笑う。

「……本部では、やりたい放題というわけか……」

「ミノル……まさか、本気でそんなことを考えていないだろうな?」

 例によって、人を見下した笑みが、健に向いた。

「ばぁか。こんなところの権勢を誇ったところで、たかが知れているさ。くだらない」

 自然と、二人とも口を閉ざした。

 だが、健にしてみれば、護のことをききたくても、どう切り出せばいいのかが判らなかったと言ってもいいだろう。

 意味もなくメニューに手を伸ばし、中の料理をぼんやりと見つめている。

 しかし、いつまでもそうしていることもできず、探るように目を上げた。

「あの……さ、ミノル……」

 実は、頬杖をつきながら、調理場カウンター近くにいた団体を見つめていた。

 呼び掛けにも返事をせず、だが、健が何か言い出すのを待っている。

「おまえ……マモルに暗示をかけていたんだよな?」

「そうだよ」

「どうして……その……裸だったんだ?」

 チラッと視線だけが健に向いた実の口許が、イタズラ気味に上がった。

「聞きたいのか?」

「……それは……まあ……」

「オレの格好に一々取り乱すおまえでは刺激が強すぎると思うが?」

「? どういうこと?」

 喉の奥で笑うような、くぐもった声だった。

 肘をついたまま、実がもう片方の手で、自分のシャツの襟を軽く摘まむ。

「ベッドの中の二人がすることと言ったら一つだろう?」

 想像するまでもなかった。

 弾かれたように、健が顔を逸らす。

「そ……」

 言葉が出ない。

 それでは、護の精神を壊した犯人と同じことをしたというのか?

 傷つけて、犯して……

 途端に、恥ずかしさより怒りが込み上げてきた。

 厳しく、実を見返す。

「おまえ、マモルを……」

「勘違いするなよ」

 実の表情も、まるで睨み付けるように冷たく向いた。

「治療でなければ、オレだってあそこまでするものか。いくら女顔でも、あいつは男だ。それも理解させなければならなかったんだよ」

「理解って……。……でも、おまえのしたことは……」

「あのな。条件が重なっていれば、やり方だって制限される。わかるか?」

と、言うが早いか、実は自分の腰からいきなりスティックを取り出すと、素早くスイッチをいれて、テーブルに乗せていた健の腕を切りつけた。

「……った……!」

 うっすらと傷が走り、血液が滴り落ちる寸前に、実がテーブルのナプキンをそこにあてがって、押さえた。

「痛いんだよ。表層の小さな傷でもな」

 テーブルにスイッチを叩きつけて、刃の部分を消すと、彼はまた、ベルトに挟んで、健に腕を押さえさせたまま、見上げた。

 容赦のない、唐突な行動だからこそ、痛みはあったのだろうが、顔をしかめている健からは、やはり、感情が伝わってこない。

 健に対しては、なにをしてももう、無駄なのかもしれない。完璧に、感情が遮断されている。

 傷は、それほど深いものではなかった。だから、一度ナプキンを取って、新しいものをあてがった頃には、健の表情も、困惑に変わっただけだった。

「いきなりは……やめてほしかったな」

「いきなりでなければ、あいつの痛みもわからないだろう?」

「……うん。そうかもしれない。……それにしても……どうしてスティックを持ち歩いていたんだ? まさか、このためにわざわざ持ってきたのか?」

「そんなわけがないだろう。外に行くと思っていたからな。おまえが気がつかなかっただけだ。いつも持ち歩いていたぞ」

 こういう細かいところに、健はどうも気がつかない性質のようだ。

 話を戻し、実は続けた。

「今のような痛みを、全身につけ続けられたら、いくら痛みの耐性があっても、精神が保たないんだよ。それをごまかすためには、別の意識をもたせる必要があったんだ」

「それが……その……行為?」

「まあな。理由はそれだけじゃない。条件が重なっていると言っただろう。……」

 言葉を止めて、彼は唐突に、頭を抑えた。

「……うるさいな……」

「……え?」

 実の視線の先には、作業服の団体がいた。

 コックがトレイに乗せているワインのボトルに対して、何やら言い合っている。

 が、コックの一言で、彼らの視線がこちらに集中した。

 表情はよく見えないが、どうやら、ノーセレクトメンバーなのだとか説明されたのかもしれない。好奇心めいたざわつきのようにも見える。

「遮断できないのか?」

 目を閉じ、頭を押さえるなかの、小声が聞こえた。

「今、やっている。話しかけるな」

 今回は、大した手間ではなかったらしく、コックが近づいてきたときには、深呼吸のひとつで顔をあげられるようになっていた。

「お待たせしました」

 コックが、ワインのボトルと、グラスを二つ、テーブルに置く。

 実は、その一つを突き返した。

「オレはいらない。オレンジジュースを持ってきてくれ」

「かしこまりました」

 グラス一つをまたトレイに載せて戻っていったコックに構わずに、実が健のグラスにワインを注ぐ。

「マモルのせいなのか?」

 簡単に感情が入り込んでいる状態のことだ。

 実が頷いた。

「強すぎたよ。本当に……。少し寝たくらいでは、戻れなかった」

「それで、人気の少ないところに行きたかったわけだ」

「そういうこと」

「苦労をかけたね。すまない、ミノル」

 気だるそうな含み笑いがした。

「当然のことをしただけだ。苦労じゃない」

「……それで?」

「え? ……ああ……痛みを紛らわせる理由もあったんだが、他にも条件があっただろう? あいつの記憶を抑え込むと、オレのことすら忘れる……」

「うん」

「事件とオレを切り離すことができないのなら、新しい記憶を植え付ければいいんだ」

「新しい……記憶?」

「犯人をオレに摩り替えたのなら、オレだという意識を植え付ければ問題はない。……ということさ。もうひとつ、オレ自身が、あいつの意識を共有しなければ、どの程度までが許容範囲なのかが判断できなかった」

「……許……容範囲?」

 意味がわからずに首をかしげたとき、またコックがこちらに向かってきた。

 今度は、ワゴンを押している。

「お待たせしました」

 先程と同じセリフだったが、二人のどちらに料理を置いていいのかわからず、見比べる。

 健が、実の方を軽く示したので、彼の前に鉄板が置かれた。

 チキンソテーだった。

 ライスとサラダ、それにオレンジジュースを並べて、最後にナイフとフォークの入った籠を置いて、浅く頭を下げて戻っていく。

 チキンにナイフを入れながら、実は続けた。

「つまり、あいつがオレのことをどう思っているか、だ」

「それは、だって……」

「言っておくが……」

 ナイフを、健の目の前に翳す。

「妙な勘繰りをすると、おまえでも許さないぞ」

「……」

「あいつは『まとも』だよ。オレに対する守護精神はあるが、それだけだ。……オレにならば、何をされてもいい……は、愛情じゃない」

「違うのか?」

「やっぱりそう思っていたか」

「……ごめん」

「いや。普通は、その程度にしかとられないだろう。だからこそ、おまえにはその程度、として受け取ってほしくないんだ」

 少しずつ食事をすすめながらだが、時おり、実の手は止まりがちになった。

「……まだ、十八だ。あいつ……。世間の法律で言えば、未成年なんだよ。しかも、まだ一桁の頃から世界を拒んでいた。……頭はいい。ノーセレクトの能力もナンバーワンだ。でもな、精神の成長は、未熟なままなんだ。あいつは……他人を拒んでいない。むしろ、逆だ」

「逆?」

「マモルには……」

 まだ、想いが実の中に残っている。そのためだったろう。

 ナイフとフォークを持つ手が下りて、彼の瞳から涙が伝った。

「……拠り所が不可欠だったんだ。それを、ノーマルの中で見いだすことは不可能だった。……オレたちでなければ、ならなかったんだ」

「大丈夫か?」

「これを……伝えられないのが……悔しい。言葉でなんか、表せない。おまえに……一番わかってもらいたいのにな……」

「……ごめん」

 治療の手段だったとはいえ、護を抱いて、その中に入り込まなければ、実ですら、護の心の底に触れることができなかったに違いない。

 それを、同化することで受け入れてしまったからこそ、護が吹き出してしまいたいだろう言葉を、実が代弁している。

 けれど、彼自身が言ったとおり、どれほど言葉を綴っても、健に伝えることは、できないのだ。

 ノーマルの世界の、ノーセレクト。

 護にとって、レイラーや保護者がいたことは、安らぎどころか、孤独を強めていたに違いない。

 いつか、護は言っていた。

『例え生まれついての殺人者であっても、ミノルは仲間だと言ってくれる』

 それが、メンバーに会うまでの、唯一の拠り所になっていたのだろう。

 愛情すら凌駕するほどの、実への想い……だ。

 しばらくは、声を圧し殺して、感情を落ち着かせた実は、目頭を押さえて、ジュースのグラスを取り上げた。

 それを見計らって、健は静かに言った。

「マモルは、おまえを忘れることなく、記憶を?」

「……大丈夫だ」

 まだ、声は弱かったが、実はしっかりと顔を上げた。

「全ての記憶を閉じ込めるつもりはなかった。だから、どういう目にあったかは覚えているんだ」

「……? じゃ、何を封じ込めたんだ?」

「ケン、オレにできることは、暗示なんだよ。この間も言ったが、催眠術による治療は時間をかけなければ、できない。犯人を、オレにすり替えていた意識を、分離させたんだ。あいつと接触する相手を間違えないように、オレというものを植え付けたに過ぎないんだ。オレの感触を覚えさせて、別人と区別できるように……しただけだ」

 オレンジジュースを一気に飲み干して、彼は肘をついて、頭を抱えた。

「マモルの主治医……なんと言ったかな?」

「アキラさん?」

「そう。アキラの治療法はまったく間違ってはいなかったんだ。そいつが施したのは、機械を使った催眠療法だ」

 健が、黙って頷く。

「それと、暗示は別物なんだ。真実と向き合える強さをつけるように誘導するのが催眠療法だ。アキラは、三年の時間をかけて、続けていた。けれど、マモルはあいつを信じていなかった……。少しは進展していただろうが、それ以上の結果は多分、望めなかったと思う。オレは、それを利用したに過ぎないんだ」

 彼は、続けた。

 玲の療法で、護にとって、何が、あるいは誰が強さを保つコアになるのかを、思い出すことができたのだ、と。

 だから、それを利用する結果でしかないが、実が暗示をかけるのは、さほどの努力を必要としなかったのだ。

 事実を、誘導して認めさせたうえで、それを克服する術を見つけていくのが催眠術であり、実は、事実に対し、思い込みを持たせた。

 健の望み通り、施した暗示は、実と他人が区別つけられるようにすることだったわけだ。

 話しているうちに、幾分か落ち着いてきたようだ。

 料理に手をつけることはなかったが、頬杖をついて、実は調理場のほうに目を向けた。

 いつの間にか、作業服の団体はいなくなっていた。

「あいつ……本当に柔らかい声だ……」

 耳元に、甘い声が残っている。

「聞いていて、オレ自身が包まれるような感じだった。……あいつが女だったら……一生かけても守ってやりたいと思ったかもしれない。仲間としてではなく……」

 そして、苦笑混じりに、健に向き直った。

「愛情がなかったのが救いだな。オレだって、相手をするなら、女のほうがいいさ。とはいえ……」

「?」

「揺らぎそうだよ」

 本気とも、冗談ともとれる微妙な表情に、健は戸惑ったものの、優しく微笑んだ。

「おまえは最高の仲間だよ。ミノル……ありがとう」


 

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