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TOGETHER  作者: SINO
二章 贖罪
73/356

本部のメンバー 2

 実の部屋の机は、ドア側の壁にくっつけてある。

 すっかり日が暮れた部屋で、彼はライトもつけず、机のスタンドの光だけで本を読んでいた。

 ふと、ブレスレットで時間を確認する。

 振り返ると、本館の明かりは、五階のところだけしか点いていなかった。

 疲れたのか、また、机に向き直って深く息をついた。

 仕方のないこととはいえ、彼にとっての読書はかなり神経を使う。

 だが、今回は、何かがおかしかった。

 自叙伝というからには、作者の人生が綴られているわけで、普通ならば、そこに思い入れがあってもおかしくはない。だから、感情が入り込んでも不自然ではないし、実際、かなりの努力が必要だったのは確かなのだが、不思議と、その、入り込む感情に馴染みがある。

 内容の一部には、確かに、今の護と同じような症例の人物がいたという記述はあったが、それが役に立ったかというと、これは、実の完全な勘違いだった。

 かつて、そういう症状だったが、作者の師匠にあたる男が治療し、今では師匠同様、かけがいのない友人なのだ、ということくらいしか、書いていなかったのだ。

 目次の項目に、精神障害の患者、などという言葉があったための、記憶違いだったわけだ。

 もっとも、それも仕方のないことだろう。

 当時、何気なく手をとってみたものの、実が読み漁っていたのは、レイラー・美鈴千春の病気に対する知識を身に付けるための本くらいだったのだ。

 医学書のコーナーでみかけた、見当違いの自叙伝、程度の興味では、中を読み下げることなど、しなかった。

 それでも、この本は健が保管していた、彼の知り合いからの贈り物だ。

 なるべく読み癖をつけないように本を閉じて、両肘をついたまま、顔を覆った。

 これから、片付けなければならないことが、もうひとつ残っている。

 心の準備をしなければ。

 しかし、どう話せばいいのか、わからない。

 もう一度、振り返る。

 ここからでは、司令室は見えない。本館は、真ん中の廊下を挟んで、こちら側と向こう側に部屋があり、司令室は、表通りに面しているためだ。

 ここに来た初日に、剣崎司令から本館の説明も受けたが、実はその大半を聞き流していた。

 どうせ、すぐに忘れるのだ。

 彼にとって必要だと思われる場所、それこそ司令室以外は、だから覚えていない。

 机の上の電話に視線を流す。

 受話器に手を伸ばし、しかし取り上げようとはせずに、止まった。

 しばらくはそのまま固まっていたが、やがて、迷っている自分に腹を立てたのか、思いきり机を叩いて、乱暴な仕草で受話器を取り上げた。

 内線で、司令室を呼び出す。

 コールは一度だった。

『ミノル? どうかしたかね?』

 剣崎司令の声に、無意識に安堵の息をついて、実は言った。

「まだ、帰らないか?」

『? ケンたちのことかね?』

「ケンたち? どこかに行ったのか?」

『おや? 仕事を頼んで出掛けたよ。聞いていなかったのかね』

「……まあ、それはいい。キャップはまだ、帰らないのかと聞いたんだ」

『私はもう少し残っているつもりだが』

「わかった」

 相手の返事も聞かずに電話を切ると、受話器を戻すことなく、また、ナンバーを打ち込んだ。

 向こうのコールの合間に、またブレスレットで時間を確認する。

“出ない……か?”

 諦めかけた頃、相手が出た。

『はい、津田沼です』

 落ち着いた、だが年を隠せない思い声に、実は咄嗟には言葉が出てこない。

 こちらの沈黙に、相手は不審そうに、

『もしもし? どちらさまですか?』

と、尋ねた。

「……オレだ」

 実にすれば、ある意味苦手な相手なのだ。

 たった一言に、相手が苦笑するのが聞こえた。

『誰かと思えば、坊やか。この間で縁が切れたはずじゃなかったのか?』

 実は、小さく舌打ちした。

「嫌味はやめろ、ドクター。まだ、薬が届いていないぞ」

『なんだ、催促か? だがな、送ってはやらん。そろそろやめろ。本当に中毒になるぞ』

「あれは……おまえのほうに迷惑がかかると言ったはずじゃないか」

 カラカラと、乾いた笑い声が響いた。

『君の心遣いはありがたいが、なに、お墨付きをもらったよ。こっちで処分してもいいそうだ。残念だったな。もう送るものがない』

 どこまでも……周到だ……。

 もっとも、そうでなければ、たとえ実だけしか使わないとわかっていても、周囲に隠し通しておける薬ではない。

 だから、彼はこのドクターに預けていたのだ。

 ただ、今回の用件は違う。

「もう、そのことはいい。それよりも、頼みがある」

『頼み?』

 どうやら、実の声の調子になにかを感じたらしい。

『言ってみなさい』

 直前までの軽いやり取りではなく、真剣な声が返った。

「教えてくれ。確か、外傷を消すための、細胞活性薬のようなものがなかったか?」

 相手の返事には間があった。

『……傷薬なら、薬局でいくらでもうっているだろうが』

「治すんじゃない。消すんだ。……オレの記憶違いか?」

『坊や。わかっているだろうが、私が診ないことには処方などできないぞ。君が誰かを治療するのは構わん。だが、それなら君が処方して、薬剤師に調達してもらうしかないんだ。君にそれができるのか? 剣崎さんは承知しているのかね?』

「やっぱり許可が必要か……」

 先日と同様、津田沼は声を抑えて言った。

『……取り敢えず言ってみなさい。患者は、どういう外傷があるんだね?』

「主に切り傷と、あとは火傷の痕だと思う。何十ヶ所あるのかはまだ、詳しく診ていない。約、三年前の傷跡だ」

『三年前? ……そんな古傷の跡には効果はないぞ?』

「わかっているんだ。もう一度、表層を削るつもりでいたから」

 あからさまに息をつく声がする。

『君にできるのか? 患者に接することもできなかったくせに』

「放っておいてくれ。そんなことを言っている場合じゃないんだ」

 言葉は尖っていたが、紛れもなく、必死な思いが含まれていた。

 津田沼には、懐かしい声の、調子だったろう。

 だからこそ、尚も低く、言った。

『黒沢くん』

 改まった呼び掛けが続く。

『剣崎さんと代わりなさい。あの人の許可がない限り、私では判断をつけられんよ』

 硬く目を閉じ、実は諦めるしかなかった。

「……わかった。……このまま待っていてくれ」

 電話を保留にすると、実は部屋を飛び出した。

 エレベーターが上がってくるのももどかしく、そこに乗ると、下へ降りる。

 本館の三階から司令室へ。

 ノックもせずに駆け込んだ。

「ミ、ミノル?」

 実は、座っていた司令の脇に回り込むと、受話器を彼に突きつけた。

「な、何かね?」

「代わってくれ」

 眉根を寄せたものの、素直に受けとると、受話器を耳に当てる。

 実は、保留のボタンを解除して、ソファに向かった。

「もし、もし……? ……あ、ああ……先日はどうも、お世話をかけまして……」

 相手が誰だかわかった途端、司令は腰をあげ、見えない相手に頭を下げた。

 実が、ソファでじっと、その様子を見ている。

 最初はにこやかに会話を交わしていた司令だが、本題に入ったらしく、実に背を向けた。

 それどころか途中で、

「少々お待ちください」

と、言ったかと思うと、彼には目もくれず、隣の部屋に移ってしまった。

 待っている時間は、長かった。

 実は、ソファの背もたれに肘をかけて、外に目を向けた。 

 真っ暗なガラスのスクリーンに、自分の姿が部屋の中の景色の一部として映っている。

 彼が、津田沼と口を利かなくなって、やはり長かった。

 何度顔を合わせても、一言も口を利かず、ただ、ドクターの指導を受けた。

 実に、津田沼を会わせたのは、やはり剣崎司令だった。まだ、この本部の司令という立場ではなかったものの、ノーセレクトメンバーの責任者という立場だけは決定していたため、メンバーのあらゆるところで、前面に立っていたのである。

 レイラー・美鈴千春の発病がわかったときも、一番に駆けつけてくれたのは司令だった。

 メンバーである夕子のレイラーであると同時に、ノーセレクトメンバーの責任者として、真っ先に来てくれた彼に、実は、他人の感情が入り込んだ、混乱しかけた状態で、必死に訴えた。

『オレが治す! 治してやりたいんだ! 医師免許を採るために……力を貸してくれ!

 津田沼は、実がノーセレクトであることを知っている、数少ない味方の一人だったのである。

 この本部に来る前に、一度、彼の勤めている病院に足を運んだ。

 もちろん、レイラー・美鈴千春が亡くなったことを報告するためだった。

 その時、何年かぶりで、彼は、津田沼と口を利いたのである。

 個人教授のような状態で、医師免許を取得するまでの期間は、ノーセレクトの本領を最大限に引き出した。

 僅か二年で、教えたことを吸収したものの、津田沼は、その間に確信したはずである。

 実は、医者にはなれない、と。

 彼にとって、患者は一人だけだ。

 レイラーだけの主治医……。

 もっと、真面目に、深く学べば、臨床医として立派に自立もできたはずの能力を、たった一人のためにだけ使う。

 だから、津田沼は、彼に患者を与えなかった。

『坊やは、私の最低の弟子だよ。もっと他の経験をするべきだ』

 それが口癖であり、それでも、実の情熱が、ただ一人、レイラーにだけ向いていたことを知っていたから、強制はしなかった。

 剣崎司令が戻ってきた。

 心のなかを覗くように、実は彼を見上げたが、見返された表情は、司令にしては厳しく、実から離れたソファに腰を掛けた。

「ドクターの答えはどうだったんだ?」

「ミノル、少し、説教をしなければならない」

「説教? そんなものはいい。それより……」

「聞きなさい」

 強いわけではなく、威圧するような口調でもなかったが、いつものような穏やかさを含まない、有無を言わさない言葉に、仕方なく、向き直った。

 司令は、実を正面に捉えながらも、僅かの間、なにかを思い出すかのように視線だけを泳がせた。

 そして、そのまま口を開く。

「……坊やは、師匠に対する態度を知らん……」

 目を丸くした実に、視線が戻る。

「かわいい教え子の頼みを、どうして断れるものかね。人への、師匠への頼み方を勉強しろ」

 ようやく、剣崎司令の口許が緩んだ。

「これが、津田沼さんからの伝言だ。……ミノル、ひとつだけ、確認させてもらうが、要求する薬は、君が常用していた類いのものでは、ないね?」

 忌々しく舌打ちをしたものの、実はきっぱりと、

「ちがう」

と、断言した。

 先程、津田沼が言っていたのは、このことか……。

 『お墨付き』とは、司令の許可のことだったのだ。

 常用していた薬を処分させたことに、少々腹が立ったものの、実は、初日にエレベーターで割ってしまってからこっち、正直なところ、忘れていた。

 蒸し返されたことが気に入らない。

 だが、真意を確かめるように司令が実を覗き込んで、納得したのか、

「わかった。津田沼さんから、名称は聞いてあるから、頼んでおこう」

という言葉を聞いたとき、安堵したのは確かだった。

「悪かったな、キャップ」

 話は終わりだとばかりに腰をあげた実だが、しかし、すぐに冷たく、司令を見下ろした。

「ドクターに伝えておいてくれ。……『坊や』はやめろ、とな」

 思わず、司令が吹き出す。

「いや……それは無理ではないかな。彼にすれば……君はいつまでも坊やなのだろうからね」

 悔しいが、反論できないじぶんに、また舌打ちをした実に、司令はすぐに表情を引き締めた。

「ミノル、君ならば、あの人の言葉の裏の意味を汲み取れるはずだね? 津田沼さんは、本心では君に、医者になってほしいのだよ。薬を頼んだということは、美鈴さん以外の患者を受け入れいるつもりではないか、と言っていたよ。それなら、もっと勉強をして、対等な医者になりなさい。それまでは、坊やだ、と、言っていたのではないかね?」

 充分すぎるほど、それを理解していたからこそ、実は苦々しく頷くしかなかった。

「だから……頼みたくなかったんだ」

 師匠だから……。

 実にとって、唯一、ノーマルの、苦手意識をもつ相手だったのである。


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