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TOGETHER  作者: SINO
ここから……
8/356

集合前 8

「ま、やく? 覚醒剤とか……いう?」

「種類は違うが、似たようなものだ」

「なっ、何で! そんなものを……!」

「おまえには関係がない。もういいだろう。うんざりする」

 疑問に対して答えた。それで満足だろう、そういう意味で立ち上がる。

「あのさ、君は……」

「まだ、何かあるのか?」

 こう拒絶されてはいい気がしないのも当然だ。

 諦めるしかない。

「うんざりしているのはこっちも同じだよ。あとどれだけ監禁するつもり? これなら部屋に戻ったほうが気が楽だよ。それに、オレは腹が減っていたんだ。食事に行くつもりだったって、言ったじゃないか」

 大きく息を吸い込んで、気持ちを沈める努力をしたあと、隆宏は続けた。

「怒りたくはないけれど、理由もわからずに座らされて、君の態度を我慢したくはないよ。黙っていてほしいんだろう? 部屋で横になっているよ。それでいいじゃないか」

 怒りたくはなくても、言葉を繋ぐほど苛立ちが募っていく。

 そのためもあっただろう。

 聞いていないのではないかと訝るほど平然としていた実が、テーブル越しにまた隆宏の眼鏡を取り上げた途端、つい我慢ができなくなった。

「返せよっ!」

 思わず怒鳴ってしまった隆宏が掴みかかってくる寸前に、実はテーブルを回り込み、彼の目を覗きこんだ。

「おまえ……めまいがしているのならそう言えよ」

「た、ただの立ちくらみだよ。もう、構わないでくれ」

 本当は、少し前から、妙に気持ちが昂っていた。

 おそらく、めまいはそれが原因だろうが、無関心でいる実に言いたくはなかったのだ。

 彼の手から眼鏡を取り戻そうとした体が、急に浮き上がった。

 抱き上げられた、と自覚したすぐあとに、あっという間にベッドに下ろされる。

「なにを……するんだよ……」

「動くな」

 あまりにも真剣に念を押す実に、驚くことも怒ることも忘れた。

 思わず頷いた彼を確認して、ゆっくり離れた実は、また収納棚の扉を開けた。

 取り出したのは冷却シートだ。

 それを隆宏の額に、もう一枚を首の後ろに貼り付ける。

 それから、おもむろに彼のTシャツを捲りあげると、胸に耳を当てた。

「早くなっているな……」

 鼓動のことだ。

「右手に痺れはあるか?」

「……そういえば、何となく」

「左手は?」

「こっちも……」

と、左手を持ち上げる。

 離れた実の目の前で軽く両手を合わせてみると、指先がちりちりと痛んだ。

 実は、思案していたが、フッと息を吐くとベッドの端に腰を下ろした。

「ケガや病気は多かったほうか?」

「ケガはあまりしなかったよ。でも、熱を出すことは多かった。原因はわからないけれど。……そのたびに解熱剤を飲まされていたな。あれ、苦くてさ」

 それで、納得がいった。

 捲ったままの隆宏のTシャツを元に戻して、タオルケットを掛ける。

「薬に免疫があるようだ。異物に対する抗体が弱いから、麻薬のほうに反応している。普段からおしゃべりなほうではないんだろう?」

「そんなことはないよ。人に会うのは好きだし、結構話もするしね」

「他人のことを詮索するのも好きなのか?」

「あ、あのねえ……いちいち頭にくる言い方をしてくれるね。確かに、いつもは人のことに探りなんていれないよ。今回は君のせいじゃないか。もう少し話に乗ってくれれば……」

 ここに来て、はじめて実が笑った。

「な、なんだよ?」

「……いや。……とにかく、まだ動くな。食事はここですませてくれ」

 言いながら、枕元に置いてあった受話器を取り上げて連絡をとり始める。

 そっけない言葉遣いというよりは、話したくない相手に仕方なく言葉を発しているとも取れる電話の対応だった。

 口ぶりをきいていると、どうもキッチンにではなく司令室にかけているらしい。

 上には芝敏子がいることを知らないのだろうか。

 言いたいことだけ言うとすぐに電話を切って、立ち上がり様、今度は別の場所に連絡をとりはじめた。

 背を向けたということは、話を聞かれたくない証拠だろう。

 隆宏は、注意を部屋の中に向けた。

“ベッド……ここのほうがいいな”

 自分の部屋は、ベッドは入り口のほうにある。

 本部が設置していたレイアウトを動かしていないから、高志や絵里の部屋と同じなのだ。

 動かすなとは言われていないから、頼めば動かしてくれるはずだ。

 もっとも、多分実は一人でやったのだろう。

 この調子では、人に頼んだとも思えない。

 ここは、机がドアの方にあった。

 ベッドとそれを入れ換えただけでも雰囲気がずいぶん違う。

 クローゼットよりも、対面の収納棚のほうに頭を向けて、窓と平行に置いてあるからドアを開ければ丸見えだが、その代わり、クローゼット側が広い。

 そのクローゼットに、一枚の絵が掛かっていたことに、隆宏は今、はじめて気づいた。

「ねえ、ミノル……あの絵は……」

 いいかけて、話中だということを思い出した。

 呼び掛けに僅かに振り返ったものの、実はすぐに、関心ももたずに背を向ける。

 静かな声が続いているが、なんとなく、怒りを抑えているように聞こえるのは、気のせいだろうか。

 最後のほうの言葉が、自然、隆宏の耳に入ってきた。

「余計な詮索は迷惑だ」

 そして、人を小バカにした含み笑い。

「そんな文句がオレに通用すると思うのか?」

 受話器の向こうがなにやら怒鳴っているようだ。

 内容までは聞き取れなかったが、実は、それにすら動じない。

 それどころか、相手の興奮を煽っていないか?

「……バカらしい。それで気がすむのなら、やってみればいい。但し、自分の立場をよく、考えてからにするんだな」

 エスカレートしていく相手の声を平然と聞き返していた実は、その言葉を邪魔することなくひっそりと聞いていたが、やがて、ゆっくりと振り返った。

 いつの間にか彼のほうを向いていた隆宏が、咄嗟に顔をそらす。

 だが、実は、自分に向いたわけではなかったらしい。

 隆宏を通り越して、窓の外を一瞥して、また、背を向ける。

「……オレに関するものを処分しておいてくれ。そっちに残っているものをすべてこっちに送れば、関係は絶てるだろう」

 微かに漏れ聞こえていた声が、静かになった。

 返事もせず黙って聞いていた実は、しばらくしてから、

「最後に聞くが、こういう場合、『ありがとう』という言葉がふさわしいのか?」

 一体、どういう話をしているのだろう?

 気になってしまった隆宏は、もう、部屋のレイアウトを見回しても、集中できなくなっていた。

 自然、耳が実のほうへ向いてしまっている。

 しかし、彼の話はそれほど続かず、やがて、

「できる限り長生きしろよ。今までのことに感謝する」

 そう言葉をまとめると、静かにスイッチを切った。

 なにかを思っているのか、受話器を見下ろしたまま立ち尽くしている後ろ姿が、どことなく小さく、寂しげに見えるのは隆宏の気のせいだろうか。

 やがて、なにかを振りきるように受話器を机の上に置くと、ようやく隆宏を振り返った。

「絵がどうかしたのか?」

 覚えていた話題に、ハッとして隆宏が慌てて、絵に視線を向けた。

 静止画だった。

 背景の薄い青に、真っ赤なバラが花瓶に生けられているだけのものだったが、彼がつい声をかけたのは、実に相応しいアイテムとは言いがたかったからだ。

 第一、この部屋自体に合わない。

 クローゼットに無造作にフックで引っ掛けてあるだけでは、風情の欠片もなかった。

 隆宏は、それを遠慮がちに口にした。

「似合わないことはわかっている。大事なものだから持ってきただけだ。オレの趣味じゃない」

「知っている人の絵なの?」

「いや。……作者はしらない」

 右の耳に手を当てて、実は顔を伏せた。

 それきり、口を閉ざす。

 隆宏は、仰向けになったまま目を閉じた。

 実という男が、どうもわからない。

 言葉は辛辣で、他人を怒らせようとしているように聞こえるのに、態度にそれが表れているようには見えないのだ。

 あるいは、こうして面倒を見てくれる彼に対して、単純にそう思っているのかもしれないが。

 実際、薬を塗ってくれたり安静を『強要』してはいるものの、実から、症状のこと以外で話しかけてくれるわけでもない。

 結局、今のこの沈黙も自分が気まずいと思うだけで、彼はまるで、隆宏の存在がないかのように静かに立っているだけだ。

「人と……」

 目を閉じていた隆宏は、ポツリと聞こえた声に、目を開けた。

 いつの間にか、実はソファに腰を下ろし、窓の外を見ていた。

「話をしたのは久しぶりだ……」

 ゆるゆると視線が下がり、隆宏を見る。

「どういうこと?」

「何年も、誰とも口を利いていなかった」

「……え? レイラーとも?」

「レイラー?」

 なにかを探すように、視線が動き、実は、

「ああ……そう……か」

と、呟いた。

 右の耳にまた、手が上がる。

 彼女は、最期まで実の声を聞くことはなかったのだ。

 今更ながら、そう気がついた。

 自分の中には、鮮明に彼女の言葉が響いているというのに。

 それからまた、二人とも黙ってしまったが、今度は長く続かなかった。

 隆宏が、無意識に右手を下ろした実の耳に、赤い光を見つけたからだ。

「君はピアスをしているんだね」

 ピクッと反応した実がまた、こちらに顔を向ける。

 よく見ると、左の耳にもついていたが、ライトが違う色を反射させた。

「アンバランスなことをしているね」

 思わず体を起こして、彼のほうを覗きこんでみる。

 色が違うばかりではなかった。形自体が違うのだ。

 一つは、……ルビーだろうか、かなり濃い赤だが、右のほうは赤というより黒にも近い。

 珊瑚、のようだ。

 隆宏は苦笑した。

「どっちか取るか、揃えたら?」

 普段は髪に隠れているようだが、まったく見えないわけでもない。

 そうなると、めざとい人にはちぐはぐな姿が滑稽にも映るだろう。

 実は、煩そうに左のほうを外した。

「これでいいんだろう?」

「見せて」

と、手を伸ばす。

 立ち上がって、今度はベッドに腰を掛けてから、手の中の小さな粒を渡した。

「……きれいだね。本物? エリが好きそうな形だ」

 彼女も、耳元を飾っている。それがイヤリングなのか、ピアスなのかはわからないが、アクセサリーなら興味をもつのではないだろうか。

「ルビー自体は本物だが、価値はないはずだ。レイラーのブローチを加工したからな」

「君はそんなことができるの?」

「宝石店で、だ」

 部屋のライトに翳す。

 深紅と言える深い色が、ぼんやりと隆宏に見えて、僅かに目を細めた。

「ひどく目が悪いのか?」

 先程も目を細めていた。

 隆宏が、チラッとテーブルの眼鏡を見て、首を振る。

「そんなに悪くはないよ。でも、ぼんやりするのがイライラするんだ。その辺りの感情が体に悪いみたいでさ。結構熱をだしていたんだ。もっとも、眼鏡にしているのは別に理由があるんだけれど。……コンタクトでもよかったんだ。本当はね。邪魔なことも確か。でも、昔、友人とケンカをしたりして……」

 いいながら、隆宏は体を起こそうと横を向いた。

 途端に、実に抑えられる。

「動くなと言っただろう。おしゃべりもそれくらいにしておけ」

 隆宏は、返事の代わりに実の手を外して、そこにピアスを押し込んだ。

「さっきと同じことを繰り返すつもり? 黙っていてほしいのならオレは部屋に戻るよ。君がどういうつもりでも、オレたちは仲間になるんだ。話したいと思うのは当然だろう?」

「…………」

「どうする? 付き合ってくれるの? それとも出ていこうか?」

 実にとって、その選択は簡単なはずだ。

 隆宏は、今度は意識的に体を起こした。

 彼が休んでいろというのならば、自分の部屋で従うつもりだった。

 これ以上ここにいても、彼の負担になることは、隆宏にも理解はできる。

 だが、答えは違っていた。

「判った。好きなだけしゃべっていればいいさ」

「だからぁ、どうして逆撫でするような言い方をするのかな?」

「? ……いけないのか? どういえばいいんだ?」

 微かな困惑は、本当に言い方を知らない、ということか?

 隆宏は頭を抱えてしまった。

 一緒に暮らしていたレイラーとさえ何年も話をしていなかったとしたら、他人に対する接し方を教えられなかった、とも考えられるが……。

「あのね、普通は付き合ってやるからここにいろ、とか、話を聞きたい、とか、相手の立場を考えるものだけれど?」

「心にもないことで嘘をつかれて、おまえは満足するのか?」

「ずけずけと言っていいものでもないだろう? 本当にわからないね、君は……。オレの話が嫌なのなら、部屋に戻せばすむじゃない。君が医者で、安静にしていろというのなら、別にここじゃなくてもいいじゃないか。どうせ部屋は隣なんだ。そんな距離さえ、動いちゃいけないわけ?」

 何故だろう、実の口元が緩んでいる。

 別に、おかしなことを言ったわけでもないのだが。

 首をかしげた隆宏に理由をいうわけでもなく、彼はまた、右のピアスを隠すように手を当てたが、すぐに振り返った。

「ミノル?」

「誰かが来る」

 腰をあげて、テーブルのコントローラーでドアを開けながら、そちらに足を向ける。

 廊下には、今、まさにドアをノックしようとした女性が立っていた。

 身長は、実より拳一つ分低いが、横幅が彼からはみだしている。

 隆宏も知っている、芝敏子だった。

「あんたが黒沢くんだね?」

 突然開いたドアに驚いたものの、彼女は、睨むような実の視線にも臆することなく言った。

「料理を持ってきたよ。ただね、剣崎さんを使うのはやめなさい。直接あたしに言ったらいいだろう? あんたたちがいる間はあそこにいるんだから。わかったね?」

「余計なお世話だ」

と、言った途端に、頭をはたかれた。

「生意気な言い方をしないの!」

 一瞬、目を丸くして、実は彼女を見下ろした。

「生意気……? これもいけなかったのか?」

 その一言に、部屋の中の隆宏が笑った。

 声に、僅かに振り返りながらも、実はすぐに、芝に向き直る。

「いう通りにすると言えばいいのか?」

 芝が、おもむろに顔をしかめた。

「変な子だね。そんなこともわからないのかい?」

 考え込んだのは、少しの間だった。

「……わかった。キャップにさえ頼まなければいいんだな?」

「自分の口で言いなさいといっているんだよ。誰かに頼むんじゃなくてね。……ほら、二人分だよ。誰がいるの?」

 実は、体をずらした。

 真正面で、ベッドの隆宏が軽く手を振っている。

「ごめんね、芝さん。具合が悪くてさ。タカシとエリはもう、済ませた?」

「済んだよ。まだ上にいるわ。あんたを待っていたんだけどねぇ。あとで声を掛けておやり。あたしからも言っておくけど」

「ありがとう」

 何事もなかったかのように、芝は実にも笑いかけると、ワゴンを手渡して戻っていった。

 彼女を不思議そうに見送って、実がワゴンを押して戻る。

 ベッドサイドまで運ぶと、彼はクローゼットの中からベッドテーブルを引き出し、隆宏の目の前にセットして料理を乗せた。

 次に、持っていたままのピアスの片方を机の引き出しに入れ、最後に、ドアの脇にあるスイッチを押した。

 実や隆宏の部屋は本部建物の方に向いているため、暗くなった景色は、向こう側の明かりをともす部屋だ。

 逆に言えば、向こうからもこちらが丸見えになっている。

 そのため、各部屋にシェードがついている。

 ロールスクリーンのようなものだが、向かいの夕子たちの部屋のように、鉢受け程度の手すりすらついていないこちら側は、ガラス自体が二重になっていて、その間にシェードが降りる。

 もちろん、窓は開かない。

 それぞれの部屋のシェードは違う模様になっていて、ここは、紺碧としかいえないほど深く青い海と、空の景色だった。

 更に、実は冷蔵庫から冷えたお茶を出すと、グラスに注ぎ分けて戻った。

 ここでも、コースターを敷くところが妙に律儀だ。

「食事自体に制限はないんだね」

 しょうが焼きを見下ろして、隆宏が尋ねる。

 彼のフォークとナイフを取り上げた実は、

「病気というわけではないからな」

と、言いながら、勝手に肉を切り分けはじめた。

「ちょっと、自分でできるよ」

 どうも、無意識の行動だったらしく、隆宏とナイフを交互に見て、

「ああ……そうだな」

と、それらを渡す。

 改めて食べはじめた隆宏とは別に、実の料理はワゴンに乗ったままだ。

 ソファに腰をおろしてぼんやりとシェードを見つめる実に、隆宏が、

「食べないの?」

と、促す。

「気が向いたらな」

 軽く耳に手をあてる。

 珊瑚のピアスを包み込むその仕草は、これで三度目の光景だ。

「変な癖だね」

「……何がだ?」

「ピアスを隠す癖。それとも、そこにあるのを確認しているのかな? もしかして、彼女にでも貰った?」

 言われて、慌てて手を離す。

 実は、シェードを見つめたまま、苦笑混じりに呟いた。

「彼女なんて、いない。これは自分で作ったものだ」

「そう、か。……人と話もしなかったんだっけ。……あ、……っと」

 まだ、少し手が痺れているらしく、突き刺したレタスをこぼしてしまった。

 すかさず実が近づくと、落ちたレタスを取り上げてキッチンに持っていった。

 出てきた時には、濡れた布巾を手にしていた。

 染みにならないよう拭き取る実のするままに任せて、隆宏がまた笑う。

「本当に、変な癖だ」

 まるで、子供の面倒を見ているような世話のやきかたをする。

「悪かったな。貸せ」

 無理矢理フォークを取り上げると、実は改めて皿の中のレタスを隆宏の口元に持っていった。

「いいってば。恥ずかしいな」

「大の大人がものをこぼすほうが恥ずかしいとは思わないのか?」

 これには言葉が詰まった。

 小さく咳払いをして、自分の右手を見下ろす。

「だ、だって、仕方がないだろう? まだ手が痺れているんだから」

 それこそ、実の思う壺だったということに気づかない発言だった。

「だから手伝うんだろう? 口を開けろよ」

 また、笑った。

 よく見ると、穏やかささえ感じる笑顔だ。

 最初の、張り詰めた冷たい雰囲気が、少しも見えない。

 だから、隆宏は、多少の抵抗があったものの、素直に口を開けた。

 少しでも心を開いてくれたと思いたかったのだ。



「なんか、たまにはこういうのもいいかな、なんて」

 最後にお茶まで口に運んでもらった隆宏は、グラスだけを残して食器を片付けはじめた実に言った。

 しょうが焼き、レタスを含んだサラダ、里芋と鶏肉の煮物、味噌汁、それに炊き込みご飯、と、遠慮なく食べさせてもらったことに満足している。

 実は、見下すように鼻を鳴らした。

「もう、やらないからな」

「つれないなぁ」

「嫌がっていたのはおまえのほうだ」

 食器を山積みにしてキッチンに消えた実を見送って、隆宏は何を思ったか、ベッドを降りた。

 微かな痺れを足にも感じる。

「おい、動くなと……」

 あとから入ってきた姿を咎めた実に、軽く手をかざして言葉を止める。

「少しくらいいいじゃない。すぐに戻るから。……あのさ、足も痺れるんだけれど、これも影響のひとつ?」

「多分な。普通ならそうかもしれない」

「君は?」

 手を休めることなく食器を洗っている実に対して、不安を抱くのも当然だろう。

 手足が痺れるとはいえ、妙な気分の高まりが、かえって頭をハッキリさせている。

 少し考えれば、実があの薬を常用していることくらい簡単に想像できるのだ。

 そうでなければ、わざわざ先程の電話で、新しいものを送らせないはずだ。

 他人と口を利かなかったというのなら、医者として誰かに処方するはずもないし、第一、できるものでもない。

 隆宏の頭の中には、まさに当てはまる言葉があった。

『麻薬中毒』

と。

 ノーセレクトとはいえ、普通の人間だ。薬だって効くだろう。

 だからこそ、実は常用しているはずだ。

 実は、あまりにもあっさり返した。

「調合薬だと言っただろう」

 法律で当然禁止されているものを使用していながら、罪悪感の欠片もない言い方だった。

「どういうこと?」

「依存性があるものを作るものか」

「でも……強いんだろう? 君のレイラーやキャップは知っているの?」

「隠していたつもりはないからな。知っていてもおかしくはない。だが……」

 ふと手を止め、実は振り返った。

「約束は覚えているだろうな?」

「秘密なんだろう? 言わないよ。……でも、キャップが知っているとしたら隠しても……」

「そうじゃない。医師免許を持っていることをいうなと言ったんだ。もう、必要のない資格だ。おまえたちの面倒をみるつもりもないからな」

「じゃ、今回は特別だったんだね」

 どういう理由で資格をとって、どうして今、必要がなくなったのか、隆宏は尋ねようとはしなかった。

 誰にでも事情はある。

 最初は腹が立つ態度だったが、こうして今は話に付き合ってくれるのだ。

 それで満足だった。

 これ以上掘り下げても、気分を損ねずに聞き出せる自信もなかった。

「ところで、もう一つ聞きたいんだけれど、お酒はだめなの?」

 隆宏のレイラーは、食事のときに必ず、晩酌の用意をしていた。

 酒豪ということではなく、一日の締め括りといいながら、大抵はビールを飲んでいたのだ。

 未成年だと判っていながら隆宏にも勧めるようになったのは、そう昔ではない。

 だが、この部屋に連れ込まれてから、ジュースとお茶だけではそう尋ねたくもなる。

 しかし、その答えもまた、あっさりしたものだった。

「飲みたいのなら持ってくるぞ。おまえの部屋にはあるんだろう?」

「なにそれ? 確かにあるけれど……ここにはないの?」

「飲めないからな」

「えっ?」

 今までの会話の中で、あるいは隆宏が驚いたのはこれかもしれない。

 麻薬を常用している彼が酒を受け付けない、といった一言の方に、思わず口元を抑える。

「ご、ごめん……」

 途端に、笑いが込み上げてきた。

 自分が実に対して、固執したイメージを作っていたことに気がついたからだ。

 最初に会ったとき、見事に想像を裏切っていた彼の態度は、その口調と共に酒もタバコも底無しに受け付ける男と、勝手にイメージを入れ換えてしまっていた。

 抑えようとしても、笑いが込み上げてくる。

 実は、その様子も当然の症状だと判断し、別段、気を悪くすることもなく洗い物を続けた。

「片付けたらもってきてやる。だからおとなしくしていろよ」

「い、いいよ……いらない……」

「笑うかしゃべるか一つにしたらどうだ?」

「ごめん……気を悪く……したよね……」

 まだ笑っている。

 思った以上に薬が入り込んでいたか。

「構わないさ」

 心の中でため息をついて、実は言った。

 それからは無言で、食器の水気を拭き取る作業まで済ませると、今度は真面目な表情で隆宏に向き直った。

「こっちは終わったぞ。さっきのように抱き上げてほしいのか?」

「じょ、冗談。ごめんだよ」

「ならば自分で戻れ。今、すぐにだ」

「……了解。ドクター」

 軽い嫌味で承諾すると、隆宏は笑いながらベッドに戻った。

 実は、本当は優しいのかもしれない。

 今は患者として見ていないとしても、そう思う。

 自分からタオルケットをかけて横になった隆宏の頭上で、実は棚からまた、なにかを取り出した。

「今度はなに?」

 トレイが枕元に置かれる。

 また、注射のようだ。

 先程は肩近くに打たれたのだが、今度は反対の腕に、これもまた無言で注射をされてしまった。

「なんの薬なんだよ? 効きにくいんじゃなかったの?」

「これなら効果は大きいからな」

と、一言呟いて、実は腕時計で時間を確認するために口を閉ざした。

 効くまでの間、黙っているつもりだ。

 仕方なく、隆宏も窓の方に目を向ける。

 その体に変化がおきたのは、それから五分ほどたったころだろうか。

「……なん……か、めまい、が……してきた……これ……なに?」

「さすがに早いな。これにも免疫がないわけだ」

「だから……なに……? ……これは……」

 めまいだけではない。頭がまるで溶けるように、急激に眠くなってきた。

 指先だけではなく、体全体が重くなってくる感覚も判断力も薄れかけたころ、実の囁きが、耳元で聞こえた。

「最初に言ったはずだ。おしゃべりは他のやつにしろ、とな。おまえのような単純なやつを騙すことくらい、簡単すぎて付き合う気にもならない。もう、オレに近づくな」

「ひ……卑怯だ、ぞ……オレが……わ、からない、と……思っ……」

 呂律さえも怪しくなっていた。

 最後の抵抗に体を起こそうとしても、もうほとんど意識は飛んでいたらしく、上げようとした腕が僅かに動いただけで、それきり、静かな寝息に変わった。

「……オレは、こういう人間だ。おまえとは違う」

 すでに意識のない隆宏に、更に声を潜めると、実はゆっくり彼の胸に頭を乗せた。

「おまえたちにとって……オレは疫病神でしか……ないんだ。離れることができないのなら……せめて……傍には近づかないでくれ」

 必死に涙をこらえようとして、実がタオルケットを握りしめる。

“……レイラー……。これがあなたの恨みだというのなら、それも構わない。けれど……せめて……オレが正気でいられるように見守ってくれ……”

 彼の心の中に、レイラー・美鈴千春の鈴を鳴らすような声が聞こえたのは、あるいは願望でしかないのかもしれない。

 ━━彼らを守るんでしょう? その想いを忘れないで━━

と。



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