本部のメンバー 1
「マモル、仕事を手伝ってくれないか」
健は今、本館の玄関ホールにいる。
夕日はもう、青いガラスの扉から差し込む力もないようだった。
ブレスレットの呼び掛けに、護の声は、
『わかった』
という一言だけだ。
彼を待っている間に、健のいたホールを、二人のスタッフが通りすぎた。
健の姿に、訝しげな顔をしたものの、会釈をしてエレベーターに乗り込む。
「あの人たちは会計部のスタッフですよ」
受付からの声に、振り返る。
カウンターの向こうに、一人の男性が立っていた。今日の当番のようだ。
自然、健の足がそちらに向く。
「白木さん、ですね。ハウスクリーニング部のチーフ、石原です」
丁寧に頭を下げる彼に、健も会釈をした。
「はじめまして」
「まだ発足したばかりですからね。会計部のスタッフは、あなた方と直接関わっていないので、顔を知らないんですよ」
スーツ姿が、お世辞にも似合うとは言えない石原は、カウンターに両手をついて、軽く身を乗り出した。 二十代後半か、あるいは三十代か、いずれにしても、健よりも年上に違いない。落ち着いた雰囲気があった。
「お出掛けですか?」
「ええ」
「では、お部屋を掃除させていただいてもよろしいですね?」
「今から……ですか?」
石原が、笑う。
「時間は関係ありませんから。すぐにすみます」
言ってから、なにかを思い出したようだ。石原は、ふと、表情を曇らせた。
「申し訳ありません。ひとつ、お尋ねしますが、クローゼットの中を、こちらで片付けさせていただきましたが、ご迷惑ではありませんでしたか?」
「え?」
僅かに視線を逸らし、健は、自室を思い出した。
そういえば、きれいに片付いていたような……。
途端に、自分が間違った整理をしていたのだと気がついた。
恥ずかしげに顔を赤らめ、苦笑する。
「ありがとうございます。……整理の仕方を知らないもので……。あなたにご迷惑をおかけしました」
「ああ……いえ、僕は違います。白木さんのお部屋の担当は柿沼といいます。……柿沼くん」
振り返った、開いたドアの向こうが、ハウスクリーニング部の部屋だ。
呼ばれて出てきたのは、小柄な女性だった。
見覚えがある、と、健が思い出したのは、この本部に来た日のことだった。
司令からここのことを聞いて、一度、本館から裏へ回ろうとしたとき、受付の女性と話していた背後で、顔を覗かせていた一人だ。
「あなたが柿沼さん?」
彼女は、薄青いつなぎを着たまま、受け付けに出てきて、頭を下げた。
「よろしくお願いします。白木さんのお部屋専属です。不都合があるようでしたら、直します」
どことなく緊張しているような声は、勝手に整理をしてしまったという事後承諾に対する謝罪か。
健は、優しく微笑むと、小首をかしげた。
「快適ですよ。ありがとう」
「僕は、黒沢さんの部屋を担当させてもらってます」
部屋ごとに担当がいるとは思わなかった。
本当に、自分は組織の仕組みをなにもわかっていない。
とはいえ、覚える必要をあまり感じない仕組みではあっただろう。
相槌をうとうとした健だが、僅かに聞こえた音に、振り返った。
護が降りてきたようだ。
健は、スタッフに会釈をするつもりで向き直ったが、目の前の二人が、驚いた表情を護に向けているのに気がついた。
「どうか……しましたか?」
その問いかけに、我に返ったのは石原のほうが早かった。
だが、視線は護に向いたまま止まっている。
というより、目が離せない、という雰囲気か。
「あのう、……この……かたは?」
弱く問いかけた直後に、ようやく健へと視線が動く。
「は?」
「あ……いえ。……藤下さん……でしたね?」
「そうですが?」
「し、失礼しました」
改めて、石原は護にも頭を下げた。
「石原です。本当に失礼しました」
だが、護は、彼の存在にまったく関心を示さず、ただ、健を見つめているだけだった。
「石原さん、すみません。出掛けますから」
待っている間の、他愛のない会話だったため、健はすぐに護を伴って、出ていった。
「綺麗な……人ですねぇ」
呆然とした、柿沼の表情に、石原が苦笑する。
「まったくだ。女かと思ったよ」
柿沼は、部屋にいたから聞いていなかったのも当然だが、健がブレスレットで護を呼び出したことを知っていて尚、石原は見惚れていたのである。
「あんなに綺麗な人が、部屋を壊したんですかね? そんなに乱暴な人には見えなかったけど」
「柿沼くん、余計なことは考えない。それより、掃除に入りなさい」
石原は、剣崎司令から言い渡されていたのである。
その件は口にはしない、と。
もちろん、スタッフもそのことを知っている。
柿沼は、すぐに石原に謝ると、部屋にとって返した。
「マブッちゃん、藤下さんも出掛けたわ。掃除にいこうよ」
「……ミノルは?」
どこに行くのかも聞かず、黙って歩調を合わせていた護は、健が目についたレストランに入って、席についたときに、ようやく口を開いた。
何をするにも興味を持たず、最初に出てきた言葉が『ミノル』とは……。
健は、メニューに目をとおしながら、言った。
「部屋にいるよ」
料理の名前をひとつとして覚えようとしなかった彼は、写真を見ても味を想像できず、適当にオーダーするしかなかった。
それでも、料理名を覚えるつもりはなく、結局、出てきた料理も、レイラーの作ったものと比べ、遥かに旨いのだという認識だけですませた。
食事の間、二人は一言も話さなかった。護が無口だということが理由の全てではなく、周囲に人がいるこの場でできる話の内容がなかったからだ。
やはり義務を果たすような、味気ない食事をすませると、健は本部には戻らず、ゆったりとした足取りで駅の方に足を向けた。
エアーレールは、年寄りや子供には便利かもしれないが、どうも違和感がある。だから、健はわざと、車道を歩いた。
車の往来が多いが、駅周辺までの我慢だ。
住宅街を抜けると、エアーレールも敷いていない。
商店街の人混みを避けて、一本外れた脇道で、健はようやく口を開いた。
「今日は何をしていた?」
答えは、やや間があった。
「本を……」
それきりだ。
健が、頷く。
「部屋、直っていただろう?」
今度は、微かに頷く仕草を見せた。
しかし、すぐに護の足が止まる。
「ケン……あなたは……部屋のことを……」
健の足は止まらなかった。
一体、どこに向かうのか。
護がまた、歩き出す。
「キャップから聞いたよ。どうなっていたか、知りたい?」
「……できれば……」
「クローゼットの扉が半壊、ガラステーブルは粉々。サイドテーブルが倒れていて、ソファが中のクッションまみれになっていた。ベッドは中央のジョイント部分が取れていたらしいよ」
「……」
それを、自分がやった、ということに、護は愕然とした。
記憶が途切れることは何度もあったが、その間、何があったのか、誰も教えてはくれなかったのだ。
保護者である高木浩二郎が、黙々と後始末をしていた、ということか?
追い討ちをかけるように、健の視線が護に流れた。
「サイドテーブルの上に、電話が置いてあったはずだよ。その内線が司令室に繋がったのは偶然だったのかな? 受話器が外れて、倒れたサイドテーブルの脇に落ちていたんだって。その側で、おまえが倒れていた……」
また、護の足が止まる。
今度は、健も立ち止まった。
これから先、何度、同じことを繰り返すのだろう。今までは、保護者が隠し続けてきた。黙って、恐らく壊れたものを取り替え続けてきたのだろう。
今度は、それを本部が、そして、なにより健がフォローしていくことになる。
「……なぜ……」
ポツリと、護は消え入りそうな声で俯いた。
「オレを……」
やがて、意を決したように健を見返したが、彼はやはり、すぐに視線を逸らした。
「処分、しないんだ……?」
健は、右手を前に差し出すと、指を鳴らした。
「?」
音に、護が顔をあげる。
健は、そのまま、方向を指し示すように首を動かした。
「悪い。時間に遅れそうだ。車を使うよ」
さっさと歩き出してしまった彼に、それ以上の質問ができる雰囲気はなかった。
人混みを避けていた彼が、脇道から大通りに出る。 交通量の多いガードレール脇で足を止め、健は護を振り返った。
「タクシーなら平気だろう?」
要するに、電車で移動するほどの距離ではないところらしい。
「一体……どこに……?」
流れる車を見ていた健は、首をすくめた。
「それって普通、最初に聞く質問じゃない? ……つまらない仕事にいくんだよ。暇潰しにね」
一台、空車のタクシーが見えた。




