ミノルという記憶 7
司令室に入った玲は、剣崎司令のいるデスクに直行した。
「食べましたか?」
司令は、彼を立たせたままにさせず、手招きをして隣の部屋に入っていった。
そこは、司令の休憩室のようなものだ。
客を招く部屋でもある。
隅に簡易キッチンも備えてあり、司令が自らお茶を入れて、玲と向かい合った。
玲が、複雑な笑顔を向ける。
「やはり、僕のあとで口をつけましたね。食べる量も少ない。最低限の栄養を摂るため、としか思えません」
「それでも……絶食されるよりはましなのでしょう」
「それはないと断言できますよ」
「できますか?」
剣崎司令を安心させるためか、力強く頷く。
「三年ですよ。絶食をするつもりなら、いつでもできたはずです」
「しかし……それはミノルに会うという目的があったからでは? とりあえず目的は果たせたのですよ?」
「それは違います。マモルくんの目的は、黒沢くんの手による死、なんですよ。自分からはなにもしません」
しかし、どちらにしても、護が死を望んでいるのは同じなのだ。
司令の、重々しいため息が漏れた。
「ところで……」
玲の問いかけに、司令の顔が上がる。
「白木くんはあれを読んだんでしょう? どうでした?」
「読んだかどうか……。あれから会っていません。芝さんの話では、ミノルとエリとユウコは戻っているようですが、多分、向こうにいったのでしょう」
そして、気分を変えるように、ささやかに微笑んだ。
「ケンの印象はいかがでしたか?」
玲は、大袈裟に腕を組んで、苦笑した。
「いやぁ……正直言わせてもらうと、怖い、ですかね」
「怖い?」
訝しげに聞き返した司令に、玲は慌てて手を降った。
「悪い意味じゃないんです。なんと言えばいいのか……イメージができないんですね」
「……私には……どうも……」
玲の、人の捉え方が独特だということは、司令も知っているが、イメージが『わかない』ではなく、『できない』という意味が、理解しがたい。
「そうですねぇ……。曖昧な表現しかできませんが、先入観があった分、彼ほどのノーセレクトはいない、と思います」
彼が、ノーセレクト専属の主治医と決まったあとから、剣崎司令はメンバーの詳細を話している。
本来なら、細かい資料を渡すべきだったのだが、玲のほうで断った。
事前の知識を植え付けられると、それは先入観とイコールになってしまう、というのが、彼の考えだったからだ。
だが、メンバーのことを何も知らずに主治医など、務まらないだろう。
だから、ある程度の知識は、仕方なく聞き覚えた。
しかし、やはり玲は、司令の話だけで、先入観を持ってしまったのだ。
司令は、彼の言葉に、首をかしげた。
「彼のノーセレクト数値は、メンバーでは最低のものですが?」
「数値は関係ありませんね。というよりも、百パーセントは不完全だと思っています」
「なぜですか?」
「コンピューターの数値は百が上限でしょう。ならば、そこから先がないということになりませんか? 完璧に手が届いてしまっているんです。百パーセントという枠ができている。でも、白木くんには、その枠がない……」
「つまり、まだ先がある、と?」
恥ずかしげに頭を掻いて、玲は頷いた。
「剣崎さんのお話を伺っていて思っていたんですが、彼のレイラーの育て方は、まさに、枠を作らないことだったのではないか、と……」
枠がない……。
司令の心の中に、先日、高志と絵里が戻ったときのことが浮かんだ。
彼らも言っていた。
健がいれば、自分たちは何をしてもいいということを感じる、と。
レイラー・楠木哲郎の教育方針が、司令には理解できなかった。
友人を作らせず、特定の人間以外を、健に接触させることを嫌っていた。
訓練時には決して近づかず、放っていたにも関わらず、日常生活においては、細かいところまで世話を焼く。しかし、反面、知識を植え付けることを、避けていた。
それを思い出したとき、司令は漠然と、玲の言葉がわかる気がした。
レイラー・哲郎は、ノーマルという世界の枠を、健の中に作らなかった、ということに。
玲が、続けて言った。
「僕は、彼が怖いですよ。ノーマルの目からは、決して見えない大きさを身に付けているように思います。……もっと話してみたいですねぇ」
「鶴野くん、……ケンは、マモルに何かできるでしょうか?」
腕を組み、考え込むように目を伏せたが、玲はすぐに、
「わかりません」
と、キッパリと言った。
「マモルくんの願いは、あのディスクで読み取れるでしょう。だが、それを叶えれば、彼らはマモルくんを失うことになる。かといって、生かすことを強要すれば、マモルくんを今以上に苦しめることになるでしょう。どちらにしても、白木くんには辛い選択になります。……何とか、いい方法を見つけてほしいと、僕も思いますが……」
それを最後に、二人とも沈黙した。
が、思案しても、答えがでるわけもない。
しばらくして、どちらともなく、腰をあげた。
休憩室にも、廊下に出るドアがある。そこを開けて、司令は、丁寧に頭を下げた。
「助かりました」
玲もまた、恐縮して頭を下げる。
「そんな……。こんなことで役に立つなら、いつでも呼んでください」
と、踵を返したが、ふと、また振り返った。
「剣崎さん、昨日のあなたの言葉、間違っていないと思いますよ」
「私の?」
「白木くんにあれを渡した時点で、もう、僕たちは口を出さないほうがいいんでしょう。……僕にとって、マモルくんは、医者としての最初の患者でした。あなたは、ここの司令だ。けれど、ノーセレクトにとって、僕たちはあくまでも、ノーマルなんです。……ずっと、マモルくんを診てきて……そして、彼らのことを聞いてわかったのは、彼らは、ノーセレクトという、僕たちでは理解できないプライドを植え付けられてきた、ということです。僕たちがどれだけ彼らを思っても、彼らには伝わらない」
玲は、昨日と同じように、自分の右腕を無意識にさすって、苦笑交じりに言った。
「僕のノーセレクト数値では、マモルくんに近づくことすらできませんでした。三年もの間、距離は変わらなかったんです。それを、白木くんは短時間であれを託されるほど、彼の心を溶かした、とは思えませんか?」
それが、死を願う護の決断であっても、か。
「……そうかも、しれません」
「僕は、それに期待したい。できれば……彼らの前では、この白衣を来たくはないですから」
その言葉に含まれた意味に、剣崎司令は、彼の右腕から目を離せなかった。
申し訳がない、ただ、それしかない。
静かに、さすっていた手を下ろし、玲がクスッと笑う。
「そんな顔をなさらないでください。これは、僕の、ノーセレクト数値の証でもあるんですから」
それから、彼は改めて会釈をすると、帰っていった。
やはり、脅迫? か?
隆宏と高志は同行させてもらえず、廊下で待たされていたから、健が、どういう話をしていたかはわからない。
だが、時おり、署長室の中から、机を叩く音や、聞き取れない怒鳴り声がしていた。
長い間、待っていた彼らの耳に、ドアが開く音が聞こえ、出てきた健の背後に見えたのは、ソファに座ったまま、青ざめた署長の横顔だった。
「帰ろうか」
相変わらず、優しさと情けなさを伴った笑顔で、健が言った。
あとに続きながら、僅かに署長室を振り返り、高志が、健の歩調に合わせる。
「やっぱり脅迫にとられた?」
「どうなんだろう。個人的には、わかってくれたと思いたいけれど……。理解してくれなければ、本部が困るだろうから」
「? なんで本部?」
外に出ると、熱気はますます密度を増していた。
今まで、適度に空調が効いた部屋にいたから、その暑さに健がため息をつく。
先日、暑さに慣れたかと思ったが、どうも気のせいだったようだ。
それとも、署長との話で神経を使ったか?
どちらにしても、一度、あの家に戻ってから本部に帰るしかない、と、自然、足は駅とは逆に向いた。
歩きながら、隆宏にも詳細を話す。
どうやら、健自身は、レストランで言ったように、事実を署長に伝えただけだったらしい。
まあ、それも当然だ。
公安や、警察本部などの捜査が入れば、ノーセレクトの出る幕はないし、まして、そこまで依頼されていないのだから。
最初、そんな彼に対し、一度は受けた依頼を、延長線上のものとして受けてほしい、と詰め寄ったらしい。
しかし、彼らが任されたのは、ヨコハマを拠点とした組織の『壊滅』という一点だけだ。
つまり、結果的には完遂したのである。
司令から渡された資料は、あくまでも野々村が勝手に持ち込んだものでしかないし、まして、単なる提案だったわけだから、依頼、という位置におくこと自体、間違いなのだ。
そこで、署長は、健の目の前で本部と連絡をとった……そうだ。
「なんか、本部のシステムが面倒らしいんだ」
「面倒って?」
「書類手続き、だって」
二人は、顔を見合わせて、ほぼ同時に肩をすくめた。
「面倒か? それ……。当たり前の手続きじゃないのか? タカヒロ?」
「当たり前だと思うけれど?」
健には、そういう知識もない。
だから、二人の表情に、
「そうなのか……当たり前か……」
と、呟いた。
目の前で、署長が懸命になっていたのを見ていたから、面倒な手続きなのだと思い込んでいた。
しかし、そのようなシステムを知らなかった健にも、ひとつだけ、わかったことがある。
本部は断ったのだ。
やがて、署長から受話器を渡された。
相手は、本部の総括スタッフだった。
『申し訳ありませんでした。白木さん、ここから先は、本部の後始末の部類に入ります。あなた方の依頼は完了です。あとはお任せください』
本部からそう言われれば、もう残る理由もない。
だから、引き上げたのだという。
大通りの人混みを避けて、裏通りから坂を上り始める。
そこも、観光客やビジネスマンなどが行き交っていた。
健は、署長の思惑もはっきりと聞いたのだと言った。
「彼がどうして、あの組織を潰したかったか、話してくれたよ」
「自分の功績のためだろう?」
高志が、つまらなそうに言った。
隆宏も、興味を示さず、首をすくめる。
二人とも、手を引いた事象には、もう、関心はなかった。
だから、健も、それ以上は聞かせようとも思わなかったのである。
坂も途中に差し掛かったころ、家が見えてきた。
「ケン、先にいくよ。部屋を冷やすからさ」
真っ先に、高志が二人の間をすり抜けた。
全力疾走のアスリートのような素早さと、門扉から入らず、柵を飛び越すジャンプ力は、運動能力が発達している、彼らしい動きだった。
子供のように無邪気で、ハツラツとしている。
遅れてリビングに入ったとき、高志は、今朝使ったカップを片付けていた。
冷房が、勢いのいい音をさせて、部屋を急激に冷やそうとしている。
本部へ戻るのに、散らかしたままでは印象も悪いだろうと考えた高志を、微笑ましく思いながら、健は一度、自分の部屋に行くと、最後のブレスレットを持って戻り、隆宏に渡した。
操作説明を聞く隆宏の表情は、嬉しそうだ。
健は、苦笑するしかなかった。
「? どうしたの? ブレスレットに不満がありそうな顔だね?」
顔に出ていたか、と、苦笑いを自分のブレスレットに向ける。
「どうも……男がこういうアクセサリーをつけるというのに抵抗があって……」
隆宏が、真面目な顔で、彼に向き直った。
「間違いと、わがままと、失礼が一つずつあるよ」
「えっ?」
「まず、これは通信手段であって、アクセサリーじゃないという間違い。電話でさえ、君は持とうとしなかったじゃないか。いつも身に付けていれば、不便な思いをしないからね」
「……うん」
それは確かだ。
実が飛び出していったときも、すぐにあとを追ったから、電話を持ち出す余裕もなかった。
結局、公衆電話を探し回ったことを考えれば、文句は言えない。
「次、今時、こんなブレスレットひとつを身に付けていたところで、目立つわけじゃない。男性のオシャレも不自然じゃないから、本部の気遣いに文句を言わないこと」
「……はい……」
立場が逆転している。
怒られているわけではないし、隆宏の声も態度も、さほど強くはないが、逆に、健のほうが恐縮して、声も小さな返事だった。
「最後に、ミノルはピアスをしているんだよ。彼に失礼だとは思わない?」
「そ、それは……」
誤解なのだ。
健は、言い訳たっぷりに言い換えた。
「おまえたちはいいんだよ。ただ……オレ自身が、……その……好きじゃなくて……」
「それこそわがままじゃないか。これをアクセサリーだと決めつけるから嫌なんだろう? 電話と同じだよ」
これにも、彼は情けなく笑った。
恥ずかしそうに呟く。
「持ったことが……なかったんだ。その、携帯電話」
「……そうなの?」
「必要がないということでね。電話をかけることすら、制限されていたし」
考えてみれば、健は、遊びに行く友人もなく、知り合いと言えば、レイラーの監視の延長でしかなかったというから、行動範囲はかなり限られていたのだろう。
つくづく、思う。
「本当に、君の生活は特殊だったんだなぁ」
と。
自分がもし、最初からその環境だったら、我慢できただろうか。
息苦しい思いをしていたかもしれない。
気の毒だ、とは思うが、口にしては、同情にしか聞こえないだろう。
気を取り直すように、隆宏は、
「とにかく」
と、健の腕を掴んだ。
「帰るんだろう? ミノルたちに連絡を入れてよ」
「あ、ああ、そうだね」
この場合は、やはり実に、だろう。




