ミノルという記憶 13
別館の屋上そのものは、さほど大きいものではなかった。
というより、別館自体の形が、凸型をしている。
本部からは、おそらく辛うじて形は見えるのだろうが、下から見上げただけではわからなかった。
エレベーターが、直接施設の内部にあるわけではなかったのは、念をいれたセキュリティーのためだろう。
内部に入るためには、やはりカードが必要だった。
室内は、二つに分かれていた。入った手前がコンピュータールームのようだ。そこで、プログラムを打ち込んで、奥の部屋に、状況に応じたセットが映し出される。
コンピュータールームの片隅に、銃が並んだ棚があった。
レーザーと、普通の銃が、棚ごとに区別されている。ライフルまで備えてあった。
そして、弾丸も、棚の隣のロッカーに納まっている。
当然、ロッカーもカードを通さなければ、開かない。
「君のところも、こういう施設があったらしいね。やっぱり同じようなものだった?」
初めて入る射撃場というものが、かなり珍しかったらしい。玲は、好奇心丸出しで、奥の部屋を覗き込みながら、尋ねた。
健は、コンピューターに向かいながら、
「ええ、ほとんど同じ、ですね」
そう言いながら、プログラムを打ち込む。
「家の地下にありました」
実からの連絡待ちのため、コールが聞こえるように、今回はレーザー用のプログラムだ。
チラリと、玲の後ろ姿に目を走らせて、健は、操作を終えると、武器棚から、銃を取り上げた。
「どうします? そこで見ていますか? それとも、一緒に入りますか?」
「えっ? いいの? 入っても?」
振り返った玲の目に、おそらく、誰にでも向けるだろう優しい微笑みがあった。
「構いません。さほどの騒音もありませんから」
そう言われれば、遠慮するはずもなく、嬉しそうに、健のあとから部屋に入った。
中は、奥行きがあるらしく━━外観ではそうは見えなかったが━━また、窓が一切ないため、暗い。
健は、コンピュータールームからの光を遮るために、偏光ガラスへと切り替えると、
「プログラム、スタート」
と、一声。
直後に、目の前、はるか先に思われる地点に、小さなポイントが現れた。
途端に、そこがレーザーで撃ち抜かれる。
ポイントは、一定間隔で別々の場所に現れ、それがすかさず撃ち抜かれていったが、その間隔が、少しずつ短くなっていくことに気づいたとき、玲は、そこよりも健の方から目が離せなくなっていった。
そして、もうひとつ、気がついた。
次々に現れるポイントを撃ち抜きながらも、健からは、なにも伝わるものがない、ということに。
機械のような正確さ、というものではない。それすら……機械すら凌駕しているような、例えようのない、人間離れした無表情がそこにあったのだ。
彼を見ると、護ですら、人間的な表情があるように思える。
玲は、人をイメージで捉えている。
会って、少しでも話をすれば、何かに例えることができる能力を持っている。だからこそ、精神内科の道に、すんなり進むことができたのだ。
“道理で……イメージできないはずだ”
伝わるべきものが健から見いだせないのでは、例えようがない。
物質的なものの、何一つ、健には当てはまらない。
やはり、怖いな……。
「やってみますか?」
突然、声をかけられ、玲は我に返った。
「え? 僕が?」
「興味があるんでしょう?」
一瞬にして微笑みに変わった健と、差し出された銃を交互に見つめ、玲が苦笑する。
「興味はあるけど……君、嘘つきだね」
「? なにか?」
「自慢できる腕前じゃないと言ったけど、とんでもない嘘だよ」
「ああ……本当のことですよ」
情けなく笑い、彼は、奥の闇に顔を向けた。
「プログラムは、初心者用ですよ。オレができて当たり前のことでしょう」
「あれが……初心者用?」
「というより、基礎プログラム、ですね。動体視力の訓練なので、当たらなくても構わないんです。……どうします? やってみませんか?」
当たらなくても構わない。その一言が、好奇心に拍車をかけた。
遠慮がちにだが、
「やってみようかな」
と、差し出された銃を受けとる。
「あ、結構重いんだね」
言いながら、先程の健を真似て、腕を伸ばす形で構える。
「肩の力を抜いてください。最初は、片手はダメです。左手を、右手を支えるように……」
健は、基礎の体制を教えながら、玲の腕や手のひら、指、更には肩や背中を直していった。
が、玲はすぐに、眉を寄せて腕を下ろした。
「君……それ、ケガしてたの?」
彼の視線は、袖に隠れた二の腕で止まっている。
健も、苦笑混じりに見下ろした。
「痛みはありませんけれどね」
「そ、っか……」
剣崎司令から、健たちの仕事内容なども聞いていたから、ある程度のことは知っていたが、やはり、医師としては、他人が傷つくのを、簡単に割りきって受け入れることはできない。
それでも、余計な心配には違いない。玲は、一度は表情を曇らせたが、すぐににっこり笑った。
「まあ、右腕だったのが幸いだったね」
「? なぜです?」
「だって、利き腕をケガしたら、それこそ大変じゃないか」
は? と、首をかしげたが、健には、すぐにわかったようだ。クスッと笑った。
「利き腕は右ですよ。左利きは、マモルだけだ」
「う、そ。だって、今……」
そうなのだ。玲が包帯に気づかなかったのは、健が、左手で射撃をしていたからなのである。
「なるべく安静の腕を酷使したら、ミノルに怒られますからね」
「だからって……利き腕と変わらないなんて……。もしかして、両方使えるの?」
「ええ。知り合いに一人、迷信に拘ったご老人がいて、仕込まれました」
「迷信?」
「その人が言うには、左利きの人間は器用なんだと」
それはまた、信憑性のない迷信だと、玲が笑う。
そして、ようやく健に言われた通りの基本の構えで、正面に向いた。
健が、入り口まで下がって口を開く。
「プログラムスタート」
音声反応だ。
最初のポイントは、先程と同じところだった。
当たらなくてもいい……初めての射撃だから……そう心では理解していたが、実際、最初のポイントから、明らかに外れていたことが、玲にはやはり、悔しかったようだ。
次第に意地になり始め、それにつれてポイントの、切り替わる速さが変わっていったものだから、もう、最後の方は、惜しいと思える場所から遥か遠い、とんでもないところに打ち込んでいた。
時間にして、僅か三、四分くらいではなかったろうか。
それなのに、銃の重みで腕が疲れていた。
それを健に返し、崩れるように座り込む。
「む、難しいものだなぁ」
「最初は誰でもそうですよ」
「君もかい?」
健は、スッと視線を逸らした。
「……忘れました」
これは、明らかに嘘だとわかった。
どうやら、気を使わせてしまったらしい。
ノーセレクトに、素人の腕前を重ねてイメージすることはできない。
彼らの上達は、ノーマルよりも遥かに早いのだ。
玲は、彼を見上げて言った。
「ねぇ。君用のプログラムでの腕を見せてよ」
「……構いませんが……診療所のほうはいいんですか?」
呼びつけておいて、今さら言うのはおかしな話だが、普通の病院なら、そろそろ開ける時間ではなかっただろうか。
玲が、小さく舌を出した。
「患者がいないからねぇ。まだ、開院したばかりなんだよ。予約制にしなければならないし。……体制を整えてからじゃないと、やっていけないんだ」
「予約? 病気を治すのに予約が必要なんですか?」
「今はそういうところは多いよ。僕の場合は、内科や外科と違うからね。患者の生活に合わせた時間を相談しながら、予約をとってもらうようにしないとならないわけ。精神治療って、時間がかかる場合のほうが圧倒的に多いんだ。一人ひとりにかける診察時間も長くなる。そんな人たちを、待合室で待たせるわけにはいかないからね」
そういうものなのかと納得しながら、健はだが、ひとつ疑問があったらしい。
座り込んでいる玲の前に膝をついた。
「そんな状態でオレたちの主治医、ですか? 他の患者たちに迷惑ではありませんか?」
プッと吹き出して、玲は笑い出した。
「本当に……君は剣崎さんから何も聞いていないんだねぇ。……あのね、僕もそうだけど、本部の存在は、君たち基準のものなんだ。言い換えれば、僕も、ここのスタッフも、予備要員みたいなもの。君たちの専属なわけ。でも、君たちの要請がない間、遊んでいるわけにもいかないだろう? かといって、要請があったときに、自分たちの都合を優先させるわけにもいかない。だから、僕は病院をやめたの。で、こっちに引っ越してきたわけ。だから、君の懸念をなくすために言うとね、もう一人、診療所専属の医師が来るのを待っている状態なんだよ」
「……」
スッと、潮が引くように、健の表情から笑顔が消えた。
音もなく立ち上がり、
「プログラムを変えてきます」
と、言いながら部屋を出た彼の後ろ姿を、玲は首をかしげながら追った。
何か、気に障ることを言ったのだろうか。
座り込んでいたから、向こうに行ってしまった健の様子がわからない。
待っていると、今度は、銃の他に、ナイフを持って戻ってきた。
「鶴野さん、今度は、そこにいると危険です。隣の部屋まで、下がってください」
元に戻っている。穏やかで、優しい声だが、玲は、腰をあげながらおずおずと尋ねた。
「ねえ、僕は何か気に入らないことを言ったかな?」
「? 何故ですか?」
「いや……その、何か、君の機嫌を損ねるようなことを言ったのかなって……そんな気がしたんだけど」
キョトンとした表情を見せたということは、やはり自分の気のせいだったのだろうか。
玲は、余計なことをきいたか、と気まずく隣に行こうとしたが、その目の前に、ナイフの刃が突き出されて、思わず足を止めた。
薄暗い部屋に、僅かに漏れる光が、目の前のナイフに反射している。
「し、白木くん……?」
恐る恐る、視線だけを動かす。
健は、見下すような、冷たい瞳で玲を見ていた。
「あなたの数値は三十七・七パーセントでしたね。たったそれだけでもノーセレクトであれば、他人の心中を見抜くことができる、という訳ですか?」
「な、なんの……こと?」
健からは、なにも感じられない。ハッキリした殺意がない代わりに、穏やかで、情けない雰囲気も、微塵も見えない。
だからこそ、本当に、玲には、ナイフを持つ彼の手が、いつ動いてもおかしくないのだと、悟った。
体が膠着する。
「ご……ごめん。……なんか……悪いことを言ったんだね、僕は……」
「言っておく。要請がない限り、自分の都合でオレたちの中に入らないでもらおう。オレが何を思おうと、感じようと、あなたには関係がない」
関係……という形に、玲の唇だけが動く。
「あなたが、どれだけ優秀な医者なのかは、オレにはわかりません。ノーセレクト専属だということも、否定するつもりはありません。けれど、その肩書きがあるからといって、何もかも許されるとは思わないでください。治療ならば……医者ならば、オレたちの心を暴いてもいいというのですか? マモルがなぜ、あなたを攻撃したのかを、理解できなかったようですね。……知られたくない心中を目の前に突きつけられれば、排除したくなるのは、不自然ではないでしょう?」
言葉遣いは、少し前よりは柔らかくなっていた。
そのため、玲は弱々しくだが、声を出すことができた。
「……ごめん……。そんなつもりじゃ、なかったんだけど……」
健は、ナイフをベルトに挟むと、銃を右手に持ち替えて、目を伏せた。
「オレたちの仕事は、他人の人生に無理矢理入り込んで、踏みつけて破壊するようなものです。あなたが、そんなオレたちに同情することはありません。オレたちに手を貸せば、あなたも、スタッフも同罪になってしまうでしょう。できる限り、オレたちには近づかないでください」
聞いた途端、玲は髪をかきむしりながらその場にしゃがみこんだ。
「鶴野さん?」
ガタガタと体を震わせる。その中で、玲は絞り出すように呟いた。
「ノー、セレクトというだけで……どうして……君も……マモルくんも……」
乱暴に立ち上がり、見下ろしている健に掴みかかった。
「君たちは、自分から孤立するつもりか? そんなの、ダメだよ! 頼むから、そんな考えはやめてくれ!」
「……」
「君たちは、同じなんだよ! 僕たちと同じ、人間なんだよ。君たちを、そういう育て方をしたのは、ノーマルなんだ。君たちには、なんの負い目もないよ。そうだろう?」
どれだけ心の底から願っても、健には通じない。
それをわかっていながら、玲は言わずにはいられなかった。
国や、セレクトコンピューター研究者の思惑がどうであれ、彼らを育てたレイラーたちや、司令、玲たちが望んでいるのは、ただひとつ、メンバーの幸福なのだ。
健の表情は、やはり変わらなかった。
ただ、優しく、
「ありがとう。その言葉だけで充分です」
そう言っただけだ。
国からみれば、正義のため、そう思い込んでノーセレクトを育てたのだろう。大局で考えれば、何の影響もない小さな事件にしか関与させず、小さな平和を保つようにと、使い捨てのようなノーセレクトに育てたのは、国の人間という、ノーマルだ。
そんな境遇を、健は、他人の責任に押し付けることなく甘んじている。
その上まだ、自分たちの行動の責任が、ノーマルに及ぶことを回避しようとしている。
その、決意の強さと大きさが、いつか彼を押し潰すのではないだろうか。
「下がってください。鶴野さん、始めますよ」
何を言っても、健には通じない……
のろのろと、玲は言われた通り、隣の部屋まで下がっていった。
同時に、健は、部屋の中程まで歩を進めた。




