位置付け
いい加減、部屋が暗くなってきて、文字を追うことが難しくなった頃、健は静かに、実の腕を外して、ベッドを降りた。
完全な熟睡をしているらしく、身じろぎひとつしない。
空腹を通り越して、少々胃がいたくなってきている。
机の上の電話で、司令室を呼び出した。
「キャップ、芝さんを呼び出すのは気が引けるので、そちらの食堂でなにか、食べるものを持ってきてもらえませんか?」
剣崎司令は、事情も聞かずにただ、
『何がいいかね?』
と、尋ねるに留めた。
「軽いものなら。昼食を抜いていたものですから」
『わかった。待っていなさい』
それから彼は、ライトをつけて部屋を出た。
向かったのは護の部屋だ。
こちらも、ライトをつけてベッドに足を向ける。
変わらず、護も眠っているようだ。
ローテーブルにも、いくつか血痕がついていた。上に乗っていた瓶や銃のようなものは空になっている。
ずっと、誰も聞いていない部屋で、オルゴールの音だけが延々と流れ続けていた。
スイッチを切って、護にかかっているタオルケットを静かにめくってみる。
おびただしい血液の染みの中で、彼の体から、傷が一つ残らず消えていた。
いや、まったく消えているわけではなく、うっすらと赤い筋が浮かんでいたものの、ほとんど治りかけのような状態だ。
こちらも、全裸だった。
健は、それが恥ずかしく、またタオルケットを元に戻して、部屋を見回した。
一度、壊された部屋だ。
だから、再搬入した家具は、必要最低限のものしかなかったのだろう。
クローゼット側に全て寄せられてしまっている今、健の目の前以外は、殺風景すぎる空間しか、ない。
住人同様、人を寄せ付ける雰囲気を持たない部屋だ。
そして……。
護が目を覚ましたとき、彼自身も、ノーセレクトの仲間すら、寄せ付けなくなるだろう。
自分を嫌悪し、否定する彼に、仲間を認識させることができるようになるだろうか。
体を屈めて、健は彼の髪に手を差し入れた。
まったく抵抗なく、柔らかすぎる髪の一本一本が指をすり抜ける。
女性というよりも、やはり人形のようだ。
健は、ゆっくりと部屋を出た。
自室に戻り、ベッドには上がらずに机に向かう。
北海道にいた頃は、時おりスケッチをしたり、キャンパスを広げたりしていたのだが、護のことを考えると、絵画の道具は封印するしかなさそうだ。
もっとも、それを惜しいと思うほど、のめり込んでいたわけでもない。
考えてみれば、何かに夢中になることは、今までひとつもなかった。
自分の将来が決まっていたからかもしれない。
科学者になりたい、と一度は思ったが、その術すら知らなかったため、何を学んだらいいのかもわからなかった。
反対したことはなかったものの、積極的に協力や教育をしてくれなかったレイラー・楠木哲郎にしてみれば、どのような『夢』を持とうが、それは一種の経験だと教えていたのだろう。
レイラーが、そして、健に関わる全ての人たちが、彼に施していた教育は、『自身が経験する』ことにほかならなかったのだ。
夢を追い求めることも、途中で挫折することも、あるいは中途半端でやめることも、持続することも、全ては経験として、健の中に蓄積される。
だから、アドバイスはなかったし、逆に止められることもなかった。
コンピューターを起動させたとき、ノックの音が響いた。
健は席を立ち、自分でドアを開けた。
剣崎司令が自ら運んでくれたワゴンに乗っていたのは、ビーフシチューとパン、それにサラダだった。
「わざわざ……すみません」
彼は、中の様子を見られないように廊下に出て、ドアを閉じた。
「構わないよ。それよりも、ミノルとマモルはどうしたんだね?」
「今は聞かないでください」
「……そうか……」
「あの……キャップ、ひとつ聞きたいことがあるんですが」
「なんだね?」
「本部のスタッフから見た、オレたちの位置付けはあなたが決めたんですか?」
眉を寄せて、司令は彼を見上げた。
「位置付け?」
「ノーセレクト部は、本部の頂点だと言われました」
「ああ……確かにそうだよ」
それは、健がここに来た日に説明したはずなのだ。健たちがメインの組織なのだ、と。
諦めに似た吐息に、司令は首をかしげた。
「ダメなのかね?」
「……ええ。正直なところ、迷惑です。できることなら……オレたちに介入……いえ、深入りしないでもらいたいんだ。オレたちのことをフォローしてくれるのはありがたいことだと思います。けれど、それ以上の感情を、こちらに向けられたく、ないんです。あなたは、ノーマルの、普通のスタッフを、殺人者の仲間にしたいんですか?」
「ど……どういうことだね?」
「オレたちは、すでに人を殺しているんですよ。それがオレたちの役目でしょう? あなた方を巻き込みたくない。殺人者のオレたちを頂点に据えてはいけないんです。わかってくれませんか?」
「……」
無意識に、司令は口許を何度かさすって、
「……鶴野くんの言っていたことは……これか……」
と、呟いた。
健たちは、いや、健は、自ら孤立しようとしていると言ってた。玲の話を、司令は理解できずにいたのだ。
彼らが存在するから組織を作った。事実、ノーセレクトは本部の要なのだ。彼らがいなければ、組織自体の役割はない。だから、頂点であることは、曲げられない現実だった。
しかし、当の健自身がそれを否定してしまっては、説得のしようがない。
剣崎司令は、頷くしかなかった。
「わかった。君の心情をスタッフに伝えておこう」
ワゴンを健のほうに押しやって、司令は本館に戻って行った。




