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TOGETHER  作者: SINO
二章 贖罪
60/356

ミノルという記憶 6

 彼がドリンクバーの人の中に紛れると、健は、隆宏に向いた。

「それで……後始末って?」

「わからない?」

 隆宏の口許が、『署長』と、動いたのを見て、首をすくめる。

「昔から、変わらないということか」

という呟きと共に。

「警察も、所詮は組織なんだよなぁ。連携できれば、こんなことにはならないだろうに」

 健には、元刑事の知り合いがいると言っていた。

 昔というのは、その頃からのことらしい。

 隆宏が苦笑する。

「ちょっと、違うんじゃない? 警察と公安では、立場が別だよ」

「だから、そこの連携だよ」

 高志が戻ってくるまで、健は考え込んでいた。

 その合間の呟きは、無意識に洩れる、独り言だ。

「……脅迫に近いんだよなぁ」

「脅迫? 誰かを脅すのか?」

 席に着いた高志が、どちらにともなく問いかける。

 二人の雰囲気で、仕事の話に戻っているのはわかったようだ。

 隆宏は、曖昧に頷いた。

「最初に依頼をしてきた、あの署長だよ」

「はあ?」

 手を引くと言いながら、なぜ、今になって署長を脅迫するのか、高志はますますわからなくなった。

 それよりも、犯罪に手を染めている警官たちを、何とかするべきではないのか?

 先程と同じことを聞いてみる。

 隆宏は、肘をついて、高志に向き直った。

「オレたちが介入してはいけないだって言ったじゃないか」

「それがわからないよ。あんなに調べて、事実ははっきりしているじゃないか」

「はっきりしたのは、警察と組織で、そういう取引をしているということだけだよ。証拠を集めることまではしていない」

「証拠を集めるのに時間がかかるからやめるというのか?」

「それもあるけれどね。手を引く理由は、片手落ちになるからなんだよ」

「片手落ち? 何が?」

 ……なんか、説明が面倒になってきた……。

 隆宏の、その表情に気がついたらしく、健は、自分のグラスを彼に渡した。

「持ってきてくれない?」

 もちろん、隆宏は快く引き受けると、自分のカップも取り上げて、席を離れた。

 すかさず、健が身を乗り出す。

「警察機構には、公安部、というのがあるんだよ」

「公安部?」

「その中には、警察自体を監督する部署もある。つまり、あの警察署の悪事は、公安に任せるべきだということなんだ」

「片手落ちって、どういうこと?」

「オレたちが、警察のほうだけに手を入れてしまったら、コウベの組織は無傷で残ってしまうんだ。確かに、組織は資金源を失う。けれど、壊滅までは至らないさ。……資金源は他にもあるから、ここにまで手を伸ばしたんだろうからね。……かといって、組織ぐるみで始末するには、オレたち七人だけではあまりにも少数だし、第一、時間がかかりすぎる。いつまでも一つの仕事に関わるわけにはいかないよ。……けれど、公安は違うんだ。彼らは、一度調査をし始めたら、何年かけても証拠を集めるよ。そうすれば、いずれは暴力団にも手が届く。地道な方法だけれどね、それが、彼らのやりかたなんだ」

「なるほどなぁ」

「だから、オレたちが安易に動いて、警察内部の犯罪者と、組織の糸を切ってはいけないんだよ。それに、もっと簡単にいえば……」

 彼は、いたずら気味に、クスッと笑った。

「正式な依頼じゃないことを忘れた? 余計なことをしたくない、というのが本音かな」

 あまりにもシンプルな最後の一言に、高志は唖然とし、次には笑いだした。

「そ、そういえば……そうだったよな……」

 正直なところ、忘れていた。健の言う、正式な依頼として引き受けるかどうかを判断するために調べただけだったのだ。

 その結果、手を引くということに、高志は、ようやく納得ができた。

 一通り笑って、落ち着いたころ、彼はだが、別の疑問が浮かんだ。

「後始末って、何をするんだ? 署長を脅迫することが後始末?」

「署長の受け取り方次第では、そう聞こえるかなって、思ったんだよ。……たかが一つの組織を潰しただけで有頂天になっている彼に、釘をさしにいくんだ。彼だって、自分の功績を挙げるために、二つの組織の情報を集めていたわけだから、罪がないとはいえないよ。……身内の犯罪に気づかずに、自分のことだけを考えていた結果がどうなるのか、教えにいくようなものさ。公安の捜査の邪魔をするな、とね」

 また、笑い声が響いた。

「署長、かわいそうだな。自分ではベストな方法だと思っていただろうに」

「頼んだ相手が悪かったことを痛感するんじゃないか? 以前は、自分と、周辺住民の力だけでなんとかできたんだ。大方、オレたちを、新しいシステムを試す程度にしか捉えていないよ。安易に、他人の力を利用すればどういう目に遭うのか、理解するんじゃない?」

 その言葉に、高志は目を丸くした。

「ずいぶん辛辣だな」

「そう?」

 実のような、嫌みや皮肉ではない。高志には、声の調子に、棘があるように聞こえたのだ。

 隆宏が戻ってきて、受け取ったアイスコーヒーに口をつけた彼から漂うのは、いつもの、情けなく、優しく柔らかい温かさだ。

 高志には、健という人物が、わからなくなってきた。



「ひとつ、疑問があるんだけれど」

 警察署に向かう道々、隆宏が言った。

 昼の道路は、車の往来や人の流れが多い。

 隆宏の声は、ともすれば、雑音に混じってしまい、健は、彼に近づいて聞き返した。

「疑問って言った?」

 今日も、時間がたてば暑くなりそうだ。よくみると、陽炎もたち始めている。

 日差しの眩しさに、隆宏は俯きがちに続けた。

「君、オレが放棄することを知っていた?」

「いや。わかるわけがないじゃないか」

「そう……」

 息苦しい暑さに一息ついたものの、隆宏は思いきって声をあげた。

「ミノルたちを本部に戻した理由がわからなくてさ」

「理由? 別に? 何をするにしても時間はかからないだろうし、オレたちだけでも充分だと思ってはいたけれど」

「だって、君はケガをしているじゃないか」

 彼が、さりげなく自分の袖を摘む。

「たいしたことはないよ。……もしかして、気に入らなかった?」

「オレじゃないよ。ミノルが怒っていたから」

 そこで、隆宏は彼に耳打ちをした。

「彼を仕事から外すなと言ったのは君じゃないか。だから、尚更ね」

「ああ、そういうこと」

 情けなく苦笑するしかなかった。

 実は、これから大変な思いをすることになる。

 他人の感情が入り込む彼だからこそ、護の過去は、健が想像する以上にダメージを与えるだろう。

 せめて、自分が本部に戻るまでは、仕事のことを忘れてほしかっただけなのだ。

 だが、それを隆宏に話すわけにはいかない。

 さりげなく、健は言った。

「オレたちも今日中に戻るんだ。帰れば、機嫌も直ると思うよ」

 その、余裕を含んだ言葉に、前を歩いていた高志が、僅かに振り返った。

“なんか……変だな”

 何が、と問われても答えられないが、何日か前までの健ならば、彼らの一言一言に動揺し、慌てふためいて言い訳をしていたはずだ。

 高志と絵里が大阪から戻った日は、健もまた寝込んでいて、自分の心を見つめ直す時間を実が作ったのだと聞いたのは、昨日のことだ。

 つまり、今の健の状態は、本質が表に出始めた、ということか?

 だとしたら、距離を置きたい気がする。

 もしかしたら……。

“ケンは誰よりも冷たいんじゃないか?”

 優しさが、本質を覆い隠していただけではないのか。

 そうは思いたくはないが……。

 警察署が見えてきた。

「先にいくよ」

と、人並みをすり抜けて、走って行った。



 護も誘いたかった、というのが、絵里の本音だった。

 とりあえず、実を誘い出すことには成功した。

 健たちが戻るまで仕事はないと言われても、本部でおとなしくしているつもりがなかった彼女は、散歩がてら、有名な庭園に夕子も連れて向かっている。

「散歩くらいなら、マモルの肩に支障はなかったんじゃない?」

 今、実は夕子と腕を組んで歩いている。

 もちろん、絵里が勧めたことだ。彼女も、実を見る夕子の変化に気づいていたし、それが、恐らくは自覚していない初恋だということも、見抜いていた。

 このように、さりげなく促すから、千葉にいた頃、『恋愛製作所』などというレッテルを貼られても、否定はできなかった。

 自分には、弱い男など必要がない。そう思っていたから、言い寄ってくる男性に、本気になったことはなかったし、彼らが、ごく自然に、自分から他の女性に乗り換えても、平気だった。

 むしろ、喜ばしいことに思えた。

 だからこそ、今回は少し、不満もある。

 護も誘おうとしたのは、その理由のひとつだった。

 きっと、実は、そんな彼女の不満を読み取ったのだろう。いたずら気味の笑みを浮かべた。

「隣に男がいないからマモル、か?」

 図星ではあったが、それは小さな指摘だ。

 だから、あえて否定をしなかった。

「この際、年下でも構わなかったのに、残念よ」

「ユウコと代わるか? オレならば、君より年が上だ」

 冗談だとわかっているから、彼女はにこやかな笑顔で、拳を胸元まで上げた。

「殴られたいのなら、はっきり言いなさい。あたしの準備ならできているわよ」

 実も、楽しそうに笑う。

 が、夕子だけは、戸惑いがちに二人を見上げて、小声で言った。

「あ、あの……私は……」

 どうも、先程から胸が高鳴っているのだ。それが少々苦しい。

 こんな自分と並んで、歩調を緩めてくれている実には迷惑だろうと、交代することを進言しようとした彼女に、実は、組んでいる力を強めた。

「ユウコ、前にも言ったな?」

 誘いを断るのは失礼だ……。

 覚えてはいるのだが。

「オレとでは君が嫌ならば、仕方がないが?」

「い、嫌じゃありません! 絶対! ……でも……でも、エリは?」

 申し訳なさそうに、絵里を盗み見た彼女の頭が、実に軽く撫でられた。

「彼女をよく見ろよ。姫君といえるか?」

「えっ。……そ、それは……」

「お姫様というのは淑やかなものさ。エリにはマモルですら、役不足だよ」

 驚いて、夕子が実を見上げる。

「……そうなの?」

 絵里もまた、あっさり頷いた。

「当たり前じゃない。姫は、あんた一人で充分。二人もいらないわ」

「で……でも、マモルがいたほうが……」

「そうよ」

 言いながら、絵里が、二人の前に立って、足を止めた。

 夕子と、実、そして自分を順番に指で指し示す。

「数えてみれば、三人しかいないわね?」

「ええ……」

「何事も、偶数のほうが、きりがいいじゃない」

「それは、確かにそうですが」

「だからよ。この際、マモルでもいいから、隣にいればいいと思ったの。なのに、何よ、ミノル。マモルが行くなら遠慮するって、どういうこと? この間のことを、まだ怒っていたわけ?」

 また歩き出して言ったできごとは、未だに絵里にも、夕子にも理由が理解できていない。

 だから、夜中の話し合いで、突然、護に怒り出して、外に飛び出してしまったことに、まだ拘っていたのかと思ったのだ。

 その割りには、彼らは、今日まで平然と過ごしていたように見える。

 そのため、絵里は今まで忘れていたのだ。

 実にしてみれば、健に言われたから、護と顔を合わせないようにしているだけなのだが、健が耳打ちをしたということは、自分の口から言うわけにはいかない。

 ため息交じりに、実は言った。

「あいつには、安静のほうが治りが早いんだよ」

「どうしてあんたが断言するの? 安静も何も、昨日の朝はまるでいつも通りだったじゃない」

 今さら、口を閉ざしても意味はないか。

 どうせ、後々になれば、自然にわかってしまうのだ。

 実は、辺りを見渡しながら、目的地に行く道が合っていることを確認して、絵里に言った。

「暗示がかけられると言っただろう?」

「は? ……ええ。それは聞いたわ」

「あれも、ある意味、医療行為なんだよ」

「……?」

 思わず、夕子と顔を見合わせて、絵里はやっと、彼が何を言っているのかが理解できたのか、声をあげた。

「あんた、医者だったの?」

 実が、嫌な単語を聞いたとでも言いたげに眉をひそめる。

「医者じゃない。ただ、ライセンスを持っているだけだ」

「同じことじゃない」

「やめてくれ。好きで採ったライセンスじゃないんだ。……と、あそこじゃないか?」

 彼女の背後、道路の向こう斜め前に、入り口が見えた。

 強引に話をやめて、実が歩を進める。

 高い塀が続いていたが、入り口と思える門の向こうに、いっそうの緑が生い茂っていた。

 車の往来を待って、道路を渡り、三人は公園内に入っていった。

 入園料が必要だということで、実がポケットからカードを取り出す。

 三人分の料金は、そのカードから引き落とされるようになっているのだ。

 庭園内は、それほど人がいないようだった。

 蒸し暑く感じる気温も、木々が生い茂る日陰を歩いていると、むしろ、澄んだ風が心地いい。

 直前までの会話を忘れ、女性連中は思わず深呼吸をする。

「静かですね」

 いつの間にか、夕子は絵里と並んで歩き出した。

 実は、そのあとをゆったりとついていく。

 それはまるで、子供を連れた、保護者のような気分だった。



 躊躇いがちの、小さなノックの音に、護は振り返った。

 ソファがありながら、ベッドに腰を掛け、膝に乗せて開いたままだった本を脇に置いて、ドアに足を向ける。

 立っていたのは、まだ真新しい白衣を着た玲だった。

 目の前には、ワゴン。

「お邪魔するよ」

 人懐こい笑顔で、遠慮もなく入る彼に、無言で護が入り口から離れる。

 ワゴンの上には、二人分の料理が載っていた。

 それを、玲は次々とテーブルに並べて、ソファに腰を掛けた。

「一緒に食べようよ」

 じつは、剣崎司令に頼まれたのである。

 昼近くになって、司令室に内線が入った。

 別館のリビングからで、芝敏子が、心配そうに連絡してきたのだ。

『藤下くんが来ないんですよ。夕べも、何も食べずに寝込んだと聞いていたんで、朝食の支度くらいはしたんですけどねぇ』

 それが、朝、リビングに上がってきたのが、実たち三人だけだったから、余計、心配だったらしい。

『まだ具合が悪いのかと思って、部屋に電話したんだけど、出ないし。もしかして、出掛けてるんですか?』

 剣崎司令は、芝に、メンバーの内線番号を教えていたが、今、護は夕子の隣の、空き部屋にいる。

 だから、

「わかりました。私から伝えておきます。二人分の用意をしておいてください」

『具合が悪いのに、そんなに食べられますか?』

「いえ。来客がありますので」

『そういうことですか、わかりました』

 その、来客が玲なのだ。

 厳密に言えば、客ではない。

 護に食事をさせるためだけに、司令が呼び出したのである。

 護は、玲の来訪にすら、何の反応も見せず、ソファに腰を下ろした。

 普通の人なら、いきなり、外部の人間が別館に来ること自体おかしいのだと、不審に思うだろうし、なにより、玲はまだ、新婚だ。夫人を放っておいて、なぜ、護と食事をしようとしているのか、訝しむだろう。

 護の無反応は、玲の、最初の患者になったときから変わらない。

 そのため、重々しく感じる雰囲気も、玲には慣れたものだった。

 料理を目の前に、

「いただきます」

と、そそくさと箸を取り上げて、料理を口に運ぶ。

 しばらくして、護も、箸を手に取った。

 夕べから……いや、昨日、横浜で朝食をとってから、何も食べていないにも関わらず、護には、食事というものは、決してリラックスできるものではなかった。

 義務として、食べる。

 死を望み続けている彼には、栄養を摂ることすら、できることなら拒否したかったに違いない。

 そんな彼を前に、玲との会話があろうはずがない。

 淡々と、味気のない雰囲気のまま、食事を済ませた。

 玲の食器が空になっているのとは逆に、護はやはり、残している。

「芝さんの料理はおいしいね」

 玲は、護と一緒に食事をしたことはない。しかし、保護者である高木浩二郎とは、ことあるごとに連絡を取り合い、そして定期的に、ケアのために会っていた。

 彼の睡眠時間や、食事の量も、話としてだけ、聞いていたのである。

 レイラーであった高木春代の死後、料理は夫である浩二郎が作っていた。男の料理だったから、調理の腕はそれほど自慢できるものではなかっただろう。そのため、食事の量が少なくても、それは仕方がないことだと思う。

 しかし、やはり、芝の料理でもこうして残すということの意味を、玲は諦めを含んだ目で確認した。

 さりげなく、残りを片付けるように、遠回しに促しても、やはり、彼からは返事もなく、むしろ、玲の存在を認識していないように、窓に顔を向ける。

 自然、玲も、そちらに視線がいった。

 何の音もしない。静かな部屋だ。

 真新しい、アイボリーの壁のクロス、必要最低限のものしか置いていない家具は、元の、護の部屋と同じレイアウトにしてある。

 本部に来たその日に倒れた彼を、この部屋に運んだあとで、玲が指示したのである。

 元々、彼らの部屋は、スタッフが、すべて同じレイアウトに家具を設置していた。住人が、好き好きに家具を動かすことが可能だったため、おそらく、メンバーは個性的な部屋を作っているだろう。

 護には、そのようなこだわりすら、欠如しているのは確かだ。そのため、本当は家具を動かす必要はなかったのだが、ベッドを窓際に移させたのは、三年もの間、彼が、こうして風景ばかりを見ていたからである。

 大阪にいた頃から、護に必要な空間は、一脚のソファと、ベッドを置く広さだけだった。

 それで充分だった。

 しばらくは、二人とも外の景色を見ていたが、やがて、軽く膝を叩いて、玲が立ち上がった。

 テーブルの上の食器をワゴンに載せていく。

「マモルくん、僕は帰るからね」

 護は、ソファに腰をかけたまま、玲が出ていくまで、目で追っていた。

 ドアが閉まると、腰を上げる。そのまま、またベッドに移り、読みかけた本を取り上げた。




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