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TOGETHER  作者: SINO
三章 ノーセレクト
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思い込みのリセット

 呆然と部屋を見渡している実の背後で、健はステレオデッキではなく、ポータブルスピーカーとディスクプレーヤーを用意してきた。

「ずいぶんと……シンプルだな」

 護の部屋だ。

 彼は、窓際のベッドに、窓のようを向くように腰を下ろして本を読んでいた。

 ノックの音に、振り返ったまま、実の姿を見つけ、その彼の一言を聞いたのだ。

 シンプル、という言葉の意味が理解できずにいる。

あとから健も入ってきたものだから、彼は思わず本を持ったまま立ち上がった。

 健も一瞬、目を丸くする。

「確かに」

 彼は、剣崎司令から、壊された部屋の様子は聞いていた。それを取り替えたことも聞いていたが、実際に見てみると、確かにシンプルすぎる。

 窓には黒いブラインド、シングルのベッドがひとつ、部屋の真ん中にガラステーブルと、一脚のソファがあり、ベッドの脇にキャスターのついた四角いローテーブルがあるだけだった。

 メンバーの部屋は、一人部屋にしては広い方だ。実際、健たちのところには、他に、少なくとも二人掛けのソファが対面に二つ置いてあるし、バスルームに続くドアの側面には、サイドボードも備えてある。それでもなお、人が行き来できるほどのスペースがあるのだ。

 なのに、それだけのアイテムがないから、まさにシンプル、という言葉しか出てこない。

 テーブルとソファの下の、ラグマットすらなかった。

 そして、カーペットすら敷いていないむき出しのウッドフロアでは、夏にも関わらず、涼しげというより、肌寒く感じる。

 が、実たちが立ち尽くしたのは一瞬で、訝しげに立ち上がったままの護を無視するように、実は勝手にローテーブルを動かし始めた。

 黙々と、ガラステーブルまで部屋の隅に追いやり、手の動きだけで護をどかせると、ベッドまで移動させた。

 クローゼットにくっつけるように設置して、ソファをそこに横付けする。

 ローテーブルは、ソファの隣だ。

 家具の何もかもがほぼ、クローゼット側に追いやられたものだから、部屋の中はほどんど、ガランとした空間になってしまった。

 当然のことながら、何事にも動じないだろうと思える護ですら、勝手に自分の部屋のレイアウトを変えられてはいい気はしない。

 しないのだが、それよりは、動いているのが実だ、という思いのほうが勝った。

 だから、戸惑っている、というほうが正しいのだろう。

 プレーヤーとスピーカーをもったまま、健もまた、ドアのところに立ち尽くしている。

 彼にしても、実がなぜ、部屋のレイアウトを変えているのかが理解できずにいるからだ。

 一度、健のいるドアのところまで下がり、ベッドのある一角を眺めた実は、声だけを健に向けた。

「スピーカーはベッドのほうに向けてくれ」

「了解」

 健は、護には注意を向けなかった。言われたとおりにセットすると、ついでとばかりにディスクのスイッチを入れる。

 静かな、オルゴールの音楽が流れ始めた。

「これでいい?」

「充分だ」

 実は一度、部屋を出ていった。

 残った護が、何か問いたげに健の方を見ている。

 それに気がついて、彼は首をすくめた。

「おまえの希望を叶えるためだよ。少し待っていて」

「……希望……?」

 なんのことだ?

 そう問い返す暇もなく、また、実が戻ってきた。

 トレイに、いくつかの器具が乗っていた。それと、薬の瓶に、普通のナイフだ。

 それをローテーブルの、スピーカーの横に置いて、護に手招きをする。

「ベッドに上がれ」

 決して頼んでいるわけではない口調は、有無を言わせない『命令』であった。

 だが……。

 護が、青ざめて首を振った。

 自分がどうなるのか、わからない。

 昨日、健から、この部屋がどうなっていたのかを聞いたばかりなのだ。

 他の場所ならば、なんということはない。だが、よりによってベッドの上とは……。

 彼が、かつてどういう目にあっていたのかを、健は知っているはずだ。

 実の声には、容赦がなかった。

「強引に放り込まれたいか?」

 棘のある冷たい声に身震いをして、護は、健に助けを求めるような表情を向けた。

 が、健は優しく微笑んでいるだけだ。

「ミ……ノル……教えて……くれ。何を……する、つもりで……?」

 声まで震えている。

 健は、内心ホッとしていた。

 やはり、護にも感情があり、時としてそれは、はっきりと表に出るのだということに。

 実にだけ向けられる感情の変化でも構わない。それが、抑え込むことなく見られるのであれば……。

 もっとも、それも今だけかもしれないが。

 実が、護の記憶を封じ込めたときこそ、もう、何の感情も表れることがなくなるかもしれないのだ。

 この先、彼がノーセレクトという自覚を持って、生きる意思を持ってくれるようになるまで、どれだけ時間がかかるだろう?

 それでも、会って半月も経たないうちに死ぬよりは、遥かにましなのだ。

 健の年で二十二年という、長い時間を待ち続けていたのだから。

 一向に動こうとしない護に、実は牽制の意味で一歩踏み出した。

 その動きに、護が過剰に反応し、逃げようとしたが、ドアのところに健がいる。

「早くしろよ。本当に放り込むぞ」

 そう言った実の声が、護には遠くに聞こえた気がした。

 それだけ、彼の心の中が混乱していたのだろう。

 と、次には、無意識に近い状態で、機械的に足が動いた。

 言われるまま、ベッドに上がった彼の精神状態は、恐らく、自己を失っていたのかもしれない。

「オレは部屋に戻っているよ」

 遠くで、声が聞こえる……。

 実は、いや、と彼を止めた。

「少しの間、ここにいてくれ」

「でも……いいのか?」

「邪魔になったら追い出すさ。ただ、一言も声は出さないでくれ」

 わかった、と言いたいところだが、健は最後にと、護を盗み見て、囁いた。

「大丈夫なのか? ずいぶん素直に従ったが……」

「正気にかえるまで待てるだろう?」

「……了解」

 実がソファに腰を下ろす。

 それから、相当長い間、誰も動かなかった。

 ただ、スピーカーから、オルゴールの微かなメロディーが流れ続ける。

 やがて、実の声が、部屋に響いた。

「オレが誰だかわかるか?」

 健のいる位置からは、護の変化は見えなかった。

 しかし、ベッドの傍らのソファに座っていたからこそ、実には、護の瞳の変化に気がついたのだろう。

 彼の言葉に、護の顔が動いた。

「……ミノル……」

と、同時に、自分が今、どこにいるのかを把握した。

 思わず、体が後ずさる。

 しかし、そこにあったのは、クローゼットの扉だった。

 実がベッドを移動させたのは、逃げられないようにするためだったのか……。

「落ち着け。何もしない。少しの間、おまえの声を聞きたいだけだ。そのあとで、おまえの望みを叶えてやる」

「……の、ぞみ……?」

「そうだ。おまえが本当に望んでいることを叶える。……わかるな?」

 静かで、落ち着いた大人びた声は、いつもの実のものには聞こえなかった。

 むしろ、慈愛を込めた優しい声、といえないか……健は、思った。

 護の視線が、実から、彼の背後、ドアのところに立っていた健に、気がついたように動いた。

 その目が、問いかけている。

『なぜ?』

と。

 そして、その問いかけは、小さく、囁くような声に変わった。

「始末は……しないと……生きていろと……」

 実が、僅かに振り向く。

 一言も口を利くなと言われたことを忠実に守って、健は護に頷いただけだった。

 護の視線が、実に戻る。

「オレが、わかるか?」

 恐れはあった。しかし、護は、その場からもう、動くことなく頷いた。

「よし。……答えてもらうぞ。……おまえにとって大事なのは誰だ? オレか? おまえ自身か?」

 質問の意図が理解できなかったのか、護は眉を寄せ、首をかしげた。

 実からは同じ質問はなく、答えを待っている。

「……あなた、だ……ミノル……」

 やがて、小さな呟きが聞こえた。

「ならば、おまえが信じているのは誰だ? おまえ自身か? オレか? それとも、他にいるのか? 誰一人信じられないか?」

 護の目が、また、健のほうに動いた。

「……ミノル……」

「その名の人間はどこにいる? おまえの目の前か? 心の中か?」

 答えには間があった。

 目が泳ぐ。左手が口許を覆った。

「落ち着け。気持ちを静めて、考えろ」

「……」

「オレが誰だかわかるか? ……こっちを見ろ」

 ゆっくりと、護が実に向く。

「オレは、誰だ?」

「ミノル」

「オレの声が聞こえるな?」

 ひどく緩慢な肯定があった。

「オレが見えるな?」

 同じ動作で頷く。

「目の前のオレは、おまえの幻か? それとも現実か?」

「……あなたは……ここにいる……」

 実は、満足したようにフッと息をつくと、ソファの背もたれに寄りかかった。

 肘掛けに両手をついて、足を組む。

「おまえのその目でオレを見るんだ。その耳で、しばらくオレの話を聞いてもらう。……オレは、ここにいる。おまえの全身で、オレのすべてを記憶するんだ。おまえの最期のときまで、一瞬もオレを忘れるな。……できるな?」

 やはり、護は頷いただけだった。

「オレは、ノーセレクトだ。それは理解しているか?」

 問いかけの意味を図りかねて、護はまた眉を寄せたが、微かに頷いた。

「おまえも、オレと同じだということはわかるか?」

 これには、躊躇いの肯定があった。

「同じだということが、嫌なのか?」

 驚いたように目を見開き、護は大きく首を振った。

「違う」

「ならば、なにか気に入らないのか?」

 辛そうに顔を背けた。

「……申し訳……ない……」

「オレを見ろと言ったはずだ。視線を逸らすな」

 静かで、少し低い声。だが、その中に含まれるのは、優しさだ。断言するのではなく、今、実は言い聞かせている。

 護が自分に向くのを辛抱強く待ち、また、口を開いた。

「おまえの生が、両親を死に追いやった。生まれながらの殺人者と同じノーセレクトを仲間に持つオレに申し訳ない……そうだな?」

 的確に代弁した実に、護がまた頷く。

「それなら、聞くぞ。おまえの親と、オレのどちらが大事なんだ?」

 きっと、今まで護は、そのような『比較』を、一度として考えたことがなかったはずだ。

 だから、また驚いたように口許が開いた。

 即答ではなかったが、じっと待っている実に、そして、ドアのところの健には、聞き取るのに苦労するほど小さな呟きが聞こえた。

「大事なのは……あなただ……」

「覚えていない親を死なせたおまえと、仲間を排除するオレと、どちらが罪深い?」

「……」

 質問の真意を心の中に染み込ませた護の顔が、ゆっくりと歪んでいく。

 両手で顔を覆って、体を震わせた。

「……すまない……」

「もう一度聞くぞ。おまえが大事なのは、オレか? おまえ自身か?」

 答えられるはずがなかった。

 両親のことを知ったときから、護は何一つ、変わっていなかったのだ。

 実が大切だというその思いは、自分が楽になるための暗示でしかなかったことに、今更ながら気づくとは……。

「マモル、オレを見ろ」

 繰り返し、言い聞かせる。

 彼が顔をあげるまで、また時間がかかった。

「オレは、ノーセレクトだ。おまえも同じだな?」

 辛そうに、小さな肯定があった。

「自分が嫌いか?」

 ゆっくりと頷く。

「オレと同じでも、嫌いか?」

「……あなたは……別……」

「同じなんだよ。わかるか? ここにいるのは……オレは誰だ?」

「……ミノル」

「おまえは? ノーマルか?」

 僅かに、首が振られた。

「オレは大事な存在か?」

「……わからない……」

「おまえが信じているのは誰だ? オレか?」

 また、護の顔が逸れた。

「わからない……」

 事態が悪くなっていないか?

 黙って立っている健はそう思った。

「おまえは、自分を信じられるか?」

 まったく変わらない、低く落ち着いた声に、護は首を振った。

「今、なにを思う?」

 護は、顔を逸らしたまま、目を閉じた。

「……消えて……しまいたい……」

「自分でできるのか?」

「……できない……」

「おまえの中に誰がいる? 声は聞こえるか?」

 今度は、反応がなかった。

「落ち着いて、おまえの中の声を聞くんだ。誰の声が聞こえる?」

「……」

「目を凝らせ。誰かが見えるか?」

 これにも反応はない。

 実は、音もなく腰を上げると、健に目配せをして、部屋を出た。

 ずっと黙っていた健が、不安そうに口を開いた。

「大丈夫なのか?」

「催眠状態に入りかかっているんだ。オレが呼ぶまで、近づかないでくれ」

「けれど……おまえを信じられなくなったんじゃないのか?」

「そうさせているんだよ」

「どうして……」

「一度、思い込みを壊さなければダメなんだ。とにかく、しばらくは近づくな」

「……わかった」

 部屋で待機しているしかない。

 そう思って踵を返したが、弱い力で、腕を掴まれた。

「? ミノル?」

 振り返ると、実がすかさず抱きついてきた。

「どう、した?」

「すまない……。……やり遂げられるよな? オレに……できるよな?」

 健の手が、実の背中を優しく叩いた。

「おまえにしか、できないよ。……信じている。オレも、マモルも、おまえを信じているよ。……大丈夫。おまえなら、できるから」

 虚勢という膜を張った、弱さという実の本質は、仲間である護にだからこそ、隠し続けなければならなかったのだろう。

 自分の腕の未熟さが不安で、あるいは放棄してしまいたいのかもしれない。

 けれど、健の励ましという、新たなベールを纏って、実は静かに彼から離れた。

 彼がいれば、自分はなんでもできる。それは、実の自己暗示だった。

 実は、振り返ることなく護の部屋に戻っていった。


 




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