ミノルという記憶 3
ラウンジにいたはずの健が、廊下側からリビングに入ってきたとき、芝はおや、と首をかしげた。
「すみません、芝さん。一人欠けます」
たった今、彼は、護を部屋に運んできたのだ。
今朝、護は、夕子の隣の部屋に入っていった。その部屋替えを、健は何も聞いていなかったため、念のために剣崎司令に確認した上で、新しい部屋に連れていったのである。
司令は、元の護の部屋に不備があったと言った。修理が終わるまで、ということだ。
腑に落ちないところはあったが、健も、それ以上は追求しなかった。
芝は、最後の仕上げに、水溶きの片栗粉を鍋に回しいれていたが、
「えっ?」
と、手を止めた。
テーブルの席についた健が、すまなそうに頭を下げる。
「申し訳ありません。マモルの具合が悪くなって」
「ちょ……ちょっと、食べられないほど悪いのかい?」
「無理ですね」
「ありゃ……まあ……。どうしようかねぇ」
二人分の料理を、しっかり用意してしまったのだ。
だが、食べられないというのなら、仕方がない。
とりあえず、一人分を取り分けて、それを、健の目の前に並べた。
そのまま帰るかと思った彼女は、なぜか、自分の分のお茶を用意すると、目の前に腰を下ろした。
「お邪魔するよ」
「構いませんよ。いただきます」
遠慮なく箸をつけはじめた料理は、夕子の作るものと同じで、味がいい家庭料理だ。
レイラー・楠木哲郎のような、大雑把な味付けではない。
もしかしたら、今まで、自分は損をしていたのではないだろうか。などと思う。
緩んだ表情に、芝がクスッと笑った。
「うまいかい?」
「ええ、とても」
「そう、よかったよ。あたしは、こんな家庭料理しかできないからね」
「あなたは食べないんですか?」
芝は、近所のおばちゃんのように、気安く手を振った。
「いやだよ。この子は。何時だと思ってるの。もう、済ませているよ。うちの夫はサラリーマンでね。娘は大学生。彼氏がいないらしくてさ。大体、同じくらいの時間に帰ってくるんだよ」
と、すると、一家の団らんの時間に呼び出してしまったか?
「すみません。オレが無理を言ってしまって」
「わかってるよ。ここに入るとき、こうなることは聞いていたからね」
彼女は、お茶をすすって、好奇心に目を光らせながら、身を乗り出した。
「ところで、聞いてみたかったんだけど、ノーセレクトって、何なの? あんたたち、どういう仕事をしてるわけ?」
一瞬、箸が止まった。
が、何事もなかったかのように、笑いかける。
「そうですね……。簡単に言えば、意味のない存在、でしょうか。仕事内容は、殺人、ですね」
「さ、殺人?」
「ええ。実際、おとといは何人くらい殺したか、覚えていない」
それが、あまりにもあっさりとした口調だったから、一度は唖然としたものの、芝はすぐに、豪快に笑いだした。
「まったく……おばちゃんをからかうんじゃないよ」
「本当ですよ。あなたは、キャップから何も聞いていないんですか?」
途端に、彼女の顔が青ざめた。
それは、冷ややかな健の言いように、ではない。
殺人というものに対して、罪悪感も後悔も含まない、彼のふてぶてしいまでの態度が、急に恐ろしくなったのだ。
乗り出していた体が、後ずさる。
チラ、と目をあげて、健は、黙々と箸を動かした。
「……そ、その……相手って……悪いやつ……なのかい?」
芝は、国の役人からの求人募集で雇われた。
つまり、詳細は聞かされていないものの、健たちがてにかけるということは、正義のためだと思ったようだ。
健は、今度は箸を置いた。
「芝さん、世の中に、悪い人間がいると思っているんですか?」
「あんたは思っていないのかい? よく、無差別殺人とかニュースでやってるじゃない」
「それでも、そういう人たちにも、普通の家族はいるでしょう? どんな人であっても、オレたちが殺していい理由にはなりませんよ。そういうことをしている時点で、本当の悪人はオレたちのほうだ。表向きは国の機関でも、オレたちは、正義の味方なんかじゃない。むしろ、世間では、決して受け入れられない、邪魔な存在なんですよ」
「し、白木くん……あんた……」
また、箸をとった健の言葉を、呆然と耳に入れていた芝だが、しばらくすると、深く息を吐いて、湯飲みを取り上げた。
「あんたは、かわいそうな子だね」
と、呟く。
それが、どういう意味だったのか、興味もなく聞き流した健も、芝も、それきり、何も言わなかった。
黙々と食事を続けていたが、やがて健は満足したのか、
「残してしまって、すみません」
と、言いながら、箸を置いた。
彼には、少々多い量だったようだ。
「いいよ。満足してくれたかい?」
「はい」
柔らかい微笑みに、芝も、口許が緩む。
「明日は何時ごろに来ればいい?」
「え?」
「朝食だよ。何が食べたい?」
「……オレたちが怖くないんですか? まだ、続けると?」
横幅のある体を立ち上げて、彼女は言った。
「あんた、あたしのささやかな小遣い稼ぎを取り上げるつもりなの? 藤下くんには、お粥でも用意しようか?」
健は、苦笑交じりに首を振った。
「まだ、仕事が残っているんです。内容次第では、戻らなくてはならないんだ」
「そう。わかったよ。なら、いつでも遠慮なく呼び出しなさい。いい? ひとつ言っておくけど、あまり恐縮しないでちょうだい。あたしは、ここの賄いなんだから」
「……ありがとう、芝さん」
物好きだな……健の表情はそう言っていた。
剣崎司令には、自分から隆宏たちに連絡すると言ったまま、結局、彼が電話をかけたのは、夜中になってからだった。
食事のあと、部屋に戻って、健はまた、二つの音楽を、音量を上げてかけながら、ベッドに横になっていた。
心をフラットにして、全体を見通す。
キッシュの言葉だった。
『俺にできたことが、ノーセレクトのおまえさんに出来ないわけがないさ。視野ってのはな、いくらでも広げられるぞ』
できないはずがない。
静かに、自分の精神の波を抑えていく……。
そして、ようやく、ステレオのスイッチを切ったのだ。
何度目かのコールで、唐突に聞こえたのは、実の声だった。
『遅い!』
誰かを確かめようともせずに怒鳴ったその声に、思わず健が笑う。
「ご、ごめん。……それで、調べはついた?」
『今、タカヒロに代わる』
うって変わって落ち着いた口調で、すぐに、隆宏を呼ぶ。
すぐに、声が変わった。
『ケン?』
「何かわかった?」
『コウベ直送の意味がね。麻薬らしいよ。警察が絡んでいるね』
「? 銃の横流しじゃなかったのか?」
『それは、目眩ましみたいだ。それと、一年前に入社したという、例の男ね、あれは、組織の准構成員だった。だから、とりあえず、始末される心配はなさそうだよ』
構成員、という意味がわからず、首を捻った健だが、すぐに、
「今、詳細を聞いたほうがいい?」
と、尋ねた。
『できれば、戻ってほしいんだよね』
ブレスレットで時間を確かめる。
「了解。じゃ、ミノルに代わってくれる?」
僅かな沈黙のあと、実の返事があった。
「ブイトールを操縦してもいい?」
『ダメだ。スタッフに任せろ』
にべもない言葉に、健がため息をつく。
「仕方がないなぁ。わかったよ。それからおまえと、エリとユウコは、こっちに戻ってくれ」
『……オレを外すつもりか?』
声が低くなった。
どうやら、機嫌を損ねたらしい。
「頼むから、言うことをきいてくれよ」
相変わらず情けない声に、恐らく実は呆れたのだろう。あからさまな吐息のあとで、返事があった。
『了解した』
彼らへの連絡のあとは、司令室だ。
彼は、また時間を確認して、内線をプッシュした。
コールは三回ほどか。
『はい、総括部、岡田です』
という男性の声に、訝しげに受話器を遠ざける。
「岡田? 総括?」
なぜ、総括のスタッフが、司令室の電話を取るのだ?
再び耳に当てて、健が言った。
「すみません、ノーセレクト部、白木ですが、キャップをお願いします」
『白木さんですか? 剣崎さんは帰宅しています。僕が夜勤なので、ご用がありましたら、代わりに承ります』
「そう、ですか。あの……ハミングバードを使いたいんですが……」
と、言ったものの、パイロット付きでは、実たちを戻すのに、少々窮屈か、と思い直した。
『ハミングバードなら……』
「いえ、イーグル機はすぐに用意できますか?」
『イーグルですか……。一時間ほどいただければ、ご用意しますよ』
ブイトールを何機も収納できるほど、この本部は広くはない。
普段は、飛行場のほうに置いてあるので、まず、パイロットを本部に呼び、ハミングバードと入れ換えなければならないらしい。
仕方がない。
「わかりました。ハミングバードをお願いします」
『では、パイロットが到着次第、ご連絡します』
「今、そちらに行きますから」
『え? 総括部にですか?』
「は?」
どうも、話が噛み合わない。
相手が、何か気がついたようで、軽い笑いが聞こえた。
『白木さん、司令室の電話は、総括に転送されているんですよ』
と、言った。
なるほど、そういうことだったのか。
そういえば、健が本部に来た初日も、資料部の女性が、同じことを言っていたのを思い出す。
「……失礼しました。それでは、こちらに連絡をお願いします」
受話器を置くと、健はすぐに部屋を出て、司令室に足を向けた。
真っ暗で、人気のない部屋の明かりをつけ、棚に戻されていた、実たちのブレスレットを勝手に持ち出し、その足で、今度は、護のいる部屋にとって返す。
未だ、目の覚めない彼の様子を、少しの間、覗き込んでいたが、やがて机の中から、コピー用紙を取り出すと、メモを書き残して、自分の部屋に戻った。
しばらく待っていると、パイロットが到着したという連絡が入った。
急ぎ足で、地下に向かう。
ブイトール格納庫の手前は、コントロールルームだ。
そこでまた、健は実に連絡をとった。
警察署にブイトールを下ろすために、そちらでの待機を指示してから、乗り込む。
パイロットは、今朝、ここに来るときに操縦してくれたスタッフだった。
にこやかに会釈を交わし、上昇させた機体が横浜方面に向かい始めてから、そのスタッフは、隣に陣取った健に、問いかけた。
「確か、白木さんもライセンスは持っていましたよね?」
表情は穏やかな青年だが、どうやら、遠回しに愚痴を言っているようだ。
苦笑交じりに、健は頷いた。
「持ってはいるんですけれど、ケガをしているので、止められたんです」
「ケガ?」
健は、自分の右腕の袖を、少しだけ引き上げて見せた。
半袖の服の下に、巻いたままの包帯が見える。
「あっ、それはすみませんでした」
と、気まずそうに目を逸らす。
健は、気にする素振りもなく言った。
「こちらこそ、こんな時間にすみません」
こんなことなら、無理に押しきって、自分で操縦すべきだったか。
そう思いながらも口を閉ざした健に、しばらくして、やはり言いにくそうにスタッフは声をかけた。
「本来……僕の仕事って、これなんですけどね」
「……?」
「ブイトールの運搬……つまり、操縦なんです。だから、要請があれば、いつでも駆けつけるように言われてたんですよ。でも、聞くと、ノーセレクト部もライセンスを持ってるって。それに、頻繁に使うわけでもないって言われて、楽な仕事だって思っていたんですね。すみませんでした」
ブイトールの操縦専門……。
健は、改めて、スタッフに顔を向けた。
「もしかして、ホッカイドウに迎えに来てくれたのも、あなたですか?」
「思い出してくれました? 白木さんと藤下さんを担当しました」
「マモルも?」
「あの人は、綺麗な人ですねえ。男だってことが、今でも信じられませんよ」
やはり、誰もが一度は疑うのか。
自分も間違えたから、何も言えないが、芝に続いて、はっきりと言われると、他人事ながら、いい意味には聞こえない。
目を伏せて、健は言った。
「本人には言わないでください。オレも、聞かなかったことにします」
どうやら、健の心情に気がつかなかったらしい。
わかってますよ、と、口調も軽かった。
計器と、モニターに目を移し、彼は、すぐにマイクを取り上げた。
「ヨコハマ警察署、こちら、ハミングバード・小堺です。着陸許可を願います」
横浜の、眠らないネオンが、きらびやかに浮かび上がっていた。




