ミノルという記憶 12
司令室の隣、剣崎司令の休憩室には、先日に会ったときと同じ白衣を着た玲がソファに座っていた。
対面にいた司令が、健を、彼の隣に招く。
どうも、司令室にあるソファのコーナーは健たちのもの、という考えが徹底しているらしい。たとえ主治医であっても、そこに座る権利がないといっているように思えた。
「僕に話があるって?」
人好きのする、穏やかな微笑みで言った玲に、健は向き直るように体を動かした。
「すみません。話があるわけではないんです。ただ、時間稼ぎもあって、いくつか質問が……」
「時間稼ぎ? ……何を聞きたいの?」
「あなたは、オレたちの主治医、ですね?」
「? 一応、そういう立場だよ」
「この本部には、医務室があると聞きました。オレたちは、ここにいることは少ないでしょう。……あなたは、どういう意味での主治医なんですか?」
司令と玲は、自然と顔を見合わせた。健の質問の意図がわからなかったからだ。
しかし、玲は、とりあえずの立場だが、と前置きをして言った。
「君たちは、肉体面の訓練の前に、精神面の訓練をしてきただろう? 物事の対処や突発的な出来事、もろもろの際に、常に冷静でいられるようにしてきたはずだよね。……ノーセレクトの能力のひとつなんだけれど、学習能力は普通の人よりも吸収が早いし、多いんだ。けれど、反面、徹底した精神訓練のおかげで、弱い部分も作ってしまうんだね。君たちは、普通よりもナイーブに育った、と言えるんだ。だから、僕は、精神内科医をやっているんだ」
と、いいながら、玲は窓に人差し指を向けた。
「ここからじゃ見えないけど、近くにマンションが建っているんだその裏手で診療所を開業した。普段はそこにいるけど、君たちに何かがあれば、駆けつけられるよ」
「オレにはよくわからないのですが……ケガの対処は?」
「簡単な治療はできるけど、そっちはあまり当てにできないかも」
「病気に関しては?」
「そっちも、一介の内科医と大差はないね」
精神面だけ……。
健は、視線を逸らして、考えた。
当てにできる相手ではなさそうだ。と、なると、今回のように、誰かがケガをした場合、どうしても実に頼るしかないわけだ。
ますます負担をかけるが……ノーマルを頼るより、マシか。
彼は、何事もなかったかのようにまた、玲に向き直った。
「あなたには知っていてもらったほうがいいでしょう。ミノルのことですが……」
「ミノルくん?」
彼が、名前を繰り返したことで、健が、訝しげに眉を寄せた。
それに気がついて、玲が苦笑する。
「馴れ馴れしかったかな。……マモル君と会うことが多かったものでね。僕も、いつの間にかそうなっちゃって」
「そうですか……。構いませんよ。……キャップ、あなたはご存じでしたか? ミノルは、他人の感情に同調するんです」
「同調? 美鈴さんからは、感受性が高いことは聞いていたが、そういう意味かね?」
「そんな生易しいものではありません。相手の感情が強ければ、それだけ同じ思いをするんです。誰かがケガをすれば、同じ痛みを感じる……。あなたも目の当たりにしているはずですよ」
はて? と首をかしげたところをみると、心当たりがないらしい。
もっとも、レイラー・美鈴千春も、実のことを理解でなかったから、『感受性が強い』程度でしか捉えていなかったのだろうし、剣崎司令も護も、彼女の又聞きでしかなかったのだ。
「初日に、ミノルのレーザーを、マモルが止めたでしょう」
初日、という言葉で、司令は思い出をめぐらせ、アッと叫んだ。
「あの時、か……。いや、だが、私はてっきり……マモルがケガをしたのを見て、怯んだものだと思っていたが……」
そうだろう。で、なければ実を放っておくはずがなかったのだ。
健は、玲にもう一度、同じ言葉を繰り返した。
「鶴野さん、覚えていてください。ミノルは、オレたちのなかでも、特異な体質をもっています。強い感情の相手になりきってしまう、と……」
なぜ、念をおすのか、玲は疑問をもったものの、真摯に頷いた。
「……それで……何を言いたいんだい?」
「日記とディスクを彼に見せました」
さりげなく言った、彼の言葉の意味を、司令たちはすぐには理解ができなかった。
が、愕然と、テーブルに手をついて、身を乗り出したのは、司令のほうが早かった。
「み、見せてしまったのか? よりによって……ミノルに?」
「どう、どうしてそんなことを! あれは……マモルくんにとって……」
二人の声が重なる。
玲は、尚も健に詰め寄った。
「ミノルくんにだけは知られたくなかったことなんだよ! 僕は……君にだから渡したんだ!」
「オレだから? ならば聞きますが、あれを読んで、オレに何かできるとでも思っていたんですか?」
冷たい問いかけに、二人は言葉を失った。
呆然とした彼らの視線を受け止めて、なお、健は表情も冷たく、続ける。
「鶴野さんに治せなかった彼を、オレが治療できるわけがないでしょう」
「……ケン……その……ミノルなら、治せると、いうのかね? そのために読ませた、と?」
「オレは、最初に聞いたはずですよ。鶴野さんは、どの分野の主治医なのか、と。ミノルに、鶴野さん以上の腕があると思いますか?」
剣崎司令は、実がどういう理由で医師免許を採ったのかを知っている。
レイラー・美鈴千春のためだ。つまり、彼の領域は、外科なのである。
もちろん、内科の領域も含んで学んでいたはずだ。しかし、精神は、完全な専門外だった。
緩く、絶望的な思いで、首を振るしか、なかった。
「し、しかし……ならば、ケン、なぜ彼に……」
「第一、マモルくんは納得しているの? 彼は知っているの?」
「知っていますよ。彼には、オレがどうするのかを話しました」
やはり、昨日の司令室で、念をおしていた玲の説得も、護には届いていなかったのだ。
諦めきれないのは、玲のほうだった。
彼が、詰め寄るように、健の両腕を掴む。
「なんとか……ならないのか? 彼は……マモルくんは、死にたがっているんだよ」
「本人から聞きました。……鶴野さん、オレにできることは、ひとつしかないんですよ。彼の望みを叶える……他にできることは、ありません」
「そ、そんな……」
「あなたの傷を、見せてください」
「き、傷?」
無意識に、健を掴んでいた右腕を見下ろす。
彼は、腕を離すと、ゆっくり、白衣の右袖を捲り上げた。
そこには、三本の、縦に長く削り取ったような、ひきつった傷跡があった。
それを、健は見つめていたが、そのまま、
「たかが……これだけしか、できなかったんですよ、彼は……」
と、悔しさを滲ませるような呟きを漏らす。
それは、日記に記載があった、護の攻撃の痕跡だった。
かつて、玲は、その傷をつけられたときに言っていた。
『これは、進歩なんですよ』
と。
病院に収容されてから、護が自分というものを辛うじて取り戻した証拠なのだと。
健は、誰にともなく言った。
「こんな傷……進歩なんかじゃない。この程度のことしかできなかった彼が、何の役にたつんですか」
「仲間じゃないか! 白木くん、彼は、仲間じゃないか」
必死の叫びも、健にとってはまったく通じなかったのか、冷静に口を開く。
「そうですよ。オレにとっても、ミノルにとっても、同じノーセレクトの仲間だ。だからこそ、彼の望みを叶えなければならないんです」
「ケン、君は、ミノルに始末させるつもりなのか?」
健は、今まで見せたことのない、鋭い視線を司令に向けた。
「あなたは……あなたがたは、マモルのことを僅かも理解していない。ディスクの、……彼の話をひとつもわかっていない。あなたがたの、軽薄な同情は迷惑なんだ」
「ケ、ン……」
「ミノルに、何ができるんですか。マモルの感情で、今は破裂しそうなんだ。それでも、受け止めようとしているんですよ。マモルの望みは、死ぬことじゃない。ミノルの傍で、生きていきたいんだ」
健自身、ディスクを聞くまでは、護を理解することができなかった。
二人を睨み付ける、その刺々しさは、あるいは自分に向けられるべき視線だったのかもしれない。
三年前、といえば、健は、すでにすべての訓練課程を終えて、最後のメンバー、夕子が十八歳になるのを楽しみに待ちながら、日々を過ごしていた頃だ。
もちろん、課程を終わらせたからといって、だらけていたわけではない。
今までの習慣を忘れず、必ず一日一度は、射撃訓練を重ねていた。
どこかに旅行することも許されていなかったから、行動範囲は極端に狭かったものの、自由に行き来できた唯一の場所、元刑事だったキッシュの家には、彼が亡くなったあとも足しげく通った。
彼の思い出を、その家族と話したものだ。
まさか、そんな頃に、メンバーになる護が、逃げ出すこともできない、絶望の中にいたとは、思いもしなかった。
たとえ知っていたとしても、何かができたわけではない。だが、あまりにも自分とかけ離れた体験をしていた彼を思うと、やはり、健は、穏やかに過ごしていた自分が許せなかったのである。
レイラー・楠木哲郎も、元刑事、キッシュも、健に、自分の居場所を作れと常に言っていた。
それは、イコール、メンバーの居場所なのだ、と。
ならば、健の居場所は、メンバーを守る器という立場しかない。
護の、絶望の中に迷いこんでいる、本当の望みを、今から叶えることを、遅いとは思いたくなかった。
だから、実に知ってもらいたかったのだ。
護の、底のない彼への思いを。
しかし、だからといって、今の彼の欠陥を、見過ごすこともできない。
彼らの行動が、接近戦を回避できない場合、護は役にたたないどころか、他のメンバーを危険にさらす可能性があるのは事実だ。
健は、二人から目を逸らし、俯いた。
「あるいは……彼を排除しなければならないかもしれない。それは否定できません。けれど、彼の……たった一つの望みだけは叶えたいんだ。……どうなるかはわかりません。ただ、今のままで……絶望したままで、死なせることだけは、したくない。……鶴野さん、忘れることはできなくても、時間をかけて、慣れることはあるんでしょうか?」
ああ……という声が、玲の口から漏れた。顔を歪ませ、泣き笑いのように、そして体を震わせる。
彼は、興奮しながら司令のほうに身を乗り出した。
「すごい……本当に、すごいよ。やっぱり僕にはイメージができない。大きすぎる。本当に、白木くんは……一番のノーセレクトだ」
体を震わせるほどの感動が、玲にあった。
精神を治療する医者である彼でさえ、まったく理解ができなかった護の真の願いを、健は、一度聞いただけで汲み取ったのだ。
低い数値ではあるが、玲自身、ノーセレクトの要素はある。にも関わらず、やはり健たちに、ノーマルとしか認識されなくても仕方のないことだった。
どうにもできないまでも、後悔のない最期を護に与えるなど、健でしか言えないことだったろう。
剣崎司令も、玲も、二つの選択肢しか思い付かなかったのだから。
実に、仲間の始末をさせてしまうのか、それとも、絶望を抱えさせたまま、生かしておくのか……。
死、という最期に意味をもたせることができるとは考えてもみなかった。
そして、生という継続にも、絶望から救う手だてを、健は考えようとしている。
どちらにしても、護にとって、楽になれる方法を模索してくれようとしていた健に、玲は感動をそのままに、向き直った。
「あるよ。きっと、方法はある。君ならできるよ。……そうだよ。……少しずつでいいんだ。時間がどれだけかかってもいい。慣れていけばいいんだ。君たちの中で、……ミノルくんの傍で時間をかけて……白木くん、彼を頼むよ。君ならば、彼を救える。君にしか、できないよ」
同じ言葉を、かつて健は、司令室で聞いた。
ノーセレクトのリーダーは君にしかできないと言った剣崎司令も、希望を込めた表情を健に向けている。
途端に、いつものような情けない微笑みが、二人に向いた。
「過大評価ですよ」
直前までの刺々しさが嘘のようだ。
頼りなさそうで、誰もが手を貸したくなる気持ちにさせる。なのに、彼の大きさは、二人には、計り知れない期待となっていた。
今となっては、剣崎司令たちのなかに、護の排除という言葉は跡形もなくなっていた。
あるいは、その考えを忘れようとしていたのかもしれない。
安心したというため息が同時に漏れ、そして、部屋は沈黙した。
自然に、三人が黙り込んで、しばらく、やがて、思い出したように司令が腰を上げた。
「お茶を入れましょう」
「あ、僕がやりますよ」
入れ替わるように席を立った玲の隣で、健はブレスレットに目を落とした。
まだ……か。
それほど簡単に整理がつくとは思わなかったが、やはり、ここでの時間稼ぎにも限度がある。
健は、司令を見上げた。
「この辺りに、射撃場のようなものはありません……よね……?」
自信のない問いかけは、今までの世間知らずを自覚したからだ。
メンバーの家の地下には、ノーセレクト用の訓練設備が備えてあった。また、土地柄、健の家から近い場所にも、クレー射撃の練習場などもあった。
だが、このような都会の真ん中に、そのような施設があるわけがないと、唐突に思い当たったための、諦めを含めた質問だった。
案の定、キョトンとした司令の顔がこちらを向いた。
「射撃場? ここではいけないのかね?」
「あるんですか?」
「……そうか……。説明をし忘れていた。……君たちのいる別館の屋上が射撃場になっているのだよ。君たちと、ハウスクリーニング部のチーフしか上がれないようになっているものだ」
もちろん、エレベーターでしか上がれないところで、司令の説明によると、初日に渡されたカードが、エレベーターのキーにもなっているという。
屋上の表記は、基内にはない。その代わり、非常用ボタンの脇に、カードを差し込むためのスリットがあるらしい。
彼らのための本部、という位置付けならば、どのような施設も用意してあるということか。
ついでに、と、司令は尚も言った。
本館の屋上に、トレーニング施設まで備えているようだ。
こちらは、本館のエレベーターから上がるのだが、カードは必要がないそうだ。
ならば、やはり邪魔の入らない射撃場で実を待っていたほうがよさそうだ。
「別館のほうにいますから」
と、腰を上げた。
お茶をトレイに載せていた玲が、慌てて声をかける。
「白木くん、見学してもいいかい?」
「はい?」
「僕に見せてもらえないかな?」
何のために? という疑問は、一瞬しか表情に出なかった。
遠慮がちに視線を外して、クスッと笑う。
「構いませんよ。それほど自信が持てる腕前ではありませんけれど」
これが、謙遜でいっているわけではなく、本気でそう思っているような調子だったからこそ、剣崎司令が、思わず吹き出した。
すぐに、自分の失礼を詫びたものの、司令の元には、訓練時代からの、メンバーの成績は大切に保存してある。
健の、射撃の腕はナンバーワンだったのだ。
確かに、護もまた、健に匹敵する腕を持っている。彼の場合、すべてにおいて、完璧だ。
だが、射撃に関して、平均すれば、護でさえ健には敵わなかった。
「すみません。剣崎さん。お茶を司令室のほうに持っていきますんで、白木くんについていってもいいですよね」
健が許可したことなら、司令も反対するはずがない。
穏やかに、
「どうぞ」
と言って、自分も腰を上げた。
司令室のデスクにお茶を置いて、玲と健が部屋を出ようとしたときに、ブレスレットの音が部屋に響いた。
咄嗟に、表示に目を落とす。
実からかと思ったのだが、相手は隆宏だった。
「タカヒロ?」
『オレたち、出るから』
「マモルは?」
『部屋で待機なんだろう? 戻ったよ』
「そう。頼んだよ」
『うん。行ってくるね』
短い通信だった。
すぐに、何事もなかったように、健は、玲とともに、別館に向かった。




